19:約束が果たされる時
幼い頃に見た『春告げの騎士』は素晴らしかった。
威風堂々と剣を操り、雪雲を切り裂いて春を招いた。
もちろんそれは当代の騎士であって本人では無かった。しかし、それから調べた伝承で、騎士の素晴らしい行いを知り、憧れた。自分もそんな騎士になるのだと願った。
そんな憧れの人はこんな弱気な発言をしたりはしない。
「ふざけるな!」
ジーンの一喝に、竜だけでなく、魔女もウー達も驚き跳ねた。
「お前は騎士だろう! なら諦めるな! 希望があるなら最後まであがけ! ていうか何だ、代わりって! 俺はあんたの代わりなんかじゃない! 代わりなんかできない! 魔女が想っているのはお前だろう! だったら人に譲らず、自分の手で幸せにしやがれ!」
ほんのわずかな時間の再会。それでも喜びも、二人が想い合っているのは十分伝わってきた。あの時見せた魔女の表情は本当に美しくて、その顔をさせられる存在が羨ましくて妬ましい。そして、あの光景を哀しいものにしたくない。もう一度、幸せな場面を取り戻してあげたい。心からそう思う。
「二百年耐えたのならば、負けないはずだ! 彼女を悲しませるな! 騎士の誇りはどうした!?」
強く握り締めた手の平には爪が食い込み、もしかしたら血が滲んでいるかもしれない。それでも気にせず声を張り上げる。
「騎士ならば、彼女との約束を果たせ!」
言いたいことを全てぶちまけたジーンは肩で息をしながら、竜の姿の騎士を睨み付ける。きょとんとし、ぱちくりと瞬きをする様はあどけなく見え、猛威を振るっていた悪しき竜の面影は見えない。
「ふ……」
竜の口から空気が漏れる。
「ふはははははっ!」
「なっ!?」
牙を露わにし大声で笑い、腹まで抱える竜の姿に度肝を抜かれる。
「あはっ! あははは! やっ……ちょっ……うははははっ!」
笑い続け、涙すら浮かべられ、ジーンは戸惑い狼狽える。そんなジーンの腕に魔女はそっと触れた。
「ジーン」
「ま、魔女……?」
「あなたは本当に素晴らしい人ね」
この状況だと皮肉か揶揄いかと思ってしまいかけたが、魔女の柔和な微笑みに違うのだと悟る。
「あなたの言葉はいつでも私に力をくれる。私を喜ばせてくれるの」
魔女はそっと胸元に手を当て、目を細めた。
「ありがとう、ジーン。あなたとなら、何でも出来る気がするわ。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?」
「ああ、本当に……!」
ひとしきり笑って落ち着いてきた騎士は魔女に同意する。
「君は良い騎士だ。そうだね。竜を倒すと僕は約束した。約束は果たさないと」
騎士は竜の体でくるりと回り、ジーンに鼻先を向ける。
「でも僕はかなり竜と結びついてしまっているから、やはり竜を屠る必要がある。君に竜だけをやっつける事ができるかな?」
「やる」
憮然としながらも二つ返事で答える。
「どうせなら大団円を目指したいだろう」
竜は倒され、春を取り戻し、国に平和が戻って、騎士も帰って来る。そして魔女と結ばれるなら、全てが万事、良い所に収まる。
「やってやるさ!」
胸を張って請け合えば、にんまりと竜は笑った。
「うん、任せるよ。アイネスも、頼んで良いかな?」
「ええ、もちろん」
魔女は朗らかに頷く。
「僕はまた竜の奥底に隠れるから、上手い事やっておくれ。まぁ失敗しても怒らないから、気負わずにね」
「俺はともかく、魔女の事は信じて待ってろ」
ビシッと指差して告げてやれば、騎士は目を細め、宙返りをした。
「ああ、信じているさ。だから、アイネスの信じる君を信じるよ」
そのまま騎士は翼を羽ばたかせ、ジーン達から離れて行く。
「ウー、私もそっちに乗って大丈夫かしら?」
「どんと来いなのよ~」
「ありがとう」
ウーが勝手に近付くと、魔女は乗り移ってこようとして、ジーンは体を後ろへずらす。
「何でこっちに?」
「一緒に剣を使った方が、確実でしょう? 共に倒そうって約束したじゃない」
「いや、そうなんだが……」
意味深長な解釈に困惑はするが、拒否はしない。
「サーもこちらに来て。皆であの人を救いましょう」
「それは素晴らしいでござる!」
身軽になったギーは宙で跳ね、思念伝達で呼ばれたサーもこちらへ向かってくる。竜は程好い距離を保ったところで止まっていて、こちらの準備を待っている様だった。
「それじゃあ、頼んだ、よ……。少しだけ、抑えては……あげる、か……ら……」
言葉だけ残して、瞳から暖かさが消え、細い瞳孔がギラついた。
わずかな時間でも自分が押し退けられた事が許せないのか、今にも破裂しそうなほどの怒気が、外皮から揺らめき、立ち上っていた。
「行くぞ、魔女」
「あら。名前で呼んでくれないの? さっきみたいに」
「んなっ!」
この期に及んでおどけた発言に、ジーンは口をパクパクさせる。
「呼んで貰えて嬉しかったのだけど?」
「今はそんな話してる場合じゃないだろうが!」
敢えて大声を出して誤魔化し、手綱を引く。心得たウーは、ギーとサーと共に空を駆け出した。
