先生は一緒になれなかった
修学旅行、3日目。
ホテル、私の部屋。
「あ……あかん、これあかん……」
「……」
今朝方私の部屋に飛び込んできた生徒を介抱する私の仕事は修学旅行の引率で常夏の島にやって来た養護教諭……
そう、葛城莉子先生である。みんな、久しぶりだね。
保健室の先生が保健室を空けていいのかって?いいのさ。養護教諭の1人や2人代わりが居るものさ。それに、隕石が落ちてきても生き延びた我が校の生徒達だ。要らぬ心配だろう。
それよりも楽しい修学旅行が台無しになってしまわないように着いていき生徒の体調に気を配ってやるの方が大切では?
……が、自ら不幸に片足を突っ込む子はどうしようもない。
--楠畑香菜。
通称脱糞女。今朝腹痛を訴えて私の部屋に転がり込んできた生徒。
そして現在……
「くそ……やっぱりウチのチョコやったんか……っ!くそっ!!くそがァ!!」
トイレでブリブリ言いながら何やら喚き散らしている……
びちゃびちゃという水音とケツ肉が奏でる下品なハーモニーと可愛らしい少女の怒声。
……この子は本当によく腹を下すんだろうなぁ。
なんだろう……花の女子高生にして『脱糞女』などとあだ名される彼女の人生が凄く不憫……いや、笑ってなどいない。断じて。
「あっ……あかん……ケツ拭きすぎて擦り切れてきおった……痛」
「大丈夫かね?収まらないなら病院に行こうか?(震)」
「なにわろてんねん」
便所から帰還した楠畑はベッドに腰掛ける私の膝に図々しく頭を預けてきたぞ。
…やはりこうして見ると可愛いものだ。
「先程チョコがどうとか言ってたね。この下痢の原因に思い当たる節でも?」
「下剤です」
「……?」
「昨日、バレンタインやったでしょう?」
「ああ」
「あん時のチョコに下剤入れたんですわ」
?
なに。チョコレートと下剤って……
なんか色々単語のピースが上手く噛み合わないが、彼女はそれ以上説明する気は無い様子。
まぁ、この突然の腹痛と下痢が下剤のせいだと言うのなら安心ではあるが……異国で変な病気を貰ったなんて話は珍しくない。
「……バレンタインか。友達から貰った義理チョコにでも下剤を仕込まれていたのかい?」
「先生、ウチそんな周りから嫌われてるように見えます?」
「下剤入れたって言ったね。つまり君が入れたのか。で?それを誤って君が食べたのか」
「なんでもええですやん」
「いや良くないな。やめよう、人に下剤盛るのは」
「なんで?」
「漏らすだろ?」
「先に漏らさせてきたんは向こうやから…」
「やられてるんじゃないか。嫌われてるのかい?相談に乗ろうか?」
「いやアイツとはそんなねちっこい因縁やなくてもっとクリアな脱糞の戦いを……」
クリアな脱糞?
「……人を呪わば穴二つという言葉を知ってるかい?」
「人を呪うにはふたつのケツ穴が必要って意味ですわ」
「違うね。ケツ穴を使った呪術は知らないな。他人を陥れようとすると自分にも返ってくるぞという教訓だよ。穴とはケツ穴ではなく墓穴の事さ」
「つまり今がそうやと?」
「そういう事だね」
「そらおかしいですわ莉子先生。今ウ〇コ吹いとんのはウチの穴だけですやん。穴ひとつやんけ」
「違う。ケツ穴は一旦忘れよう」
「いや……例えケツ穴がふたつになったとしてもウチはあのヤロウに脱糞させたいねん」
ケツ穴がふたつに……?
「……それは、大変だね」
「なにわろてんねん」
「ヤロウ……バレンタイン……か。その因縁の子は男子かね?」
「…………ウ〇コ」
「行ってきなさい」
「ウ〇コタレです」
「……もしかして好きなのかな?」
膝の上からすごい勢いで張り手が飛んできた。私が一昨日の夢でアマレス世界王者でなかったらまともに食らっていただろう……
「……教師に張り手……」
「なんで?なんでやねん。なんでそうなる?どいつもこいつも……」
「いやすまない。他人の感情の機微には敏感なもので……」
「動揺でもした?ウチ」
「うん。した。そのウ〇コタレ君の事が気になって仕方ないからちょっかいをかけている……先生はそう読んだ」
「なぁ!?ウチの恋愛ってそんな小学生レベルなん!?ウチの恋愛ってそんな危ない感じなん!?そういう恋愛するように見えるん!?」
「……先生には分かるんだよ」
「なにが!?(怒)」
「先生にも一緒になれなかった男の子が居たからね」
「だから?(怒)」
「君の顔は恋する乙女さ」
「あ?(怒)ここで漏らすぞ?」
「やめてくれ」
嫌われてしまったな。彼女は私の膝から起き上がって距離を取ってしまった。警戒した子猫みたいだ。
「アイツはウチを脱糞させたんや。2度も人前でな。莉子先生も知っとるやろ?ウチがみんなからなんて呼ばれとるか……その原因を作ったんがヤツや」
「一体何があったんだね…」
「ヤツにも同じ分だけの苦しみと屈辱を味おうてもらう。それまでウチはヤツを諦めへん……そして!この修学旅行で決着つけるんや!!」
「なかなか独創的なアプローチの仕方だ」
「話聞いとった?(激怒)」
「で、自分でその下剤を食らってしまったと……?」
「……流石に何度もウチの攻撃を躱してきとらんでアイツは…野生の勘なんかウチの張った罠にどーしてもかからへん。歯ごたえあるで。いや、ムカつく。どないしたらええんやろ?莉子先生」
「好きですって言いなさい」
「あー、漏れそやなー。ここで漏らそかなー」
「先生が悪かった」
……この子、脱糞女呼ばわりされていることさして気にしてないのでは?
