プロローグ ~サクラとエリー~ ③
始まりの街パラム、噴水広場から近場にあるカフェのウッドデッキにて。
「……で、ねぬぴーしーって何?」
「そこからですか……」
サクラとエリーは向かい合って椅子に座っている。素朴な疑問としてその単語名を投げかけるサクラに、エリーは肩を落として項垂れた。
「NPC──Non Player Characterの頭文字を取った略称です」
「のんぷれいやーきゃらくたー」
「はい。私はサクラさんみたいなプレイヤーキャラではなく、この世界が作られた時から、初心者のプレイヤーさんを案内をするキャラとしてパラムに居るんです」
今一つピンとこない様子のサクラは、小首を傾げてエリーが言った名称を繰り返し呟いている。何せ彼女の遊び道具は、物心の付いた頃から棒切れや竹刀であった。本を読んだりゲームをしたり、室内に居るよりは外で身体を動かして遊ぶような性質である。つまりは、ゲームに触れたことがないのだ。そんなサクラが理解に悩むのは無理もない。
「んー? てことは。エリーは私達みたいな、人間じゃないってこと?」
「いえ、私の種族の設定上はヒューマン……人間ですよ」
「???」
唇に指を当て、悩ましげに顔をしかめるサクラ。頭にクエスチョンマークがいくつも浮かんでいそうな表情である。そんな彼女にクスリと小さく吹き出したエリーは、サクラにどう説明したものかと思考を巡らせた。
「要するに、私はプログラムされた人工知能なんです。サクラさんの世界にもありませんか? あなた達の生活をサポートする道具とか」
「……あぁ、デバイスのことかな?」
「たぶんそれです」
デバイス。サクラ──寧の世界ではデバイスと呼ばれる端末がある。携帯サイズの物から教科書や本を読み込めるような物、今回寧がこうしてサクラとなったようにVRの世界へと飛び込めるような物まで、その形は用途に応じて多岐に渡る。
「んでも、エリーはどう見ても人じゃん」
「そういう風にプログラムされているんですよ」
「ゲームだから?」
「ゲームだからです」
「ふーん?」
どうにか理解が追い付いてきたサクラである。ただ、そんな機械や横文字に疎い彼女でも、この疑問は浮かばざるを得なかった。
「でもエリーって、えーあいの割りには人間っぽいよね」
それはシンプルかつ最もな疑問だった。AIにしては受け答え、あるいは動作が自然過ぎる。こうして何も言われなければ、人間と対面しているとしか思えない。
文明は進化し続けている。それはAIも同じであり、開発された様々な物が、長い間人類をサポートしてきてくれた。寧の母親が使っている端末もそうだ。友人や学校で見た端末もそう。
それでも、この少女の様にタイムラグも無く自然に受け答えができ、あたかも感情まで取り揃えているような端末は、未だかつて見たことが無いし聞いたことも無い。
「でもゲームだし……そういうモノなのかなぁ?」
難しい事は分からない。でもエリーがただのAIが組み込まれたNPCでない事は何となく理解できる。
「正直、私にも分からないんですよね」
そんな中、エリーが自嘲気味に呟いた。
「何時から私はこうだったのか……今の私に至るまで、かつての私は同じようにプレイヤーさん達と接していたんでしょうか? そもそも、私は本当にNPCだったの?
私は、自分で、自分の事が分からないんです……」
物憂げな表情で続けたエリーは、自分を見つめて話を聞いていたサクラに気付き、慌てて両手を左右に振る。
「す、すみませんっ、会って間もない方にするようなお話じゃないですよねっ」
程なく両手をテーブルの上に置いたエリー。依然としてこちらを見つめたままのサクラ。澄んだ瞳に見つめられ、何となく気恥ずかしくなったエリーはテーブルに備え付けてあったメニュー表を手に取り、誤魔化すように眼前で広げた。
「何か注文しましょうっ。こういった世界は初めてですよねっ? 私のおススメで良ければ……」
サクラさん? と一向に反応を示さないサクラをメニュー表越しに覗き込む。
彼女は、頭から湯気を立ち上がらせつつテーブルの上に突っ伏していた。
「ぷしゅー」
「わぁっ!? サクラさん!?」
サクラ:Lv1
⇒状態:混乱
突発的にエリーが彼女のステータスを調べると、そんな表示がされていた。
「ムズカシイコト、ワカンナイ」
頭を働かせるのは、サクラにとって最も不得手とする分野である。彼女なりに働かせていた頭脳は、ついにオーバーヒートを起こしたのだった。
◇◇◇◇
しばらくして。
バッドステータスから解放されたサクラは、エリーの厚意によってデザートをご馳走になっていた。
「美味しー!」
「喜んでもらえて良かったです」
テーブルの上に並んでいたのは苺のタルトとレモンジュース。果実の甘みが疲労した脳を癒し、酸味のあるジュースが爽やかに喉を潤していく。
「ゲームなのに味覚を感じるって何か不思議ー」
言いながらフォークを動かす手は止まらない。次々に口へと頬張られ、その都度緩まるサクラの表情は何とも微笑ましい。瞬く間に空になる皿を見ながら、エリーは再度メニュー表を手に取った。
「次は何を食べてみますか?」
どうやらまだ奢ってくれるつもりらしい。ジュースを付属のストローでもって飲んでいたサクラは、そんな彼女に申し訳ないとばかりに手を振った。
「いやいやっ、もう十分だよっ。ありがとう! 美味しかった!」
「そうですか?」
ぱたりとメニュー表を閉じたエリーは、まだ半分も食べていないタルトにフォークを伸ばし始める。
「こんな美味しいものばかり食べてたら太っちゃう」
