いじめられてると思ったらいじめ
いじめっ子(極道)の事務所に粛清に向かった私の前に立ち塞がったのは、同じ学校の後輩、ノア・アヴリーヌ。
こいつのことは知ってる。うちの学校のワル共が一目置いている1年生だ。
一体どういう経緯でヤクザとなんかとつるんでるかは知らないけど、つまりこいつもいじめっ子ってことになる。
まさか後輩をこんな形で粛清しなきゃならなくなるとは……
涙を呑んで拳を握る。こいつは、生かしてはおけない……
正義の執行者宇佐川結愛--粛清を開始する。
「弱イモノイジメハ、ソコマデデスッ!!」
「黙れ死ね」
声高にズレた正義感を振りかざすフランス人に一気に距離を詰める。固めた拳を顔面に真っ直ぐ突き出すが、皮1枚でそれを躱していく。
……っ速い。
ノアが避けた先にいたヤクザの顔面がトマトみたいに潰れた。
ノアはステップを踏むように軽やかな身のこなしで私から離れる。
「イキナリ何スルンデスカッ!?」
「……は?いじめっ子に情けなんてかけない。死ね」
「チョット待ッ--」
待たない。粛清。
振り回す拳が尽く空を切る。ハエみたいにちょこまかと逃げ回るノア。こいつ…素人ではない。
「……惜しいね、これだけの力を持っていながら…どうしていじめっ子なんかに……」
「イヤ、イジメッ子ジャナイデス」
「じゃあなんでいじめっ子なんかと一緒にいる?」
「ア、私ココデバイトシテテ……」
バイト?
ヤクザにバイトなんてあるの?
「トッテモ時給ガイインデス。仕事モココニ居ルダケダシ…『ヨージンボー』ッテ言ウバイトラシイデス」
……それ、バイトか?
まぁいいや。つまり金もらっていじめっ子の手伝いしてるんだろ?じゃあいじめっ子だ。
「宇佐川先輩デスヨネ?ドウシテコンナコトヲ……」
「お前らがいじめるからだ」
「イジメル…?ナニカアッタンデスカ?私デ良ケレバ話ヲ--」
「死ね」
脚を刈り取る蹴りもあっさり躱された。ジムで鍛えた私の攻撃をここまでコケにした奴は始めてだ。屈辱すら覚える。
戦う気がないのか逃げ回ってばかりのノアは「落チ着イテクダサイ」と宥めてくる。
関係ない。殺す。
「コレ以上暴レラレルト先輩ヲ倒サナイトイケナクナリマスッ!!『ヨージンボー』ノ仕事ハ事務所ヲ守ル事ナンデスッ!!」
「だろうね。死ね」
逃げきれないように、捌ききれないくらいの連打を叩き込む。
残像が出る程のスピードで打ち出す私の連撃…銀行の金庫すら5秒でぶち壊した私の連打。
がっ!!
「モウッ!!」
--パパパパパパッ
繰り出す一打一打を軽く流していく。
馬鹿な…私の攻撃を全て見切っているというのか!?
仰天して隙のできた私の耳に地面を砕くくらいの強烈な踏み込みの音がねじ込まれる。アスファルトが波打つレベルの力強い踏み込みと共にノアがいつの間にか私の懐に滑り込んでいた。
速っ--
体を丸めて密着してくるノアのこめかみにフックを打ち出す。
けれど、それが届くより先に腹部で爆発する衝撃が私の勢いと呼吸を寸断した。
超近距離からの突きだ。私の体が後方に吹っ飛ぶ。
「がはっ!?」
ば、馬鹿な…こいつっ!!強いっ!?
