その鶏、どうするんだい?
--葛城莉子の一日は長い……
……いや、嘘。他の人と変わらない。私は皆と同じ時の流れを生きている。
私が養護教諭として務める学校はとても変わった生徒ばかりで面白いんだが、それ故に保健室も大変忙しい。
今日も頭に鉛筆が刺さった生徒から鉛筆を摘出し、別れ話が拗れた結果彼女から頭髪を毟られた男子生徒に植毛し、ぼったらぽんちゃいの処置を行い……
慌ただしい午前中を終えてようやく昼休み。保健室を閉めて私も昼食を摂ることにする。
何時でも生徒が駆け込める保健室をモットーにしている私は基本的に昼休憩でも保健室を離れることは稀だが、今日は何故か保健室に置いていた弁当を誰かが食べてしまっていたので外に食糧を求めて足を運ぶ羽目になった。
そして--
「……え?」
--店長が便秘なのでしばらく休みます
学校からほど近いコンビニがまさかの休み。コンビニが休みってどういうことだい?
大体昼食を取られた時はここに来ていたんだけど、悪いことは続くものだ……
「……仕方ない。反対のコンビニに行くか……」
「誰が西条大河やっ!!俺は元々義経より弁慶が好きやったんやっ!!」
「いや知らないです。言ってないです」
見ず知らずの通行人から絡まれながら学校の反対側のコンビニを目指す。弁慶派ならまぁ西条大河ではないね…
最近学校だけじゃなくてこの街そのものがおかしいのでは?と思い始めている…
学校の反対側には企業ビルの立ち並ぶ小さなオフィス街がある。ので、駅に向かう方向よりこっちの方が色々あったりする。
フラフラと空腹に悶えながら頼りない足取りで記憶の中にあるコンビニを目指す道中、気になる張り紙が目に入った。
--親子丼、1時間以内に完食出来たらタダ!!
「……へぇ」
よく聞く定食屋早食い企画か…よく聞くけどやってるところは初めて見た。
それに大体15分とか30分とかだろうに、制限時間が1時間もある。
……どれだけデカいんだ?
表に貼り出された文字だけのメニューに目を通す。親子丼は500円だ。
……食べきれなくても500円なら安いし、いくらデカかろうが1時間あれば食べきるだろ、流石に……
興味本意で私はその店の扉を開けていた。
「無理よっ!!」
「っ!」
丁度私が入店するタイミングで女性客が涙を流しながら外に駆け出していく。私と肩をぶつけながらも彼女は悲痛な面持ちで店を後にした。
「こんなの…食べれるわけないじゃないっ!!」
…………そんなにでかいのか?泣くほど?
「いらっしゃいませ!」
ぽかんとしている私に元気の男の店員が声をかけてくる。
店はよくある定食屋って感じで、厨房には老齢のおじいちゃんとおばあちゃんが居た。夫婦でやっているのかもしれない。
昼時なのに客はいなくて、ガラガラの店内のテーブルに案内された私は店員からメニュー表を受け取る。
が、私の注文は決まっていた。
「親子丼、ひとつ」
「っ!」「……」「……ふん」
……なんか意味深なリアクションが帰ってきた。この店はあれだ。絶対食べきれないという自信を持っている店だ。
「親子丼ひとつ。早食いチャレンジですか?」
「……ええ」
「1時間以内に完食できない場合は親子丼代500円頂戴致します」
「ええ」
「では…親子丼チャレンジひとつ入りまーすっ!!」
……随分な気合いだな。客が泣いて逃げ出す親子丼…味がくそ不味いとかだったらどうしよ--
「お待ちどうっ!!」
「早っ!?」
1分も経ってないですけど!?
元気よくテーブルにドンッと置かれた丼。そのサイズは常識の範疇だった。丼からこんもりはみ出すとかもなく……
てか、具もなく。
ただの白飯……
と、一緒に出てきた包丁……
どゆこと?
「……親子丼では?」
「まず先に白米と包丁ですね。親子は少々お待ちください」
……飯と上の具が別々で来るのか。へぇ…
ご飯は普通盛りだ。こんなのどんなに頑張っても30分かからない…
あと、この包丁なに?
ホカホカと湯気の立つ白飯をじっと眺めて待つこと数分……
なんだか店内が騒がしくなってきた。
別に客が入ってきた…とかそういうことではなく。
「コケーーッ!!コケーーッ!!」
厨房から活きのいい鶏の鳴き声が絶え間なく響いてくる。まさか今から殺して作るのか?
