新生活…甘酸っぱい勘違いしてみたり?
--こっちに来てから雨にあってない。
3月の末に越してきてもう1ヶ月とちょっとは経つんだけど…キャンパスの周りは穏やかかつ平穏で、かつてのようなやかましさは感じられない。
雨のない日常はアラバスタ計画を練っていた俺にとっては気分がいい。なんせ、雨の日にはろくなことが起こらないというジンクスが俺にはあるからだ。
…雨が降らないおかげか、俺の日常は平和そのものだった……
俺の名前は某大学に通うしがない大学生、広瀬虎太郎…
安定した将来の為背伸びしてレベルの高い大学に入学し、必死こいて授業について行っているただの新入生である。
--俺の通う大学は関東圏の都心部に位置している。俺はそこの商学部に通っている。そしてサークル活動はしていない。
…地元を離れて1人、ここまでやってきた。高校生時代は生徒会とかしててやかましくも楽しい日常だったが、今となっては友人を作ることもままならない。
今では教授とマンション近くのコンビニのねーちゃん以外だと、東京に越して行った小河原くらいとしか会話がない。
そんな小河原だが…
『というわけで、カノジョができたんだ。俺』
キャンパス内の芝生をスニーカーで踏み散らかす俺の耳元でメガネをクイッと持ち上げる小河原が僅かに弾んだ声でそう告げた。
法律家になるといって東京まで行った友人は早速都会で女を作っていたらしい。
「…メガネ割りに行っていいかい?」
『おい、俺からメガネを取ったら何が残るって言うんだ!』
「小河原はもっと堅物かと思ってたよ…そうか。じゃあもう今までみたいに泊まりでこっちまで遊びには来れないな」
『ああ、夜はカノジョがベットで待ってる』
「小河原はさ、メガネ外すよねベットでは。大丈夫なのかい?満足のいく仕事をできるのかい?」
『おい。俺の本体はメガネなのか?』
「ラムリー島でメガネをワニに叩き割られた時を忘れたのかい?」
修学旅行か…随分昔の思い出のように感じられる……
『ところで…潮田とは連絡とってんのか?』
「え?紬さん……?」
『ああ、潮田はお前の大学、まだ目指してんだろ?』
「……最近は色々忙しいみたいだ。でも、定期的に電話貰うよ?」
『お前からは?』
「俺もほら…まだ新生活慣れないし。それに紬さんも浪人生で勉強忙しいだろうから、俺からは……」
俺のそんな返事に電話越しで大袈裟すぎるため息がこぼれた。同時に『ニンニク臭っ!!』と悲鳴じみた声が上がる。例のカノジョだろうか?
『秀哉君!私と会う前にギョウザ食べないでって言ったじゃん!!』『いや……これはギョウザではない。二郎系だ!』『いや同じだから!!』
…………大変だなぁ。
最初カノジョができたなんて聞いた時には嫉妬からメガネに殺意が湧いたけど、気の強そうなカノジョの怒鳴り声を聞いていると楽しいことばかりではないんだろうなぁ…と思う。
『ちょっと今電話中……あのな?広瀬』『なによ!!女なの!?』『男だよ!!』
「……小河原、忙しいなら後でかけ直そうか?」
『いや問題ない』『何が問題ないのよ!?秀哉君っていっつもそうよね!?』『何が!?』
「いやかけ直す」
『待て』
嫌だよなんで1人キャンパス内で友人とそのカノジョの痴話喧嘩を聞かされるんだよ。
『あのな広瀬。潮田がなんでこんなにお前と同じとこにこだわるか少し考えてみろ』
「……」
『潮田、バカなんだぞ?』
「知ってたの!?」
『もう我慢出来ない!秀哉君電話貸して!』『だからお前からも…おい、だから友達だってば!!』『寄越しなさいよっ!!…もしもし?この泥棒女!!アンタ!人のオトコにちょっかいかけてんじゃないわよ!!』
………………………………
『アンタどこの誰よ!言いなさいよ!言っとくけどね!!あたしのお腹にはもう秀哉との子--』『やめろぉぉぉおっ!!!!』
--プツッ
…………
そうか……
あの小河原に子供が…………
緑の足下から視線を持ち上げると絵の具みたいな真っ青な空がどこまでも広がっている。
この空の続く下、みんな何をしてるんだろうか?
花菱は看護学校だっけ?アイツの事だ、上手く友達も作ってるんだろうな。
大葉はエナジードリンク断ちできただろうか?
田畑と長篠は…カブトムシでも愛でてるだろうか?
浅野さん達は、楽しく学校でやってるだろうか?
……紬さん、勉強どうだろう?
