15:竜の呪い
完全に油断した。
吹き飛ばされ、宙に投げ出された体の態勢を整え、何とか地面に着地する。すぐに手の中を確認したが、そこには何も残っていなかった。
「やってしまった……」
どうにもこうにも詰めが甘い。そんな自覚はあったが、ここ一番の大事な所でやってしまうとは思ってもみなかった。
「竜が倒されたぞ!」
「我らの勝利だ!」
湧き上がる歓声に手から目を離せば、誰もが喜びに溢れた顔をしていて、やっと訪れる安寧に心を軽くしていた。
「やりましたね! これで春が戻ってきますよ!」
キラキラとした瞳で言ってくるのは従騎士の子で、まだ幼さの残っている子まで駆り出されていたのだと思えば哀しくなる。
「それなんだけど——」
「今日は祝勝会だー!」
隊長の言葉に野太い歓声があがり、言おうとした言葉は飲まれてしまう。そうこうしているうちに周りは人に溢れ、従騎士の子ごと、もみくちゃにされてしまった。そしてそのまま宴会が始まってしまい、結局、本当の事を伝える機会は訪れなかった。
ただ有難い事に夜通し続けられそうだと思っていた宴会は、明け方前には沈静化されていた。
皆が疲弊しており、酒の回りが良かったのだろう。宿営地には酔っ払いという名の屍が至る所に転がっていて、その中からこっそりと抜け出す。
春はまだ戻ってきていない。竜の最後の一矢によって、散らばってしまった。
あれを集めなくては本当の意味で平穏は戻って来ないし、腰に佩いた剣を、眠りながら待つ美しき人に返す事もできない。
「必ず、返しに行く」
剣をひと撫でし、用意していた馬に飛び乗る。目指すのは南東だ。
幸い、何かが飛んで来たという目撃情報が多く、欠片を見付けるのはそう手間取らなかった。問題はこの後だった。
広がる荒廃した大地の中、呼ばれるようにそこへ行き、剣を突き立てた。剣は光を発しながらそこに埋まった物を取りだしてくれ、手の中に小さな種がコロンと落ちた。瞬間、身体が大きく脈打つのがわかった。
「あのトカゲもどき……!」
顔を歪め、悪態をつきながら舌打ちしてしまう。
余程自分が憎かったのだろう。憎悪を込めた最後の一矢は単なる攻撃だっただけではなく、春の欠片を穢してもいたらしい。
「仕方ない。とりあえず回収だけして、後はアイネスに相談しよう」
白い山の頂に住む彼女と出会ったのは偶然だった。町に遊びに来て破落戸に絡まれていたところを助けたのがきっかけだ。そして彼女が『聖なる乙女』とも『白き魔女』とも呼ばれている存在だと聞いた時は驚いた。
永い時を生きてきた彼女なら、何か良い方法を知っているはずだ。そう信じて欠片をしまうと、次の目的地、南へと向かった。
そして辿り着いたのは以前も来た事のある泉。そこは美味い酒を造るのに必要な場所で、それを凍らせた竜に募る苛立たしさに任せて氷に剣をぶっ刺せば、氷は解けて水になった。同時に手の中に所持しているのと同じ種が転がる。
「くっ……」
種から感じる禍々しい気に、勝手に眉間に皺が寄る。
ここへ来る最中も種から滲みだす澱みに、体にも影響が出ていたのは気付いていた。竜の呪いは種だけを蝕んでいるのでは無い。
「急がなくては……」
焦り、一人ごちだ言葉は、泉の復活に喜ぶ人達には聞こえない。
陽が沈む度、また夜が明ける度、一分一秒時間が進むごとに侵食は増していく。
王都まで無事に来られたのは幸運だった。王からの呼び出しもあったが、そちらに割いている時間は無い。
種を求めているのは自分なのか竜の怨念なのか、段々とわからなくなっている。その代わりに欠片の気配を読み取りやすくなっていて、森の中で待つ欠片と容易に合流できた。
欠片は全て揃った。
これは己のモノだ——。
低く、重く、響く声。
違う。
これは誰のものでも無い。
早くこれを彼女の元へ持って行かなくては。穢れを祓い、世界に返さなくてはならない。
渡さない。
許さない。
もっと欲しい。
ガンガンと鳴り響く声に思考が飲み込まれて、剣を握っていた手が自然と持ち上がり、空を切り裂く。
灰色の雪雲が払われ、冷たい空気が、休息の季節が剣の中へと吸い込まれていく。竜は春だけでなく、冬までも手中に収めようとしていた。
「××××っ!」
誰かが叫んでいる。
おそらく自分の名前なんだろうが認識できないし、呼んでいるのは誰なのかわからない。聞きなれた声の気がするのに、その声の持ち主を思い浮かべる事さえできない。
怨嗟と強欲の闇が濃くなって、沈んでいく。
