花に例える
「碧真。退院おめでとう」
九月下旬、邪神に関わる仕事で負った傷がようやく癒えて碧真が退院する日。
丈は車で碧真を迎えに来ていた。
手続きを終えて病院を出た二人は、丈の車に乗り込む。
碧真は疲れを感じたのか、助手席のシートを倒してグッタリとした様子で目を閉じる。入院生活は三週間程ではあったが、医者や看護師など、人と頻繁に顔を合わせなければならない日々は、碧真にとって苦痛だったのだろう。
「退院祝いは何がいい?」
「別にいりませんよ」
即座に断る碧真に、丈は苦笑する。
「やはり、花束でも買ってくれば良かったな」
病院に向かう際に見かけた花屋を思い出して丈が言うと、碧真は顔を顰めながら目を開けた。
「花束? 丈さん、何を考えてるんですか? どう考えてもいらないでしょう?」
「植物には人の心や体を癒す効果があると言うからな。退院したばかりのお前には丁度良いだろう。それに、小さい頃は花を見て”綺麗だ”と笑っていただろう?」
「知りません。綺麗だと思う物なんて無いですから」
碧真は丈から顔を背けて目を閉じる。碧真が心を閉ざしたのを察して、丈は眉を下げた。
丈が知る過去の碧真は、積極的に人と関わり、友人も多くいた。好奇心旺盛な子供だったので子守りは大変だったが、色々な物にキラキラと目を輝かせる碧真を見るのが丈は好きだった。
寒い冬の日。健気に咲く花の上に降り積もった雪を、そっと手で払ってあげるような優しい子だった。
一族の人間によって、心と体に傷を負わされるまでは。
今の碧真は、自分を守る為に人に対して攻撃的に接する。何を見ても興味を持たず、”綺麗だ”と笑う事もない。心を閉ざして人や世界を拒絶する道を選ぶ碧真を、丈はもどかしく、そして寂しく思っていた。
丈の頭の中に、日和の姿が思い浮かぶ。
鬼降魔雪光に攫われていた碧真を助け出した日和。怪我をしていたとはいえ、碧真が自ら人に触れ、寄り掛かる事が出来た存在。
「赤間さんに、見舞いの時のお礼をするんだぞ」
碧真の入院時の手土産に、日和は自分が好きなお菓子を贈った。丈が後日見舞いに訪れた際には紙袋の中身が無くなっていたので、碧真は全て食べたようだ。
お返しについて考えていなかったのか、碧真は眉を寄せる。
「何を返せと?」
「それこそ、花束を贈るのはどうだろう?」
丈の提案を、碧真は鼻で笑う。
「あのバカは花より団子でしょ? 色気の欠片もなく、食い意地だけで出来ている単細胞ですから」
「失礼すぎるだろう。それに、赤間さんも花は好きだと思うが?」
鬼降魔の本家に咲く花達を、日和は嬉しそうに眺めていた。花を見てニコニコ笑っている日和の姿を碧真も見て知っていたのか、顔を顰めて黙り込む。
「これからも一緒にいるのだから、赤間さんの事を大事にしないとな」
「……仕事で関わるだけですから、大事にする必要なんてないです」
あっさりと切り捨てられて、丈は苦笑する。
「俺の嫁が言うには、”女性は花と同じで、大事にしてもらえないとすぐにダメになる繊細な生き物”らしい。出来る限りでいいから、大切にな」
「日和に繊細なんて言葉は似合いませんね。ダメになると言っても、元からダメ人間ですし」
「赤間さんは、いつも一生懸命で良い子だと俺は思うが」
「良い子というより、考え無さすぎのアホなだけだと思いますけど? というか、花なんて贈らなくても、あいつの頭の中は年中花畑みたいなもんだから不要でしょうね」
「碧真。流石に貶しすぎだ」
碧真は複雑そうな顔でそっぽを向いた。
「大体、俺は花なんて殆ど知りませんから。そんな事を言われても分かりませんよ」
そもそも贈り物をするという考えがなかった碧真からしたら、日和に花を贈る事は難易度が高く感じたのだろう。丈は日和に似合う花について考える。嫁が言っていた”女性は花”という言葉と共に、丈の頭の中にイメージが浮かんだ。