「……今、後ロニ飛ビマシタネ。手応エガ軽カッタ…」
「このガキ……いじめっ子のくせに……」
こいつ……こんなに強いのか。胃から血が上がってきた。
赤い唾を吐き出して改めて構える。体はまだ動くぞ……
「モウヤメテクダサイ」
「吐かせ…」
ダッシュで一気に距離を詰める。今度は私が懐に飛び込んだ。
お返しに腹を潰してやろうと拳を突き出したけど、それも当たる前に軽く弾かれた。
「ハァッ!!」
「ぬぅっ!?」
頬を掠めていく蹴り。私を振り払うような蹴りは円を描いてかまいたちのような恐るべき切れ味を見せつける。
避けた体勢の無防備な私に向かって飛び込んできたノアの細かい連撃がお腹を叩く。一発一発が背骨まで突き抜けるような衝撃だ。
「ぬぅあっ!!」
負けるか!!いじめっ子は殺すっ!!
「速イシ強力デス…デスガ動ガバレバレデス。素人ノ攻撃ハ、八極拳ヲ極メタ私ニハ当タラナイ」
連打も蹴りも尽く躱していきながら合間合間に的確な一撃を入れてくる。
一撃事に視界がブレる。意識が明滅する。
「帰ッテクダサイ。コレ以上ハ無意味デスッ!!」
一際力強い踏み込みから真っ直ぐ放たれる猛打。足が地面から浮かび上がる程の一撃に口から盛大な血反吐を撒き散らす。
私の攻撃は全く当たらない……スピードや身のこなしはあいつが上だ……
ただ…もう何発も食らってるけど、立ってられる。余力もまだ……ある。
ジムで自転車漕いだおかげだ。
ノアの勝利を確信して色めき立つヤクザ共…ノアもこの一撃での勝利を信じて疑わない。
「--ぬぅぅあっ!!」
「ッ!!」
その虚を突くように襲いかかる私。
振り払うような大振りの隙間を縫ってノアが私の腹に入ってくる。
--どうせ当たらない。
私はこいつに触れられない。ただ、向こうから触れてくる時は別だっ!!
さっきと同じ衝撃が腹を打つ。内蔵が悲鳴を上げて潰されたのが解る。
奥歯を噛み締めて遠のく意識を繋ぎ止め、最短距離を走る私の手がノアの腕を掴んだ。
「ナッ!?」
「つーかまえた♡」
馬鹿め……ワンパターンなんだよ…
大振りはわざと懐を取らせる為…どれだけちょこまかしようがぶん殴ってくる時だけは止まる。
腹を打ってくるのは予想出来た。お前、近間が好きだもんな?
血に染まった歯を剥いてニヤリと笑う。吹きこぼれた笑みにノアが戦慄する。
絶っ対逃がさない。
腕をへし折る勢いで掴んだまま大きく拳を振り上げた。
「粛清っ!!!!」
「待ッ--ギャッ!!!!」
全力で振り抜く。顔面を弾いたパンチがノアの体を私の手からすっ飛ばした。
殺す勢いで放った全力パンチ。首根っこ引っこ抜かれたノアは受け身も取れずに地面をバウンドした。
仰向けに倒れたノアはピクリとも動かない。
トドメを刺す。いじめっ子は許さない。
「ひゃぁぁぁっ!!!!」
勝利の雄叫びと共に飛び上がり上から全体重を乗せたパンチをお見舞いした。
顔面パンチ2発目。
激しく打ち付けられたノアの後頭部がアスファルトを割り、血飛沫をあげる。
--勝ったっ!
