16:復活する竜
戻ってくると、城内は騒然としていた。
突然姿を現した王太子とその一行に驚いている兵士に馬を託し、サミュエルの先導で一同は王の元へと急ぐ。途中ざわめく人々の会話を耳が拾っていけば、森から黒い物体が飛び出したのを見た者が多数いた。そして同時に空には暗雲が立ち込め、もう日が昇っているはずの時間なのに、世界を薄暗い灰色の中に閉じ込めていて、人々の不安を煽っているようだった。
「父上!」
ノックをすることなく王の執務室の扉を開け、サミュエルは踏み入っていく。デレクは迷わず付いて行き、その後を魔女と従者達も追っていく。ジーンも躊躇いつつもそれに倣って入室した。
「戻ったか……」
執務室には王の側近達と宰相、神祇長官の姿があり、執務机を囲む彼らの間から王が渋い顔を覗かせた。
「ななな、何です、この者達は!? 何故、ユージーン・ベルファイスがここにいるのです!?」
「父上! 黒い物体の詳しい目撃情報を教えて下さい」
サミュエルは神祇長官をさらりと無視して王へ詰め寄る。
「あれは竜です!」
「竜だと!?」
「竜? 一体何をおっしゃっているのですか、殿下!?」
困惑と驚きの混じる空気の中、王は落ち着いて知り得る事を教えてくれる。
「黒の物体——竜は南西に向かって飛んで行ったと報告を受けている」
「南西……そうか!」
ジーンはつい声を上げてしまい、注目が集まる。
「言え、ジーン。何がわかった?」
「はっ! 西にはイェルメが、竜の岩、ヤツの体があります。ヤツは自分の体を取り戻そうとしているのかもしれません」
「なるほど! ならば急ぎ追いかけな——」
「大変にございます!」
大きな音を立て、扉が勢いよく開け放たれる。
「りゅ、竜が……竜が西の空に出現しましたぁ!」
飛び込んできた伝令は言い切ると同時にへなへなと腰を砕けさせた。ジーンはそれを飛び越して、弾かれたように部屋を飛び出し、城の上空が見える場所、バルコニーを目指して走った。行儀を無視して全速力で駆け抜け、飛び出す勢いで手すりに摑まると空を見上げる。そこには灰色の空を我が物顔で泳ぐ影が、そこにはあった。
「竜……!」
遠い空にあっても巨大とわかる姿。
まだ完全に復活を遂げてはいないのか、どこかぎこちなく身動ぎを繰り返し、時折パラパラとおそらく固まっていた表面を落として行っている。小さな欠片と言えど、高い場所から落ちれば被害が出るかもしれない。
その傍若無人な振る舞いに、怒りが込み上げてくる。
「おっきいのよ~」
「ウー、暢気すぎるでござる」
窘めるギーものほほんとしているように感じて、思わず脱力してしまいそうになる。
「なんて禍々しい……」
追いついてきた王やサミュエル、デレクも強張った面持ちで上空を見上げている。二百年前、国を襲った災厄の復活。その脅威の大きさに、慄かずにはいられないのだろう。
「ひっ! ひぃいっ! 災いが、災いが起こっている!」
どこか素っ頓狂に聞こえる、高い声が響く。
少し遅れて付いて来た神祇の長官が全身で震えながら竜を指差し、今にも気絶しそうになりながらも叫び続けている。
「な、何故こんな事が……はっ!? こ、これは儀式が失敗したからだ!」
自分で答えを見付け、長官はジーンを睨み付ける。
「お前のせいだ! お前が儀式を投げ出したから、このような事が起こったのだ! 誰か! こいつを捕らえよ!」
「なっ——!?」
あまりにも一方的な言い分にジーンもカッと頭に血を上りかける。しかし、ジーンが言い返す前に、魔女が前へ進み出た。
「彼には何の非も無いわ。儀式の中断も関係ない。もしあったとしても、それならば儀式に乱入した私のせいであって、ジーンには何の咎も無いわ」
「は? へ? お、お前が……?」
麗しい女性に睨まれた長官は、体型も相まって蛇に睨まれたカエルに似ていた。更に魚の様に口をパクパクとさせ、そこから音を伴った言葉は出てこなかった。
「ジーンに咎が無い事は私が保障する。勝手な言い分は慎め、長官」
「し、しかし、殿下——」
「くどい!」
王太子に言われては引き下がるしか無く、長官は口を引き結んだが、ジーンを睨み続けていた。
「ヤなやつなのよ~。パクッといっちゃう?」
「腹を壊すのである」
ウサギ達のやり取りに、ジーンは苛立ちを薄れさせて、表情を和らげた。
「今はそれよりも竜への対処が大事だ。直ちに兵の準備と市民の避難を!」
「はっ!」
王の指示に、すぐに騎士や官吏達が飛び出して行く。状況を把握し切れていないだろうに、王は自分の務めを果たそうとしていた。
ならば、ジーンもできる事をしなくてはならない。
「魔女」
呼びかければ空色の瞳がこちらを向く。
今は灰色に覆われた先にあるはずの色。それを取り戻すのだ。
「力を貸してくれないか? 竜を倒したい」
過去の記憶の中で見た『春告げの騎士』の技量どころか、デレクや、騎士団の中のいる猛者達にも劣るかもしれない。けれども気持ちだけは負けていないと言い切れる。
