浅野姉妹の戦い②
突然のアナウンスと校舎から覗いた光景に生徒達の大半はパニックに陥った。
刃物を持った不審者が侵入したというアナウンスと、校門前に倒れる養護教諭の姿は事態がいつものこの学校特有のふざけたものではないとありありと分からせる。
一限の始まりを待つ教室は恐怖と不安の混沌に落ちた……
私--浅野美夜は無意識にいつも手錠のかけられる自分の右手首に視線を落としてた。
言いようのない不安が胸を渦巻く。鉛のように沈んでくるそれが胃の底を重く引っ張った。
……ああそうか。
私がしたことってこういうことか……
どうしたらいいのかも分からずその場で固まる事しかできない同級生達を横目に私は改めて噛み締める。
そうだよな…
普段馬鹿してるこいつらも怖いよな……
「どうすんだよこれ…」「え?怖い…ここまで来ないよね……」「先生は?」
口々に不安を吐露する同級生達の言葉に混じってそれが廊下に響いたのは直後だった。
「--真紀奈ぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!!!」
廊下に木霊するガラガラ声の男の叫びは爆発寸前の不安感を抱えた生徒達のそれをいよいよ破裂させてしまった。
それは明らかに不審者とやらの声…
その声にまともな理性が残っていないのは聞いただけで明白だったんだ。
「きゃああああっ!!」「今の声…不審者じゃ!」「ヤバいってめっちゃ近いぞ!!」「逃げなきゃ…教室に居たら逃げられ--」
パニックが伝染して誰もまともな思考をできていない。後先考えず教室から逃げ出そうとする生徒達。
--私は大きく息を吸った。
「待て!!」
「っ!?」「浅野…?」「な、なんだよ!早く逃げないと…」
「今の声聞こえたでしょうが…かなり近い。今パニクって教室から飛び出したらソイツとかち合うかもしれないでしょ」
私の主張にその場の誰もが懐疑的。
当然だろう…姉さんと違って私の人望なんて皆無に等しいもの……
なんだよこいつみたいな視線を矢のように浴びながらも、私は拳に勇気を握りこんだ。
「…今の声聞いたろ?真紀奈って言ってた。この学校に真紀奈って、あの日比谷だけだろ?目的は日比谷なんだ…だからこっちには来ない…教室なら安全だ」
「は?」「なんでそんなこと分かんだよ!適当言ってんじゃ--」
「さっき、校門前に群がってた奴らに日比谷が馬鹿みたいに叫んでたの聞こえなかったのか?あいつはそこを目指して移動してるはずだ…日比谷の教室とは階が違うからここに居ればしばらくは安全なはず…」
…我ながら思うがこじつけだ。
刃物持って叫びながら徘徊する不審者がそんな冷静な思考の元動いてるかも怪しいし…真っ直ぐ日比谷の所に向かうかどうかも…
でも、直ぐにここを飛び出すよりは安全だと思った。
「机とか椅子で窓と入口塞いで…バリケード作るんだ。先生が来るまでの安全を確保する」
これが最適解かは分からなかった。私自身、パニックになってないとは言えなかった。
不安がぐるぐる頭を回ってた。口が勝手に動いてる気がした。
ただ、いつまで経っても教師が教室に避難誘導に来ないのに疑問があった。
だからここで籠ることで安全を確保するという選択肢が頭に浮かんだ。
そして……
「…お、おい!言う通りにするぞ!」「机とか椅子とか持ってこい!!」「男子!運んで運んで!!」
私の声にみんなは応じてくれたんだ。
それは、教室内でずっと孤立してきた今までとは明らかに違った…
「浅野さん」
「あ?」
「ありがと、今逃げ出してたら殺されてたかも…すごいや。冷静で……」
1人の女子のそんな呑気な賞賛に私はニヒルに口元を歪めていた。
「ああ……なんせ校内保守警備同好会なんでね」
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「真紀奈ぁぁぁぁぁっ!!会いに来てやったぞぉぉぉぉっ!!!!」
その声は旧校舎から新校舎への渡り廊下を渡り終えた私の耳にもジンジン響いてきた。
はっきり分かる……絶対まともな人じゃない。
たった1人孤立した私の心臓がバクバク破裂しそうなくらい脈打ってる。顎を伝う汗がポタポタ落ちて足元に点を作った。
こんなに緊張するのは…
旧校舎の廊下を走る時見た先生達に応急処置されてる葛城先生の血まみれの姿…
それに、不審者の今まで会ったことの無い『本当に怖い人』の雰囲気…
……お、落ち着け。
相手は1人だ…直ぐに取り押さえられる。
私は……私には何ができる?
