11:親書の中身
儀式の最中に現れた闖入者。その闖入者の術に巻き込まれ、住処である白天山の城へ行った事。その正体は冬の魔女で、倒れたジーンは彼女に介抱して貰った事。対話を求められ、告げられた『春告げの儀式』の真実と春の喪失。竜の記憶を辿り、春の欠片を探した事。
全て自分で経験した事だが、口にしているとまるで物語の中を冒険していた気分になる。ほんのわずかな期間に起こった出来事にしては本当に稀な経験だ。けれどもその冒険の物語は、まだ終わっていない。
「結局、春の欠片の所在は未だ掴めず、最後の手掛かりを求めて、魔女は国との協力を求めております」
静かに話し終えたジーンが正面を見れば、サミュエルも、その後ろに立つデレクの顔にも困惑が見て取れる。容易に受け入れられないのは、自分の経験からも納得できた。
「すぐに信じて貰えるとは思っておりません」
ジーンは胸元から着替えた後も肌身離さなかった親書を取り出し、テーブルの上に差し出す。
「こちらは冬の魔女からの親書になります。こちらをご確認頂き、お考えいただければと思います」
「ふむ……」
サミュエルは頤に手を添え、興味深げに銀の紋様を眺めた後、デレクへ目線を送り、それを受けたデレクは前へ進み出た。
「まずは俺が確認しても?」
「構いません」
ジーンが一も二も無く頷けばデレクは親書に手に取り、封を開く。
「サミュエル、下がれ!」
「これは——っ!?」
親書からは銀の粒子が飛び出し、デレクは手紙を投げ捨てると剣に手をかける。まさかの出来事にジーンも狼狽し、椅子から腰を浮かせた。
投げ出されたはずの親書は宙に浮いたまま粒子を吐き出し続け、粒子は渦巻き、塊になっていく。かと思うとポンッと軽やかな音と共に弾けて消える。そうして現れたのはモノクルを付け、後ろ足二本で立ち、偉そうに胸を張る、薄黄色のウサギもどきだった。
「お初にお目にかかる。吾輩は偉大なる白天山の主の、聡慧なる従者・サーである」
「サーである、じゃない!」
我に返ったジーンはふんぞり返るサーをとっ捕まえ、首根っこを掴んで持ち上げる。
「何でお前が出て来るんだ! 魔女の親書はどうした!?」
「放すのである!」
「そういう訳にいくか! 許可の無い者が城に入る事は認められない! 不法侵入だぞ!」
「人の法など、吾輩達には関係ないのである!」
「ありまくりだ!」
人の世から逸脱した位置にいるとはいえ、今居るのは紛れも無く人の世界で、法治下だ。しかもこの国で最も貴き人の前に突然現れるなど、礼儀も何もあったものではなく、今すぐ切り捨てられても文句は言えない。
見送りにおらず、仕事だと言われたがこういう訳だったのかと今更ながらに理解し、呆れてしまう。
「何考えてるんだ、このバカ!」
「バカでは無いのである!」
「うるさ——」
「あー……ゴホン。ジーン?」
呼びかけられて、はたと気付く。
突拍子もない事に思わず怒鳴ってしまったが、御前であり、大事な話をしていた最中である。慌ててジーンは膝を付き、ジタバタするサーを降ろすと共に頭を下げさせる。
「た、大変申し訳ございません!」
「ぶぎゃっ! 何をするので——」
「黙ってろ!」
憤慨するサーを一喝し、サミュエルに向き直る。
「殿下! まさか親書がこのようなものだとは知らず、お許しください! こいつは珍妙で不遜ではありますが、決して殿下を害そうとはしませんし、させません!」
「誰が珍妙なのである!?」
サーの抗議は一睨みして無視し、ジーンはサミュエルの言葉を待つ。
「とりあえず、そちらの彼? ——は、魔女の使者という事で良いのかな?」
サミュエルは既に平静を取り戻しており、さすが王太子といったところだ。デレクも剣に手を掛けたままではあるが警戒は緩めており、サーが危険では無いと判断してくれたようだった。
「ふんっ! その通りなのである。吾輩はサー。お姫さまの名代である」
抑え付けるジーンの手を押しのけ、サーは立ち上がると乱れた衣服を直し、姿勢を正して鼻を鳴らす。
「此度、お前ら人間と交渉する為、遣わされたのである」
「それは御足労、痛み入る」
居丈高な態度にジーンはまたサーを押さえつけたくなったが、サミュエルが受け流しているのでグッと堪えた。
「是非ともお話を伺いたい。どうぞそちらへ」
入れ替わってサーがテーブルに付いたので、ジーンは何かあってもすぐに対処できるよう、サーの斜め後ろに立つ。サミュエルも座り、その後ろにデレクも戻れば、場は落ち着きを取り戻した。
「それでは最初に名乗ろうか。私はユースタス王国・王太子、サミュエル・フィン・ユースタスだ。しかし、この場は非公式であり、私に何の権限も無く、この場での言葉に有効性が無い事を先に明言しておく」
サミュエルは朗らかに名乗り、前置きを語った所で言葉を切り、真剣な面持ちへ変わる。
