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「とりあえず、病院に行くか……」
ポケットからスマホを取り出し、指先で119を押しかけたその瞬間――
「ちょっと待って! 病院はやめて! 頭は正常よ? 本当だから!」
ベッドの上で、リズが慌てて手を伸ばしてきた。
(……頭は正常、ねぇ)
昨夜、この子は自分に「冒険家だ」とか「異世界から来た」とか言っていた。そんな人間が「正常よ!」と主張しても説得力ゼロだろう。でも、リズの必死な目には、どこか真剣さがあった。
彼女が語った内容は、常識では信じがたい話だった。
この世界以外に無数の“異界”が存在し、その中には交流を持つ世界もあるというのだ。
(世の中が広いとかじゃなくて、“世界”の定義そのものがぶっ壊れてるな……)
正直、普通の感覚なら信じられるわけがない。
でもリズは肩をしゅんと落としながら、誠実そうに続ける。
「……確かに、この世界は他の異界と交流がないみたいね。信じるのは難しいのも事実だわ……」
嘘をついているようには見えなかった。詐欺でも勧誘でもない。ただ、必死に真実を伝えようとしている――そんな風にしか感じられなかった。
「まあいいや。リズの話、信じてみるよ」
どうせなら、信じた方が面白い。自分はそういう性格だ。
「ありがとう、ジュン!」
パッと花が咲くように笑うリズ。その表情を見ていると、疑う気持ちは自然に消えていく。
「それで……なんで玄関で倒れてたんだ?」
「ギルドの仕事で、ちょっとドジしちゃってね……」
リズの説明によると、冒険には資金が必要で、彼女は“ギルド”から依頼を受けて活動しているらしい。今回の任務は、ある厄介な組織の追跡だった。
「その組織って?」
「ギルドにとっても危険な相手。放っておくと、世界規模で大変なことになるの」
最初は順調だったが、尾行に気づかれた瞬間、状況は逆転。追う側から追われる側に変わり、命を狙われることになったリズは、異界をつなぐ“扉”を強引に開き、その先に逃げ込んだ――よりによって自分の玄関に。
「へえ……」
まるで漫画やゲームの逃亡劇だ。
でもリズの目に宿る必死さと真剣さは作り話に見えない。
「偶然とはいえ、無断であなたの家に入ってしまったことはごめんなさい。本当に助けてくれてありがとう」
「事情は分かったよ。でもさ、一つ気になる」
「何?」
「その組織が……リズを追ってここに来る可能性は?」
「それはないと思う。扉を通る時に入力した異界の座標、適当に決めたから」
「……適当?」
絶句した。命懸けの逃亡で座標を“適当”に? 無茶苦茶すぎる。
「それでも、よくそんなリスキーなことやれたな」
「それが冒険家ってものよ!」
胸を張るリズ。
未知を恐れず、むしろ楽しむように飛び込む――全身でそう伝わってくる。
「……まあ、分からなくもないけど」
自分にとっての冒険は、せいぜい見知らぬ道を散歩することだった。
でも彼女にとっての冒険は、異界をまたいで命懸けで飛び込むこと。スケールがあまりにも違う。
その姿に、自分は不思議なほど心を動かされていた。
羨ましい、と。
自分も、もしできるなら――あの眩しい世界に踏み込んでみたい、と。
リズは現実離れしているけれど、同時に、自分の中に眠っていた「本当の願い」を呼び覚ます存在だった。
――その時、自分の人生はもう、元の穏やかな日常には戻れないのだと、うっすら感じていた。




