08:アンドワーズの御神木
話し合いを終えたジーン達は早速目当ての場所へ行くために準備を始めた。と言ってもジーンは外套を羽織ればすぐ終わるので、ほとんど待機時間のようなものだった。サーやギーとバルコニーで待っていると、程なくして支度を終えた魔女がウーを伴って現れた。
「お待たせ。では行きましょうか」
「ああ」
頷いたジーンは転移に備えて姿勢を正したが、魔女はジーンの前を通り過ぎてしまう。そして唇から涼やかな音を鳴らした。
「魔女?」
思いがけない行動にジーンが戸惑っているとバサリと翼を打つ音がし、バルコニーに影が差す。
空を旋回するのは大きな鳥で、大型の嘴をしていて形は鷲によく似ているが、鷲とは違って一切混じりの無い白色をしている。一般的な大きさを遥かに凌駕した大鳥はゆっくりと高度を落とし、魔女の側へと着陸した。
「目的地まではこの子達に運んで貰うわ」
「てっきり俺は魔法を使うのかと……」
「残念ながら転移は言った事のある場所にしか行けないの。場所を頭に描けないと駄目なのよ」
魔女は申し訳なさそうに肩を竦める。
「でも、この子達ならどこへでも連れて行ってくれるし、とっても速いのよ」
優しく頭を撫でる魔女の手に、大鳥は気持ち良さそうに喉を鳴らしながら擦り寄る。その仕草は可愛らしく、また毛の肌触りも良さそうだった。
「へぇ……って、うぉう!」
同じく撫でようとしたジーンは、手を齧られそうになって慌てて飛び退く。
「この子達は、あんまり人に懐かないのよ~」
「もっと早く言ってくれ、ウー」
ガチガチと嘴を鳴らす大鳥とのほほんとしたウーにげんなりしながら、ジーンは齧られずに済んだ右手を撫でた。剣を持つ手は騎士の命に等しいのだ。
「にしても、こんな大きい鳥では目立つんじゃないか?」
「大丈夫よ。人は意外と見ていないものよ」
「そうかぁ?」
思わず胡乱げな目をしてしまえば、魔女はクスリと笑った。
「だって私、王都までこの子に乗って行ったけど、誰も騒がなかったでしょう?」
そう言われてしまえば納得するしかない。確かに、目撃情報などは騎士団に上がって来てはおらず、誰にも見られていなかったのだろう。
渋々と促されるままに魔女達に続いて大鳥の背に乗れば、すぐに気付かれずに済んだ理由が納得出来た。
大鳥が一羽ばたきするだけで、まるでその質量を感じさせない勢いで体は雲の上まで舞い上がる。しかも馬などとは比べ物にならないくらいの速度で進み、それでも寒さや風を感じないのはサーが魔法で防護壁を張っていてくれているからだ。
「さて、まずはアンドワーズだったわね。目的地について、説明して下さる?」
こんな状況でも普段通りの様子で魔女は尋ねてくる。正直、未だかつてない経験にジーンは冷や汗をかき、体を硬直させていたが、いつまでも怯んでいるのは騎士としてみっともなく、視界を無理矢理雲海から離し、大きく引きを吸うと語り出す。
「アンドワーズにあるのは御神木として祭られている大樹だ」
竜に春が飲み込まれたことで続いた冬の寒さで森は枯れていき、アンドワーズ周辺は不毛の土地と化した。『春告げの騎士』が春を取り戻しても元に戻る事は無く、人々は失意の底に居た。しかし、ある日一人の騎士が町へ立ち寄り、森へと入るとおもむろに剣を地面に突き立てた。すると地面からは眩い光が溢れ、剣が抜かれた後には瑞々しい若木が生えていた。
その若木は果敢ない土地にあっても朽ちる事無く、周囲の土地にも活力が戻り、草木が育つようになった。そこでようやく人々は騎士が土地を癒してくれたのだと気付き、深い感謝と尊敬を捧げ、この若木を守っていこうと誓った。
