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01:春告げの儀

 この国の王太子の執務室の中央で、ジーンは背筋を正して立っていた。

 王太子の補佐官や護衛騎士などの側近達の視線が全てジーンに注がれ、王太子の次の言葉を待っている。


「ユージーン・ベルファイス。貴殿を今季の『春告げの騎士』に任命する」

「はっ! 謹んで、拝命させて頂きます!」


 胸元に手を当て、騎士の礼を取る。

 努めて平静を装っているが、内面は歓喜に打ち震えていた。

 そろそろ『春告げの騎士』が誰になるか決定された頃。誰になったのか、自分は選ばれただろうかと、発表を心待ちにしていた。そして今日、ついに辞令が伝えられたのだ。


「おめでとう、ジーン。夢が叶ったな」


 上司でもあり、警護の対象でもある王太子・サミュエルが朗らかな笑みで祝福し、拍手を送ってくれれば他の者達も追従し、一気に場は和んだ。

 拍手の音を聞きながら、ジーンは思わず涙ぐみそうになる。


「はい! ありがとうございます!」


 五歳の時、家族と共に初めて『春告げの儀』を観た。儀式の最後に『春告げの騎士』が宝剣を掲げ、灰色の雪雲を打ち払う光を放った時の衝撃を、忘れはしない。この日以降、ジーンは『春告げの騎士』に憧れ、そして自分もなろうと決めた。


 かつて竜を倒し、国を救った英雄の役。その役を担うのもまた騎士の中の騎士達だ。

 彼らに倣い、清く、正しく、そして強くある為の努力は惜しまなかった。体を鍛え、剣術を修め、学問にも手を抜かない。不正や悪を許さず、弱気を助け、常に質実剛健を心掛けた。その弛まぬ努力が今、実を結んだのだ。体中が弾け飛びそうなほど、喜びが駆け巡っている。


「私の護衛騎士から『春告げの騎士』が選ばれるのは二人目だな」


 サミュエルは自分の脇に控える赤銅色の髪をした偉丈夫を見やる。王太子付きの小隊の小隊長であるデレクもまた、五年前にその役を担っていた。


「殿下の薫陶のたまものではないですか?」


 真面目ぶってデレクが言うと、サミュエルも不敵な笑みを返す。


「そうだろうとも。私は程素晴らしい王子はいないからな」


 言い合った二人は目線を合わせると同時に噴き出した。

 幼馴染みの間柄でもある二人は、こうしてたまに軽口を交わし合っている。それを見せて貰える程の信頼を自分も得ているのだと思えば誇らしくなる。


「ジーン」


 遊びを終えたサミュエルがジーンへ視線を戻す。


「これからしばらくは忙しくなるだろうが、しっかりと務めを果たせよ」

「もちろんです! ご期待に沿えるよう、粉骨砕身で務めさせて頂きます!」


 激励をくれる王太子に、ジーンは背筋をピンと伸ばして請け合う。

 憧れていた役目が担える。その事を仲間達も、上司も喜んでくれている。ならば自分はその役目を完璧にこなしてみせよう。いや、そうしなければならない。

 ジーンはぐっと拳を握り、決意した。




 それからの日々は本当に忙しなかった。

 儀式の手順——もちろんとっくに暗記済みだった——に、『聖なる乙女』役の令嬢との顔合わせ。融通はきかせて貰っているものの通常の仕事もあるし、鍛錬も怠れない。もちろん倒れる訳にはいかないので、休息もしっかりとった。


 目まぐるしい生活を送って迎えた当日、騎士の正装を身にまとったジーンは控室で昂る気持ちを抑えるのに必死だった。

 部屋の中にはすでに儀式に必要な『春告げの剣』も運び込まれており、その美しさに目を奪われる。

 鍔も握りも、今は鞘に納められている剣身さえも白く、唯一色づくのは鍔の飾りに埋め込まれた空を映したような色の宝石だけ。純白の宝剣は儀式を行う『春告げの騎士』と『聖なる乙女』のみが触れることを許される。今すぐにでも触れて、その重さを確かめたくて仕方が無かった。


