プロローグ ~サクラとエリー~ ①
「寧ー! 勉強は終わらせたー?」
階段の下から母親の催促が飛んできた。
自室。ベッドの上で寝転がり惰眠を貪っていた女の子は、スプリングに軋みを弾ませて上半身を起こす。
「まだー!」
朝倉寧。黒髪ポニーテールが特徴的の、快活そうな女の子である。ドアも開けず、しかし確実に聞こえたであろう元気の良い声で答えた彼女は、ベッドの縁に居住まいを直した。
「ちぇーっ。つまんないなぁ」
教科書が登録されているデバイスや筆記用具がおざなりに広がっている机の上を横目で見る。今日の課題がまだ一割も進んでいない現実に悪態を吐いた寧は、部屋のドア横に置かれている防具袋へと向かった。袋のすぐ傍には竹刀が立てかけてあり、その柄を握る。
期待のルーキーだと持て囃されたのは何ヶ月前のことだっただろう。高校一年生にして先鋒という重要なポジションを任され喜んだのは何時頃だったか。あぁ、素振りをしたい。
「……メっ──!!」
衝動的に面を打つと、盛大に壁に打ち付けてしまい両手が痺れてしまった。
「ねえーい! あんたまたやったね!?」
「いったぁーい……って、あぁ、お母さんごめーん!」
当然ながら打ち付けた際に大きな音がしたものだから、母親が五月蠅いとばかりに怒声を上げる。
「しょーがないじゃんか。部屋が狭いんだもん……」
これでは満足に素振りも出来ない。かといって庭先で竹刀を振るう訳にはいかないのだ。
西暦21××年。寧が高校に入学し、一ヶ月ほど過ごした後、世界は謎のウイルスによって汚染されてしまった。感染すれば数日で命を落としかねない危険な性質を持つウイルスだそうだ。数ヶ月経った今もなおウイルスは猛威を振るい、日本のみならず世界全ての国々が自粛を余儀なくされている。幸いにしてここ最近抗体が発見され、これによる臨床試験が世界中で行われ始めた。しかし安定した薬が出来上がるのは最低でも一年は掛かるとのこと。
これは、寧の高校生活が一年目にして早くも棒に振られたということでもある。
「ぬぁああん! おかーさああん! ちょっと庭に出てもいい!?」
別の意味で痺れを切らした彼女は、じわりと悲鳴を上げる手首を振りながら階段を駆け下りた。
「あんたはもう……勉強は?」
台所にいた母親は寧と同じく長い黒髪を後ろで束ねていた。エプロンの裾で手を拭きながら寧へと振り返る母の表情は、あからさまに呆れたものだった。
「身体動かさないと集中出来ない!」
「あんたそう言っていつも動いた後ぐーすか寝てるじゃないの」
「だって動いたら疲れるじゃん」
「言ってることチグハグなの分かってる? ダメよ、勉強してからになさい」
「疲れる前に止めるから」
「それは一昨日聞いたわ」
「寝る前に勉強するし」
「それも昨日聞いたわね」
「おーけぃ?」
「No.Now go and study.」
「お、な……なう、ごー?」
「いいからとっとと部屋に戻って勉強なさいってのバカ娘」
ネイティブに即答された寧は頭否応なしに自室へ戻らされたのだった。頭にクエスチョンマークを浮かばせながら渋々と階段を登る寧の後ろ姿を、母親は呆れと慈愛の入り混じった眼差しで見つめていた。
「もう、学校に行けなくなって半年だものね……私はあの子に何かしてあげられるのかしら……」
台所に戻ってみれば、付けっぱなしのテレビがニュースを映していた。専門家とコメンテーターらしき人物達がウイルスの対応について、対策が遅いだの民間への補償が少ないだのと白熱した議論を展開させている。
「言うだけなら簡単なのよねぇ。まったく」
言いながらリモコンを手に取り、チャンネルを変える。すると見慣れない番組が映った。
「あら? こんな番組あったかしら?」
テレビの中では、VRMMO特集とテロップの付いた番組が流れている。頭を包み隠すようなデバイスを装着したリポーターがベッドの上に横たわっていた。やがて起き上がったレポーターは興奮した様子でデバイスを外していく。
