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こら!日比谷!!

 --ビュンッ


「うぎゃっ」


 冬のグラウンドに一陣の風が吹き抜ける。その風は通り過ぎ様に関西弁の女の子を吹っ飛ばし、キラキラ舞う砂塵を空のキャンバスに散りばめ、疾風となった私にかつてない高揚感を味あわせた。


「…………っ、今のは……」

「速水……お前とうとうやったな…」


 駆け寄ってくる体育の先生。逞しい腕が私の肩を叩いた。

 見せられたストップウォッチのタイムは1秒を切っていた。


 速水莉央--高校最速の女……

 100メートルでついに1秒を切る。時速360キロの女、完成……


 今までのギャグ補正(?)でもなんでもなく何気なく走った体育の100メートル走。そこで出た世界記録も青ざめるタイムに体の芯から震えが込み上げる。


 ……ついに。

 ついに、あの日の約束……私を陸上へと駆り立てたあの他愛もない約束の舞台に大きく足をかけたんだ……


 合同で体育を受けていた香菜に思わず抱きついていた。万感の喝采を浴びる私を親友はドン引きしながら受け止めた。


「……とうとうここまで来たか。アンタ人間なん?」




 --天才ここに完成を見る。

 新生速水莉央、私の記録は瞬く間に学校中に広まった。

 名実共に現代のアタランテと成った私はもう走らずにはいられない。日常生活常に全力ダッシュ。窓が割れようが教室の扉が吹き飛ぼうが関係なし。


「校内保守警備同好会です!!校内は常に徐行と定められてます!!時速10キロ以下を守ってください!!」「止まれこら」

「止めてみなさい……この私を……」

「速度違反です!!速度違反!!」「いい加減にしろよ?そのスピードで人にぶつかったら死ぬぞ」


 教育指導の先生も、自警団の姉妹も、ヒクイドリも怖くない。

 だって私は高校……いや世界最速の女。


「はははははっ!!ははははははははっ!!」

「おい……待て……購買に行くのに新幹線並のダッシュで行く必要あらへんやろ……こら…ぜぇ……」


 速い!!

 私速い!!


 あの三つ編み女との競走に勝った時以上の高揚感。視界に映る全てが遅い。私には誰にも着いて来れない!!まさにメイド・イン・ヘブン!!


 …………誰も?


 ピタッ


「急に止まんなや」

「……誰も?着いて来れない……?」

「なんやねん」


 ……私は最速…本当にそう?

 そう名乗れる?あの日約束したあのトップアスリートに胸を張って言える?

 ううん。


 私はまだ最速を名乗れない……

 だって私は負けている。あの日の雪辱はまだ晴らされていない……


「そうでしょ?香菜」

「なんやねん……おどれはまだマトモな人種かと思っとったけど考え改めなアカンなこれ……確信したわ、おどれ人間ちゃうぞ多分…」

「私はまだ、勝ってない!!」

「は?」

「--日比谷真紀奈っ!!!!」

「………………」


 あいつに勝ってこそ真の最速を名乗れる。そして私を差し置いて最速を名乗るあの女を許しておく訳にはいかない!!


 確信がある。今なら勝てる…


 私は勝負を決意した。今。


 *******************


「…私は可愛い」

「とうとう自分で言い出しちゃったんだね。日比谷さん…」

「私ほどの美しさと気品を兼ね備えた存在ならその色香に惑わされた変なやつが寄って来てもなんにもおかしくない」

「うんそうだね」

「…しかし」

「このパターンは初めてだね」

「「果たし状」」


「日比谷真紀奈っ!!」


 投稿時間の玄関で待ち構えていた私は奴が下駄箱を開けた瞬間を見計らって飛び出した。


「なんでウチも?今色々複雑やけん日比谷と関わりたくないんやけど?」

「あ、速水さんだ」

「速水?誰それ?」


 この私を知らない…?体育祭で屈辱を味あわせておいてかつ、今校内で話題沸騰中のこの速水莉央を?

 世界最速の速水を?


「生徒会選挙で生徒会長に立候補してた人だ」


 そっちかい。


「ああ…みんな毎日走ろうとか言ってた頭トンチンカンね…良かったね凪、そんな人が生徒会長にならなくて」

「生徒会無くなっちゃったもんね」

「こら、そんな話はどうでもいい!!日比谷真紀奈!!あなた1年の体育祭、まさか忘れたとは言わせないわよっ!!」


 なんだその顔は、とぼけるつもり?私より遅い女に関心ありませんってか?ふざけるな。直ぐにその顔青ざめさせてやるっ!!


「えっと…なんですか?」

「なんですかじゃない!!果たし状!!この速水と勝負しなさい!!」

「勝負……」

「この私こそが世界最速の女だということを分からせてやる!!」

「いいよ、あなたが最速で。じゃ」


 くるりと踵を返す日比谷真紀奈。この私をまるで羽虫扱い…ここまでプライドを傷つけられたことは記憶にない!!


