嘘だろ有吉!?
--梅雨が明けた。今年もこの時期がやって来た。
久しぶりに見る青空の下で乾いた風が吹いている。もう7月だ。夏がやって来た。
……そういえば宇佐川さんのとこの高校は一学期末に体育祭なんだっけな。うちの学校は体育祭と文化祭が連続で来るから慌ただしい。今年は三学期に修学旅行もある。
……2年生はイベントが多いけど、それが過ぎたらもう3年生だ。
そろそろ本格的に進路を見据える時期がやって来たのかな……
「橋本」
「あ、宇佐川さん」
ここは公園--彼女と初めて出会った場所。そして、僕が休日よくレッスンする公園……
僕と宇佐川さんの交友はここから始まった。だから、ここで言うのが良いと思った。
すっかり薄着の装いになった宇佐川さんが三つ編みを揺らして、容赦なく降り注ぐ暑い日差しに嫌そうな顔をしながらベンチに腰掛けた。
「ごめんね、急に呼び出して」
「私を呼び出すとはいい度胸だね」
……やっぱり怖いなこの人。
ただ……
「……宇佐川さん、なんかあった?」
「は?何が?」
「いや…いつもほどの圧を感じない…?あれ?そういえば宇佐川さんが近くにいるのに心拍数が変わらないぞ?」
「私は猛獣かなんかなの?張り倒すよ?」
相変わらず態度は怖いけど、宇佐川さんから感じる雰囲気がどこか柔らかい。気づいたけどいつも殺傷力すら持ち合わせる鋭すぎる眼光が普通の目力くらいになってる。
……まぁ、何があったのかは訊かないどこ。話す気はないらしいし……今日は機嫌が良いんだろうな……
「で?話ってなに?こんな暑い日に外に呼び出して……」
「ごめんね。お金ないからお店に入れない」
「ものすごく情けない奴…メイド喫茶でもいいよ?」
「いや……勘弁して……」
「冗談、そんなとこに連れて行ったら殴る」と宇佐川さんが笑った。凄く自然な笑顔だった。
なんか寒気すらしてきた……いや、気にするな……
「あのね、報告があるんだ」
「うん」
「僕……この夏アイドルオーディションを受けるよ……」
「うん……え?」
ぎょっとして僕の方を見た宇佐川さんに僕は決心したことを告げる。この決意は固い。宇佐川さんにはちゃんと伝えておこうと思った。
「……なんでそんなに急に?」
「この前宇佐川さんが激励してくれたじゃんか。頑張るって約束したしね……」
「……橋本」
「やるよ、僕」
「……そんなに彼女欲しいのか」
はい、欲しいです。
僕の決意がしっかり伝わったのか、宇佐川さんは「……そう」とだけ小さく呟いた。けど、なんだか微妙な顔をしてる。
「……自信あるんだ」
「……自信ってほどじゃないんだけど…いつまでも足踏みしてられないからさ。1回チャレンジしてみようと思う。もちろん本気で」
「……勇気と無謀は違うぞ?」
「……?」
どういう意味でしょうか?
宇佐川さんはどこか険しい顔でベンチから立ち上がり僕の前に立った。僕を真剣な眼差しで見つめている。太陽を背にした宇佐川さんの顔に影がかかり、瞳の光だけが顔を照らしてた。
「ダンス、どんくらい上達したの?」
「……」
……なるほど。
僕は立ち上がった。言葉で伝えるより、見せた方が早い。
約束したもんね「またダンス見せる」って……
ジリジリ照りつける太陽の下、僕がポーズを取る。太陽が眩しいのか僕が眩しいのか宇佐川さんが目を細めてた。
「……うわぁ」
「いくよ?見てて……」
「嫌だ。見たくない」
何か言った?
よく聞こえなかったけど…ミュージックスタートっ!
*******************
僕ら2人だけの公園で、汗だくになった僕に宇佐川さんが自販機のジュースを差し出してくれた。
「お金ないんだ…ごめんね」
「奢りだけど……その貰う前提の発言やめろ」
クタクタだ。
本気で踊った。
本気で応援してくれた宇佐川さんには本気で応えたいと思ったから。
手応えはある。
プロレベルとまで自惚れるつもりは無いけど、かなり上達したと思ってる。
……宇佐川さんは、どう思ったんだろ。
僕のダンスを見届けてくれた宇佐川さんは何も感想を口にせずジュースを飲んでいる。
この間が僕をムズムズさせる…
「……暑、聞いたか橋本。今日の最高気温6000℃らしいよ。死ぬよね?」
「……宇佐川さん」
「さっきもここに来る途中人が燃えてたんだけどさ…これ死ぬよね?」
「あのさ……」
「あれ?ジュースが蒸発した」
「宇佐川さん?」
「やべぇ……腕が溶けてきた…橋本お前も溶けてない?大丈夫?」
右足溶けだしてるけどそんなことはいいんだよ。なんか話題を逸らそうとしてる?