確実な勝利に歓喜する私の背筋が直後凍った。
それは叩きつけた拳をの隙間からギロリと光を失っていない瞳が覗いていたから--
「こいつ…っ!」
反射的に拳を振り上げてもう一発打ち下ろそうとした。その時には目の前にノアの白い拳が顔面に迫っていたっ。
やば--
来る衝撃に構えようとした。でも、その来る衝撃は一向に訪れず、拳は私の眼前でピタリと止まってた。
拳を退けたらそこでノアは気を失ってた。
「……勝った?」
今だ背中を伝う冷や汗が全身を冷やす。まだ信じられずノアを見下ろしてたけど、完全に気を失ってる。
この状況でも勝利を確信できない…それぐらいの気迫がさっきの目にはあった。
……いや、私の勝ちだ。
「……さて」
障害は消えた。
私の眼光はもうすっかり怯えきったヤクザ共の生き残りに向かう。
もはや声も出せず立ってもられず、おしっこジョンジョロリンなヤクザ共。
「……粛清……いじめっ子は…粛清……」
「あっ……ああ、あああ…」
フラフラした足取りでいじめっ子の粛清に一歩、また一歩と間合いを詰める。
そんな私の邪魔をしたのはチャリに乗って滑り込んできた有吉だった。
「結愛っ!!ケーサツ!!誰かがケーサツ呼んだっ!!」
「……あ?」
「ヤクザと喧嘩して補導されたらシャレにならな--え?なにこれ。てか結愛、怪我ひど--」
現場の壮絶な戦いの跡に絶句する間抜けから自転車をひったくって、有吉を後ろに乗せて全力でチャリを漕ぐ。
「てめぇら面覚えたぞ…必ず殺す」
そんな捨て台詞と共に赤色灯とサイレンで威嚇しながら近寄ってくる警察から逃げるように、マッハで自転車を発進させた--
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「ふふーん♪ふふふーん♪」
今日はご機嫌。
何故かって?私の大好きなケーキ屋さんで限定のケーキを手に入れられたから。
いつも秒で売り切れるのに買えたのも、この速水の瞬足あってのこと…
因みにそのケーキ屋さんは香菜や長篠、田畑と仲良くなったあのケーキ屋さん。
「そうだ…次は3人の分も買って--」
--チリリンッ!!
「ぐげっ!!」
何が起こった?
自転車のベルが鳴ったかと思ったら私の背中に何かがぶつかった。気づいたら私は地面に倒れてた。
……?この感触は?
恐る恐る体を起こしたら、私の脚の下で無残にお亡くなりになっているケーキ……
……ケーキ。
「--誰だァァっ!!」
--ファンファンファンッ!!
『前の自転車止まりなさいっ!!』
サイレンと共に追いかけてくるパトカー。中の警官が何か言ってる。
さっきの自転車追ってるのか?
「こらぁぁぁぁっ!!」
そんなパトカーを追い越して行く私。
怒り心頭で猛然と駆ける私はすぐに前方を走るママチャリを補足する。
隣の車道の車を追い抜いていく恐るべきスピードのママチャリ…2人乗ってる。
2人乗りで人にぶつかって人のケーキを潰すなんざ許さんっ!!
私の瞬足はチーターをも凌駕する。私より速く走る生物は地球上には存在しない。多分。
明らかにスピード違反の自転車に追いつく為に速度を上げる。
加速するごとに体を打つ風。私が一陣の風になったように感じる。疾走する私と自転車の距離は確実に縮まっている。
「っ!?結愛!?結愛っ!!なんか追ってきてる!!ダッシュで追ってきてるっ!!」
「ダッシュ?」
後ろに乗ってる女の声に自転車を漕いでる女が振り返って私達の目が合った。
--あの女はっ!?
あいつはっ!!宇佐川っ!?
ジムで私にトレッドミル対決を無謀にも挑んできたあの宇佐川!?
あの三つ編み、あのたった今人殺してきましたみたいな凶悪な目付き…間違いないっ!!
あの時の決着を付ける為にわざとぶつかってきた……?間違いない。
それにしても……前回の勝負で足じゃ勝てないと悟ったのか、自転車を持ち出すとは……
--そういうことなら。
「買ってやるよォッ!!!!」
「うわぁぁぁっ!!結愛!!結愛ぁっ!!ものすごい形相で追いかけてきてるぅっ!!お、追いつかれるぅっ!?」
「……あいつは…速水?」
疾走する自転車の上で宇佐川がこっちにガン飛ばしてる。挑発か?チャリなら負けないと?