「そういえば日比谷さん、芸能事務所のスカウト受けたんだって?」

「うん、モデルやるの」

「えっ…すごい…もう仕事決まってるの?」

「うん。来月ら辺に雑誌の撮影。いえい」

「すごいじゃん日比谷さん!!有名人になっちゃうよ!!」

「まぁ、この日比谷真紀奈の美しさを評価するのが遅すぎ--」

「こら」


 この私から逃げられると思ったのか?馬鹿め。

 前に回り込む私に日比谷とオマケが心底嫌そうな顔をする。そんな顔するな。どこまで私を馬鹿にすれば気が済むの?

 募る苛立ちを抑えてここは一旦冷静に…


「日比谷さん?あなた私との決着が有耶無耶なまま高校最速とか言われて恥ずかしくないの?自分で思うでしょ?私との白黒をはっきり--」

「別に言われたことないよ」

「てか、体育祭で負けたんだから決着は着いてるよね?日比谷さん」

「うん」

「黙れ鶏皮せんべい」

「と、鶏皮…それ、私の事?」

「ちょっと、凪を侮辱しないで。いきなり出てきてなんなの?」


 今まで塩対応だったくせに鶏皮せんべいを馬鹿にされた途端表情を刺々しく変化させる日比谷。ふんっ、ぶりっ子ぶりやがって。余程鶏皮せんべいが好きとみえる。将来は酒飲みだな。そのまま肝硬変にでもなってしまえ。

 ただその前に私との決着つけなさい。


「おい速水…向こう迷惑しとるみたいやしもうええやろ。おどれが最速やて、間違いないて、おどれより速いやつ居ったらドン引きやて。そろそろ退散しようや」


 と、ここで私の後ろから割って入ってくる香菜が場を穏便に済ませようと口を挟んだ。

 その瞬間、チョー分かりやすく日比谷の顔が歪んだ。『ピキッ』って言った。


「…楠畑さん」

「え?おう…あ、はい…ども、おおきに」


 香菜、あなた大阪かぶれでしょ?ブレてるわよ?


「……聞いたよ。むっちゃ…小比類巻君をフッたんだって?」

「いや誰から聞いた!?」


 ちょっと!今は黙りなさいよ2人とも!!ラブコメのライバルのバチバチとか今はお呼びじゃないから!!速水が待ってますけど!?


「小比類巻君から」

「アイツはそんな事まで喋るんかい!?」

「ふん……こうしてあなたと話すのはメイド喫茶振りだけど、あの時の言葉に嘘は無かったわけだ」

「疑われる要因ある?」

「まぁ…うん。その…なんだ?凄くいい判断をしたと思うよ?うん。あなたの誠意は伝わったから…」

「え?あ?そう…?」

「まぁあなたなら他にマシな相手が居るわ、きっと。自分の恋を探してね」

「なんで上から目線やねん……」


 ……香菜、なんかイラついてる?見たことないような顔してるよ?

 分っっかりやすいなぁ…

 私と鶏皮せんべいが生暖かい目で2人を見守る。こいつらの胃が痒くなるラブコメ…いつまで続くんだろ。


「香菜だってまだ自分の気持ちに素直になれてないだけだから。分からないわよ?日比谷。ね?香菜」

「……?どういうこと?」

「おい速水、デリカシーどこ置いてきた?」


 ポンポンと肩を叩く日比谷の手にぎゅっと力が入る。香菜のブレザーに爪が立ってビリビリ言ってる。


「この子は面倒臭い子なのよ」

「もう黙れ。最速がどうのはどないしたんや」

「…自分の気持ち?別に小比類巻君の事なんとも思ってないんだよねぇ?」


 近。香菜とキスするんかってくらい近いぞ日比谷。


「日比谷さんやめよう…凄く嫌な女みたいだよ」

「いや…あの…なんやねん」

「なんやねんじゃなくて「うん」でしょ?だってフッたんだし。これ以上話ややこしくしないでね?もうフッちゃったんだし今更ホントの気持ちもポンチョの着心地もないからね?」

「日比谷さん!!完成にラブコメに出てくるライバルにもなれない嫌な奴だよ!?」


「……いや、おどれもフラれとるやんけ」


 --この時、粘着質な姑みたいな日比谷に向かって真顔で言い放った香菜の一言に場が凍りついた。

 私も、鶏皮も、周りで何となく遠巻きに見守ってた野次馬も…

 日比谷も……


 直後「しまった」的な顔になる香菜。


「……な、なんで……それ知ってるの?」

「え……あ、あぁ……えっと……その……なんや……ちゃう」


 途端に気まずくなる空気…なんだろう、私が余計なこと言って煽ったせいみたいな……


「いや速水さんのせいだよ」

「なんで!?」

「私のせいみたいな空気感やめてみたいな顔してた」


 この鶏皮せんべい!!


