決着つけてくる
「小比類巻睦月です。よろしくお願いします」
--空閑睦月改め小比類巻睦月です。
先日両親が離婚しました。生活力のないお袋を支える為にバイトをしなければなりません。
あーあ……何もしなくても金が入ってくる世界になんねーかな?
そもそも…ただ生きてるだけでなんで金がかかるんですか?どうして働かないとお金貰えないんですか?寝て食って糞して子供作る以外何も起きない生物の一生の中で、どうして人間だけやりたくない労働に従事する必要があるんですか?
俺がバイトするのはパン屋さんだ。
店の名前は『たくあんベーカリー』パンを売る気のなさそうな店の名前だ。店主の苗字から取っているらしい。
このたくあんベーカリーは一家で切り盛りしている小さな店だ。夫婦とその息子の3人でやっている。
最近は忙しくなってきたとのことで、バイトを募集していたので応募した。そしたら採用になった。時給は900円。まかない付き。
「よろしくね睦月君。それじゃ今日からレジをお願いしますね」
優しそうなおばさん、奥でパン生地にパンチを撃ち込んでる優しそうなおじさん。息子さんの姿は見当たらない。
「まずはパンの名前を覚えて貰わないとね…」
「はい」
店内には様々な種類のパンが並んでいる。美味そうだ。まかない付きということは食べていいのか?ありがとう。
「まずは1番奥の棚から…何してるの?」
「まふぁまいふきふぁとひいてひたほへ」
「え?なんて?」
「……ごくっ。このパン、硬いっす」
「フランスパンだからね…そのパンを噛みちぎれたのはあなたが初めてよ…売り物は食べないでね?」
「先に言ってください」
新人の指導が悪いよ。全く…
「気を取り直して…奥からクロワッサン、チョコクロワッサン、チョコチップクロワッサン、クリームクロワッサン、ショートクロワッサン、ロングクロワッサン、ノーマルクロワッサン、クロワッサンクロワッサン、クロワッサンx3クロワッサン、ソフトクロワッサン、ハードクロワッサン、ベリーハードクロワッサ--」
「え?クロワッサンだけでこんなに種類あるんですか!?」
……ど、どれも同じものにしか見えない。しかも値段も全部同じだっ!分ける必要があるのか!?
チョコクロワッサンやらクリームクロワッサンとやらは分かるが…ショートとロングって大きさ同じだが!?
「3ミリ長いのよ。ノーマルクロワッサンはつまりただのクロワッサンね」
俺は考えるのをやめた。
「こっちがメロンパンね…メロンパン、キングメロンパン、クイーンメロンパン」
「つまりメロンパンですね?」
「こっちが惣菜パン、ウインナーの乗ったやつ、じゃがいもの乗ったやつ、なんか乗ったやつ」
「なんスかそれ。面倒くさくなってきてない?」
「名前は適当につけていいわ」
俺がつけるんかい。
「…この黄色いのはレモンですか?レモン乗せパン?」
「たくあんよ」
わぁ斬新ですね。
「食べていいわよ?」
「いらねっス」
「沢山あるから、食べなさい?」
「いやイイっす」
「あなたなにしに来たの?」
え?在庫処理のバイトなの?
「…なんでたくあん乗せようと思ったんですか?」
「苗字が『沢庵』だからよ」
一応訊いたけど訊く程のこともなかったわ…
--さて、忙しくなってきたからバイトを雇ったという割に客の来ないパン屋のレジでボーっとしながらひたすら時間が過ぎ去るのを待つ。
何もしない時間というのは嫌に過ぎるのが遅いもので、もう10年くらいは経ったかな?ってタイミングで時計を見てもまだ3分しか経ってなかった。
ようやく1時間過ぎようかという頃には俺の精神年齢はもはやおじいちゃんだった。
「どうだい?睦月君、お客さん来たかい?」
「あぁ?スマンのぉ、最近耳が遠くてのぉ…今、なんて?」
「……どうしたんだい」
あ〜〜〜〜〜お茶でも飲みたいのぉ…客も来んし…腰も痛いし…眠たいし…
「婆さんや、昼飯はまだかのぉ?」
「今私に言ったのかい?睦月君。まだまだ婆さんなんて歳じゃないよ張り倒すよ?」
「え!?なんて!?」
「しばくぞ?」
--チリンチリン
風鈴か?あぁ…『どあべる』ってやつかのぉ…おぉぉ…きれーな音色じゃなぁぁぁ……心地よくて…眠くなってきたのぉ…
「ZZZZZZZ……」
「寝るなっ!レジが!!あたし達高校生雇ったつもりなんだけど!?」
「ふがっ!?なんだって?もっと大きい声で言っておくれ?」
「おっすっ!!オラ沢庵米之助っ!!オメェが新しいバイトかぁ、オラ、ワクワクすっぞっ!!」
うわぁびっくりしたっ!