「若木は大樹となり、今もアンドワーズの象徴としてある。すごくそれっぽいだろう?」
弾んだ声でジーンは同意を求める。
春は『芽吹きの種』という形を取っており、その欠片が育った姿だと予想するのは単純且つ平易なもので、それ故に真実らしくある。
「きっと欠片もそこにあるはずだ」
「でも、そしたら騎士も欠片を見付けたはずなのよ~。何で回収しなかったのかしら~?」
ウーがあごに手を当て、コテンと首を倒した。
「いかにも、それは不思議でござるな。何か理由があるのでござろうか?」
「ただ単に失敗したのである。きっとそうなのである!」
ウサギ達が意見を交わす横で、ジーンも考え込む。
「伝わっている話の通りなら、騎士は周囲の土地を癒すために欠片を残していったのかもしれない」
あまりにも荒れてしまった土地を見て回収するのを諦めたとすれば、それなりに筋は通る。
「全く、春を何だと思っているのである! 人が好きに使っていいものでは無いのである!」
「いや、俺に言われても……」
サーが義憤に駆られていると大鳥が下へ傾斜を付け始め、雲を潜り抜けて地表へ向かい出す。視界の先には雪に覆われた森が見え、その中に頭一つ分以上高く飛び抜けた、明らかに特別な樹木が見えた。
「あれがアンドワーズの御神木か」
遠目でみても惹き付けられる力強さに感嘆の息を漏らしていると、あっという間に御神木は目の前に迫り、大鳥は滑らかに雪原へ着陸した。
ジーン達は大鳥の背から降りると、荘厳に佇む大樹を見上げる。
森の中に有り、たくさんの木々に囲まれているのに、御神木の周りだけはまるで近付くのが畏れ多いかのように何も生えていない。ジーンが抱き付いても手が付かないくらい太い幹と大きな樹冠を持ち、それを支える為の根は深く、広く、地面に伸びている。冷たい季節の中にあっても葉の色は失われず青々としていて、風に揺られて雪を振るい落とせば、光を煌めかせていた。
「なんて素晴らしいの」
生命の力を感じられる存在に圧倒されたのか、魔女はほぅっと息を吐きながら感想を漏らす。
「そうだな」
ジーンも賛同して深く頷く。
大きな樹だけなら、探せば世界中どこかにあるだろう。しかし、この大樹のように命の躍動を感じさせる樹は無いと断言できる。
「アンドワーズの人がこの樹を崇めているのも納得できる。とても清いものだと思う」
「そうね。とても豊かな力を宿している」
魔女は視線を樹から離す事無く呟いた。
「それで、どうだ? 『芽吹きの種』はあったか?」
魔女の瞳がゆっくりと幹を、葉を、根すら眺めていくのを、ジーン達は固唾を呑んで見守る。じれったくなる程の時間を掛けて、魔女は樹木を見つめ続け、やがて目を伏せて長く息を吐き出した。
「お姫さま、どうだったの~?」
聞かれた魔女は力なく、かぶりを振った。
「ここに『芽吹きの種』の欠片は無いわ」
「何だと!?」
ジーンは目を瞠る。
「本当に無いのか!?」
「ジーン、失礼なのである! お姫さまが間違える訳ないのである!」
「しかし——!」
最も有力な場所であるここに欠片が無いとなれば、もう一か所にある可能性も低くなってしまい、春を取り戻せるのも遠のいてしまう。
「それではお姫さま、騎士は欠片を回収したのでござるか?」
「わからないわ。けれど、ここに欠片が無い事だけははっきりしている」
「くそっ……!」
期待が外れ、ジーンは雪を蹴り上げたい気持ちを堪える。
「少しでも情報が欲しいわ」
「待て」
大樹に手を伸ばしながら歩み寄る魔女を、ジーンは腕を掴んで引き留める。
「記憶を覗くのは止せ。また倒れるぞ」
「大丈夫よ」
魔女は安心させるためか微笑んだ。