「赤間さんを花に例えるなら、菜の花だな」
明るくて元気で親しみやすい人柄の日和は、春の暖かさを感じさせる菜の花がぴったりのイメージだ。
(まあ、菜の花は花屋には売っていないだろうな。どちらかというと、スーパーの食材コーナーに置かれているか……。そもそも、季節外れだから買えはしないか)
「は? あいつが菜の花? 似合いません」
碧真が呆れた顔で否定する。反応が返ってくるとは思っていなかった丈は驚いた。
「花に例えるなら、日和は山茶花。他の花みたいに暖かい時期に咲けばいいのに、わざわざ冬に咲くところとか、バカな日和にぴったりです。それに、生命力強いところも似ていますし。一回咲いたら終わる花なんて似合いませんよ」
碧真が何気なく口にした言葉に、丈は目を見開く。
『見てよ。丈兄ちゃん。綺麗だね。寒い中咲くなんて凄いね』
花の上に積もった雪を手で払った後、山茶花を見て笑顔を浮かべていた碧真。
碧真自身は覚えていないだろうが、幼い頃に”綺麗だ”と言った山茶花に日和を例えた事に、丈は希望を感じた。
”碧真がもう一度、誰かと一緒に幸せに笑い合える未来があるのではないか”、と。
「この話はやめませんか? 日和なんかの為に、これ以上考えるのは面倒臭いです」
丈の想いを知らず、碧真は眠たそうに目を閉じた。
***
「丈さん。おかえりなさい」
家に帰った旦那を篠は玄関で出迎える。じっと見つめてくる丈を不思議に思い、篠は首を傾げた。
「どうしたのですか?」
「篠を花に例えるなら、桔梗だろうと思ってな」
篠はキョトンとした後、幸せの笑みを浮かべた。
「まあ、嬉しいです。丈さん、桔梗の花言葉をご存知ですか?」
「いや、知らないが……」
「『永遠の愛』、『変わらぬ愛』、です。花言葉の意味を知らなくても、私に桔梗を重ねるなんて……。丈さん、やはり私達は永遠の愛で結ばれた存在です!」
篠は気持ちが溢れるままに丈をギュッと抱きしめた。
満足するまで抱擁した後、上機嫌の篠は丈と手を繋いでリビングへ向かう。
ソファに二人で並んで腰掛けて、ゆったりとお茶を飲んで過ごしていると、丈が思い出したように口を開いた。
「篠。山茶花の花言葉を知っているか?」
「はい。恋に関する花言葉なら知っていますよ。でも、どうしたのですか?」
丈は碧真と日和の事を話す。話を聞いていた篠が眉を寄せたのを見て、丈が首を傾げた。
「どうした?」
「……山茶花の花言葉は、花の色によって意味が変わるのです。赤と桃色は良い意味なのですが、白だった場合は少し悲しい意味になりますから」
篠は碧真と何度か会った事があるくらいで深い関わりはないが、鬼降魔でどう扱われてきたのかを知っている。篠の中にある碧真のイメージ的には、悲しい白の山茶花の花言葉がよく似合った。
「白い山茶花の花言葉は、『あなたは私の愛を退ける』です」
一般人の日和とは会った事が無いので分からないが、碧真のような重たいものを背負った人間を受け止められるような度量はないだろう。
もし、碧真が日和に心を許して想いを寄せたとしても、絶望するような悲しい結末しか思い浮かばなかった。
「赤は良い意味だと言っていたが、どういうものだ?」
丈の問いに、篠は戸惑いながら答える。赤色の花言葉を聞いた丈は優しく微笑んだ。
丈が思い描く碧真と日和の関係は、自分が考える物とは違うのだと篠は気づく。丈の肩に篠は頭を預けて寄り添った。
「碧真君、幸せになるといいですね」
「ああ」
自分の幸せを願う人達がいる事に碧真が気づくのは、まだ少し先の話。
今回は、丈・篠夫婦の話でした(何気に番外編2作品に登場している二人)。
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