*******************
大学というのは自分で時間割を決められる。時間の自由が効くのは高校生の頃とは違うところだ。オシャレな私服を着たり髪を染めたりした学生達をキャンパスのベンチから眺めているととても学生には見えない。
こんな光景も高校の頃とは違うんだなと実感する。まだまだ垢抜けできてない自分とを比べるとまた高校時代が懐かしく思えてきた。
最後に高校生の頃のみんなと会ったのは卒業旅行。あの時もバタバタした。
思えば事あることにあの頃を思い出す…
「広瀬君」
ベンチでぼんやりがら空きの予定を頭の中でなぞっていると不意に声をかけられる。
まだ友人なんて居ない俺に声をかけてくるこの若い声は誰だろうか?
「もしもーし?」
頭を上げてみるとそこには茶髪のロングヘアを後ろでひとつに纏めた学生がいた。
飾りすぎず、けれどシンプルながらオシャレな佇まいとしっかりメイクで纏めた風貌の女子学生は都会の子って感じがした。
「あれ?広瀬君よね?」
「あ、はい。えっと……?」
「あはは。同じ学部の実渕だよ?忘れた?」
「忘れたというより…名前初めて知りました」
「ショック。てか敬語。ダメでしょ?」
なんだろう?サークルの勧誘か?
「はいこれ」
実渕と名乗る初対面に近い人に話しかける不審者さんはシャープペンシルを何故か俺に渡してくる。いや、よく見たら俺の物だ。
「おや?俺のシャーペン?なぜ?」
「おいおい、さっきの授業の時借りたじゃないか少年。返そうと思ったら君、さっさと帰っちゃうからさ」
屈託のない笑顔で笑う実渕さん。同い歳からの「少年」呼びに密かに気にしていた周りとのファッション差が抉られる。
「どうも」
「こちらこそ。どうもありがとう。いや〜、授業に書き物忘れてくるとか、私も歳かねぇ?どう思うよ?」
「若年性認知症は怖いから……いい病院紹介するよ?」
「…………いや、そんなまじになって答えなくても…傷つくわ。私そんなに老けて見える?」
純粋な善意だったのに……
「確かに今日のメイクは大人っぽかったかなー?」
ただシャーペンを返しに来ただけなのに雑談を切り上げず隣に座ってくるこの胆力。これが都会か……
「広瀬君この後授業ないん?」
「ないな。バイトも入ってないし…これからどうしようかと考えてた」
「おっ、さりげなく暇をアピールか。誘ってるか?」
「いや……予定はあるんだ。観たい映画あるからさ…観た?『実録ドキュメンタリー ミドリムシの一生』」
「…………ミドリムシの一生でどうやってドキュメンタリー作るの?」
ミドリムシだって生命ですよ?
「なんか変わってるね?君。周りの子ともつるまないし、覚えてる?初めて授業一緒になった時さ、君何故かノートじゃなくて巻物に板書してたの…」
「今もですけど?」
「え……」
「え?」
高校の頃はそういう奴、結構居たぞ?もしかして、都会ではノートやらルーズリーフやらが主流なのか?まさか手裏剣持ち歩かない?
都会とのギャップには驚かされてばかりだな……
君だって使うだろう?と問うと実渕さんはゲラゲラ笑っていた。常識を説いただけで笑われたのは初めての経験だ。紫信号では歩行者は止まってセグウェイは横断するという常識を説明したら笑われたのに等しい…
「君、変わってるね」
「そんなことないだろ?」
「地元どこ?こっちの人じゃないよね?もしかして異星人?」
「それはホントの異星人に失礼だよ」
「ホントの異星人に会ったことあるんかい」
「ないけど…うちの地元には1回UFO来たな…」
「……え?凄い真剣に言ってるけど、どこまで冗談?あとその糸目前見えてる?」
「冗談はひとつも言ってないんだけど……?」
笑顔を引っ込めてまじまじと俺を見つめてくる実渕さん。まるで珍獣を見るような視線だ。
「……ねぇ?広瀬君てさ、だいぶ前に話題になったあのツチノコ捕まえた広瀬虎太郎君?」
だいぶ前とは失礼な。そんなに前じゃないと思うけど……
「そうだけど……」
「えー!やっぱり!!道理で記憶に残る顔だと思ったよ!!はははっ!すごーい有名人じゃん!?」
もう誰も話題にしてないツチノコの話をこうして持ち上げてくれる彼女に俺も少し気分が良くなる。
にやけそうになる口角を範馬勇次郎並の表情筋で抑えていると実渕さんから思わぬ提案。
「暇なんだよね?私も暇なんだ。どっかでご飯食べない?」
「俺と?」
「ツチノコとUFOの話聞かせてよ!」
「…………『ミドリムシの一生』は?」
「……え?マジで観るの?」
*******************
地元を離れてからぼっち生活を送っていた俺は今唐突に女の子と街を歩いている。
「広瀬君はもうこっちには慣れた?」
「いや、家と学校とバイトの往復だから正直ここら辺はほとんど分からないな」