そうだ…真紀奈。
あの人真紀奈って叫んでる……
多分、日比谷真紀奈さんの事だ。確かあの人はモデルやってて……
つまりこの不審者は日比谷さんの変質的なファンってこと?
私は普通科の教室に足を向けてた。
確か日比谷さんは普通科だったはずだ…っ!あの人が日比谷さんの所に行ったら大変なことになる!
そうだ…美夜は?
廊下を走りながら不安に駆られスマホを取り出す。
スクロールする必要もないくらい登録先の少ない電話帳を開いた時--
「きゃっ!!」
ヌルッとした感触に足を取られた私は廊下の曲がり角で盛大に滑った。
打ち付けられる体にベッタリと何かがへばりつく。痛みに顔をしかめながら身を起こすと--
床が真っ赤だった。
むんっとむせ返る鉄臭さが鼻の奥に染み込んでくる。床に着いた手の平にねっとりとした液体が付着する。
階段の前、刺股を手にしたまま倒れてたのは大きな体の体育教師…
カヒュッカヒュッとかすれた呼吸を浅く繰り返していた。
視界が端から暗くなってきた。
どうしたらいいのか分からなくなった。
体が震えて、胃の奥がチクチクした。
「あ……先生…大丈夫--」
触れた先生のお腹からべっとりと赤い血が糸を引く。
息が上手く吸えなくて、何度もしゃっくりを繰り返した。
助けなきゃ…助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ--
--とんって誰かが肩を叩いた。
「ひぃっ!?!?」
私は盛大にひっくり返り情けない悲鳴を上げながら頭を抱えた。
亀にみたいに丸くなるしか出来なくて、突然背後に現れた何者かにただ怯える情けない私にその人はゆっくり声をかけたんだ。
「--落ち着いて」
「…………?」
女の人の……声?
恐る恐る顔をあげたら、そこには制服姿のショートカットの、鋭い三白眼が特徴的な女生徒が私を見下ろしてた。
バッヂの色からして……1年生。
「…その人、酷い出血です。手当しなきゃ。手伝って」
「へ?え?……え?」
どうしてこんなところに生徒が1人で……
早く安全なところに避難させなきゃ……
そう思っても上手く動かない私の体はその場で震えるばかりで、体育教師を仰向けにしてジャージを脱がせる1年生をただ眺めることしか出来なかった。
「--よし」
1年生はガタガタ震えるばかりの私を前に見事な手際で応急処置を完了させてしまった。
血まみれになった腕は肘あたりまでべっとり赤く染まり、髪をかきあげる手に着いた血が顔も汚した。
けどそんなことお構い無しにその子は今度は私の方へ顔を向けた。
「深呼吸して」
「あ……へ?」
「はい、目を閉じて…吸ってー、吐いてー……」
私の隣に来て背中をさすってくれる1年生に従って何度か深呼吸を繰り返したらあんなにうるさかった心臓がゆっくりした鼓動を刻み始める。
「……落ち着きましたか?」
「あ、はい……ありがとうございます……」
今度は気の抜けた顔を返す私にその子はキツそうな顔つきからは想像できないくらい柔らかく笑った。
「それは良かった。じゃあ、あなたにお願いです。外で刺されたら先生の介護してる先生達にこの人の事頼んできてください。危ない人はこの階段を上がって行ったので、もう下には来ないでしょう……」
「来ないでしょうって…」
「来させないもの。私が……」
スっと目を細めた1年生からは肌がピリピリ痺れるほどの威圧感を感じた。
サッと立ち上がったその子は迷わず上の階へと歩を進めようとする。
でも当然、行かせるわけにはいかないから……
「ちょっちょっ……待って!何考えてるんですか!?危ないです!!一緒に外まで降りましょう!その後不審者は私が--」
「……私が?」
「……っ」
勢いで口をついた言葉を返されて言い淀む私に1年生はもう一度笑った。
「私がやっつけるから、平気ですよ」
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「まぁぁきぃぃなぁぁぁぁっ!!」
--私は可愛い。
「まぁぁきぃぃなぁぁぁぁっ!!」
どれくらい可愛いかと言うと理性が消し飛ぶくらい可愛い。
「まぁぁきぃぃなぁぁぁぁっ!!」
……ヤバい。
着々と近寄ってくる狂人に怯え教室で丸くなるこの日比谷。途方もない罪悪感と恐怖から産まれたての松方弘樹みたいになってる。
どんなダンディズムも産まれた時はただのベイビーということよ。は?
