脱糞女の家に泊まろう②
「風呂、入ろか」
飯を終えた俺を待っていたのは風呂だった。
--俺の名前は小比類巻睦月くん。チャーミングなナイスガイである。
俺は今、脱糞女の家に居る。
脱糞女に呼ばれ、謎の汁飲まされたりボルダリングのホールドを貼り付けたりゲームで負けたり…
そうしてやってきたのはお風呂タイムだった。
晩御飯の効果でお通じが良くなってきた俺にベランダから洗濯物を取り込みながらそう言った脱糞女。それをゲージ越しに見つめるゴキブリとムカデ達…
……そうか。
泊まるんだから風呂には入るよな……
俺はそっと立ち上がりバスタオルを用意する脱糞女の横でコンドー……
「パンツはどないする?下のコンビニで買って…ってなにそれ?」
「お世話になります」
「お世話せんわっ!!やっぱりお前銭湯行ってきてくれへん!?」
「早く入るぞ」
「1人で入れっ!!」
--風呂に入ろうかと言われて何故か風呂掃除をさせられる。俺って一体……
小綺麗で小洒落たお風呂場…やたら浅くて湾曲したバスタブ…そしてそこに沈む貝…
……貝?
水を張ったままのバスタブに二枚貝…ホタテが沈んでいた。
俺は女の子の家のバスタブに沈むホタテについて考えることにした。
一体なにがあったらホタテがバスタブに沈むんだろうか……?風呂場に生息するホタテは初めて見た。
いや?本当にホタテか?
置物かもしれんぞ?
レイアウトの可能性を考えてホタテを触ってみる。ザラザラしてて縦に筋が入っていた。色は黄色っぽい。海から採ってきたと言うより、綺麗に洗浄されたホタテだった。
つまりホタテだった。
……俺は考える。
このホタテはもしかしたら誰かの生まれ変わりなのではないだろうか?輪廻転生を経てここに生まれ変わった清水豊松とか…
いや、彼は深い海の底の貝になりたいと遺書に綴ったはず…
ここは海の底ではない。この場合、『誰かの家のバスタブの底の貝になりたい』と願うんじゃないだろうか?
…誰かの家のバスタブの底の貝?
なんだそれ。
…いや、可能性はあるだろう。
生まれ変わる時の要望がなんでもかんでも叶えられるとは限らない。貝にはなれたが海の底には行けなかったのかも…
もしくは海の底の貝を脱糞女が拾ってきたのか?
いや、先入観にとらわれるな。貝になりたいと願う人間が1人とは限らないだろう…
いや、人なのか?
牛なのかもしれないし、羊かも…もしかしたらスズメの生まれ変わりという線も……
「いつまで掃除しとんねん。夜が明けてしまうで…って何しとんねん」
「…この貝がどこから来てどこに向かうのかを考えていた…」
「それは真珠育てる為に飼っとんねん。踏むなよ?」
「……この貝は誰の来世なんだろうか?」
「知るか」
*******************
俺は素の風呂が好きだ。
素の風呂というのは入浴剤などを入れない風呂だ。もちろん、入浴剤を入れたり、柚を入れてみたりしたらまた疲労回復や香りが違うんだろう。
しかし、考えてみろ。あんな粉薬みたいな物を湯の中にぶち込んでその中に浸れるというのか?
否。
だと言うのにあの女『温泉の素入れな話にならへん』とか言って登別の素を入れやがったんだ。俺が入る前に…
登別の素じゃねぇよ!!なんだ登別の素って!いいのかそんなので?家でお手軽に味わえる登別でいいのか!?
しかもホタテ入りだぞ!?
