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お、お父さん……

 --私がここに居る、という事は良くないことが起こるということ。


 私は0011--名実共に、自他共に認める世界最強のエージェントだ。

 私が降り立った地で何事もなかったことなどない。私がここに居る、それはつまり、誰かにとって良くないことが必ず起きるということ。

 私は死神……


 世界の為に自らが泥を被り、あらゆる任務を完遂する。例えそれがどんなに非情な任務であろうと……

 その為に私は名前も身分も、かつて抱いた暖かな思い出も全て棄てたのだ…


 懐かしき日本の空港。秋晴れの空にうろこ雲が伸びる下、ロビーで赤いサングラスを光らせる私の耳に雑踏が飛び込んでくる。

 搭乗受付に朝から並ぶ日本人。几帳面な人種らしく綺麗に列を作っている。しかし、目的の人物はまだ来ない。


 さて、タイムズ紙にでも目を走らせる傍ら今回のミッションでもおさらいしておこうか……


 私達のターゲットは世界最強の傭兵、ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世。

 彼女の持つ世界情勢に関する膨大な情報、それだ。


 私の任務はあと15分以内にブラジルへ飛ぶためにこの空港に訪れるはずのジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世を確保すること。

 一緒のはずの娘に関しては指示はない。が、任務の邪魔となるなら排除する……


 …それがメインミッションだが、もうひとつ。

 本来なら昨日、ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世が訪れた高校の文化祭で任務は完遂するはずだった。

 が、謎の勢力によってそれは阻まれ、00エージェントが複数人やられてしまった。

 可能ならばその日本のエージェントを始末すること。今そちらは0033がやっている。


 正直、この国にそれほどの強者を擁する組織があるのか疑問だが…

 とにかく、その筆頭とされているのが楠畑香菜--0077を潰した女。

 それにもう1人…


「……彼岸三途」


 00エージェントをあろうことか素手で、真っ向から叩き潰したという少年…

 私は初めて彼の顔を見た時から、その顔が頭から離れないのだ。

 彼の瞳、風貌--資料を一目見たエージェント達はそれだけでただならぬ奴の圧に気圧された。

 無論私もだ。

 00エージェントを潰したという話が眉唾では無いと分からせた。それほどのプレッシャーをただの写真から感じた。


 しかし--


 …それだけではない。彼の事を思い出す度、この胸を包むような感覚は…一体……


「お隣いいですか?」

「はい……どうぞ--」


 自分の胸に去来する温度に耽っていた。

 その時何食わぬ顔で私の隣に座ってきた子連れの女。

 あらゆる視線を遮断する私のサングラス越しに映ったその女こそ--


 ……っ!ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世!!


 ……流石だ。

 すぐ隣に来るまでなんの気配も感じなかった。これが真の強者…真に強き者はその気配を悟らせない……


 世界最強を謳われた元傭兵を前にかつてない緊張感が走る。

 落ち着け……私に失敗の2文字はない……


「ママ、今日の飛行機さんではハイジャック居ないといいね」

「そうね…殺人バクテリアも御免ね。何事もなくブラジルに行けるといいけど……」


 残念だがそれは叶わない…ここに最強のエージェントが居るから。


 私は早速行動を開始する。


 新聞紙を鞄に戻すふりをしつつ、ごく自然な動作でわざとその鞄を床に落とした。


「おっと」

「……大丈夫ですか?」


 書類の束やボールペンなどが床を転がりターゲット、ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世の足下まで向かう。

 当然、そうなるように落とした。


 ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世は全く警戒した様子もなくボールペンを拾い上げ私に手渡してくれた。

 そう、しっかりペンを握って。


「どうも」

「いえ…?うっ……?」

「ママ?」


 慎重にペンを受け取る私の前で手渡したジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世がその場でふらつく。

 娘が心配そうに見つめる中で彼女はそのまま膝から力なく崩れ落ちたのだ。


「大丈夫ですか?」

「ええ…少し目眩が……」「ママ?どうしたの?」

「凄い顔色です…これはいけない」


 力の入らないジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世に肩を貸し私が立ち上がる。近くを通りかかった空港職員2名に手を挙げて知らせる。


「どうされましたか?」

「急病人のようです……」

「それはいけない。こちらへ」


 付き添う形で職員とジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世を連れて行くが…この職員も組織の派遣したエージェントだ。


 空港職員に扮したエージェントについて行く形で私達は一旦外に出て人気のない通路へ入る。


 --もちろん、ターゲットの体調不良は偶然ではない。

 拾ったボールペンには細工がしてあった。触れた対象を麻痺させる薬品を仕込んでいたのだ。エージェント七つ道具……

 いかに戦場を渡り歩いた精鋭とはいえ、都市部での予期せぬ襲撃には対処しきれない。

 これは恥ではない。これは我々の領分なのだから--


 その時。


「うっ!!」「っ!!」

「ママ--…っ」


 エージェントに肩を貸されて歩いていたジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世の重心が微かに傾いた。

 私は見逃さなかったその一瞬の体勢の変化。次の瞬間にはエージェント2名と、娘まで突然糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 息を飲む私の前で気を失った娘だけ慎重に抱きかかえて地面に寝かせるターゲット。ピリピリと周囲の空気が肌を焼く緊張感を感じていた。


「……ふぅ」

「……いつからだ?いつから気づいてた?」


 私の問いかけに3人を目視すら出来ないスピードで気絶させたジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世はさっきまでとはまるで別人のような獣の視線を投げつける。


「隣に座った時から……あなたからは血の臭いがした」

「……何故娘まで?」

「気絶させただけ……娘には乱暴事は見せないと決めている」


 そう言うとジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世はベルトのバックルから小型のナイフを抜き放つ。恐らく、空港の金属探知機にも感知されない非金属製のナイフ……


