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酔ったまま泳がないようにしましょう

 --20時消灯。

 電気を消したら観光地の夜景が部屋をぼんやり照らしてる。キラキラ輝く闇に沈む街を輝かせる人工の星々が美しい。


 そして私は可愛い。

 高層ホテルから眺める絶景はまさに日比谷真紀奈に相応しい。地上に降りてきた美の女神を称えるように絶景を作るこの街は今日から日比谷タウンと名付けよう。


「あああああ枕が…枕が変わって寝られない…どうしよう……あぁぁぁぁぁぁぁ。ふぁぁぁぁぁぁぁ」


 消灯後の室内でベッドを軋ませる古城さんがうるさい。バイブみたいにブルブル震える振動がベッドを破壊しそう。


「--寝たかー?寝たのかー?よーし寝てるなー?いい子だなぁ。イタズラしちゃうぞ」


 21時半。部屋の扉を薄く開けた女性教師が廊下からやかましい。各部屋の見回りに来たみたいだ。


「よぉし…起きるなよぉ…?」

「いや入ってこないでくれます?起きてるから」


 ほんとに入ってこようとしたスケベに凪が恫喝。「なんで起きてんだはよ寝ろ」と吐き捨てて先生は扉を閉じた。


 ……

 ……行った?行ったね?いや、もう少し様子を見ようか……

 ……いや行こう。


 布団を蹴飛ばして顕になるのはオシャレな私服。純白のワンピース姿ならパッと見修学旅行生には見えないでしょ。

 ようやく枕と友達になって奥で寝てる古城さんを起こさないように忍び足で洗面所へ。ボサボサの髪の毛でむっちゃんに会うわけにはいかないので。


 鏡の前で入念にチェック。寝癖よし、目ヤニよし、服装よし。完璧。もっともこの日比谷、24時間完璧をキープしてますので?完璧でなかったことなんてないし?え?女神ですから?


 デートの準備万端。玄関に置いてたトートバッグを手に扉を薄く開けて廊下を確認。人影なし。よし……


「……?日比谷さん?どこ行くの?」

「しーっ!凪。親友の門出を邪魔しない。寝てなさい!」

「……門出っておめでたい意味で使うんじゃないの?なんかいい事あった?」

「凪、先生が来たら日比谷は誘拐されましたって言って誤魔化しといてね?」

「あ……はーい」


 寝ぼけ眼の凪の見送りを受け私は音もなく廊下に滑り出す。完全に気配を断った私はさながら忍…

 その足で下の階--男子達の部屋まで向かう。


 エレベーターを降りる時も壁に張り付いて外から見えないように。扉が開いた先に居る一般客から訝しまれながら壁を伝って目的の部屋まで……


「……あっ」


 向かう途中で思わず零れる乙女の声。その先廊下で既にむっちゃんが堂々と仁王立ちしてるではありませんか。

 むっちゃん…女の子より先に待ち合わせ場所で待ってるなんて……紳士。好き。


「むっちゃん、待った?」

「いや。今来たとこー」


 むっちゃんは学校指定のジャージ姿だけど、そんな姿も絵になるね。流石だねむっちゃん。


「日比谷さんどうした?夜中に出歩こうなんて悪い子な?」

「いいじゃん。折角修学旅行なんだから…思い出作りだよ。ほら行こ!」


 ステップを踏みながらも周囲に監視の目がないかだけは慎重に。私達は地下までエレベーターで向かう。


 ……うっ。


「?どうした?日比谷さん」

「いや……なんでもないよ」


 なーんかお腹の調子が…お腹が重たいというか、違和感があるというか……

 まぁいっか。


 *******************


 ホテル地下1階。ショッピングモール。

 下手な複合施設より広々した空間にオシャレなお店が並んでる。この光景だけで映えそう。

 まさにセレブの世界。この学校のどこにこんなホテルを取れるお金があったんだろ…なんて感激しながら歩く。

 残念ながら遅い時間なのでほとんどのお店は閉まってるけど、バーとかはまだ開いてるみたい。


「はぇー……すごいねむっちゃん!」

「あんまり入れるとこないよ?」

「でもただ歩くだけで楽しくない!?」


 このホテル内だけで1週間は遊べそう…


 私はちょっとずつむっちゃんに寄っていきながらブラブラ無防備に垂れてる手に指で触れた。


「?」

「……っ」


 …こんなふうにしてるけど、私はむっちゃんにフラれてる。

 手を繋ぐのも相当な勇気がいる。指が触れた瞬間に手元を見たむっちゃんに瞬時に手を引っ込めてしまった。


 ……ダメよ日比谷。何しにきたの?