「ところで先生」
「なんだね?」
「莉子先生さっき一緒になれなかった男の子が居る言うたやん?」
「さぁてね」
「どんな人やったん?ちょいと聞かせてや」
君、随分元気そうじゃないか。体調不良で部屋に飛び込んできた割には……
……まぁ、下痢してるのも事実だし出先で漏らされても困るからまだ外には出せないし。折角の修学旅行が下痢で台無しになって可哀想だ。もう少し相手してやろう……
……自業自得なんだけどね?
「……うん。あれは私が高校生の頃の話」
「うん」
「私は科学部でね……その人と同じ部活で日夜生物科学を追求していた。その時私達はある禁断の分野への挑戦を試みていたんだ」
「……」
「あれが全ての間違いだったんだよ…楠畑君。人というのは過去を振り返り後悔はできても過去には戻れない……あの出来事のおかげで私は今を生きる意味を理解した」
「え?待って?その話あと何時間くらいかかる?」
「私と彼はその禁忌に片足を突っ込んだ……」
「うん。簡潔に頼むわ」
「それが……人体改造だったんだ」
「もうええよ?」
「実験の成果も出てきてあと少しで完成という最後の段階で私達は躓いた。ふたつの人体を結合する事で1人で2人分の能力を持った新人類を造りだす研究だったんだが……肝心の実験体となる人間の確保がね……」
「悪かった」
「私達に残された道はひとつ……自分達が実験体となる…そう、私と彼はひとつの体に結合--」
「あ、漏れそう」
「やめなさい」
楽しんでくれたかな?そうか、それなら良かった。島の観光ほどではないが多少の娯楽にはなったろう。先生と2人きりでラフに話すのってなんだか特別な感じがして楽しくないか?
「ウチは莉子先生の恋バナが聞きたかってん」
「楠畑も乙女だね……私の恋バナなんてつまらないよ。ほんとにある男の子を好きになって、離れ離れになってしまっただけだ」
「そっちを聞きたいねんけど……禁断の実験よりおもろいて絶対」
下痢もだいぶ治まってきたのか余裕の表情を見せだした楠畑。そろそろ解放してやっても大丈夫だろうか?
てか昼だ。飯食いたい。腹減った。追い出そう。
「楠は--」
「莉子先生、好きってなんやろ?」
空腹に押されて腰を上げた私にまたクソ重そうな質問が……
散々ちょっかいかけてる男子への好意を否定しておきながらその手の話にものすごく興味津々なあたり、カマチョなのかもしれない?アピールしてる?
「莉子先生はちゃんと恋愛したことあるんやろ?」
「ちゃんとて…」
「ソイツのことが気になるんは好きってことなんかな?憎らしいって思って執着するんは好きとは違うよな?」
「愛憎入り混じるということもある」
「ない」
「楠畑、感情というのは不変のものではないよ?当初抱いていたものとは別物になっていくこともある。好きが嫌いになったり…逆もね」
「……」
「無理にそれを受け入れる必要もないだろう。ただ、闇雲に否定するのもどうだろう。君の中でそういう疑問が出てくるということは、その子への見方が少し変わってきてるということではないかね?」
「……ちゃうかったら?」
「え?」
「好きと思ったらやっぱ嫌いでした……とか」
ああ、はいはい。めんどくさい。私は腹の虫が鳴っているんだよ。
君はラブコメを見ないのかな?君みたいなヤツいっぱい出てくるぞ?そいつら大概、目がキッラキラしてて常にほっぺが赤くて信号機みたいな髪の色してて大体恋してるから。今の君それだから、信号機だから。
「歳をとったらそれも笑い話さ。若者が失敗を恐れるなんておかしな話じゃないか」
「いや、間違えられん一線はあると思う。親の仇と結婚しましたなんて……どない笑い飛ばせばええの?」
親の仇て……
「……そこから始まる恋もある」
「あるんやろか……」
「もういいかな?先生お昼ご飯食べたいんだよ」
「え……生徒が真剣に悩んでるのに?」
「答えはいつでも自分の内にある」
「……せやったらウチもなんか食ってこ」
下痢なのに?
「莉子先生、バイキングに日本じゃ滅多に食えへん珍しい魚置いとんねん」
「へぇ、なに?」
「バラムツ」