「耳元で叫んでんじゃねーぶっ殺すぞ?」
「あんたかい米之助、お客さんかと思ったよ」
「ただいまだゾ」
……なんだ?この小学生が体だけデカくなったような男は……
金色のウニみたいな頭にチワワみたいなクリクリの目、愛嬌があって人懐こそうな顔をしているが、そのテンションと落ち着きのなさは歳不相応で、『クソガキ』って感じの印象しかない。
……沢庵と言ったな。こいつが息子さんか?
「今日からお手伝いしてくれる小比類巻睦月君よ」
おばさんが俺を紹介する。一応雇い主の息子さんだし、お行儀よくしておくか…
コンマ1秒もじっとしていない米之助がその場でクルクル回ってるのを無視して俺は完璧な礼儀作法で頭を下げた。
「小比類巻です。よろしく」
「睦月君、チンチャック開いてるわよ?」
おっとこれは失礼。俺の息子も挨拶したかったようだが、生憎俺のダイナマイトは男に用はないのでな。
「なんだオメェ、幾つだ?」
…………
「17になるようなならないような…そんな気がする」
「オラもそんくらいだぁっ!!オメェ強ぇのか?」
「人並みには……」
「オラワクワクすっぞっ!!」
なんだ…喧嘩したいのか。サイヤ人だから髪の毛黄色なんだな?それならそうと言ってくれれば良かったのに…
手合わせを申し込まれては無下にできまい。全力で応じるのが礼儀だ。
「オラ、たくあんより高菜漬けの方が好「オラァっ!!」
--ベチコーンっ!!
俺の操るカポエイラはただの踊りじゃあないぜ?
何か言ってた米之助の顔面を全力で蹴っ飛ばし挨拶を済ませる。
「米之助ーーーっ!?」
挨拶だけで終わってしまったが……
顔を蹴られ吹っ飛ばされた我が子に仰天しながら悲鳴をあげるおばさんの声だけが店の中に響いていたのだった……
*******************
--報せを受けた俺が病院に駆け込んだ時、目の前の光景にただただ絶句するしかなかった。
それだけその事実は俺にとっては信じられないの連続だったのだ……
「……佐伯クン」
「ノア…」
病室のベッドでミイラ女になって横になるノアに俺はなんて声をかけたらいいのか分からない。
なんだ…この気持ちは……
正体不明の不快感が登ってくる…どうしてだ…千夜のことでもないのにこんな気持ちになるなんて--
「ワザワザオ見舞イニ来テクレタンダネ…」
「……ああ、話し聞いたからな…詳しく教えてくれ……」
信じられない…いや、信じたくなかった…だからこそ真実を彼女の口から直接聞こうと意を決して尋ねる。
「何があった?」
包帯で梱包された隙間から覗く目元のみが、俺の問いかけに恥ずかしそうに細まった。
「……恥ズカシイカラ、アンマリ言イタクナイケド……」
「……」
「喧嘩シテ負ケチャッタ…」
「…………っ」
「……宇佐川先輩ト…」
拳が熱い…気づいたら固く握られていた両の拳。火がついたみたいに熱いのだ。火がついたのは、拳ではなく、胸の方か--
……師匠、どうして…?