 再び意を決して私はむっちゃんの指に指を絡めた。

 むっちゃんは初デートの時と同じくその手を振り払うことはなく、私のささやかなアプローチを受け入れてくれた。それだけで胸がいっぱい。


「日比谷さん、阿部さんとかと来なくて良かったのか?」


 え?むっちゃん、凪の名前覚えてるんだ……


「何時でも来れるじゃん。私はむっちゃんと来たかったんだよ」

「……そっか」

「むっちゃんとデートしたかったんだよ」


 あえて、あえて口にする。私は今負けているんだからここで後手に回ってはいけない。

 大丈夫…むっちゃんだってフラれてるんだ。押せば倒せるはず……


「お、この店開いてるぞ?」


 と、私と手の温度を共有するむっちゃんがまだ入口を開けてる店に目星をつけた。

 英語で何屋か分からないけど、やたらオシャレなお店。多分…食べ物屋さん。


「むっちゃんお腹空いた?なんか食べる?」

「いや…バイキングでラクダ肉たらふく食ったからそんなにだけど…こうして歩いてるだけってのもつまんないし折角ならどっか入ろう」

「私はこうしてるだけでも楽しいよ?」

「……入ろっか?」

「うん♡」


 むっちゃんが目をつけたお店は中に入ったら薄暗い照明と緩やかなテンポのBGMが出迎えてくれた。

 店の中央にテーブル席が少しあって、店内を取り囲むようにカウンター席が並んでる。カウンターの奥ではダンディな黒人さんがシェイカーを振りながら荒ぶってた。

 間違いなくお酒を呑む店だった。


「……むっちゃん、ここは……」

「あそこに座ろう」


 ……っ!むっちゃん…大人のお店に臆することも無くズカズカと…流石だむっちゃん。むっちゃんの連れとしてむっちゃんに恥をかかせるわけにはいかない。

 ジャージ姿で浮きまくったむっちゃんに着いて席に座った。

 間髪入れず私達の前に来るバーテンダー。


「What would you like?」

「お冷を」


 むっちゃん…


「?」

「……こってり背脂豚骨野菜マシマシをもらおう」


 むっちゃん!?

 多分……何飲む?って訊かれてるんだよね?

 珍妙なバーテンダーとむっちゃんの攻防をよそに傍らに置かれたメニューを開く。

 この日比谷真紀奈。英語は多少、他人よりは出来るつもりだけど流石にフルイングリュッシュの読み物を解読するのは苦労する。

 その上何書いてるか分かっても出てくるものが想像出来なかった。


「だから、野菜マシマシだってば…ニンニクは入れないで!」

「WaT?」


 結局ビビった私はなんか聞き覚えのあるギムレットを注文。くそっ…日本人観光客多いんだから日本語分かる奴置いとけ。


 私のオーダーを受けてカシャカシャとシェイカーを振りまくるバーテンダーさんが冷えたグラスにお酒を注ぐ。

 勢いで頼んだけど私達未成年…

 が、差し出されたグラスを前に拒否はできない。むっちゃんが恥かく…


 …初めてのお酒。海外のバーで、むっちゃんと……


 その淡い甘美な響きに私は負けた。


「……い、いただきます」

「안녕하세요」


 日比谷真紀奈の妖艶な唇がグラスを迎える。グラスの中で添えられたライムの香りと共に舌の上に乗ってくる白色のカクテルにはほんのりとした甘みとお酒特有の苦味みたいなのがあった。