「いえ? この世界では太りませんよ? あくまでもデータですし、カロリーはありません」
「……まじ?」
「はい」
「やっぱ食べ……いや何でもないですハイ」
衝撃の事実に思わず目が輝きを放つサクラだったが、メニュー表に手を伸ばしそうになった所でその腕を引っ込める。例え厚意であろうが奢られているという事実。この辺りの教養は、母親から厳しく言われていた事だ。
「お金を稼いだたらたらふく食べてやる」
しょげていたかと思えば態度を一変させて拳を握るサクラ。コロコロと子供のように感情を変化させる彼女を見て、エリーはたまらず吹き出してしまった。
「ふふっ、サクラさんって面白い人ですね」
「何だよもー。私だって遠慮って言葉くらい知ってるんだぞぅ」
「うふふっ」
サクラが頬を膨らませて抗議するも、その仕草すらもはや面白く思える。堪えられない笑みを浮かべて表情を崩すエリーに、やがてサクラも釣られて笑顔を溢したのだった。
◇◇◇◇
「さてー。ねぇエリー、このゲームって何をするゲームなの?」
カフェを後にしたサクラは背伸びをしつつ、後方から着いてきたエリーに聞いてみた。
「そうですね……この世界でやるべき事は最終的な目標こそあれど、基本的に何をするのも自由です」
「自由?」
「はい。自由です」
エリーの答えにきょとんとした顔を向けるサクラに、彼女は簡単に一通りの説明を試みることにした。
まず最終目標。これは第三ステージの最奥に居るラスボスを倒すこと。基本的にこの時点でゲームはクリア扱いとなる。ただしそのような熟練のプレイヤー達に配慮し、直近のアップデートでその後に出来る高難易度のクエストがいくつか展開されている。
そして、そこに至るまでがこのゲームの肝とも言える部分。それが自由度の高いシステム周りになる。一つの職業を極めるのもよし、多くの職を勉強して新しい分野を開拓するのもよし。徒党──ギルドに加入、あるいは作成して討伐戦で競い合う者もいる。闘技場で頂点に立ち、常に自分を高めるのも良いし、カジノで莫大な資産を築き上げるのも良い。もしくは農業や鍛冶等を始めて、それを商売にするのもありだ。
「ちなみにこの第一ステージのアリステオでは、農業が最も盛んだったりします」
「ほぉ」
初心者から中級者に上がろうとする者が、最も堅実かつ楽にお金を稼げるのがそれだから。と付け加えられた。
「もちろんパラムの外に出ればモンスターも居ますし、彼らを倒したり、それに沿ったクエスト等をクリアすることで経験値やお金は貯められます」
「私はどっちかと言えばそっちをやってみたいなぁ」
「戦闘に関してはアリステオは言わばチュートリアルのようなものです。出現するモンスター自体、低レベルですからね」
戦闘を楽しみたいなら、第二ステージの【ガルシオ】へ向かうのをお勧めしますとエリーは言う。
第二ステージには闘技場もあり、様々なプレイヤー達が腕を競い合っているそうだ。当然ながらクエストの種類も増え、モンスター達も強さが大分上がっているそうで、ライト層は大体このステージで満足しているとの事。
「サクラさんの目標は、まずある程度レベルを上げて、それから第二ステージに行くことだと思います。第二ステージに行くと、武器や防具、素材の種類がかなり増えますから」
「ほうほう」
「ここまでで、何か質問はありますか?」
そう言ってひとまずの区切りを付けたエリーに、サクラはしばし頭を掻いて考え込む。
「うーん。私って、昔から習うより慣れろなタチだからなぁ」
「あはは……」
恐らく半分も理解していないだろうと思われる反応を返されてしまった。
「とりあえず、レベルを上げましょうってことだね!」
「そ、そうなりますね」
「じゃあ街の外へ案内よろしくっ」
「えっ?」
そういう事なら話は早いと、早速サクラはエリーの手を引いた。
「わ、私は皆さんを案内するだけのNPCなので戦闘能力は皆無ですし、街の外へは……」
「だぁいじょうぶだって。いざとなったら私が守るし!」
「そういう問題ではなくてっ。あのっ、話聞いてますっ!?」
エリーにとって予想外の出来事に対し、サクラは当たり前のように答えた。
「だってもう、私とエリーは友達──フレンド? みたいなものでしょ?」
屈託のない笑みを浮かべてきっぱりと述べるサクラ。
「エリーがえぬぴーしーだったって関係ないよ。私は君がエリーだから誘ってるんだっ」
真っ直ぐに向けられたサクラの言葉は、エリーに対して更に予期せぬ事態を発生させた。
「えっ……涙……? わた、私……なん、で……?」
本来ならあり得ないはずの涙が両の目端から溢れている。NPCとして生まれた彼女が自我を持ってから、かつてこれほど単純な言葉に、ここまで感情を揺さぶられた事があっただろうか。
──温かい。これが涙……ダメ、止まらない。
胸の奥が暖かい……これが嬉しいという、感情──
「あああっごめんそんなつもりじゃ!? 嫌なら私一人で行くからっ」
こちらも予想外の反応をされて慌てふためくサクラは、エリーの手を離すべく力を抜こうとする。
しかしエリーは無意識の内に、離れようとしていたサクラの手を強く握り返していた。
「エ、エリー?」
「……連れて行って」
小さく呟かれたエリーの言葉は、サクラに満面の花を咲かせる。それを見たエリーも同じように笑顔を作り、こう答えた。
「私を、この世界の外へ連れて行って下さい!」
彼女と一緒なら、きっと自分が何者なのか、どうして自分は自我を持ってしまったのかを教えてくれる、あるいは、気付かせてくれる──そんな気がした。




