最強の傭兵を確保せよ
厚い雲が覆う空。雲を透過する太陽光が私の赤いサングラスを照らして強い光を放っている。
降り注ぐ光から逃れるように足早に私はオフィスビルに入っていく。それは日陰者がお天道様を避けるように……
受付で腕時計を見せれば、時計に刻まれたマークを見た嬢は全てを心得て私を通す。
1階応接室の扉を開く私は照明のスイッチを迷いなく操作し本棚に隠された扉を露わにする。
秘密を守るべく重たく閉ざされた扉を開いて闇に吸い込まれた階段を降りていく。
狭い壁と低い天井、歩けば足音が反響しそうなものだが、私の歩法に気配は存在しない。
延々降りた階段の突き当たり、センスのない黒スーツと黒いサングラスのスキンヘッド達が私の姿を見つけるなり頭を軽く下げる。大統領の護衛みたいな格好だ。
真にファッショナブルかつスマートなセンスというのは赤いグラサンにアロハシャツにチノパンなのだ。
入口の守衛に通されて入るそこは地下空間に作られた大広間……
まるで秘密結社の秘密会議が行われそうな薄暗く広い室内には長方形の大理石のテーブルが置かれそれを囲むのは11脚の椅子。
「0011、遅かったな」
テーブルの頂点に座るハゲ頭の初老男性が歳の割にファンシーかつイカす黄色のグラサンを光らせ入ってきた私を見た。
それに合わせて椅子にかけていたメンバー達も私に視線を向ける。
それぞれが針で刺すようなプレッシャーを纏う目線が束になれば私でも多少圧を感じるというもの。
しかし、私は彼らの頂点に位置する男……
最強最高にして孤高のエージェント、『00』ナンバーを与えられたトップエージェントの頂点に位置する我が国最強の矛…
--私には名などない。
私はエージェント『0011』
さっきまるで秘密結社の秘密会議と言ったが、まるでではない。
まさにその通り……秘密結社では無いがな……
ここはこの国の最重要機密諜報機関の有する支部のひとつ……主に我々00ナンバーを持つトップエージェントが招集される極秘会議室なのだ。
--00ナンバー。
それはこの国の、いや、この世界で最高の能力を認められた至高の諜報部員にのみ許されるコードネーム。この世界に10人しか存在しない、様々な国から集められ過酷な訓練を受け生き抜いた最高のスパイ達……
のはずだが……
私が座るその選ばれしエージェント達の集う席には3つの空白がある。
今現在の全てのエージェントが集まったところで、最奥に座るスキンヘッドグラサン--諜報部長官が重々しく口を開く。
「忙しい中、集まってもらってすまない。耳の早い君達の事だ。今回呼ばれた要件は分かっているだろう?」
重厚感ある声が地下に響く。彼の放つ威圧感はそのまま私達にのしかかるプレッシャーの体現なのだ。
「とある任務がある。今回は残る00エージェント全員で臨んでほしいのだ。その為に君達全員を招集した」
トップエージェントたる00ナンバー全員がかりの任務など、聞いたことも無い。
そんな私の疑問の答えも出ている。
原因はこの3つの空席と、その原因にある。
「まず、任務について説明する前に我々が向きなわねばならない醜態について話させてもらうが……君達は世界中から集められた精鋭中の精鋭……それはあえて説明する必要もないだろう。君達の中にその自覚と自負はあることと思う」
メンバー全員が重く頷く。
「にも関わらず……ここ最近の00ナンバーにおける任務達成率の低さ……そして、この会議室の席が埋まらないという由々しき事態……」
長官は込み上げる怒りを抑え込むように声を震わせテーブルを叩く。
「……0077」
我々の7人目の今は無き仲間を呼ぶ。返事はなく虚しく空席だけがその存在を主張した。
「2度に渡る任務の失敗……そして逃亡……そして、0088」
長官の鋭い視線と追求にちょび髭を生やしたセンスのないハットを被るグラサンが申し訳なさそうに視線を落とす。
「その0077の抹殺の失敗……危険人物の妨害があったとは言え、その人物まで取り逃がす醜態……航空機での爆発を阻止した功績がなければ君はここには座ってなかっただろう」
厳しい叱責だ。
しかしこれでも有り得ない程軽い方だろう。1度でも任務に失敗した者の辿る末路は『死』である。これは闇に生きる我々のルールなのだから……
「そして0022……最重要任務、万物の記録』の確保の失敗……」
私の対面の空席を長官が睨んだ。
「あの任務の失敗は痛かった……あれがあれば今頃、我が国が世界の覇権を握っていたはず……それに、0099」