「ところでお前今日この後暇?買い物--」
「感想聞いていい?」
「……」
僕の一言に宇佐川さんの表情が険しく変わった。今まで見たことないくらい真剣な眼差しだ。
陽炎の立ち上る遠くのアスファルトを眺める宇佐川さんは、たっぷりと間を置いてからぽつりと呟いた。
「……彼女欲しいからアイドル目指すんだよな?」
「うん」
「……そんなに急いで欲しいのか?」
「うん」
欲しいです。
宇佐川さんは何やら凄く言いにくそうにモジモジ…らしくない。
あまりの上達具合、完成度にド肝抜かれたか…それとも逆か……
「はっきりしなよ、らしくないよ宇佐川さん!」
「挫折は辛いよ?」
--グサッ!!
「お前はオーディション落ちる」と宣言されたような一言。しかも、冗談めかすわけでも、怒るわけでもなく、至って真顔で。
なんか可哀想なものを見る目をしながら…
「………………」
「……橋本、そんなに焦ることないと思う時間はたっぷりある」
「………………………………」
「橋本」
「…………………………………」
「うじうじすんな男がっ!!」
痛いっ!?背中を叩かれたっ!
あれ?でも体が吹っ飛ばない?意識もはっきりしてる。かってないほどのソフトタッチ!?
驚いて宇佐川さんを見たら、宇佐川さんはムスッとした顔で僕を見ていた。可愛らしく拗ねたような顔だ。殺意がない。
……本当に一体どうしたと言うんだい宇佐川さん。
「焦ってオーディション受けなくても、しっかり実力つけてからでもいいんじゃないの?その…今のアレでは…勝ち目が……」
……
……分かってるよ。
これは宇佐川さんの優しさだ…でも、そんな優しさに応えたいんだよ。
まだまだだってことは理解している。でも、応援してくれた宇佐川さんに頑張るって意志を形で示したい。
「……ありがとう、でも、現時点でどれくらい通用するか知りたいんだ」
僕が前向きに務めて告げると宇佐川さんは「そっか」とだけ呟いてそれ以上を続けることは無かった。
宇佐川さんは勢いをつけてベンチのから立ち上がる。腰掛けたままの僕に背を向けたまま「なぁ橋本」と話しかけた。
「……別にアイドルになったってモテるとは限らないよ?てか、アイドルとかって恋愛禁止なんじゃない?」
………………っ!?
と、突然の全否定!?
愕然として固まる僕。宇佐川さんの突然の発言の真意も分からないし、そういえばアイドルって恋愛できるのか?事務所次第だと思うけど…どうなんだ!?
記録的真夏日にカチンコチンになる僕に振り返った宇佐川さんが口角を吊り上げて笑っていた。
今まで見たことないくらい可愛らしい笑顔で--
「ま、頑張れ。アイドルになったらきっといいことある」
……っ。
宇佐川さんて、そんなふうに笑ったっけ?
そういえば初めて会った時の別れ際、宇佐川さんはこんなふうに笑った気がした。
なんだか久しぶりに見たよ。こんな宇佐川さんを……
……宇佐川さんて--
*******************
「……悪いね、休みの日に」
「いいよっ!!どこ行く!?」
「どこも行かない」
橋本と別れてすぐに近くの喫茶店で有吉と合流した。喫茶店に現れたオシャレな有吉の姿に自分の地味なノースリーブニットが恥ずかしくなってきた。
私はこれで橋本と会ってきたのか…
いや、 変に着飾る方がなんかおかしいだろ……
「ちょっと相談があってね……」
「相談?」
席に着いた有吉にアイスコーヒーを注文してやってから、私は本題を切り出した。しかし、こんなことをこいつに話すのはかなり勇気がいるな……
「……告白しようと思ってる相手がいてね……」
「…………………………」
視線を下げてそう切り出した私に有吉はお面みたいなわざとらしい笑みを浮かべたまま固まった。
「……」「……」
「おまたせ致しました。アイスコーヒーです」
「……来たぞ?」「……」
なんだこいつ?