「いやぁ凄いですねこれ! VRゲームって私も昔やってたことはありましたが、映像もさることながらゲーム内容も進化しましたねぇ! ここまで来たかーって感じで!」
捲し立てるように賛辞の言葉を並べるリポーターと、それを見て同調したりちょっと引き気味に答える人々。
「何より現実と変わらない精度で動けるのが良いですね! 本当に運動でもしてるような気分になりますよ!」
それを聞いた母親は、はたと何かを思い付いたようにメモを取り始める。番組に出ているデバイスを書き記し、あとはその名前が呼ばれるのを待つばかり。
「へぇ、【SecondaryWorld】って言うんですか……俺も買おうかなこれ」
「ちょっと畑山さん? 素が出てますよ?」
周りからドッと笑いが出たところで母親はテレビの電源をオフにした。
「……まぁ、家のそこら中で竹刀振り回されるよりマシよね……たぶん」
母親は自分に言い聞かせるように、携帯デバイスを手に取ったのだった。
◇◇◇◇
「寧ー、ちょっと開けてー」
翌々日。大きな箱を両手で抱えた母親が寧の部屋を訪ねた。
「なぁにお母さん……って何その箱!? でかっ!」
ドアを開けるやその様を見て驚く寧を他所に、母親は彼女の部屋へ入っていく。
「さっき宅急便の人が来てたけど、それが?」
「そう。今のあんたに丁度良いかなって思って」
よいしょ、とベッドに箱を置いた母親は、寧の反応を待たずにそのまま封を切っていく。箱の中にある緩衝材を除けていくと、一回り小さい箱が収まっていた。その箱の上にはゲームのパッケージらしきものが置かれている。
「こ、これは……! ぶいあーる何とか!」
それを見てやや興奮気味な反応をしでかす寧。
「せ、せこん……ど? ありー?」
「……あんた高一にもなってその英語力はさすがに不味いわよ」
パッケージを手に取った寧は両目と眉を寄せ、必死にタイトルを読み解こうと頑張っている。母親はそれに落胆しつつも、先日とは違い彼女にも聞き取れるようにゆっくりとした発音で答えた。
「【セカンダリーワールド】。VRMMOっていうジャンルのゲームらしいわね」
「どうしてこれを?」
「正直なところ、私も迷ったんだけどね。でもVRの中でならきっと、いくらでも動けるでしょう? 寧のストレス発散には多少は役に立つかなって」
「お母さん……!」
「だからって勉強を疎かにしたら没収するわよ」
「ありがとー!!」
(聞いてないわね)
自分に抱き着いて全身で喜びを見せる我が子の頭を、母親は微笑ましく思いつつ優しく叩いた。
◇◇◇◇
「んーと、これで良いのかな?」
頭にデバイスを装着した寧が仰向けの状態でベッドの上に横たわっている。一緒に準備を進めていた母親は、説明書を片手に彼女を見て頷いた。
「いい? ゲームの中での時間は向こう一日がこっちの一時間よ。今日はそれくらいでログアウトすること。分かった?」
「分かってるって!」
あまりにテンションの高い反応に一抹の不安を隠せない母親である。しかしながら、ここまでテンションの高い彼女を見るのはどこか久しぶりな気がする。横たわった寧の肩を何度か叩き、いってらっしゃいと声を掛けた。
「いってきまーす! ──ええと、これかな?」
寧は眉間辺りにある電源スイッチを押し、デバイスの起動を待つ。
(どんなゲームなのかな……! 早く……! 早く!)
期待に満ちた面持ちで彼女がそう思った矢先、意識は電子の海へと旅立った。
「……傍目から見ると妙な光景ね」
直後に母親はそんな彼女の様子に苦笑した。
「こんな大口開けちゃって……寝てるようにしか見えないわ。ふふっ」
いびきでも聞こえてきそうな寧の様を少しの間見守った母親は、やがて空箱を持って部屋を後にしたのだった。
始めてしまった。始めてしまいました初めてのVRMMOジャンル。
誤字脱字MAXな拙い文章ですが気楽に読んで頂ければ幸いです。