そんな虚しい問いかけを今胸の中で吐き出したところで意味は無いのだ。俺がやらなければならないことは決まっていた。
「……待ってろ」
「……佐伯クン?」
ただ一言、それだけ告げて俺は彼女に背を向けた。ぽかんとするノアが小さく口にした気がした。
「……モウ帰ッチャウノ?」
その言葉に胸の中で妙な感情が跳ねるが、それに気付かないふりをしながら俺は逃げるように病院を後にした。
あれ以上居たら、ダメになる気がしたんだ--
そう……俺には…………
「達也っ!」
急に飛んでくるその声は天使の賛美歌…この世の何よりも俺に安らぎと勇気をくれるその声に心臓が跳ねた。跳ねすぎて胸筋がゴムゴムの実みたいに伸びた。
「……千夜」
振り返った先に立っていた幼馴染--いや、マイエンジェルの名前を呼ぶ。千夜は困ったような顔をしたまま俺を見つめていた。呼吸が荒い。走って追いかけてきたんだろう…
「急にどうしたの?家から飛び出して……」
「……千夜、すまない。行かないと」
「え?どこに?」
--俺の、佐伯達也の全ては君の為だけにあると言って過言ではない。俺の全ては君のものだと誓える。
でも……今回は……
今回だけは…君の為ではない。俺は、このゆらゆらとした曖昧な、それでいて確かに存在する気持ちに嘘を吐くことは出来ない。
許してくれ……そして、約束する。
俺はこの気持ちに決着をつけることを--
「……行ってくる」
「どこに?」
「待っていてくれ」
「なんで?」
「俺が……勝って帰ってくることを……」
「だから、どこに行くの?(怒)」
*******************
「--師匠っ!!」
学校の体育館は夕日に染まり眩しいオレンジと薄暗さに沈んでいた。
勢いよく扉を開け放つと、そこには俺の師匠--宇佐川結愛が待っていた。
「……」
「……お久しぶりです、師匠」
「……なんの用?竹刀なんて持って…」
相変わらず前に立つと凄まじい威圧感だ。師匠の前に立つだけで脚が震えてくる…目の前に居るだけでその力の差を実感させられるんだ。
まるで肉食獣と対峙しているかのようだ……
「……師匠、ノア・アヴリーヌを病院送りにしましたね」
「……?ノア…?ああ…あのいじめっ子…」
否定しない。避けられない衝突に震えが上がってくるのと同時に、怒りも込み上げてくる。
「何故ですか?」
「いじめっ子だから」
「……っ、あいつは…誰よりも優しいし、留学したばかりの学校で周りに馴染もうと必死でした。いじめなんかに加担するはずがない……」
「……」
「先輩の正義は理解しているつもりです。ただ、その行き過ぎた反いじめ思想が時に暴走していることをずっと危惧していました」
今度は宇佐川先輩の目元が鋭く敵意に濡れる番だ。
「……私のやっていることが間違いだと?」
「いじめを撲滅する意思は素晴らしいです。ですが、行き過ぎた暴力とあなたの独断でそれを振るうのは、どうかと思います。ノアの奴が一体誰をいじめたと言うんですか?」
「堅気」
……か、堅気?
「……意味がわかんねっス」
「暴力団だったんだよ、あいつ……」
「……いや、ちょっと意味わかんねっス」
「--分かんなくていい」
一際大きな声が返ってきた。目の前で宇佐川先輩の姿が大きくなるのが分かる。
メラメラと燃えるような闘気が肌を刺し、体が震え出す。武者震いか……?いや、そんなカッコのいいものでは無い。自分で分かる。
俺には俺より確実に強いやつが2人いる--
1人は彼岸三途…人類最強の男。
そしてこの人--宇佐川結愛だ。
「高みに至るには…あなたとの決着はいずれ訪れる運命だった……師匠の間違えた正義、俺が正します。もう、師匠だとは思わない……」
「はっ…私を倒しに来たと?その為に呼び出したの?あれ?これっていじめ?」
「違います」
「放課後呼び出されて暴力振るわれるんだからいじめだよね?」
……先輩、どうしてそんなになっちまったんだ。
あんたの正義は俺が取り戻すっ!!
「--粛清」
「っ!?」
意味のわからん理屈で暴走した正義がその凶悪な暴力を存分に振るってくる。恐ろしく速い踏み込みが一気に距離を詰めて鋭い連打が繰り出される。
竹刀を構える時間すらくれず、俺の体がミートハンマーで柔らかくされる肉の如く打ちのめされる。
「ぐはっ!?」
重く速い一撃一撃に晒され顔が上がる。無防備に晒された横っ面に岩石のような重さの一撃がかまされる。
意識が吹っ飛びそうになる…
だが……負けねぇっ!!負ける訳にはいかねぇっ!!なぜなら--
「俺はいつだって全力で生きてるからだっ!!」
「っ!?」
威嚇するように上段から振り下ろす竹刀に宇佐川先輩が退った!
その一瞬の隙に俺は同時に距離を取る。素手の先輩と竹刀の俺では間合いが違う。自分の距離に保ちそのまま踏み込みと共に突きを放った!!