「ユージーン様」


 おもむろに伸びてしまいそうな手を抑え込んでいると、ふいに呼びかけられる。視線を向ければ『聖なる乙女』役の令嬢が入室してくる所だった。


「おはようございます」


 令嬢は微笑みながら美しいカーテシーをする。


「おはようございます」


 ジーンもお辞儀を返すと、令嬢は頬に手を当て、ほうっと息を吐いた。


「そのお姿、とても凛々しくて素敵ですわ。わたくし、ユージーン様の『聖なる乙女』になれたこと、とても光栄に思っていますの」

「私も光栄に思っております」

「まぁ!」


 ジーンが深く頷けば、令嬢は瞳を輝かせる。


「何せ国に春を呼ぶ大事な儀式ですからね!」

「は?」


 ぐっと拳を握り締め、高らかに言い放つジーンに令嬢はぽかんとした顔になる。


「このような大役を担えるなんて、誇りに思うしかありません!」

「いえ、そうではなく、騎士と乙女を務めた男女は結ばれることが——」

「ああ、こうしてはいられない!」


 ジーンはかぶりを振る。


「失敗なんて許されない大事な儀式です! もう一度手順を確認しましょう! お付き合い願えますか?」

「——喜んで」


 満面の笑みを向けられた令嬢は、挫けそうになる気持ちを奮い立てつつ、笑顔で頷いた。







 『春告げの儀』は幾人もの奉納演舞で構成されている。

 まずは荒ぶる竜と吹雪を表す群舞から始まり、その中を『春告げ騎士』が進み出る。そして『聖なる乙女』が舞い出でて、剣を騎士へと渡し、騎士の剣舞が始まる。剣舞に合わせ、舞台の上から段々と人が減っていき、騎士は最後に一人で舞う事になる。そして剣舞の末に宝剣の力を開放し、空を覆う雪雲を払うのだ。


 王宮広場に造られた舞台の袖で、ジーンは瞳を閉じる。

 先程まではざわめいていた群衆も、楽団による演奏も始まると静かになった。群舞を行う者達も次々に舞台の上へと躍り出ている。


「落ち着け」


 自分に言い聞かせるように、ジーンは呟く。

 興奮しているせいか、緊張はしていない。しかし全く緊張しないというのも失敗の元になる。大事なのは釣り合いだ。昂り過ぎず、平坦にもなり過ぎず、程好い感情を保つこと。


 ジーンは大きく深呼吸をし、まっすぐに前を見る。既に群舞の衆は全員出終わっており、『春告げの騎士』の出番だった。

 踵を打ち鳴らしながらジーンは舞台へ出る。広場を埋め尽くす観客達から一際大きい歓声が上がり、拍手をもって迎え入れられた。熱烈な歓迎を感じながら舞台の中央へと向かい、正面を向いて立つ。


 今この瞬間が人生で一番幸せだ。

 確信をもって言い切る事が出来る。


 視界の奥には肩車をされた少年がキラキラとした眼差しで、ジーンを見上げているのが見える。きっと彼もかつての自分と同じように、騎士に憧れるだろう。そして自分もそれを裏切らないようにしなくてはならない。