体の主導権を取り戻した竜はまたもや耳をつんざく咆哮を天へ放ち、雷鳴を呼び込んでいる。弾ける光をその身に集め、こちらに放つつもりだろう。
剣を魔女に握らせて、その上からジーンも手を重ねる。
柔らかく滑らかな感触と伝わる温もり。鼻腔に届く香りに愛おしさが募る、
「必ず、あの人を取り戻すぞ」
対峙する竜を見据えながら告げる。
「ええ。あなたとなら、やれるわ」
魔女も竜から目を離さずに応えた。
二人に握られた剣が光を帯び始め、力が篭められていく。同時に竜も顎を開き、喉の奥に砲撃の準備を始めた。
「ギー、もう少し上に避けるのである!」
「わかったでござる!」
二体はジーン達の攻撃の邪魔にならない場所に位置取り、双方の攻撃の余波が人の世に及ばぬ様に備えてくれている。
そして剣に力が溜まり、全ての準備は整った。
どちらも声を発すること無く剣を高く掲げれば光は強まり、応じるように竜の力の光も高まって渦を巻き始める。
「はぁあああああああ!」
力を奮い立たせ、最後の一太刀を魔女と共に振り下ろす。美しく白く輝く光は、同じ瞬間に竜は溜めた力を開放しようとし、けれども突然口が閉じて動きを止め、動揺を浮かべる竜を飲み込んでいく。
怒りも憎しみも、狂おしい程の欲求も、全てを包み込んだ光は穢れを浄化し、虚空へ消え去る。そこに残るのは小さな人影一つで、はかなげに揺らめく。そしてふにゃりと力の無い笑みを見せたかと思うと、ゆらりと傾いで落ちていった。
「ウー!」
「はいなのよ~!」
返事と同時に飛び出し、同じく駆け付けようとするサーとギーと共に、三体は光の粒子をまとった影を追いかけて行く。その間にも尾を引きながら影は形を小さくしていき、地表に辿り着く寸前でついには見えなくなってしまった。
「そんな……!」
するりと地に着地したウーの背から飛び降り、ジーンは光が消えた辺りを見回す。そして辺りかまわず雪を掻き分けた。人の踏み入らない土地の雪は深くて、埋もれてしまっても仕方が無い。
「ジーン」
「きっとどこかに——」
「ジーン」
呼びかける魔女の顔は穏やかで、だからこそジーンは泣き喚いてしまいたくなる。
折角竜を倒したのに、救えたと思ったのに、これでは大団円とは言えない。
「やはり、俺では力不足だったのか……? 俺はお前を……お前の愛する人を救えなかった……」
「そんな事ないわ、ジーン」
項垂れ、拳を震わすジーンに魔女はそっと抱き付いてくる。
「あなたは何度も私を、私の心を救ってくれた。ありがとう」
「そんなの……!」
それっぽちでは足りないのだ。それだけでは幸せに満ちていない。
「お前の想う人を救いたかった……。俺ではでは代わりになれないから……」
悔しさで、言うつもりの無い言葉まで零れてしまう。しかも涙まで頬を流れ、情けない事この上ない。
「泣―かした、泣ーかした! アーイネスーが泣ーかした!」
聞き覚えのある声が揶揄いの歌を奏でる。
「いいえ。泣かしたのはこの場合、あなたじゃないの?」
魔女は事も無げに言葉を返し、肩を竦める。
「いやいや、罪な女だよ、アイネス。さすがだね!」
明るい声で言い放つのは翠色をして翼の生えた爬虫類のような物体で、先程まで対峙していた竜に酷似しているが随分と小さい。
「え? は? うぇ!?」
思わず涙も引っ込み、ジーンは狼狽える。
「やぁ、騎士君! 助けてくれてありがとね! まぁこんな姿になっちゃったけど」
竜に呪われ、同化していた時間は長く、人としての生を終えるにも十分過ぎる時間が経っている。その影響で人の姿は失われ、竜と化してしまったようだ。
そう語る様子もあっけらかんとしていて、悲壮感は全くない。
「そうそう、騎士君、手を出して」
「お、おお……」
戸惑いすぎてきちんとした反応もできず、ジーンは言われるがままに手を出す。その手の平に小さな竜の口からコロンと種がまろび落ちてきた。
「はい、『芽吹きの種』だよ! これで春が取り戻せたね!」
くるんと宙返りをした小竜は魔女に近寄り、頬を寄せる。
「これで君との約束は果たせたかな?」
「そうね。剣が返ってくれば完璧ね」
「そうだった! ほら、騎士君、ささっとアイネスに返してよ。君が言ったんだよ、約束を果たせって」
飛んで来た小竜に背中を何度も押され、魔女の前に立たされたジーンはおずおずと剣を差し出す。展開に付いていけていないが、この剣が役目を果たした事だけは理解できる。それならば、あるべき所へ戻すべきだ。
魔女はジーンの手から剣を受け取るとそっと抱き込む。すると魔女の体ごと淡い光に包まれ、剣はその身の内に吸い込まれていった。
「ジーン、種を」
「ああ」
揃えられた両の手の平の上に種を置いてやれば、魔女はそこに息を吹きかける。たちまち種は芽吹き、薄紅の花を咲かせたと思うと弾けて空へと舞い上がっていく。花色の光が空を覆う雲を貫けば雪雲は一斉にその姿を散らし、後には澄み切った青空が広がった。そして暖かく、優しい、爽やかな風が王国中を駆け抜けていく。
「約束は今、全て果たされた」
顔を綻ばせながら涙するその瞳は、天高い空と同じ色をしていた。