最後に呼ばれた空席。彼もまたここに帰る事の許されなかったエージェントだ。
「カメノコ公国王女抹殺の失敗……」
長官はバンッとテーブルを叩く。我らエージェントの責任者として抑えきれない怒りがあるのだろう……
……テーブルを叩いて叩いた手を痛そうに振っている。強く叩きすぎたようだ。
「これらの任務の全てが……極東の島国で起こっている」
……やはりな。
長官の言葉に今回の招集の意図を察する。
栄えある00ナンバーが尽くつぶざれた魔境--ジャパン。
そして次の任務も恐らく…そのジャパンで行われる。だからこそ長官は過剰とも言える体制で次の任務に臨もうと言うのだ。
……ジャパン。
懐かしいな。
過去も名前も全てを捨ててきた私だが、あの島国は私の生まれた地でもある。
まさか再びあの地の土を踏むことになるとは……
あそこには私の過去の全てがある。今も残っていればの話だが……
いや、私は0011。あの国にある足跡は全て私とは関係の無いものだ。
気を取り直して私は長官の話に耳を傾ける。今だ怒りの冷めやらぬ長官はそれでも感情を抑制してなんとか冷静に言葉を紡いでいく。
「……数々の任務を成功させてきた君達の実力は今更疑うことも無い。しかしあの日本という国には魔物が棲んでいる。そして、次の任務もその日本だ」
長官の背後のモニターに1人の女性が映し出される。彼女の事はこの場の誰もが知っている。世界的な有名人ではないか。
「ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世。世界中を渡り歩く超一流の傭兵だ」
ブロンドの髪と碧眼の美しい白人を指し示し長官がそう言う。
「彼女1人の存在によって戦争の勝敗が傾く……それほどの力を持った人物だ。世界中で行われている戦争を彼女の存在抜きに語ることはできない。今まで積み上げてきた死体の数は数しれず…あるいは君達以上の怪物かもしれない」
戦場では誰もがその名を恐れるという世界最強の傭兵……
我々もその存在については把握している。世界の安定化、そして新世界で我が国が頂点に立つことを目的とした我が組織でも彼女の存在は無視できない。
うちのエージェントの何人かも戦場で彼女に煮え湯を飲まされたと聞く。
数々の00エージェントを失脚させた魔境と最強の傭兵……必然00ナンバー達の顔に緊張が浮かぶ。
「彼女は既に引退し現在は娘と共に世界を渡り歩いているらしいが……そのジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世が近いうちに日本にやって来る。そして、引退したとはいえ彼女の持つ力と影響力、数々の戦場で得たであろう世界情勢に関する機密情報……それらは無視できないものだ」
長官からのミッション--ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世を確保せよ。
過去最高難易度であろう任務に私の心も自然引き締まる思いだ。
「任務にあたる際に--」
指令が出た瞬間からミッションを遂行する作戦を頭の中で練り出す私達に長官は釘を刺すように切り替わるモニターを示す。
そこに映し出されるのは10代後半くらいの日本人女性。黒と白の混ざりあったショートボブの少女だ。
その顔に最強の傭兵以上の緊張が我々に走る。
「楠畑香菜……ジャパンのハイスクールに通う女学生……そして正体不明の日本のエージェントだ」
楠畑香菜--0077の任務を妨害し、その抹殺まで妨害したジャパンのエージェント……我々をしてその全容を把握できていない謎に包まれた女……
「我々が日本で動く時、やつも動く可能性がある。奴は今後の我々の任務においても無視できない存在だ。チャンスがあれば潰せ」
長官から抹殺指示が出る。
しかしケツに環境破壊クラスの爆弾を仕込む上00エージェントを退ける危険人物……
今回の任務は相当な難易度になるだろう。もしかしたら死ぬかもしれない……
「そしてもう1人……0099のカメノコ公国王女抹殺を妨害し同エージェントを再起不能にまで叩き潰した男--」
モニターに映し出されるのは可憐な少女から一変した、幽鬼のようにやせ細った不気味な男。画像だと言うのにその異様な圧がひしひしと伝わる……
……この男は。
私の中でざわざわと胸騒ぎがする。
理屈ではなく本能が何かを訴えかけるような……
長官が言うもう1人の00ナンバーを潰した危険人物……
その名を--
「--彼岸三途」