なんだか変わった店だなとか、騒がしいから加工済みの肉を用意しておいてくれよとか色々思ってたら--
「お待たせ「コケーーッッ!!!!」致しましたっ!!「ケーーーッコッコッコッ!!」」
楽勝だろ早食いとか、と構えてた私の予想は斜め上から打ち砕かれることになる。そして、もう2度とこの店には来ないと一瞬で亡きおばあちゃんに誓った。
定食屋のテーブルに出てくるはずのない大きな衣装ケースがドンッと置かれた。
耳をつんざく鳴き声は一層大きくなり…てかむしろ目の前から聞こえてきて私は嫌な予感と共にケースの中を覗く。
「コケーーッ!!」
目のあった私と元気な鶏。鶏が威嚇するようにバタバタと翼を広げて首を突き出してくる。店内に鶏の羽毛が飛び散る。
鶏の粉雪が舞い散る店内で呆然とする私の目の前に提供された『親子丼』--白飯と包丁、そして生きた鶏と卵……
親子丼の材料が、ものすごい活きでそこにあった……
「制限時間は今から1時間です」
「ちょっと「コケーーッ!!」待っ「ケケケケッ!!」て」
「よーい…」
「い「コココココッコケーッ!!」や待って」
「スター……」
「待て」
無慈悲にストップウォッチの開始ボタンを押そうとする店員からストップウォッチをひったくっる。このカオスが極まる状況を前にどうして平然としていられようか。
「説明」
「…?1時間以内に完食して頂きます」
「何を?」
「親子丼を」
「食べるべき親子丼は?」
「こちらです」
「コケーーーーーーッ!!」
鶏じゃねぇか。
「なに言ってんスか?」みたいな顔でぽかんとする店員に平手を飛ばしたくなるのを堪えて、親子丼になる前に連れてこられた親子を指さし猛抗議する。
「どうやって食べるの?これ。」
「……鶏をシメて頂いて--」
「そこからっ!?」
お客さんに作らせるタイプの定食屋ですか?斬新ですね?
しかもテーブルに持ってきた瞬間からカウント始めようとした。作るところも完食までの時間に入っていると言うのか……
「……親子丼を頼んで生きた鶏と卵が出てくるのはどうかと思うよ?どうして客が親子丼自分で作らなきゃいけないんだい?」
「--お客さん」
若い店員に食ってかかる私に向かって、厨房の向こうから威圧感のある声が重く投げかけられる。
厨房で腕組みした老人の店主(多分)が貫禄のある立ち姿で私を見つめている。厳しい眼差しだが、厳しい眼差しを向けるべきは本来こちらではないだろうか?
「お客さんなら、店がなんでもしてやらなきゃならないのかい?」
「……は?」
「あんたらいっつもそうだ。あんたらは皿に盛られた飯を食うだけ……その飯が作られるまでにどれだけ残酷な事が起きてるかも想像しねーで…目の前の尊い命を当たり前のように食ってる。しかも、嫌いなら残す。腹いっぱいなら残す……」
「……嘆かわしいことですね」
「俺らの口に入る全ての食いもんはみんな尊い命で、それを殺して、調理してくれる人達の苦労を知らなきゃ飯を食う資格なんてねぇ」
だから自分で殺せと?
「……お嬢さん。仕事は?」
「……学校で働いてます」
「先生か……なら分かるはずだ。今時の若もんがどんだけ食いもんを粗末にしてるか…食いもんと、それを用意してくれる人達への有り難さをどれだけ理解してないか……」
「私は理解してるのでこれ親子丼にして提供してくれませんか?」
「あんたにほんとに親子丼を食う覚悟があんなら、当たり前に行われてるこの現実と向き合いな。命を奪う覚悟のねーやつに、うちは飯を食わせる義理はねぇ」
……何この店面白。
面白いけど2度と来ないわ。
「どうしたぃ?食えねぇのか?臆病者が、てめー一生鶏食うんじゃねぇよ」
なんでそこまで壮絶な覚悟しなきゃならないんだ?親子丼食べに来ただけなんだけど…
とはいえ彼の言うことが正論であるのも事実だろう。
私達が残酷な光景に触れることなく綺麗に処理された食材を目にすることが出来るのはそれをやってくれている人達が居るからだ。
そして私達の腹が膨れるのは勿論、その腹に入ってくれる命があるからだ。
……なるほど。
軽い気持ちで昼食を食べに来てなぜこんなことになっているのかは心底疑問だけど、これもひとつの勉強かもしれない…
私は包丁を手に取った。
「……許せ」
「コケーーッ!!コココココッコココココッ!!」