「はぁ〜いい湯やった…やっぱ登別に限るわ…」
「……黙れ。俺は足下のホタテが気になってそれどころじゃなかったぞ」
「何言うてんねん。ホタテも風呂に入りたいやろ」
「しかし登別だぞ?」
「登別やからなんやねん」
ところで脱糞女がメガネをかけている。それに突っ込まずして彼氏と呼べるだろうか?否。
「お前目ェ悪いの?」
「ん?ああ普段コンタクトやねん」
「そーか。なんか新鮮だな。そういえば中学時代は瓶底メガネだっけか?」
お兄さん曰く、高校デビューで昔は丸メガネに野暮ったいおカッパ頭だったらしい。
「お前高校デビューらしいもんな。そのシマシマ頭も高校デビューか。中学の卒アルとかないのか?」
「あっても見せんわ。ええやんけウチはウチや。見た目なんかその人のことなんも表さへんのやけ」
「そんな考えでは将来苦労するぞ。見た目と第一印象は名刺みたいなもんだ。初対面では見た目でしか人を判断出来ない。そして第一印象が悪いやつのことを深く知ろうとする人はいない」
「何ちょっとええ事言うてん。そういう意味でもええやろ今のが…オシャレやん。原宿とか歩いてそうやん?」
「地味な真面目ちゃんの方が第一印象はいいと思うぞ。社会に出た時のことを考えろ。その白黒の頭で就活すんのか?」
「ええやろが白黒、可愛ええやん」
「その穴だらけの耳は何とかするんだな」
「お母さんか」
メガネにピアス無し…中々新鮮だ。こういうのを外で見せないオフとでも言うのだろうか。
そういう姿を見せられるのも俺がある程度は信頼されている証か--
「あ〜、マジで取れんやん。もう、このボルダリング…もう2度うち来んどってな?」
いやそんなことはない。
「そういえばアンタ卒業したら就職するんやっけ?」
と、突然未来の話なんてしながら青汁を俺の前に出してくる脱糞女。
やはりコイツは俺のお通じを良くして脱糞させようとしている……
「……うん」
「そか。睦月こそこのめちゃくちゃな性格何とかせな社会でやってけんで?」
ホタテを風呂で飼う女に言われた……!?
「お前は?卒業したらどうするんだ?」
「……進学すると思う」
「お前の頭で?」
聞いたぞ?追試4、5回受けたらしいじゃないか。
「うるさいな。馬鹿でも行けんねん大学は……」
「馬鹿には行けないのが大学だ。唐突だがお前、将来の夢とかあるのか?」
「宇宙飛行士」
嘘だろ……
「……真に受けんなや。せやなぁ…旅行とか好きやけんCAとか?」
嘘だろ……
「やっぱりCAとかモデルとか受付嬢は女の花形職業やん?」
「お前はアレだ…トイレ掃除のバイトとかがいい」
「死ね」
「飛行機のトイレ掃除しとけ」
「くたばれ」
「まぁお前が本気でCA目指すなら俺は勉強のためにハッピーフライトを観ることをオススメする」
「本気でCA目指す奴に映画を勧める奴は居らん」
青汁の苦さが染みる夜…気づけば時計の針は21時を回っていた。
つまり夜である。良い子はとっくに寝る時間。そんな時間になった雑談中、なんの脈絡もなく脱糞女は立ち上がった。
「……なぁ、睦月」
そう湿っぽく唐突に呼びかける脱糞女。風呂上がりの湿った髪の毛がうなじに張り付いて妙に色っぽい。
これは…まさか……
「実はアンタを今日呼んだんは訳があるんよ」
ついに来たのか…?この時が。
そう言ってリビングのソファの向こうに手を伸ばす脱糞女が煩悩にまみれた俺に突きつけてきたのは--
「…実は椅子と机買うたんやけど組み立て式でな?」
デカいダンボールだった。
「これ、組み立ててくれへん?」
--この女は彼氏という存在を便利屋かなんかだと考えているのだろうか?
まるで日曜日に戸棚の修理をお父さんに頼むお母さんの如く、俺に巨大な机と椅子の組み立てを押し付けてきた脱糞女。
しかも家に来てからかなりの時間が経った夜…風呂上がりである。
悪意しか感じない。
そしてこの手の家具の説明書というのは大抵分かりにくく…いや、説明書というものは大抵何故か分かりにくく書いてあるもので、やはり悪意しか感じない。
パーツとネジしかないはずの机と椅子なのに、組み立ての説明書が辞書並みの厚さを誇っているのがその証拠だろう。
俺は説明書という概念が嫌いだ。
それは説明書を飛ばし飛ばしとかで読むからとか、パラッと見ただけで分かった気になって勝手にやって余計分からなくなるからとか、そういう説教はうんざりである。
説明書とは、この世で教科書、百科事典、広辞苑に並んで読みたくない読み物のひとつである。こんなの読むくらいなら死海文書でも読んでいたい…
そして女というのはやたら不要な物を買いたがる。
一人暮らしの女なのにやたらデカい机を買うのがそのいい証拠だろう。
「…くそ、ただ組むだけなのになぜこんなにも苦戦する?」
そして現在。