 お酒を飲んだことないけど、もっとジュースみたいな味なのかと想像してた私の予想は裏切られ、バーの雰囲気と相まって大人な気分が舌から喉まで流れていく。

 美味しいのか分かんない。そんな不思議な味でした。


「……ふむ」

「むっちゃん…どう?」

「これは……ラーメンに合いそうだ…」

「……むっちゃん」


 むっちゃんはラーメンが食べたいんだ…


「…ところで日比谷さんよ。日比谷さんはこうして俺と遊んでて楽しい?」


 唐突な質問にびっくりして口をつけたグラスを大きく傾けちゃった。

 その瞬間大量に流れ込むギムレット。条件反射でグビっと飲み干したと同時にカーッと喉から胸にかけて熱くなる。


「…日比谷さんは、俺と貴重な時間を使っていいと思ってる?俺は日比谷さんをさ--」

「むっらん」

「むっらん?」

「わらひさっひむっらんとれーとしたいっへ言ったひゃん」

「……」

「むっらん。わらひはむっらんがらいすきなの」

「…日比谷さん、そんなベタな」

「付き合ってくらはい」

「それは以前お断りしたよ?それでも俺と居て楽しい?」

「たのひい。あはははははは」


 ふわふわしてきた。今なら空も飛べそう--

 なんて愉快な日比谷さんですが、突然開け放たれる店の扉の音にびっくり。何事かと思ったらカチコミに来たヤクザくらいの勢いで2人組が飛び込んできたじゃない。


「あ、やべ」


 むっちゃんが言った。ちゅーしていい?ちゅー。


「校内保守警備同好会ですっ!校則6条に則っていかなる場合も協力してください!」

「……?」「……?」「?」「……WaT?」


 咄嗟に私を抱え込んでカウンターの奥に転がり込むむっちゃん。急にだいたん。二の腕舐めちった♡

 お店に入ってきたのはこーないほしゅートーク会とかいう人達だった。


「むっひゃん、どったの?えっちする?えっち」

「日比谷さん、黙ってないと捕まっちゃうぞ?」


 コソッと覗き見る私達。

 トーク会の人達はバーテンダーさんに詰め寄って慌てた様子でまくし立てる。


「この店にこんな子が来ませんでしたか!?誘拐されたんです!!部屋の見回りの際に居なくて同室の者に訊いたら連れ去られたと……」「姉さん、分かってない」

「…?」


 あー、あたちの写真じゃない。えへへ。


「事態は緊急なのです!!」「姉さん頭いいなら英語くらい喋りなさいよ」


 カウンターの中に隠れた私達とバーテンダーさんの目が合う。私には分かる。これは恋をした時の目…

 ダメよ。あたちには彼が居るひょん。


「I don't understand Japanese」

「くっ…私はリッスン専門で英語は喋れないんです!」「姉さんそれでよく学年一の秀才とか言われてるよね」

『ねーねー、むっひゃん。あの人達なんで手錠してるの?』『日比谷さん、声のボリューム下げないと見つかるぞ』


 ヒソヒソ♡楽しい♡


「…そうですか。分かりました」「何が分かったのさ姉さん…もういいよ。どうせどっか遊び歩いてるだけだって、早く戻って寝よう」


 異国の地は怖いとか早く見つけないと命が危ないとか何とか言いながらトーク会の人達は出ていった。なんでもいいけど折角あらしとむっひゃんが楽しく飲んでたのに邪魔しないでよぉ。


「…なんか俺が誘拐したことになってる?」

「えへへ…駆け落ち……パパ……赤ちゃんいっひゃい」

「……」


 むっひゃんの三白眼とわたひ達に親指を立ててグッてするバーテンダーさん。


 …あはははは。ひゅんっ!


 *******************


 お酒、たのひい。


「むっひゃん。プール行こう。水着持ってきた」

「日比谷さん、グラス1杯で出来上がっちまったな。千鳥足だ。てか部屋に戻らないとまずくない?なんか日比谷さん誘拐されたらしいぞ?」

「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です。ひひっ」

「…うわぁ」


 私達新婚が向かうのは屋上?上?にある?プールだって。うふふ。プールだよ?

 え?泳げますよ。バタフライ。私、水中のアゲハ蝶と呼ばれてます。あはは。


 夜のプールにはパリピ達がパリピしてて楽しそお。むっひゃん、水着持ってないって言うから受付で買ってあげたよ。

 一緒に着替えたかったけど拒否されたよ。しょぼん。いいもん。水着なんて八割素肌だもんね。つまり裸でしょ?

 脱衣所で真っ裸になってから手早く水着をキメた日比谷真紀奈。出撃。


 屋上のプールに一歩足を踏み込んだならそこは別世界。

 部屋から眺めた?ような気がするようなあの夜景が何にも遮られることなく広がってる。つまり、ほんとに屋上にお水張りましたみたいなプールなわけ。端っこ行ったら落ちそう。