「そっか。まだお昼早いなー…あ、広瀬君にピッタリな所あるよ。行く?」
都会っ子というのはすごい。訊いておきながら返事も聞かずにグイグイ引っ張ってくるんだ。俺の手を取って有無を言わさず先を行く実渕さんになにか新鮮なものを感じた。
というか、のんびり外を出歩くこと自体こっちでは初めてで新鮮。
見知らぬ街を行き交うのは若者ばかりでコンパスみたいに腰の曲がったおじいちゃんおばあちゃんも、ライオンも噛み殺せそうな大型犬もなく、紫も緑の信号もなくセグウェイで走るものもいない。
人に引っ張られ飛び出した世界はやけに開けて感じる。
「ここ、ツチノコ第一発見者にはピッタリくない?」
--珍獣カフェ
窮屈そうに並んだ建物の中に佇む店にはそうあった。
珍獣とは--つまり人の生命及び財産を脅かす危険な生物のことを指す。珍獣まみれな学校に居た俺はよく知っている。俺なんてカマキリに殺されかけたことがある。
つまりこの店はカマキリと戯れながらお茶するという狂気のカフェ……
「……こんな都会の真ん中になんてデンジャラスな……」
「おっ?テンション上がってんね?はいろ!」
「いやいやいや!!ちょっと!?」
都会っ子には怖いものはないのか…だとしても人の命を巻き込まないでほしい。
ずるずると引きづられ入店する俺らをドアベルの軽やかな音が出迎える。
「ケーーーーッ!!」
入店と同時にけたたましい鳴き声と共に入口の猛禽類が鋭い眼光を向ける…
……ああ、知っている。ハヤブサだ。長篠の連れてきたハヤブサにケツの穴から腸を啄まれた事がある。
「きゃあっ!すごー!……え?何してんの?」
過去の経験から俺は咄嗟に肛門を抑えてガード。
「え?お手洗い?」
「違う……君も早くケツ穴を守るんだ。こいつはケツの穴を襲ってくるぞ」
「……」
「急ぐんだっ!!」
「…………」
そんなドン引きな目をしてる場合じゃない。
「ひま!こらっ」
俺と奴との間にケツ穴を巡る緊迫した空気が流れる中、店内に快活な声が響く。それにハヤブサもピタリと鳴き止んだ。
ハヤブサが人の言うこと聞くなんて…長篠のハヤブサは長篠の言うこと聞くどころか長篠を殺そうとしてたってのに……
「ごめんなさい。いらっしゃいませ」
ハヤブサを撫でながら入口まで出てきた店員さん。ようやくケツ穴防御ラインを解除した俺は--
「あ、2人なんですけど…」
「おふたり様ご案内でーす」
--目を奪われた……
その人は実渕さんよりいくらか明るい茶髪のショートカットの女性で、歳は俺らに近そうに見えるけど、纏う雰囲気は大人の女性だった。それでいて愛らしい顔立ちには美少女のような魅力も内包してた。
白いシャツとジーパンの上に店の黒のエプロンをしていて、ジーパンがスラリと伸びた脚線美を強調してた。
要約すると、とんでもない美人だった……
「当店初めてのご利用ですか?」
「はい〜」
「当店ではお席でお茶や軽食を楽しみながら店内の動物達と触れ合うことが出来ます。時間によって餌やり体験や…あ、あと入口のあのハヤブサ…ひまちゃんの飛行ショーとかもやってます」
美しい店員さんはそう言って店のチラシをくれた。俺は糸目をずっと店員さんに向けていた。
今だけは糸目を開きたいと思った。
「…鷹匠日比谷愛梨によるハヤブサショー……えー!このチラシの人、店員さん!?」
実渕がはしゃぐと店員さんは恥ずかしそうにはにかんだ。
「そうなんですよ…鷹匠でして…このお店には週に何回かお手伝いで……」
「へー、鷹の飛行ショーだって!広瀬君!」
「…………素晴らしい」
「見たーい!土曜日だって、行こうよ!!」
「行こう」
肩の上にミーヤキャットがよじ登ってきた。こんなに動物を愛おしく思ったのは初めてだろう…
こんなにドキドキしているのはいつ以来だろう……
なんてことだ……
「あはは!広瀬君肩になんか乗ってる」
「……いやー、襟巻にしたいです」
「いや…それはちょっと」
対応を間違えた。苦笑混じりに俺の肩の上のミーヤキャットを撫でる店員さん。
近い…
「撫でてあげてください。この子、撫でられる好きなんですよ?」
いいんですか?
「では遠慮なく……」
「いえ私ではなくミーヤキャットを」
「…どうしたの広瀬君」
伸ばした手を取られてミーヤキャットまで持っていかれた。
冷たい手が触れた時の体の火照りは、勘違いではないみたいだ……
--どうやら俺は新生活で恋をした。
ただ。
チラシにある日比谷という苗字は少し引っかかったけど……
どこかで聞いたような名前だから……
「うわぉ、フラミンゴが居るよ広瀬君!」
「素敵です」
「えっと…私を見てるけど、どっちが?」
「素敵です」
「……」
「広瀬君、フラミンゴあっちなんよ」