あの竜を倒すのはユージーン・ベルファイスを置いて、他にいない。
「——駄目よ」
静かに拒否され、ジーンが瞠目すると、魔女はくすりと笑む。
「違うでしょう? 約束したじゃない。一緒に春を取り戻すって」
二人は約束したのだから、ジーンが言うべき言葉は「力を貸してくれないか?」では無い。間違いを悟ったジーンは一度深呼吸をして、きちんと言い直す。
「一緒に来てくれ。共に竜を倒そう」
「ええ、もちろん」
すぐに魔女は破顔して了承をくれる。
一人で倒した『春告げの騎士』とは違うかもしれないが、それで良い。自分は自分。ジーンのやり方で魔女と組めば良いのだ。
「ジーン、これを」
魔女は両の手の平を上へ向けると、そこに光に包まれた宝剣が現れる。
「そ、それは! お前、それをどこ——ぐふっ!」
詰め寄ろうとした神祇長官がギーの蹴りを受けてひっくり返る。ドスンと大きな音を立てており、気を失ったようだったが、王を始めとして誰一人心配する者はいなかった。
「あなたにこれを貸しましょう。これをあなたが使って、私自身も付いて行くのだもの、決して竜になんか負けないわ。そうでしょう?」
「当然だ」
力強く頷き、ジーンは差し出された宝剣に手を伸ばす。
この剣に触れる事が許されるのは『聖なる乙女』と『春告げの騎士』のみ。この剣を用いて儀式を行う者だけだ。これを手にし、春を呼ぶ事をずっと願っていた。
しかし今は、この剣に触れる意味が変わっている。
これは信頼の証。
魔女の力の全てが込められたこの剣を託される喜びに、今だけは国では無く、彼女の騎士でありたいと願う。
「あー……良いかね? そろそろ二人の時間は終わったかね?」
咳払いと共に、王が口を挟む。
「ジーン、今は非常事態だから、そういうのは終わってからにしてくれ」
「んなっ! いやっ! そのっ!」
わたわたと慌てるジーンに生暖かい視線がいたる方向から突き刺さる。隣で頬に手をあてて笑う魔女も困っているようには見えず、一人だけ焦っていた。
「それで魔女殿。具体的に作戦などはあるのかな? できれば人里から離れて戦って頂きたいのだが」
サミュエルが話を戻し、場が引き締まる。当然ジーンも意識を切り替えて、気を高め始める。
「なら、まずは竜の気を引かないと。何か彼が狙いそうなものがあれば良いのだけれど」
「この剣では駄目なのか?」
ジーンは握った剣を掲げる。
「アイツは一度この剣に倒されている。見ればきっと怒って襲ってきそうじゃないか」
しかも魔女の力が篭められており、獲物としても魅力的なはずだ。
「……そうね」
わずかの逡巡の後、魔女は頷く。
「確証は無いけど、それなら狙ってくれるかもしれないわ」
「なら問題はどこへおびき寄せるかだな」
ジーンも腕を組み、脳内に地図を思い浮かべる。
二百年前は西方の荒野で戦ったが、今はイェルメや他の町もできていて、そこで争うわけにはいかない。しかしながら山に囲まれたユースタス王国では大きな竜と戦えるほど、開けた場所が見付けられない。
「お山に連れてけば良いのよ~」
あっけらかんと言って、ウーが北の、自分達の居城のある山を指す。
「春が大好きなトカゲさんだし、寒い白天山なら、動きが鈍くなるかもしれないのよ~」
「一理あるでござる。山ならば人もおらず、自由に戦えるでござるよ」
しきりに頷き合うウーとギーに、サーはやれやれと首を振る。
「お前ら、きちんと考えるのである。白天山は雪に覆われているのである。下手に衝撃を与えれば雪崩が起きるのである」
そこまでは考えていなかったらしいギーは言葉に詰まって項垂れたが、ウーはこてんと小首をかしげた。
「ちょっとは我慢?」
「できるか!」
ジーンはついツッコミを入れてしまい、ウーはしょぼんと耳を倒した。
「確かに雪崩の問題さえなければ良い案なんだがな」
取り成す様にサミュエルが口を開く。
「ここより北は森と山しかない。動物はいるが、彼らは我々より危機回避能力が高いからな。逃げてくれるだろう」
森は王家所有であり、多少被害が出ても生活に直結する者は居ない。しかし、ひとたび雪崩が起きれば、あの大きくそびえ立つ山を覆う雪が、王城まで迫ってくる可能性は大きい。
「だから人間は早計なのである!」
サーがふんすと鼻息荒く、割って入る。
「仕方が無いので、吾輩達が守ってやるのである。雪崩が起きても森より先には決して入り込ませないのである」
「あら~。サーったら珍しいのよ~」
「ふん! 人に被害があると、お姫さまが悲しむのである!」
耳をピンと立て、ふんぞり返るサーを尻目にギーは王とサミュエルへ向き直った。
「この通り、ひねくれておりますが、言った事は守るでござる。安心なされよ」
「有り難い」
王は目を伏せ、礼を示す。
こうして方針が決まったところで、耳をつんざくような咆哮が国中に響いた。