驚いてるの?まぁ…私が告白とか……キモイかもしれない。
しかし私の周りに相談出来る奴なんてこいつしか居ないんだ。恥を忍んでカミングアウトしたんだから、そんな反応しなくてもいいでしょうに……
「……有吉」
「なんの告白?殺した?」
「いや殺してない」
「私に?付き合ってって?いいよ」
「馬鹿にしてんな?」
殴っていい?これは殴っていいね?軽く殴ろう。
ゆる〜く拳を握りしめて横っ面に叩き込もうとした直後、有吉がくわっと目を見開いてすごい剣幕で怒鳴りだした。
「馬鹿にしてんのはそっちでしょぉぉっ!?」
「っ!?は?」
「告白ってなに!?誰にっ!?なんの!?」
「馬鹿っ…声がデカい……」
「好きな奴が居るの!?私じゃなくて!?もうっ!!なんでそんな……このっ!!……馬鹿ぁぁっ!!」
ベチンッ
「痛いっ!!」
「少し黙れ」
店の中で大騒ぎするもんだから…みんな見てるだろ。恥ずかしい。
一体なににそんなに動揺したのかと思ったが、コーヒーをストローで啜った有吉は何とか落ち着きを取り戻した様子。
が、不機嫌というか、感情を抑えきれない様子で私を睨んでいた。
「…………男?女?」
「…男……」
--バンッ!!!!
「馬鹿っ!!テーブル叩き割るなっ!?意外と力あるな有吉……」
「好きなの!?そいつが…誰!?」
「……好きだから告白するんだよ。初詣の時会ったろ?」
「あいつ!?よりによって……っ!」
もう口から血が出る勢いで歯を食いしばっている。なんなんだこいつ。暑さでおかしくなった?確かに今日は異常な暑さだけど。
「ふーっふーっふぅーーーっ!!」
「……なんか怖いんだけど」
たっっぷり深呼吸を繰り返してなんとか平静を取り戻した有吉。
何故か知らんが赤らんだ瞳で私を睨んでくる。その視線の強さは私をいじめていた時より力強く、思わずこちらがたじろぐ程の想いを感じる。
何かを伝えてくる--直感で分かった。
「……それ、私に相談することの残酷さ理解してる?」
「…………いや」
--ペチンッ
「……なんで叩いた?」
「結愛が馬鹿だからっ!!」
また取り乱し始めた有吉の声が震えてた。私はそのまま彼女の言葉を待つ。
「……私が結愛をいじめてた理由、言わなかったね」
「……聞きたくもないけど…」
「聞いて」
有吉が顔をあげる。思わず顔を背けてしまった。
「結愛の相談で私の想いは終わった…でも、本心伝えずに終わるのは悲しすぎる」
「ちょっと待て。まさか……え!?」
「せめて結愛の口から…」
「え?え!?嘘だっ!!」
「結愛っ!!」
「……っはい」
なんてこった。こんな展開想定してなかった……なんでこんなことになってんの?あれ?
どうしたらいいのか分からずみっともなく狼狽えまくる私を前に有吉が真っ直ぐ私に視線をぶつけながら告げる--
「結愛、あなたがずっと好きだった」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?
「……返事を聞かせて」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
おじいちゃんっ!!こんな時どうしたらいい!?
私はとんでもないことをしてしまったっ!!だって想像もしないじゃん!?こいつ、私のこと相当陰湿にいじめてたんだよ!?
そんな奴がまさか……うわぁぁっ!!
やってしまった。私が相談を持ちかけた時点でこの女、派手に玉砕したのか!!
……あえて言えと?
ちらっと様子を伺うと、今にも泣き出しそうな有吉の顔があった。憎たらしいくらい整った顔がしわくちゃに、何かを堪えるように強ばって歪んでいる。
…………
「ごめん」
「…………っ」
「好きな人がいる……」
私が意を決して告げた。
辛い……なんだか凄く悪いことをしてる気分だ。人から向けられる好意を踏みにじるのがこんなに辛いことなのか。
……今までずっといじめられてた私には、人から好意的に接されるなんて理解できない。
でも、勘違いだった。
よく分からんけど、有吉は私が好きでいじめてたんだ……あの行為全てが好意の表れだったと……
「……うん」
有吉はポロポロと瞳から雫を零しながらも強く頷いた。
「……ごめんね。結愛……酷いことして……」
……っ。
やめろよ……
そういうこと言われたら……なんだか今までいじめられてたのも私に非があるような気すらしてくる……
「……結愛」
「……ん?」
「私からアドバイス……告白は、好きって気持ちを伝えるだけ。それ以外何も要らない。あとは……フラれる覚悟だけはしておくこと」
「……有吉」
「以上っ!!」
有吉が泣きながら勢いよく席を立った。涙の軌跡を描きながら振り返り、意地悪でブサイクな笑顔を向ける。
「絶対応援なんかしてやらないんだからっ!!」
「……有吉っ!あの--」
捨てセリフを吐きながらダッシュで店から出ていく有吉を私は追えなかった。
初めて味わう感覚に脚が石になったみたいで動かない…
……私は。
私は……なんて……
ひどいやつなんだろう……
1人取り残されたテーブルには有吉のこぼした涙の粒とグラスを伝う水滴だけが光っていた……




