17:行動開始
空気が震え、世界が揺れているような錯覚が起こる。雷鳴も轟き、吹き荒れる突風と共に、竜の怒りを具現化していた。
「悠長にしている暇は無いな。行こう」
「待って。あなたどうやって空を駆けるつもり?」
尤もな指摘に出端を挫かれる。
相手は空を自由に飛び回っている化け物で、こちらも宙を駆る足場が必要だ。
「えっと……そうだな、アンドワーズに行く時に乗った鳥を呼んで貰えるか?」
「あの子じゃ駄目よ。竜に怯えて、来てすらくれないわ」
「そうなのか」
当てが外れてジーンは肩を落としかけたが、ウーが挙手してぴょんっと飛び出してくる。
「それなら私に乗るのよ~」
ウーはその場でくるりと回ると両手を広げた。
「ギーはお姫さまの護衛があるし、サーは人間を守る。私はやる事がないから、ジーンに力を貸すのよ~」
「それは助かるが……」
子供ぐらいの大きさしか無いウサギもどき(しかも雌)に大の男が乗るのは気が引ける以前に、どう考えても乗れるとは思えない。戸惑う人間達をそっちのけで、ウーはぶるりと身体を震わせた。
途端にその体は膨張し、薄く色づいていた毛が純白に変わる。背中には翼が生えて、四肢が伸び、狼のようなしなやかな肢体が地に付く。
「これが私の本当の姿なのよ~」
おっとりといつもの口調を発する口には鋭い牙が並んでいるのが見え、長い耳や短い尻尾など、ウサギの特徴は残っているものの、肉食を思わせる獣の要素が強くなっている。
「本当にウサギじゃ無かったんだな……」
「だから言ったのである! 吾輩達はウーム・サール・ギーグという、立派な魔獣なのである!」
声高な主張に王やサミュエルなど、人間達は絶句する。
今そこに居る脅威——竜に勝るとも劣らない怪物が、ここに三体も居た。
「お前、何ていうものを従者にしてるんだよ!」
「あら、可愛いでしょう?」
ジーンが呆れつつも言えば、魔女は事も無げに返してきて、やはり人とは大分感性が違うらしい。
「そうそう、今はただの可愛い従者なのよ~。最近は人もパクッとしてないし~」
「うむ。衝動のままに力を揮うのは、知性が感じられないのである」
「お姫さまを守るのが、今は生き甲斐でござる」
それぞれ主張をしているが、もう二の句が継げない。
「魔女。こいつらを絶対野放しにするなよ」
「あら。この子達の意志を尊重するわ」
「いや、絶対そうしろ、永遠に!」
念を押すジーンに魔女は困ったように微笑んだ。
「デレク、私は理解した。私に冒険は向いていない。全てを受け止める柔軟性が足りないようだ。冒険はジーンに任せる」
「それは良かった。という事で頑張れ、ジーン」
「いや、頑張りますけど……」
ジーンとてウー達の正体を知ってびびっていないわけでは無い。それなりに付き合ってきた故に、衝撃も大きかった。しかし、恐ろしいとは思わないあたり、慣れてしまったのかもしれない。
「さぁさぁ、遊んでいる場合じゃないのよ~。とっとと行くのだわ~」
「では拙者も」
「うむ!」
ギーとサーも同じ様に体を震わせると、ウーとお揃いの姿になる。どれも同じ様に見えるが、ウーは少し雌らしい丸みを帯びているし、サーは反対にほっそりしている。ギーはわずかだが他二体より大きく、よく見ないとわからない程度だが個体差があるようだった。
「少し、邪魔かもしれないけれど我慢してね」
魔女がウーとギーに向けて手をかざして揺らせば、二体の体に革の綱が巻き付いて行く。鐙は無いが、これで随分と乗りやすくはなるだろう。
「問題ナシなのよ~。さぁ乗った、乗った~」
ウーが屈んで乗りやすいようにしてくれ、意を決したジーンは綱を手にすると背に飛び乗った。
「頼むぞ、ウー」
「お任せなのよ~」
