卒業生代表、潮田紬
--その日は朝からパソコンの前に張り付いて何度もホームページの更新を繰り返していた。
なんどマウスをクリックしたろう……
ついにホームページが更新されて俺の前にその結果が掲示された。
俺は画面全体を上から下まで、決して見落としがないようにと睨め回す。あるはずだと信じて探す……
探す……
………………………………っ。
「…あった」
俺の糸目が開いたことは今まで両手で数えられる程度だけど、流石にこれには開かざるを得なかった。
俺は開かれた大学のホームページ--合格発表の前で椅子から転げ落ちるくらいの勢いでガッツポーズしてた。
窓の外を見ると雨の雫が張り付いている。今日は降るだろう。
どうやら雨の日はろくな事がないというジンクスは打ち破ったようだ。
…4月からはこの街を離れて一人暮らしかぁ。
なんか感慨深いものを感じつつ曇天に想いを馳せる。
「…そういえば、紬さんは受かったかな?」
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……この神社は私が小さい頃、大事なお守りを無くした場所。
確か家族で初詣に来て、買ってもらったばかりのお守りを無くしたんだっけ。あの時は泣いた。
「…うっ……ひっく……うぅっ。あああうっ!」
「…よしよし」
そして今も泣いてる。
俯いて、膝に頭を埋めて、下を向いた目からメガネにぽたぽたこぼれ落ちる。そんな私の背中を石畳に座る花菱さんがずっとさすってくれる。
今日、大学入試の合格発表があった。
今日まで生きた心地がしなかった。正直結果を見るのが怖かった。
意を決して開いたホームページに私の合格は載ってなかった。
なにかの間違いに違いないよと、1日、2日と待ってみたけど、届くはずの合格通知書も来ず、私はようやく現実を受け止めた…
泣きじゃくる私の手には虎太郎からの着信の並んだ携帯が握られてる。何度もかかってきて、何度も出ようとしたけど、その勇気がなかった。
……今日は卒業式だ。
あと数十分後には嫌でも顔を合わせる。
私はその時虎太郎にどんな顔で会えばいいのかな?
あんなに頑張った。
虎太郎にも勉強手伝ってもらった。一緒の大学に行きたいっていう私の我儘に付き合わせた。
なのに私の足りない頭は努力の結果を出してくれない。
「…潮田さん頑張ったね。なんも恥ずかしくない。虎太郎もそんなことで失望とかしないよ」
泣きすぎて頭が痛い。耳鳴りがする。花菱さんの声もノイズ混じりで届かない……
……一緒の大学に合格出来たら告白するって決めてた。
必死に参考書をめくってたあの時、私はこの想いが口から出ることもないなんて、微塵も考えなかった。
なのに……
俯いた視線の中で腕時計の針が時を告げる。
もうそろそろ行かないと。卒業式で遅刻とかありえない。
泣き止め…卒業生代表で挨拶もある。
虎太郎の前でこれ以上恥ずかしいところ見せられない……
「……ごめんね。花菱さん、もう平気だよ」
「ん……大丈夫?も少しゆっくりしてかん?まだ時間あるよ」
「遅刻しちゃうよ……」
「ちょっとくらいへーきよ……いや、そうだね、行こっか」
小さな人のいない神社の拝殿から離れるとポツポツと曇り空から雫が落ちてくる……
ここ最近ずっと雨だ。おかげでようやく開いた桜も落ちてる…
憂鬱な卒業式が、始まる--
*******************
遅刻ギリギリで教室に滑り込んだら既に大勢のクラスメイトが揃ってた。私は咄嗟に、泣き腫らした目を見せないように俯いて入室。
「おはよう潮田さん」「ねー、後でアルバムにメッセージ書きっこしよーね」
親しくしてくれる同級生に愛想笑いを返しながら席へ…
私の隣でもう着席してる彼が嫌でも視界に入ってしまった。
「おはよう、紬さん」
「……っ、おはよう…」
「今日は生憎の天気だね。嫌になるよ」
「そうだね。あの…虎太郎……」
「うん?」
--電話に出られなくてごめんなさい。
って言えない。だって、なんの用でかけてきたのかは分かってるから。
その話題にはどうしてもしたくなかった。
「あ、紬さんそのコサージュ」
「コサージュ…?」
虎太郎が指さす机の上に卒業生用のコサージュが置かれてるのが目に入った。
毒々しい薄ピンクの、分厚い花びらに囲まれた大きく口を開いたような……具体的に言うとラフレシアを模したコサージュだった。
「…………」
「在校生が選んでくれたらしいけど、誰のセンスなんだろうね?」
「誰のセンスでも不思議じゃないけど、こんなのが市場に出回ってるの?」
よく見たら黒板にレイアウトされた飾りもアマゾンの蔦みたいな野性味溢れるチョイス。こういうのって、色紙とかで作った輪飾りとかじゃないの?