「……」

「何者?」


 問われた。何者かと。しかし私には名乗る名も身分もない。

 私は無言で地面を蹴っていた--


 --そこからはまさに、常人では立ち入ることの出来ない高速の攻防。


 踏み込むと同時に抜いたペン--無論ただのペンではない。鉄板でも貫けるペンだ。

 私のペンの芯とターゲットのナイフが激しくぶつかり合う。

 攻守を目まぐるしく入れ替えての戦いは時間にしてほんの数秒だっただろう……


 告白しよう。その間何が起きていたのか私には分からない。

 それほどに必死に、私は最強の傭兵と牙を交えた。ただ、目の前に迫る死に抗った。

 それは命惜しさではない…任務遂行の為…


 そしてそんな私の執念は最強の傭兵に打ち勝った--


「……っ!!」

「はぁ……はぁ……」


 気づけば血まみれの私の足下にジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世が倒れ伏す。

 バタリと倒れた彼女の姿に、私は勝ったのだとようやく確信した。


 …………いや、当然だ。

 私は0011。私に失敗はないのだから……


 意識のないジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世を拘束しつつ私は別行動中の0033に無線で連絡を入れる。


「……私だ。こちらは完了した。エージェント2名負傷。ここに置いていく…そっちは……?応答しろ」


 しかし、インカムからはノイズのような音しか聞こえてこない。鼓膜を震わすはずの0033の声は一向に投げかけられなかった。


 ……まさか、0033まで?



「--あの」



 まさにその時。


 無言の応答に戦慄していた私の意識に割り込んだその声に私は後ろを振り返った。


 そこに立っていた人影は、逆光にあてられ影しか見えない。

 が、その頼りなくも不気味な威圧感を放つその人影が何者か、私にはすぐに理解出来た……


「……その人、どうしました?大丈夫ですか?助けがいりますか?」


 --私はその時、“運命”と邂逅したのだ。


 *******************


「……海外だって?」

「はい。莉子先生……」


 1週間前、保健室で俺は莉子先生と向き合っていた。

 それは俺の決意を伝える為であり、他にこの学校にまともな先生が居なかったからだ。


 --彼岸三途。日本をたつ。


「えっと……どうしてかな?」

「佐伯達也を下した今、この国にもう敵は居ません……」

「敵……」

「さらなる高みを剣士として求めたい。なので、武者修行へ……」

「君は何時代を生きてるんだい?」


 何故か若干呆れ気味の莉子先生。まぁ、女には分からない感覚かもしれない……

 しかし俺は決めたのだ。


「休学、という事かな?」

「お願いします」

「いや……そういうのは私に言われても……」

「莉子先生しか居ないんです」

「そんなことないと思うぞ?担任に相談しなよ」


 深々頭を下げる俺を前に莉子先生は至極面倒くさそうにため息を吐いて「まぁ…分かったよ。伝えておく」と約束してくれた……



 --あれから1週間。


 俺は俺を育んでくれた母校を去り、武者修行の旅に向かう。

 俺は強くなりたい……もっと、もっと--



「--大丈夫ですか?」


 その為に訪れた空港で--

 意識のない女性に寄り添うその男を目にした瞬間、俺は確信した。

 俺の求めていたものはここにあると……


 *******************


 --20歳、夏だった。


 高校卒業後地元を離れて一旗揚げようと企業した。

 しかし、経営学も学んでいない若造に甘い蜜を啜らせるほど世間は優しくはなかった。

 私の立ち上げたコッペパンを乾燥させる会社は2日で潰れた。何が悪かったのか、私には今でも分からない。

 その時私は人生のどん底にいた……社会の理不尽というものに打ちのめされ、人生を投げようとすら思っていた。


 ホームレスになり毎日公園の鳩を狩る狩猟生活……どん底にいた私は死に場所を求めるように地元へ戻って来た。

 桜の美しいこの街へ--


 その日も公園の鳩を狩っていて警察に見つかり、ボコボコにされ路上にボロ雑巾のように転がっていた……


「……大丈夫ですか?」


 その時、私の頭上から降ってきた声は今でも忘れない。

 私の輝かしくも愚かしい過去を象徴する、あの声--

 過去は捨てたなどと嘯きながら、私は今でも未練がましく、その声を鼓膜に染みつかせている。


「ほっといてくれ」


 --ドゴッ!!


 蹴られた。


「ぐはっ!?」

「大丈夫ですか?」

「いや……大丈夫じゃなくなった。肋骨折れた……」

「良かった」

「良くない……」

「病院、行きますか?立てますか?」


 この時私はようやくその声の主へ視線を上げた。

 無一文になってもこれだけは手放さなかったサングラスを通して私の網膜に刻み込まれたのは私が今まで見た中で最高の景色だった。


 私に手を差し伸べるのは同い歳くらいの女性で、この街を象徴するような桜色の長髪を晴天の下揺らしていた。その柔和な微笑みは私のくしゃくしゃの心を包み込んでくれたのだ……


 --彼女は明美あけみといった。


 この、薄汚いホームレスに手を差し伸べるような奇特な女と私が心を通わせるまでに、それほど時間はかからなかった--



 彼女は小さな定食屋を営んでいた。全てのメニューに強制的に青汁がつくというなかなか攻めた定食屋だ。


 私もそこで働いた。

 そして、私達は愛を育んだ……


 結婚して2年--私達はひとつの愛の結晶を作った。

 あの時は本気で思った……この小さな宝物を生涯をかけて護ろうと。


「ふふ。あなたに似て悪人面ね。人でも殺してそうな顔よ……」

「我が子に向かってそれはあんまりでは…?」

「ね、名前、決まってるの?」

「ああ……この子の名前は--」



「--三途」

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