鈍色の切っ先を向ける捕食者を前に鶏が卵を守るように覆いかぶさり、必死の抵抗を見せる。ほんの少しでも包丁を近づけようものなら、容赦なく私の手の甲にその嘴を突き立てようとしてくる。
しかし、このままちんたらしていたら昼休憩が終わる。私は腹が減った。
私は覚悟を決めて包丁を--
「……親から子供を奪うなんて許される事じゃないね…お父さん……」
勢いよく振り下ろしかけた包丁がピタリと止まる。
厨房から飛んできた声に思わず手が止まってしまった…
厨房を見ると新聞に目を落としたおばあちゃんがおじいちゃんに向かって切なそうな顔で語りかけている。
「痛ましいことだよほんとに…人に出来ることじゃないよ…」「ああ…子供は親の宝だ……」
……
「コケーッ!!!!」
……………………
ホントに親子なのか?この鶏と卵は…
包丁を一旦下ろして卵に手を伸ばそうと--
「父さん、母さん、僕は2人が死ぬまで親孝行するからね?」
「あらあら……」「やっぱり、子供は宝だな。母さん……」
………………
親子だったのか……
「そういえば母さん、お隣の村田さん、無事お子さん産まれたんだって?」
「そうそう、めでたいわねぇ…子供が産まれ瞬間は、親にとって最高の時だからねぇ。村田さんも、嬉しいだろうねぇ…」「どんな生き物だって、そうさ。自分の子供が元気に産まれてくるってことはな、どんな生きものにとっても幸せなことなんだ」
………………
……まさか、この卵有精卵ではあるまいな?
「そういえばお父さん、近所の小学校のウサギ小屋に不良が忍び込んで、ウサギを殺したって……」「本当かい母さんっ!?」
「けしからんっ!!」
--ドンッ!!
うわぁびっくりした。いきなり壁叩かないでくださいよお父さん。
「生きものを殺すなんて……人間の所業じゃねぇっ!!」「外道ね」「ホントだよね、どんな理由があったら殺生が許されると言うんだいっ!!僕、怒りが抑えられないよっ!!」
…………
「僕、そんな奴見つけたら刺し殺してしまいそうだよっ!!」
……………………
「おう、やったれ。」「そんな奴、許しちゃいけないよ?どんな命だって、尊いんだからね」
…………………………え?食わせる気ある?
「……まぁ、生きることは食べること…食べる為の殺生なら仕方ないなー」
なんだか視線を感じるけど気づかないフリをしてわざとらしく棒読みで口に出しながら改めて包丁を握る。
この親子の会話にいちいち反応してたら殺せないじゃないか。
私は親子丼を食べる--生きる為にっ!
「思い出したっ!その殺されたウサギ、親子だったんだよっ!!」
………………………………
「目の前で子供のウサギを殺したんだよ?酷い奴だね」
…………………………………………
「……か、可哀想だから親の方から--」
「もう1組のウサギの親子は子供の目の前で親を殺したらしいわ」「なんて奴だっ!!」「子供だけ残して親を殺すなんて……ねぇっ!!許せないよ父さん母さん!!僕は気が狂いそうだっ!!」
…………………………………………
「……まぁ、順番どっちからでもどの道どっちも仲良くあの世--」
「それで結局親も子も殺してるんだろ?父さん!!僕は今から包丁持って動物殺そうとしてる奴を探しに行くよ!!1匹でも多くの命を守らないとっ!!」
…………………………………………
「おう、そんな奴、1人残らず地獄に叩き込んでやれ」「刺す時は、太い血管を狙うんだよ。内ももとか、脇の下とか、首とかね」「分かってるよ、母さん」
……なんか、視線と包丁を素振りする音が聞こえる。
「僕の包丁捌きは天下一品だからねっ!!人間なんて軽く卸してやるよっ!!」「手足を切って抵抗できないようにして、じわじわ苦しめてやれ」「そういう輩は案外近くに居るものよ…気をつけて見逃さないようによく見るんだよ」「分かってるよ母さん…あー、早く残酷な人間を刺したいなーっ、どっかに居ないかなー」
…………………………………………
亡きおばあちゃんに、雲の上の神様に誓います。
もう2度来ません。
「コケーーッ!!」
「--おや、葛城先生おかえりなさい。今日は珍しく外食ですか?」
「……あぁ、斎藤先生…はい」
「いつも保健室から出ないのに、珍しいですね」
「ちょっとね…たまには……」
「なにを食べて来たんですか?」
「いや……何も食べてないんですよ」
「……え?食べてきたんじゃないんですか?」
「ええ……私、今日からヴィーガンなので…」