しかも蔦を何かが蠢いてるし。
しかも黒板だけじゃなくて教室の天井付近一帯が熱帯雨林風レイアウトだし……
「……虎太郎、あの動いてるなんだろ?」
「きっとエメラルドツリーボアだよ」
「あぁ……なるほど。誰のチョイスか分かったよ」
卒業式の日に教室にエメラルドツリーボア放たれる卒業生どれくらい居るんだろ?
朝から泣きっぱなしの1日なのに、びっくりするくらい当たり前の、びっくりするほどトンチンカンな光景に心がスっと軽くなった気がした。
「…………紬さん、ひとつ気になってたんだけど……」
「ぷっ…くくっ……え?なに?」
「え?なんで笑ってんの?」
「別に?なに?」
「いや…目が赤いからどうしたのかなって……」
「なんでもないっ」
「痛てぇ!?この蛇噛むぞ!?」「うわぁ!傷口エッグ!!」「…樹上性の蛇は鳥類などを木の上で捕食する性質上獲物を逃がさないように鋭く長い歯を持っている傾向にあるのだよ……」
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本格的に降り出した雨がしとしととグラウンドを濡らし、陽の光を雲が覆い隠す。体育館の外側で静かに屋根を打つ雨音を聞きながら卒業式が始まった。
卒業式は卒業生、教師、在校生の1部、来賓、保護者が参加し執り行われる。普段ちゃらんぽらんな私達の高校でも、流石にこの時だけは真面目だ。
卒業生入場。開式の辞。国家と校歌斉唱。来賓紹介と終わり卒業証書授与。
「普通科3年1組、潮田紬」
「はい」
代表者として名前が呼ばれて壇上に向かう。ステージに上がるまでの階段からチラリと望んだ体育館と、居並ぶ同級生達…
みんな、これからそれぞれの未来が待ってる…
ここで過ごす日々はもう終わるんだって思ったら、感慨深いものが胸に去来した。
「……卒業おめでとう」
ハゲ頭の眩しい校長先生から卒業証書を受け取る。
「…よく頑張りました。正直、君は卒業できるか心配だったが……」
労いが一言多い。
礼をしてステージから降りる。一歩一歩を踏みしめるように段を降りながら、一歩事に3年間を振り返る。
……入学式で虎太郎と出会った。
入学してすぐ生徒会に入って、2年には生徒会長。出来の悪い私をみんなが支えてくれた。
生徒会…楽しかった。唯一心残りがあるとすれば、浅野さんともっと活動したかった。
勉強、最後まで苦手だった。虎太郎に沢山教わった……
弓道部、3年間全力でやった。大会にも出れたし……
体育祭も文化祭も修学旅行も、楽しかった……
学校が襲われたり、修学旅行先でワニに襲われたり、後輩が持ち込んだ危険生物に襲われたり…色々あった。
--楽しかった。
3年間の思い出を胸に、流れていく卒業式の中で思い出を一つひとつ噛み締めた。
もう、ここでみんなと過ごすことは無いと思うとやっぱり寂しい。
それに、虎太郎とは同じ大学に行けなかった。
虎太郎は4月から県外か……もうあんまり会えないな……
『--在校生送辞。特進科、浅野詩音』
「はい!」
--ジャランッ
「おい手錠外せ!なんで私まで…くそっ!姉さん!痛いから!引っ張んな!!」
浅野さんが壇上に上がってきた。何故か妹さんも一緒に……
今年は浅野さんが在校生代表か…
浅野さんからも勉強教わったな。すごく人騒がせな姉妹だったけど…仲良くなれて良かった。
『冬の寒さも過ぎ、桜の咲く季節になりました。本日晴れて卒業を迎えられる3年生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます』
「始まっちゃったよ。これ私どんな顔して立ってればいいわけ?ねぇ」
『卒業生の皆様、3年間沢山の思い出を作り、それを胸に今日、皆様はこの学校を巣立ち、新しい道に向かって歩いていかれます…そこでひとつ、私から皆様へお願いがあります』
「?姉さん、原稿と違うぞ?」
マイクに向かって澱みなく送辞を続ける浅野さんに隣の(なぜ居るのか?)妹さんがコソッと告げた。
けど、それを無視して原稿を下ろしてしまった浅野さんは前を向く。
『皆様にはこれから、何があっても諦めないで夢やなりたい自分に向かって頑張って欲しいです。私も…中学時代に挫折して、沢山の人に迷惑をかけました。この学校に入ってからも、私の出来の悪さが沢山の人に…皆様にも大変なご迷惑をかけました』
「ちょい……姉さん……」
『それでも、私は今もこうして妹と共にこの学校に通えています。私達を受け入れてくれたこの学校の皆様には感謝しかございません。先生方、同好会の先輩方、1番ご迷惑をおかけした生徒会の皆さん…本当にありがとうございます。私がこの場で伝えたい事は、先輩方はこれから沢山苦労するし、人様にも迷惑をかけるだろうという事です。生きていれば色んな事があるから…それでも、自分のために頑張ってください。先輩方の未来に幸多からん事を心よりお祈り申し上げます。以上を持ちまして在校生代表の送辞とさせていただきます。在校生代表、浅野詩音、浅野美夜』