「それを踏まえた上で、君に質問をしても良いかな?」
「構わんのである」
張り付いた空気の中で、サーは首肯した。
「では早速だが、先程貴殿が現れたのも魔法なのだろうか? 魔女殿の従者なのだから、当然貴殿も魔法が使えるのだろう? あれは貴殿が行ったと思って良いのだろうか? 出来る事ならその仕組みを教えて頂きたい」
矢継ぎ早に質問する王太子の瞳に曇りは無く、隠しきれない好奇心が全身から迸っている。
一瞬理解し切れなかったジーンがちらりとデレクへ視線を向ければ、デレクは諦観の浮かぶ顔で佇んでいた。
「そもそも魔法とは何だろうか? 奇跡の力と称されているが、そこに何かの法則があるのだろうか? 使えるのは魔女殿やそれに属する者だけなのか? 人には使え——」
「ゴホン」
あまりの勢いに面食らったサーは固まっており、見かねたデレクが咳払いをする。しかし、そんなものでサミュエルの勢いを殺ぐ事はできなかった。
「いい加減にしろ!」
「あたっ!」
ついにデレクの拳が頭上に落ち、質問は途切れる。
「た、隊長……?」
目の前で起きた出来事に狼狽してしまうが、起こした本人は眉間に皺を寄せたままだ。
「申し訳ない、使者殿。こいつは昔から気になったものがあると一直線で。王太子になって落ち着いたとは思ったのだが……」
デレクに睨まれたサミュエルは肩を竦めた。
「だから先に非公式だと明言しただろう」
「お前、その為に先んじて言ったのか」
「当然だ」
しれっと返す様子に、デレクは大きくため息を吐く。
「人間も珍妙なのである」
サーがぽそりと呟いたが否定できず、ジーンは沈黙を貫いた。
「先程の質問については時間があれば答える故、本題に入るのである」
「サー殿にそう言われては仕方あるまい」
デレクに睨まれたままのサミュエルは、渋々ながらも頷く。
「そちらは我が国に協力を求めているとの事だが、どういった事を求めているのか、確認させて頂こう」
先程までの少年のような態度は鳴りを潜め、抜け目のない王太子としての顔へとがらりと変わる。百戦錬磨の老獪な者達とも渡り合える、隙の無い姿だ。
「こちらが求めるのは手掛かりとなる情報の提示と、こちらの行動を妨げない事なのである。少なくとも後者は必ず認めるのである」
サーはサミュエルの雰囲気にも臆せず、要望を口にする。
「妨げない事、か……。それには条件付けが必要となる。さすがに国に害がある行動は見逃せない」
「いかにも。それはこちらも気を付けるのである。こちらとしても、人の営みを壊すつもりはないのである」
「それを聞いて安心した」
サミュエルが微笑むとサーはふんすっと鼻を鳴らす。
「我々は道理のわからぬ化け物では無いのである。しかし、こちらも条件があるのである」
不穏とも取れる発言に、ジーンは驚いてサーを見下ろす。けれどもサーはこちらに視線を返すことなく、まっすぐに前を見据えたまま口を開いた。
「ユージーン・ベルファイスの身柄の保障なのである」
「サー!?」
寝耳に水の要求に思わず声を上げてしまう。
「お前、何を言っている? そんな事、認められるわけが無いだろう!」
その要求は一介の騎士であるジーンと、数多の人が暮らす国というものを同列に語っている。その差は比べるのもおこがましい。
「ジーンは黙っているのである。これはお姫さまが決められた事なのである」
「しかし——」
「ジーン、待て」
尚も言い募ろうとするジーンを制し、サミュエルはどこか楽しそうなまなざしをサーへ向ける。
「どうしてそれを求めるのか、聞いても良いだろうか?」
「騎士ユージーン・ベルファイスは我らが主に誠意を持って向き合い、力添えをしてくれた。我らが主はそれにいたく感服し、かの者の身と地位の安全を求めるものなのである」
もっともらしく言い繕っても、要はジーンを守りたいという思惑が見て取れる。ジーンが頑なに自分より魔女を優先するとしたように、魔女もジーンの安全を優先した。祝福も貰っていると言うのに、更にこんな手立てまで講じられては完敗だった。
「我が騎士は魔女殿に随分と評価されているらしい。何とも鼻が高い事だ」
「そうですね」
同調したデレク共々、誇らしげな笑みを向けられて、ジーンは面映ゆくてむず痒くなる。
ジーンの行いは独断専行であり、決して褒められるものでは無く、領分を超えていた。叱責や罰を受けこそすれ、褒められるものでは無い。それでも上司である彼らが認めてくれるなら、間違っていなかったと思えた。
「先程、この場の発言に有効性は無いと言ったが、この件に関してだけは例外としよう。私の名において、騎士ユージーン・ベルファイスに不利にならぬよう、便宜をはかろう」
サミュエルが請け合うとサーは深く頷きを返す。
「では、話を続けようか?」
「そうするのである」
未だふわふわとした感覚に囚われているジーンをそっちのけで、会談は再開された。