14:王家の森
夜明け前の薄暗いうちに、一行は城を出た。森は広いため、馬を借り受けての出発だ。
馬に乗れるのはジーン、サミュエル、デレクで、それぞれが一頭ずつ手綱を取り、ジーンが魔女を、サミュエルがサーとギーを乗せている。ウーはデレクが気に入ったようで、真っ先にデレクの背中に張り付いていた。「おいしそうだわ~」と鼻をピスピスと鳴らしていたのには気付かなかったフリをした。
森の中を先頭に進むのはサミュエルで、この特別な行動が楽しくて仕方ないらしく、溌剌としている。心なしか進む馬の蹄の音も弾んでいる。
「少しは落ち着け、サミュエル。お前は子供か」
馬を横に並べ、デレクが呆れ顔で窘める。しかし、その背にはウーが張り付いたままで、いまいち威厳も説得力も無い。
「男はいつまでも子供の心を忘れないものさ」
「カッコつけながらアホな事言うな、バカ!」
気の置けない仲のデレクは直球で罵倒する。
聡明で公平、けれども驕らず凛々しくある王太子の姿は仕えるべき主君として、申し分なかった。しかし、その継承がガラガラと音を立てて崩れて行っているのがわかる。親しみやすさは増したが、それで良かったのかは悩ましかった。
そんなジーンの気持ちはつゆ知らず、サミュエルは快活な表情をこちらに向けてくる。
「さて、魔女殿。すでに森の中には入っているが、どうするのかな?」
「そうね。あの人が居たという場所に行きたいのだけれど……」
ジーンの腕に囲われた魔女は、そっと空を見上げる。
「少し、止まってくれるかしら?」
「わかった」
ジーンは頷くと手綱を繰って、馬の脚を緩めて止める。するとすぐに新緑を思わせるような鮮やかな小鳥が下りて来て、伸ばされた魔女の手に止まった。
魔女は小鳥と見つめ合い、その囀りに耳を傾ける。そしてひとしきり話を聞き終えたのか、ジーンに視線を移した。
「何かわかったのか?」
「ええ。あちらの方に、不思議な場所があるらしいわ」
そう言って示されたのは北の方角だ。
「不思議な場所……? それはどんな?」
「行けばわかるでしょう。この子が案内してくれるそうよ」
魔女は手を掲げ、小鳥を放つ。
「あの子に付いて行って」
「ああ」
馬の腹を蹴ればすぐに動き始め、森の奥へと飛んで行く小鳥を追いかける。時折小鳥は旋回し、こちらが見失わない様に待ってくれ、離れすぎると啼いて場所を教えてくれた。おかげではぐれる事無く付いて行く事ができ、しばらくそうして進んでいると、ぽっかりと開けた場所に出た。そこが目的地だったらしく、役目を終えたとばかりに小鳥は一啼きすると飛び去って行った。
それを見送った一行は馬を止め、ジーンは先に降りて魔女に手を貸して降ろしてやる。サミュエルとデレクも馬から降りると、二人の元へ近寄って来た。
「特に不思議さは感じないのだが?」
どこか不満そうにサミュエルが呟けば、サーがふんすと鼻息を吐いた。
「全く、人間は鈍感なのである。この場は空間が歪んでいるのである」
「空間が歪んでいる?」
ジーンが聞き返すと、魔女は頷いた。
「そうね、なんて言えば良いのかしら。こう……何かを覆い被せている様な、折り込んでいる様な、何かを隠している気がするわ」
「隠している……? 春の欠片か?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
魔女は明言を避けたが、否応なしに期待は高まる。
「暴く事は可能か?」
「もちろん」
肯定が返されたジーンはサミュエルへ視線で許可を求める。
「躊躇う事は無い。やってくれ」
「おい! そんな簡単に許可を出すな!」
あっさりと認可する様子に、デレクが慌てて止めに入る。
「何が出て来るかわからないんだろ!?」
「だからと言って、そのままにしていては事態が膠着してしまう」
「そんな事言って、お前、ただ魔法が見たいだけとかじゃ無いだろうな?」
「否定はしない」
猜疑の睨みも気にせず、サミュエルは堂々と胸を張る。
「だが、魔女殿の活動を邪魔しないという約束もある。判断はそちらに任せるさ」
それが最終結論で、皆の視線は魔女へと集まった。
「なら、藪を突いてみましょうか。蛇が出てきたら、頼むわね」
「ああ、任せろ」
おどける魔女に、ジーンはしっかりと頷く。
ジーンもそれなりに腕には自信があるし、そのジーンより腕が立つデレクもいる。サミュエルも剣は嗜んでいるし、ウサギ達もいる。大抵の事は対処できるだろう。
「では皆、一旦下がってくれるかしら? そうね、あの木の辺りまで。ウー、サー、教えてあげて」
「かしこまりました」
「任せるのよ~」
張り切る二人について、ジーン達は馬ごと移動する。広場から出れば大丈夫なようだが、念の為もう少し距離を取り、馬は更に離れた所に繋いでおいた。