ウーが立ち上がると視界がかなり高くなる。馬とは違う乗り心地だが不思議と安定していて、落ちないだろうという確信がある。ウーが何か力を働かせてくれているのだろう。
「それじゃあ行きましょうか」
同じくギーの背に乗った魔女が空を見上げる。竜はまだ身動ぎを繰り返していた。
「ジーン、魔女殿。頼んだぞ」
「はっ!」
胸元に手をあて、サミュエル達に誓いを込めた礼を取る。同時に三体の獣は翼をはためかせ、飛翔の準備をした。
「必ず、倒してまいります!」
ウーが床を蹴ると、体が風を受けて上昇し、バルコニーに立つサミュエル達の姿が遠ざかっていく。彼らの激励のこもった眼差しは嬉しいが、今ジーンが立ち向かうべきは別の方角に居る。西へと進路を向けた三体は真っ直ぐに空を駆け抜けていく。
「まずはアイツに気付いて貰わねば」
徐々に覚醒しつつある竜は大きく尻尾を振り回し、爪や牙を鳴らしている。それに呼応する様に雷も鳴り、地上の人々は恐れ慄かずにはいられなかった。
「ジーン、剣を!」
「わかっている!」
頷き、宝剣を胸元に構える。鍔に埋め込まれた宝石が煌めき出し、力がみなぎってくるのがわかる。
「はぁああああああっ!」
気合を入れて突き出せば、切っ先から放たれた光線が竜の脇腹へ直撃した。
「上出来なのである!」
手加減した攻撃は程好い衝撃を与えたらしく、竜が煩わしそうにこちらを睥睨してくる。その瞳に映る様、ジーンは剣を高く掲げる。
「悪しき竜! この剣に見覚えは無いか!?」
白い剣を捉えた竜は喉を鳴らし、それが自分を倒したものだと認識したのか、瞳に怒りを滾らせ、口からは気炎を吐いた。
「ウー、行くでござる!」
「はいなのよ~!」
すぐに三体は旋回し、北へ鼻先を向けて滑空する。竜は首を仰け反らせ、空へ向けて咆哮すると、体をねじって追って来た。
「このまま山の頂上まで行きましょう!」
「お姫さま!」
ふいに竜は宙で停止し、大きく口を開ける。喉の奥に溜まっていく力の光を見て取って、サーは竜に向けて立ちふさがった。
轟音と共に放たれ光線が真っ直ぐにジーン達へ向かってくる。それをサーは半透明の大きな障壁を生じさせ、受け止めた。
「サー!?」
「問題ないのである!」
湾曲していた障壁により攻撃は進路を逸らされ、上昇して爆散する。幸いにして竜の攻撃はそれで打ち止めらしく、障壁を消したサーは竜を一瞥し、先に進んでいたジーン達に合流した。
眼下の風景は人の営みを感じるものから自然そのものへと切り替わり、うっそうとした木々から滑らかな白へと移り変わっていく。
「ギー、もう少し上へ行きましょう」
「御意にござる」
すぐ様ギーとウーは上へ斜行していくが、人の世を守るサーだけはそこで分かれ、山の斜面へと近付いて行く。
ついに山の頂を超え、魔女の居城が眼下に収まった所で、二体は旋回して竜へと向き直る。迷う事無く追って来ていた竜も、ここが対決の場所だと理解したのか、距離を開けて停止した。
灰色の空の下、対峙する竜の外皮は石化した部分が剥がれ、鮮やかな翠が戻っていて美しいのに、醸し出す空気は怒り、恨み、憎しみ、全ての負の感情を煮詰めたように禍々しい。
ジーンは視線だけ竜を見据えたまま、剣を握り締め直す。
相手は二百年前、国を襲った災厄。
鱗で覆われた体は多くの攻撃を無効化し、鋭い爪は天をも切り裂き、咆哮は恐怖を煽って人を惑わす。恐ろしく、強大で、脆弱な人間の相手としては強敵すぎる。
だが、負ける訳にはいかない。
「ユースタス王国・王立騎士団・近衛隊所属、ユージーン・ベルファイス! 悪しき竜! お前を倒す!」
通じているかはわからない。けれどもその身の誇りを以って、名乗りを上げる。それに応じるように竜は体をしならせ、気炎を上げて空へ咆哮した。
ついに戦いの火蓋は落とされた。