脱糞女と挑む机と椅子の組み立て作業。それは暗礁に乗り上げたと言っていい。
「せやから…B98のビスを6-Hマイナスに入れるんやって」
「B98をなんで6Hに入れるんだよ!てかどこだよそれ!くそっ!ビスが98本もあるなんておかしい…っ!!」
「早よせな朝になってしまうで…馬鹿!穴にただビス入れてどないすんねん!脚とくっつけんねんぞ?」
「あああぁっ!!ふざけんな!!固いし穴小さいしふざけんな!!こんなにパーツを細分化する必要があるのか!?ある程度組んどけ!!」
「せやからそれはC77のビスやろ!!」
「なんで大きさが違うんだよ!はまらねぇじゃねぇか!!」
「穴の大きさ違うから分けとんやろ!説明書ちゃんと見ろや!!」
「うるせぇ!!こんなの解読不可だろ!CIAの暗号解読チームでも呼んでこい!!」
「…情けないなぁ。これくらいぱぱっと組めや。男やろ?」
「男にもできることとできない事があるんだよ!!」
「はいはい、次は…αZN36の六角をFalcon+6824に……」
「どこだよFalcon+6824!星の座標かっ!!」
*******************
かつてここまで俺が苦戦した事は無かっただろう…
ようやく机と椅子を完成させた頃には日付が変わっていた…
「ようやく出来たわ……もっとぱぱっと作ってほしいもんやで。ほなこれ寝室まで運んでくれへん?」
「お前はまじで呪うからな…」
「可愛い彼女のお願いやんけ。な?」
2人で机と椅子を寝室に運び込む。机がドアに引っかかってドアが破壊されるアクシデントこそ発生したが、まぁいいだろう。
折角ホタテと一緒に流した汗がまた吹き出してきた深夜。くたくたになった俺に脱糞女が電気を消しながら言う。
「じゃあ、寝よか」
ーーパチン
言うが早いか寝室が真っ暗闇に沈んだ。
まぁ明日も学校があるし…寝るのは構わないが……
「…ん?俺はどこで寝るんだ?まさかこのマキビシの散らばった床で……」
「何言うてんねん、はよ入れや」
電気の消えた寝室だと言うのに足下のマキビシを一個も踏まずにベットに飛び込んだ脱糞女が隣をトントンと叩いていた。
……そうか。
「いただきます」
「なんで脱ぐ必要があんねん。アンタベランダで寝てくれへん?」
……まぁ、これは以前もあった。あの時だって何も無かった。
別に本気でそんな事をまだ望んでるわけではないのだ。冗談じゃないか。だから顔にクナイ刺すのはやりすぎだと思わないか?
握り締めた避妊具を床に落としながら脱糞女と背中合わせで思う。
「…狭いな」
「せやな。まぁアンタの家よりはマシやろ」
いやシングルベッドに横並びは我が家より狭い。やはり重なった方がスペースが…
「ん?なんか今身の危険を感じたで。死ぬ?」
この女の戦闘力は侮れないものがある。やめておこう…
「……布団、暑ない?」
「ああ…」
「そか……」
「……」
「……」
…時計のチクタク音がやたら耳に残る。街中の夜がこんなに静かなのは高い階層だからだろうか?
大通りの車の音も、虫の声すら聞こえてこない…
「…睦月、ウチら付き合おうてどんくらい?」
「ん?2月末からだから…まだ1ヶ月とちょっと」
「そか…そんなもんか……まだまだやな」
「ん?」
「でもちょっとずつアンタのこと分かってきたわ…」
俺は逆に今日でお前の事がよく分からなくなったけど…
突然ペラペラ喋るな〜って思ったその時!
背中に何やら暖かくて柔らかいものがっ‼︎
チラッと首だけ後ろに向けたら暗闇の中で微かに目が合った。
……これは。
「…暑い。離れろよ」
「ギリギリやねん。我慢せぇや……なぁ、普通って付き合い始めてどんくらいで段階踏んでくんやろか?」
「…………」
「なぁって」
「なんか当たってんぞ?」
「…当ててんねん」
………お、お母さん。世継ぎは何人くらい欲しいですか⁉︎
寝返りもままならぬ狭いベッドの上で俺は体をひっくり返し、脱糞女の方を見た。
脱糞女と至近距離で目が合う。少し眠たげな視線が琴線に触れる。
吐息がかかる程の至近距離がさらに自然と詰まっ……
ーーカサカサ
「ん?」
先に異変に気付いたのは俺だった。
「なに?」
「いや、なんか股間あたりに違和感…」
布団をめくって我が愚息の方に視線を下ろすと、そこでこちらをじっと見る触覚の生えた頭と目が合った。
ムカデだった。
「おぉ⁉︎おぉぉぉぉぉぉぉぉっ⁉︎」
「え?…えぇ⁉︎アカン!ゴンザレス逃げとるやないかっ‼︎」
「おい!待て‼︎刺激するなよ…!お前…ゴンザレスが今どこに居るのかよく考えて……」
ーーガブッ
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎‼︎」
「ウ◯コタレーーーっ‼︎‼︎」
ーーお母さん!
コイツとやっていけるか不安です‼︎