「ちゃっかり私を入れんなよ!」
『--卒業生、答辞、普通科、潮田紬』
「…はい」
呼ばれてステージに向かう途中、何気なく見上げた天井に挟まったボールを見た。
私が入学した頃からずっと体育館の天井に挟まってるボールだ。こういうの、どの学校にもあるよなぁ……
ステージの上でマイクの前に立つ。私はポケットの中で握りしめた原稿をそのまま取り出さず口を開いた。
『--えっと……3月になり、桜の蕾も開き始めて、今日は生憎の天気だけど…こうしてこの春、私達3年生は卒業することが出来ました。先程は、在校生代表から素敵な送辞を頂きました…彼女自身の言葉、とても胸を打ちました……なので、私も自分の言葉で答辞をさせていただきます』
不細工な答辞だ。
変な卒業式。
ポカンとしながらも私を見守る卒業生や在校生達……
やっぱり、この学校は変わってるよね…
『--私は今、大学受験に失敗して、失意のどん底です』
「…え?」「あの潮田さんが?」「突然どうした?」「まじかァ……」
ザワつく体育館内。それでもめちゃくちゃな答辞を黙って見守ってくれる先生達と来賓の方々。それに甘えて私は思いの丈をそのまま言葉に乗せる。
『浅野さんの言う通り、生きていれば色んな事があると思います。全然器じゃないのに生徒会長に押し上げられたり、その生徒会をわけも分からない因縁をつけられて解散させられたり、突然学校に迷惑な後輩が乗り込んできたり、授業を受けていれば教室にゴリラが乱入したり、体育祭でデスマッチしたり、文化祭が奇祭扱いされたり、修学旅行でワニに殺されかけたり……』
「いやないよ」「あったけどそんなことも……」「普通に生きてたらないって」
『でも、そんな色々を経験できたから、今の私はあります。私は頭も悪くて、本当は生徒会長なんて器でも卒業生の代表なんて立派な役割を任されるような生徒でもないけれど…そんな私が生徒会を引っ張ったり、こうした場で代表をさせてもらったり、難関大学に挑んだり…そんな経験をさせてくれて今の私を作ってくれたこの学校と、一緒に過ごしてきたみんなに感謝してます。この学校はおかしいです。でも、そんな学校だから色んな体験が出来ました。みなさんもそうだと思います。なので、こんな特別で輝いた高校生活を送れた私達の3年間は間違いなく有意義で、これからの人生の支えになってくれるはずです』
私は笑った。
『だから、失敗したけど私は頑張れます。みんなも、頑張ってください。こんなへんてこりんな学校で頑張った私達が、この先の人生で挫折して立ち上がれないなんてこと、無いはずだから……
卒業生代表、潮田紬』
一礼してステージを降りる。
外の雨音が鼓膜を叩く……
--パチパチパチ
……違った。
鼓膜を揺さぶるのはみんなの拍手だった。
頭を上げた私は窓を見る。窓からは雲間から差し込む日差しが体育館に入り込んできてる。
いつの間にか、雨はあがってた。
*******************
雨の残した水溜まりが青い空を映す鏡になってて、雨上がりの匂いが鼻の奥をくすぐった。
「…柴又先輩、お世話になりました。同好会、しっかり引き継いでいきます」
「…………さよなら」
「ああ、よろしく頼む!浅野君!!」
「いいかね、大葉君。エナジードリンクはほどほどにするんだよ。もう保健室には来れないんだから…」
「すーーっはーーっ。すーーっ」
あちこちで別れを惜しむ声が飛び交ってる。見上げた桜の枝はまだピンクに色づいてはない。
……この桜が咲く頃にはみんな、どっか行っちゃう。
私はまだ、この街に残るけど…
「紬さん」
振り返る私に虎太郎が近寄ってきた。
「みんなが写真撮ろうって」
「そう。行こうか…」
「ああ、あとな?この後卒業旅行の打ち合わせしようって花菱が言ってたよ」
「そっか……楽しみだね」
「うん……」
並んで歩く虎太郎が不意に足を止めた。振り向く私を見つめた虎太郎は躊躇いがちに口を開く。
「紬さん、その……大学、残念だったね」
「……虎太郎はおめでとう」
寂しそうな顔するなぁ…
…ありがとうね?虎太郎。
「……紬さんは、進路--」
「浪人生かぁ…1人で勉強できるかなぁ」
「……え」
ちょっとステップを踏むのは自分を鼓舞するため。
私はこの学校で、3年間みんなと頑張ったんだ……
あと1年……2年か分からないけど、それくらい頑張れる。
なんせ……
「虎太郎」
「紬さん…」
「先に行って待っててよ。私もすぐ行くからさ」
--私は君が好きだから。
「写真撮るぞー、チーズっ!」