 荘厳だった演奏は転調し、たおやかな旋律が流れ始めるとベールをまとった『聖なる乙女』が舞台へ上がり、剣を授ける為に騎士の元へと近付いてくる。

 ジーンは一歩足を引き、その場で跪いて両手を掲げて剣を待った。


 そっと手の中に宝剣が置かれる。

 思ったよりも軽いが、それでも確かな質感にジーンは感動を覚えた。

 本当に、本当に憧れの『春告げの騎士』になれたのだ。

 だが、いつまでも感動に酔いしれている訳にはいかず、立ち上がって剣を腰に佩くと鞘から引き抜く。

騎士の剣舞の始まりだ。


 旋律に合わせ、純白の剣を上下左右になぎ切り、時には突き、己が回転しては構える。

 幼い頃から何度も真似をし、練習した動きを一つ一つこなしていく。そして、ついに山場となる。

 ジーンはすっかり誰も居なくなった舞台の中央に立ち、体の前に剣を掲げる。ジーンの想いに応えるように剣は淡い光を発し始めていた。


「今、災いは祓われ、我が国に、春を呼——」

「それまでよ」


 高く空へ向けて突き出そうとした腕は、白く柔らかな手によって制された。


「それ以上はさせない」


 自分しかいないはずの舞台にもう一人、フードを目深に被った人物が立っている。線の細さと声の高さから女だとわかる闖入者は儀式を中断させようとしていた。


「な、何者だ!?」


 ざわめき始める観客と同じに、ジーンも混乱しながら問いかける。

 儀式にこんな流れは無いし、加えられたという話も聞いていない。目の前の女は紛れも無く、自分の夢を穢した邪魔者だ。


「うっ!」


 女が手を差し出すと宝剣が光を放ち、思わず目を瞑る。ふっと無くなった手の中の感触に、ジーンは何度も手を握っては開く。

 ようやく瞼を開いてみれば、宝剣は女の腕の中にあり、鞘にまで収まっている。ジーンが慌てて腰に手を当てれば、案の定、鞘も無くなっていた。


「剣を返せ!」


 ジーンが叫ぶと女は隠れたままの瞳をこちらに向けた。


「返せ? それは私のセリフよ。これは元々私のものだもの」

「何をふざけたことを!」


 宝剣は国宝で、古くから王国にある儀式の要でもあり、誰か一人の物には収まらない。

 ジーンは続けて勧告する。


「儀式の邪魔をする事は許されない。大人しく縛に就け!」

「お断りするわ」


 ジーンは抑え込もうと手を伸ばしたが、その手は空を切り、いつの間にか女は背後にいた。


「なっ……!?」


 女は剣をゆっくりと撫でながら口を開く。


「私はこれを探しに来たの。見付けたのなら、返して貰わないと」

「奪い取る、の間違いだろう!」


 再び捕まえようとしてみるが、同じ事の繰り返しになる。まるで幻と格闘しているかのような応酬に苛立ちは募り、歯がみをする。

 とっくに音楽は鳴りやみ、演者や群衆も混乱して成り行きを見守っている。警備のための騎士が多数配置されており、すぐに応援が来るだろう。今はこの不届き者を包囲する時間を稼がなくてはならない。


「いいえ。間違ってなどいない。間違えるはずがない」


 女はまっすぐにジーンと対峙し、言い切る。


「この剣を不用意に使わせることはさせない」

「何を——っ!?」


 女に抱えられた剣が再び光を放ち、視界が白に埋め尽くさせる。直前、女が翻るのが見えて、ジーンはとっさに手を伸ばし、女のローブを掴んだ。その瞬間、世界が反転した。

 まるで濁流にのみ込まれたような、荒々しく回される感覚の後、ふいに浮遊感があって、地面に投げ出される。硬い感触と冷たさに、これが床石だと瞬時に理解し、ジーンはさっと態勢を立て直して顔を上げた。


「ここは……?」


 ぐらぐらとする頭を押さえつつ周囲を確認すれば、白亜の壁に精緻な装飾、洗練された調度品達が目に入る。どれも隅々まで磨き上げられ、美しく荘厳で、どこか寂寥でもある。そんな城のバルコニーでジーンは膝をついていた。


「あら、付いて来てしまったの?」


 声に視線を向ければ、少し離れた所から先程のフードの人物が剣をその手にこちらを見ていた。ジーンはとっさに立ち上がる。


「ここはどこだ!?」

「勝手に付いて来て、随分な物言いね」


 女はため息を吐くと肩を竦めた。


「ここは白天山の頂にある、私のおうちよ」

「白天……山……?」


 王都の北にあり、その頂を万年雪に覆われた白い山。そこに住まうというのは——。


「冬の魔女!?」

「あら? 今はそう呼ばれているの、私?」


 魔女は楽しそうに軽く笑う。

 ジーンが生まれるより遥か前から存在していて、幼い頃に語られた、おとぎ話の中で聞いた冬の魔女。「良い子にしていないと、冬の魔女に連れ去られるよ」なんていうのは、大人が子供を脅かす時によく使う言葉だ。そんな存在が目の前にいる。まさかと思いたいが、伝承の『春告げの剣』だって実在する以上、魔女が居てもおかしくはない。


「うっ……!」


 混乱し、言葉に詰まっていたジーンの視界がふいに揺れ、また膝をつく。ガンガンと鈍い痛みが頭を襲い、意識が朦朧としてくる。


「無理矢理転移に付いて来たから、負荷がかかったのね」

「ぐ……あ……」

「無理はしない方が良いわ」


 気配が近づいてくるのは分かったが、体の不調で対応する事も出来ない。歪んでいく視界が白い手でふさがれると、耳に柔らかな声が届く。


「少し休みなさい」


 そこでジーンの意識は途切れた。

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