「竜の岩の時は死んでいたけれど、この樹は生きている。記憶を覗くのでは無くて、話を聞かせて貰うのよ」
「でも力を使うことには変わらないだろう」
尚もジーンは渋るが、魔女はそっと掴まれた手を引き抜いた。
「話をするのに、人はそこまで労力を必要としないでしょう? 私も同じよ」
魔女に譲る気が無いのを見て取ったジーンは、頭を掻いてため息をつく。
「わかった。無理だけはするなよ」
「ええ、もちろん」
魔女は微笑んで頷き、大樹の幹に触れると額を近づけて瞳を閉じた。そして今度はそれほど長い時間を掛けずに終わり、魔女は樹から離れた。
「お姫さま、どうだったの~?」
「何かわかったでござるか?」
ウーとギーが魔女を窺い見る。
「結論から言うと、欠片は回収されていたわ」
「良かった」
ジーンの口から思わず言葉が飛び出たが、本当にそう感じる。
騎士はやはり、自分の成すべき事を違えずにいた。そう思えるだけでこんなにも嬉しい。と同時に当然疑問も湧いてくる。
「では、あの大樹は欠片とは何も関係無かったという事だな?」
「全く、といった訳ではないようよ。多少は影響を受けたみたいなの」
あの大樹の種は不毛の地の深くに眠っていた。このまま芽を出すことなく朽ちると思っていたが、そこに飛んで来たのが『芽吹きの種』の欠片だ。
「欠片によって力を分けて貰ったということか?」
自分で言いながら違和感を覚える。
ならば騎士が来る前に芽を出していても良いはずだが、出したのは騎士が剣を突き立てた後だ。
「むしろ、欠片が回収されたから、芽が出せた?」
「その通りよ」
魔女は頷いて肯定する。
「どうやら欠片は呪われているみたい」
「呪いだと!?」
不穏な言葉に落ち着いては居られず、思わず詰め寄ってしまう。
「どういうことだ?」
表情を険しくするジーンに臆する事も無く、魔女は竜の記憶を思い出すように目を細めながら口を開いた。
「竜の最後の攻撃。あれは凄まじい怨念の籠ったものだった。強い念は時に害を及ぼすの」
攻撃により砕け、同時に呪われた欠片は国に散らばってしまった。そして、その内の一つがアンドワーズに落ちたもので、祝福を与えるはずの種から大地へ、呪いが染み出していった。
「けれど、あの人が剣で呪いを祓い、欠片を回収した。その力に触れたから、あの樹はあんなにも大きく育てたのですって」
「なるほど……」
ジーンは深く感じ入る。
「ならばケネスの伝承も事実なんだろうが、欠片は無い可能性が高いな……」
「ケネスにはどういった話が残っているの?」
「ケネスにあるのは不凍泉だ」
その泉はその名の通り、通年、凍ることは無い。
竜の猛威により、長く続いた冬のせいで凍ったその泉は、澄んでいて美しく、そこの水を使って作る酒は国中で人気を博していた。そしてやっと竜が倒され、氷が解けたと思いきや水は澱み、獣すら近寄らず、とてもじゃないが使用する事は出来なくなった。ケネスの住人は大事な水源の損失に嘆き苦しんでいたが、そこに現れたのが『春告げの騎士』だ。騎士は光輝く剣で氷を貫くと、泉は光を発し、黒く澱んでいた水は元の澄んだ水へと戻った。そしてそれ以降、この泉が凍ることは無くなったと言う。
「竜の呪いにより穢れていたが、欠片を回収したと同時に祓われたと考えて良いだろう。そして影響を受けて不凍泉となった」
「そうね。そう予想するのが妥当だわ」
ジーンの意見に同意し、魔女は頷く。
「とりあえず、確認に行ってみるしかないわね」
「ああ、行こう」
あっても無くても、行ってみなければ話は進まない。
ジーン達はまた大鳥の背に乗り、もう一つの目的地へ向かった。しかし、そこにもやはり欠片は残っていなかった。