「——っ!?」
瞼を閉じて、暗闇の中に浮かび上がるのは美しい乙女。
白金の髪をなびかせた、どこまでも澄んだ、冬の夜空を思わせるような彼女。
「そうは……させるか……!」
最後の力を振り絞って、己の意識を覚醒させる。
このまま飲み込まれれば、この身は竜に喰われ、取り戻しかけた平穏が無に帰してしまう。
「お前、の……望み通りに、は……させ、ない……!」
あの大きなトカゲもどきさえできたのだ。自分にできないはずがない。
ぐわんと視界が歪み、真っ赤に染まる。
竜の意識が憤慨し、強まる。もう余裕は無い。
「まだ、春は取り戻せて、ない……! 剣を彼女に、返し——」
この体の中に竜は閉じ込める。
決して外には出さない。誰の目にも触れさせない。
永遠にここで、自分と二人、深淵に微睡み続けるのだ。
彼女に剣を返すと、必ず起こしに行くと約束したのに、それは守れそうにない。けれどせめて、彼女に願った目的——竜の討伐だけは成し遂げる。
「アイ……ス、ごめ……ん……」
最後に麗しいかんばせを思い浮かべて、意識は途切れた。
「——……ン。……ジーン」
霞がかる意識が呼び掛けによってはっきりしてくる。ゆっくりとまぶたを持ち上げれば、憂いの色を浮かべた魔女の顔が目に入った。
景色は王家の森に戻っていて、空気は冷たく、重くなっている。その中で感じる温もりは、抱き起してくれている魔女から伝わってくるものだ。
「お前も……見たのか……?」
「ええ。あなたも見たのね」
魔女は不安げに瞳を揺らす。
あれは『春告げの騎士』の思念。
竜に飲まれる前に強く思った懺悔と無念。
「良かったな」
ジーンが告げれば、魔女の目が丸くなる。
「あの人はやはり、お前を裏切ってはいなかった。約束を果たそうとしていた」
竜の呪いは『芽吹きの種』だけでなく、『春告げの騎士』にも及んでいた。種を集めるごとに己が揺らぎ、魂を蝕む怨念に抵抗しながら、それでも役目を全うしようとしていた。最後まで決して諦めず、国を守ろうとしていた。
「ほら、俺が言った通りだっただろう?」
「……そうね」
得意げに笑ってやれば、魔女は頷き、顔を綻ばせる。
「あなたが正しかったわ」
憂いが晴れた表情は美しくて、ずっと見ていたい気もしたが、ジーンは一度目を伏せて思いを立つと意識を切り替えた。
魔女の腕から出て自分で体を起こせば、座り込んだサミュエルとデレクがウサギ達に支えられているのが見える。どうやら二人は彼らが守ってくれたらしい。
「殿下、お怪我はありませんか?」
立ち上がって寄って行けば、サミュエルが疲弊した顔を持ち上げた。
「ああ、問題無い。しかし、無理に言って付いて来たのに、私達が足手まといになってしまったな」
サミュエルは荒々しく髪を掻き上げ、舌打ちをする。
「ああ、本当に面目ない……」
デレクはウー達に感謝を示しつつも、自分の未熟さに頭を掻いた。その気持ちはジーンも同じで、ジーンに至っては間近にいたとはいえ、思い切り当てられて昏倒している。おかげであの人の思念を読み取れたが、悔しい事には変わりない。
「それで、あの人はどこに?」
二人が無事ならば、次の対処が必要となる。ざっと辺りを見回しても『春告げの騎士』の姿は無く、気配も感じられなかった。
「あの人は竜に飲み込まれ、竜になってしまった。どこへ行ったのかはわからないわ」
魔女は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「お姫さまは竜の瘴気からジーン達を守るのを優先したのよ~。だから仕方ないわ~」
魔女の肩をぽんぽんとウーが叩けば、魔女は力なく口だけ笑みを作った。
「とりあえず、一度城へ戻ろう。城の見張りなら目撃していたかもしれん。それでなくても陛下に報告せねばなるまい」
サミュエルが重たい身体にどうにか立ち上がらせながら意見を出す。
「そうですね。まずは状況の把握が必要ですし」
その意見にはジーンも賛成で、肯定すると魔女を見やる。
「魔女もそれで構わないか?」
「ええ」
確認に魔女が頷いたのを見て、サミュエルとデレクは早速馬を準備しようとしたが、ウーがデレクの背に飛び付いて止める。
「急ぐなら転移の方が早いのよ~。サー、やっちゃって~」
「言われんでもそのつもりだったのである!」
鼻を鳴らしたサーはトストスと足も鳴らし、それから手を掲げる。
眩い銀の光が一同を包み、森から姿を消した。