 プールの下もなんかライトで光っててきれー。まぁ、この日比谷真紀奈ほどきれーではない。程々にきれー。きぇぇ。


「あっ。むっひゃんだ。あはは♡」


 むっひゃん愛してる。

 1人でぽつんとカカシみたいになってたむっひゃんだ。ヤシの木の海パン一丁だからもはや真っ裸。腹筋きれー。この日比谷真紀奈にも引けを取らない。きぇぇぇ。


「その水着持参?」

「じぃさん」


 私?私はね?いい子だからちゃぁぁんとリサーチ済みなのよ。ここにプールがあることもね。だから持ってきたよ。持ってきましたともさね。


 上下黒のバンドゥビキニ。シンプルな布が主張しすぎることなくこの日比谷の完璧なボディを引き立てるのよ。水着見なくていいから。私を見て。むしろ水着を脱がして。


「どうらむっひゃん!ひゃくてんまんてん日比谷は!可愛い?」

「可愛いね」

「適当に言ったな?」

「ううん、似合ってるよ?素敵な水着姿をありがとう。でも呂律が回ってないから泳ぐのはやめような?」

「ざぶーん!」


 日比谷行きます。むっひゃんに抱きつきながらプールサイドから中にダイブ。頭ごつんってどっかにぶつかったよ。


「ぷはっ!あはははは!夜暑い!プール気持ちいい!!」


 あれ?むっひゃんは?


 探したら泡を立てながら犬神家してた。貴重なむっひゃんの下半身。


「むっひゃん。ジャグジーになったてるよ?」

「ばばぶべ(たすけて)。ぼぼべばび(およげない)」

「あははむっひゃん可愛いね♡」

「ぼぼぶぼ(ころすぞ)」


 お股に顔を埋めて遊んでたら自分で頭を出したみたい。はぁはぁ言ってるから興奮したんだと思ふ。ふふふ。


 ぷっ!


 あ、オナラ出ひゃった。ははは。


「むっひゃん♡」

「はぁ……日比谷さん……俺泳げないんよ。ここ、足つく?ねぇ!?俺今浮かんでる!?沈んでる!?抱きついてないで答えてくれる!?」

「むっひゃん、きれーだね」

「え?夜景?ああすごいね!!日比谷さん離さないでね!?俺死ぬから!あっ!?足つった!?」

「……すーっはーっ」

「日比谷さんさっきから泡が出てる。尻で呼吸してる?」

「オナラ♡」

「可愛いね」

「へへへ……♡むっひゃんむっひゃん♡」


 むっひゃんの胸板から顔を離しておでこをくっつけます。目と鼻の先にあるむっひゃんの顔は夜景とプールの明かりにぼんやり照らされて浮かび上がってる。

 体を包む水の冷たさと触れる体温と熱い体の中と……

 ちょーくっついたむっひゃんはとっても顔をむず痒そうにして戸惑ってる。


 ……可愛いね♡


「むっひゃんむっひゃん」

「……なに?」

「お腹痛い♡」


 *******************


 --体内の毒素と一緒にアルコールが吐き出されたのか、トイレから戻ってきた頃には私の酔いは綺麗に覚めていた。

 死にたい。

 私はお酒に弱く、かつ酔っ払ってる時の事を記憶してるタイプなのか……


 ホテルロビーの椅子で頭を抱えてる私にむっちゃんが水をくれた。


「プール凄かったな。あんなに高いとこにプール作るとか……」

「……」

「楽しかったよ。今度泳ぎ教えてな?」

「……」

「……すごいなー。ジャグジー付きだもんなー」

「それ私の屁ですね」

「……」


 美の女神は屁なんてこかないし好きな人の前でトイレになんかいかない。

 痴漢の手に屁をかますのとはわけが違うんですよ。


「……むっちゃん私死ぬ。今日までありがとう」

「そんなに落ち込むなよ。快便だったね」

「やめて追い詰めないで。日比谷真紀奈はウ〇コなんてしないから」

「外まで聞こえてくるくらい快便--」

「むっちゃんの馬鹿!!沈めてやるからっ!!」


 笑い事じゃないんだから!?むっちゃん!!私は明日からどんな顔して生きていけばいいの!?モデルデビューまでしたこの美の化身がプールで屁こいてウ〇コって…!私は小学校のプールの時間にプールの中でお小水出す男子じゃないんだからっ!!


「うんぁぁっ!!こんなはずじゃなかった!!もう死ぬ!!今すぐ死--」

「でも酔った日比谷さん可愛かったよ」

「え?」


 ……むっちゃん。好き♡

 酔っ払った日比谷がお好みなんて…やだもうむっちゃん私を酔わせて初めからその気だったの?変態♡


「……むっちゃん♡また一緒に呑もうね♡潰れるまで呑ませて♡」

「成人したらね」

「うん♡」

「そしたらまたプール行こう。ジャグジー付きの」


 流石にぶん殴った。

 いくらむっちゃんでも怒るぞ?

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