「ぐはっ!?」
踏み込みながら距離を潰す突きは宇佐川先輩の意表を突いたか、もろに水月を捉えた。
冷や汗を垂らしながら痛みに苦悶の表情を浮かべ後退る先輩…逃がさない。
「あんたの信じた正義ってのは、いじめに苦しむ1人でも多くの人達を救うことだろっ!!」
振り下ろす竹刀、が腕で止められた。
突き放すような蹴りを横に避けて横薙ぎの一撃を放つ。今度は掠った。先輩は掠っただけでよろける。
「…っ!そうだっ!!かつての追い詰められた私のような子を見たくないからだっ!!お前に分かるか!?人生を投げてしまう程の絶望がっ!!」
瞬きの一瞬に吠えながら距離を詰めてくる先輩の猛打が俺に噛み付く。下から突き上げられるアッパーが体を吹っ飛ばした。
……効くぜっ!
この人に強くしてもらった…でも今なら分かる……
この人は稽古の時、俺を気遣っていた……
「…っ!今度はそれをてめぇでやっちまってんだろうがっ!!」
辛うじて意識をつなぎ止めて着地。踏み込んでくる宇佐川先輩を迎え撃つように横から竹刀を顔に叩きつける。
確かな手応え…宇佐川先輩の動きが一瞬止まる。
その隙に俺は立て続けに竹刀を振るった。
「なんでも暴力で解決しちまったらっ!!あんたもいじめっ子と同じじゃねぇかっ!!!!」
「ぐはっ!!」
「あんた、自分のトラウマから逃げてるだけだっ!!」
「--知ったような口を……」
大振りの一太刀を低姿勢で躱される。全体重を乗せた凄まじい踏み込みが体育館の床に力強く叩きつけられる。そのままの勢いで斜め下から強烈な一打が俺の腹を抉るっ!!
「きくなぁっ!!!!!!」
「--っ!!!!!?」
衝撃が背中を突き抜ける。“防ぎきって”このダメージ……
俺は宇佐川先輩の拳を左手で止めていた。視線、体の角度、攻撃パターン……
腹に来るのは分かっていたっ!!それでも威力を殺しきれなかったのは、流石だ。
「向き合ってくれ…本気でいじめを許せないなら…ただ力でねじ伏せたって、それにはなんの意味もねーんだ…」
「……っ」
「いじめられっ子だったあんただって…暴力で救われた訳じゃねぇはずだろ?暴力なんてホントは嫌いなんじゃないのか?」
「……っ、私は--」
「あんたには俺は倒せねぇ……」
なぜなら--
俺は竹刀を放り、拳を全力で固めた。俺の想いを握り込み全力を乗せた拳だ。
それを思いっきり、宇佐川先輩の横っ面に叩き込むっ!!
「今のあんたには芯がねぇからだっ!!!!」
--ドゴォッ!!!!
「--うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
*******************
「……っ」
「……目が覚めたッスか?」
宇佐川先輩が目を開いたのはそれから数十分後だ。本気でぶん殴った。数時間は眠ったままかと思ったが…
「……負けたのか。私は……」
「ええ、俺はいじめっ子じゃねぇんでね…」
俺の精一杯の皮肉に仰向けに転がったままの先輩は静かに目を閉じた……
「……ある人に出会って、戦う勇気を教わって、いじめっ子と戦うことにした。そしたら段々周りが変わってきた…それ自体、その決断と行動自体に後悔はない…けど、段々強くなる自分に私は……自分で悦に浸ってたんだろうね……」
「……」
分かってるよ先輩……あんたの根底にあるのは、いじめられる子を見たくないって真っ直ぐな気持ちなのは……
だから、これ以上の言葉は不要だと思った。俺は「もういいっス」とだけ言って先輩の言葉を遮った。
「……ノアにはちゃんと謝るよ。負けたしね……強くなったな達也……」
その言葉は素直には受け取れねぇ……
「……勝ったなんて思ってないです…攻撃はキツかったけど、動きは俺に稽古つけてくれてた時の方が速かった……ノアと喧嘩してダメージ引きづってたんじゃないですか?」
「……ちっ、それも見越して挑んできたの?嫌な弟子だね……」
宇佐川先輩の皮肉に俺は笑った。
振り返った宇佐川先輩も、今まで見たことないような柔らかくて、可愛いらしい笑顔で笑っていた。憑き物が取れたような、張り詰めたものが解れた気持ちのいい笑顔だった。
すっかり眩しい朱色に染まった夕空を眺めて俺達はいつまでも笑い続けた--
「--こらぁお前らっ!!とっくに下校時間は過ぎとるぞっ!!何しとるかぁっ!!」