「それじゃあ、ギー。お願いするわ」
「心得たでござる」
広場の端に一人残ったギーは、腰に佩いていた剣を引き抜く。初めてそれが抜かれたところ見たが、彼の剣は『春告げの剣』と同じ意匠で、大きさだけが彼に相応しいものになっていた。皆が固唾を飲んで見守る中、ギーは剣を構え、大きく薙ぎ払った。
一閃に合わせ、空間に切れ目が入る。そして、そこから細く高い音を立てながらひびが広がっていき、ついには割れて弾け飛んだ。パラパラと景色の欠片が舞い落ちる中、視界は塗り替えられていく。
眼前に広がるのは一面の花畑。先程居た広場よりもっと大きな空間に、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「これが春……」
ふとジーンの口から言葉が漏れる。
残っていたはずの雪の気配も感じないどころか、肌に感じる温もりが心地良く、抱かれているような安堵を覚える。今まで春だと思っていたものとは段違いの優しさに心が打ち震え、鳥肌が立っていく。
「春はここにあったんだな」
ようやく辿り着けた、求めていたもの。
自然と綻ぶ表情をそのままに見渡せば、ウサギ達は花畑を楽しそうに駆け回り、サミュエルとデレクもこの風景を噛みしめていた。
そんな中で魔女は憂いを帯びた面持ちのまま一点を見詰め、ゆっくりと足を進めていく。どうしたのかとジーンも後を追いながらその先を確認すれば、花に埋もれた中に何かがある。
「ああ、あなた……。こんなところに居たのね……」
魔女はぽつりと零し、涙を堪えるように目を細めた。
そこには蹲った人の姿。片膝を抱え、そこに顔を埋め、こちらに見える髪の色は陽の光の様な、輝く色。『春告げの騎士』がそこにはいた。
魔女は騎士の前まで来ると膝を付き、そっと手を伸ばして髪に触れる。同時に時を止めていたかのように動かずにいた騎士に反応がある。
「——……アイネス?」
少しだけ顔が上がり、春を思わせる若草の瞳が覗く。
「本当にアイネスなのかい?」
「ええ、私よ」
魔女が答えれば、その人は破顔する。
「君がここにいるって事は、剣は無事に返されたんだね?」
「いいえ。あなた、どこに返せば良いのか言わなかったでしょう。私ずっと待っていたのよ。それで、待ちくたびれて来ちゃったわ」
「それは……ごめん……」
「良いの」
情けなく眉尻を下げた騎士に、魔女はかぶりを振る。
「だって、あなたにまた会えたわ。だから良いの」
「アイネス……!」
二人は抱き合い、その感触を確かめ合っている。それをジーンは少し下がったところから眺めていた。
魔女は本当に嬉しそうで、彼女を抱く騎士からも柔らかな想いが伝わってくる。魔女が報われた事に嬉しさを感じつつも、どこか胸に棘が刺さったかのような感覚もあって、複雑な気分だ。それでも再会を喜ぶ二人を見れば、自分の気持ちなどは関係ないとも思えた。
「アイネス、実は僕、失敗しちゃったんだ」
「知っているわ。私、あなたの足跡を追って来たの」
「参ったな。じゃあ、情けないところ、見られちゃったんだね」
騎士ははにかみ、頬を掻く。
「割れてしまった春を、戻せるかな?」
「ええ、やってみるわ」
「そっか。でも、竜の呪いが——」
「それも何とかするわ」
魔女は請け合い、それから体を少しだけずらして、騎士からジーンが見えるようにした。
「彼が手伝ってくれたのよ。一緒に春を取り戻すって約束しているの。彼は素晴らしい騎士なのよ」
魔女の言葉を聞きながら、騎士はじっとジーンを見詰めてくる。
憧れた存在。思い焦がれた英雄。
その人の瞳に自分が映っているということが信じられないが、歓喜が満ち溢れてくる。同時に少しだけ闘争心もくすぐられ、ジーンは背筋を正した。
「ああ……それなら大丈夫だね……」
騎士はふっと表情を緩め、目を伏せた。
「後は任せて良いかな? そろそろ限界が近かったんだ」
声が掠れ、騎士の体から力が抜けて魔女の肩に額を乗せてもたれ掛かる。
「結局……尻拭いをさせて、ごめんね……」
「良いの……。良いのよ」
魔女は騎士の背中に回した手で、優しくその背を叩く。
「後は任せて。全部、ちゃんとやるわ。私と彼が。あなたの行いは決して無駄にはさせない」
声を震わせつつも力強く言い切る魔女に、ジーンも異変に気付いて行く。
「ジーン、どうした!?」
サミュエル達も気付いたらしく、こちらへ駆け寄ってくる。その間も穏やかだった空気は重くなり、荒ぶり始めた風が花びらを散らしていく。
「あとは頼んだよ、騎士君」
最後にジーンをまっすぐに見据えながら騎士が力なく微笑むと、その体から闇が噴き出した。