「真紀奈どこだぁ!!会いに来てやったぞぉ!!出てこぉい!!」
あぁ…とうとう私の美しさに狩られた哀れな男が1人、道を踏み誤っ--
「ムカつく顔してないで何とかしてよ日比谷さん!!日比谷さんに会いに来たらしいよ!!」
「凪!!アンタ親友に対してこんな時にそんな台詞が出てくる!?」
「だって日比谷さんのお客さんだもん!!巻き込まないで!?」
早く教室から出ていけとでも言わんばかりである。友情に亀裂が入るのを感じた。
「凪…富士山でした約束を忘れたのね……私達、もうズッ友では居られない…」
「自分の命が大事だもの……」
「please calm down」
あ?友情が崩れるってこんな時に誰だ?って思ったら修学旅行で一緒だったボブ・ジョーダン。
「真紀奈ぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
「She's not bad,Bad is him」
「どっちが悪いかなんて話してないんだボブ。私と凪の友情が破綻しかけてるんだよ…それに、悪いのは私」
「why?」
「全部私が美しすぎるのが悪いんだから……」
「あああっ!!脳が痒くなってきたよ!?そう思うなら教室から出て説得してこよう日比谷さん!!てか、なんで先生誰も来ないの!?」
「--おいっ!お前ら静かにしろよ!!」
私らのやり取りに教室の中から抗議の声が飛んだ。
まさにその直後であった。
「きゃあああああああああっ!!!!!!」
1人の女子が悲鳴をあげ何事かと教室で固まってた皆がそっちを見た。
青い顔で叫んでる女子の視線の先--廊下に面した窓の外からパーカーのフードを目深に被った不審者が血走った目で教室の中を覗いてた。
「真紀奈ぁぁぁぁぁぁ……」
「うわぁぁぁっ!!」「ヤバいって!ヤバいっ!!」「ひぃぃっ!!助けてぇぇ!」「きゃぁぁぁぁあああああっ!!!!!!!!」
見つかった。
「真紀奈ぁ……どうして俺を……俺を無視するんだァ……真紀奈ぁぁ……」
狂人が教室の入口から入ってこようとする!
……これには流石の私もふざけてる場合ではない。そう、自分が招いたことだから、自分で片をつけなきゃいけない……
「待って!!」
私は教壇の上に躍り出て、中に入ってこようとする男を制止した。飛び出した私に慌てて凪が続いてくるのを突き飛ばして離し、カックカクに震えまくる脚を叱咤してなんとか前に出る。
「話をしよ?あなたがななにそんなに怒ってるのか教えて……外に出ていくから…みんなに乱暴しないで」
「ひひ、日比谷さん!?冗談だから!!ダメに決まって--」
「うるせぇぇぇぇえ!!真紀奈以外は黙ってろぉぉぉぉ!!!!!!」
凪の声に刺激された男が半狂乱のままナイフをその場で振り回す。いけない、これ以上刺激する訳にはいかない。
「廊下に出ろぉぉぉ!俺の真紀奈ぁぁぁっ!!!!」
「…………わかったよ」
「ひっ……日比谷さぁぁぁん!!!!」