「え?なに?」「日比谷さんと脱糞女?」「今フラれたとか言った?」「誰が?」「日比谷さん?嘘」


 そして学園一の美少女のフラれた疑惑に騒然とする野次馬。好奇心からかザワザワと朝の玄関がざわつきだす。

 気づけば校内を巻き込んだ私と日比谷の因縁対決の渦中で……


「……っぅ……〜〜〜〜っ」


 日比谷が声にならない声を喉から絞り出しながらサファイアブルーの瞳をうるうるさせ始めた。


 ……学生間の女子の争いの中で恐らくもっとも気まずくやってしまったってなる状況……来る。


「ひっぐ……うっ……うっ!!ぐっ……うっ、うっさい……うっ……別に……アンタには……ぐっ……あんだにはがんげい……うぁぁぁぁぁっ!!」

「っ!?」

「日比谷さんっ!?」

「……はわわ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」


 日比谷、号泣。


「え?日比谷さん泣いてる?」「尊い…」「可愛い…写真撮りたい」「ちょっとどうしたの?え?泣いてるの日比谷さん?」「なに喧嘩?」


 あぁ……最悪だ。


「……おどれのせいや速水。おどれが余計なこと言って油に火を注ぐから…」

「逆じゃねそれ?火が先じゃね?」

「ちょっと!!!!なに日比谷さん泣かしてるのっ!!!!」


 ざわめきと泣きじゃくる声をぶち破ったのは信じられないくらい激昂した鶏皮せんべいの怒号だった。

 顔を真っ赤にして目を敵意剥き出しにして日比谷を抱きながら私達に怒り狂う。この気迫…作りたての鶏皮せんべいを不用意に口に入れて舌を火傷したあの時と同じだ…危険度は熱々鶏皮せんべいに引けを取らない。


「いや…っ!ウチは事実を指摘しただけやし…大体ウザイ絡みしてきたんはそっち--」

「びぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!!!」

「……楠畑さん、死にたいんだ?」

「えぇ!?いやいやいや待ってぇや!!ウチは別に--」


「なんの騒ぎだ?橋本」「小比類巻君、喧嘩みたいだね……何食べてるの?」


 !?

 なんて間の悪い奴…っ。そこには口論の原因、その当人である小比類巻の姿!野次馬に混じって場を静観する間抜け面がインスタント麺をせんべいみたいにかじってる!!


「保健室にあったんだよ。美味いぞ。お前も食え」

「え?いや僕はいいよ……」

「で?何事だ?人が多すぎて教室まで行けないんだが…」

「なんかねー。日比谷さんと1組の脱糞さんが喧嘩して日比谷さん泣いちゃったみたい」


 人垣の隙間から様子を伺う小比類巻に野次馬の1人が事情を説明。同時に目が合ったこちらとあちら。

 その瞬間、小比類巻が前に出てきた。


「おい…脱糞女」

「うげっ!?」「え?小比類巻君?ちょっと……今は面倒臭いから引っ込んでて欲しい…」「うえぇぇぇえんっ!!」


 バリバリとインスタント麺を散らばしながら頬張る小比類巻はただ一点、香菜を厳しい目で見つめていて、野次馬達は新たな乱入者にさらにざわつきを増していく。


 ……え?これ私と日比谷の勝負は?


「お前…なに日比谷さん泣かしてんだよ」

「……っ!」


 その一言に香菜が形容しがたい表情をした。ほんの一瞬の感情の機微だったけど、動揺とか、ショックとか、便意とか、そんな思いが綯い交ぜになった表情をしてた。


 ……私と日比谷の決着は?


「いや……ウチは別に…」

「お前が泣かせたんだろ?」

「……っ、な、なんやの!?急に出てきて関係ないやんけっ!!大体ウチの方がいじめられて--」


「そこまでですっ!!」


 チャラチャラチャラチャラうっさい音を鳴らしながら数人の男子を引き連れてきたのはこの学校で私に次いで話題のあの校内保守警備同好会の双子……浅野姉妹。


「校内保守警備同好会ですっ!喧嘩はやめなさいっ!!」「どっちが悪者だこら」

「びぇぇぇぇぇんっ!!」

「いやちゃう…っ!むしろ絡んできたのはこっち--」

「てめーこっち来い」

「なんで!?は?おい、話聞けや!!てか、全部悪いのコイツやから!!この法定速度無視女やから!!」


 姉妹の手錠の鎖の間に首を挟まれてそのまま連行されていく香菜…

 同好会の男子に保護される日比谷と付き添う鶏皮せんべい…

 散開していく野次馬。

 莉子先生に連れていかれる小比類巻。


 …取り残される私。


 あれ?

 今回のメインは私ではないの?

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