「この私に喧嘩売ったこと後悔させてやるっ!!私と勝負したいならトゥアタラでも持ってこいっ!!」
一気に距離を詰めて並走。完全に追いついた。隣でチャリを漕ぐ宇佐川と目が合った。
「終わりだよっ!!これで世界最速がこの速水だと証明されたっ!!」
「いやウザイ。ふざけんな。何いきなり絡んで来てんだよどっか行け」
「ざまぁみろっ!!この負け犬がっ!!ばーかばーかっ!!」
「……ばか?」
煽り散らしてやったら宇佐川のこめかみがピクリと引つる。ようやく理解したか。自分が完膚無きまでに叩き潰される事実をっ!!
「馬鹿って言ったね?いじめだ」
「は?」
「お前いじめっ子か?」
「結愛!?なんかなんでもいじめって因縁つけてない!?そんなことよりパトカーが近づいてるよ!?」
悔しさで頭おかしくなったか?
途端に宇佐川の脚の回転が早くなる。それに伴って自転車がさらに加速していく。高速回転するタイヤがアスファルトを削り火花を散らし出す。
こいつ……っ!
「いじめっ子には負けないぞ?吠え面かかせてやる」
あっという間に私を抜き去って前に行く自転車。突然の加速に呆気に取られる間にぐんぐん距離が離されていく。
「……っ!このぉっ!!」
負けるかっ!!
この速水相手に手加減していたと?加速が物語るその事実に頭に血が上る。つま先が地面を蹴り私もさらに加速する--
いや、しない。
むしろ速度が落ちている。この私がだと?
「ばっ…馬鹿な……スピードが出ない…スタミナがっ!?」
ま…負けるのか?この速水が?あんなママチャリに!?
プライドがガラガラと崩れていく…私はまた負けるの?
否っ!!
限界を迎える脚を強靭なプライドと、あの体育祭の屈辱の記憶が叱咤する。筋肉が引きちぎれる痛みを無視して爆発的な加速力で前に出た。
かつてない感覚--周りの景色がどんどん置き去りにされ、ただ1点目の前の自転車のみを見据えてた。
「っ!?」
振り返った宇佐川が距離を詰める私の姿に驚愕する。しかし、限界のスピードを出しているママチャリはこれ以上加速しない。
その宇佐川の背中がぐんぐん迫る。
かつてない走りはとうとう宇佐川の背中を捉えた。手を伸ばせば届く距離--
「勝った……勝ったぞ宇佐川ぁぁっ!!」
「……っ!いじめっ子に……負けるかぁぁぁっ!!!!」
なにぃっ!?徐々にだがスピードが増している!?
引き剥がそうとするママチャリに食らいつく。絶対に逃がさないっ!!
互いのプライド--全身全霊をかけた勝負。この戦いにだけは負ける訳にはいかないっ!
風を受ける体が溶けていく感覚…走ること以外の全てが意識の外へ消えていく。水中の中に居るみたいな感覚……
過去一の集中力。私という全存在はこの瞬間の為に--
…………あぁ。
私やっぱり走るのが好きだ。
この戦いに勝ったら…またあのケーキを買いに行こう……今度は、香菜達と一緒に…
「結愛っ!?結愛っ!!前ーーーーっ!!」
最高の感覚が悲鳴を置き去りにする。ついに抜き去った宇佐川が一気に視界の外に消えていく。
勝ったっ!!私は--
脳汁が撒き散らされ最高にハイな気分。今この世界には私のみが--
「あっ」
勝利した私の意識に世界が戻ってくる。私の目の前には……
壁があった。
「止まれなっ--っ!!」
--ドグシャァァァァッ!!!!
「きゃーーーっ!!」「おいっ!誰かが猛スピードで壁に突っ込んだぞっ!!」「きゅっ…救急車っ!!」




