緑と水の森 アクアウッズ ④
サクラのレベルが1のままだという件は、表記上の不具合だという事でエリーが結論を付けた。次のレベルまでの空白も、恐らく同じ案件だろうとエリーは言う。
何にせよエリーが負けた事によって、サクラのATKはしっかりと上がっている事が判明した。
表記がバグっているだけで、レベルはちゃんと上がっているのだ。今はそれが分かっただけでも十分だった。
サクラには後でログアウトしたのち、不具合の報告を送るよう伝えている。恐らくはそれで解決するはずだと、二人は安堵の表情を浮かべていた。
「サクラさんも飲んで下さい。さっきまでの戦闘で、ずいぶん疲れも溜まってるでしょうから」
先ほどの腕相撲で負傷した手を回復ポーションで癒したエリーは、そう言って二つの小瓶をサクラに手渡す。青色と黄色のポーションである。
「わぁ、良いのっ?」
「もちろんですよぅ。そのために作ってたんですし」
その割にはあの時差し出す気配もなかったよね。と、サクラは喉元まで出かかった言葉を飲み込み、エリーの厚意を素直に受け取った。今更それを言うのは無粋というものだ。
「おいしい!」
まず先に青色のポーションを飲んだサクラは、そのすっきりとした味わいに驚く。清涼感のある喉越しは、寧の世界でいうところのスポーツドリンクに近い。喉を鳴らして飲み干していく小瓶の中身を、エリーは調合した甲斐があったと言わんばかりに眺めていた。
空になった小瓶をエリーが受け取ると、早くも黄色のポーションへと手を伸ばす。そして何の疑問も抱かずに同じ勢いのまま口に含んだ途端、彼女の表情は瞬く間に歪んでいった。
「……うぇぇ、にがいぃ……」
例えるならば、父親が徹夜明けによく飲んでいたような栄養ドリンクの味だった。
昔それに興味を示したサクラがこっそり飲んでみた時、その不慣れな苦みに顔をしかめた事がある。更に後日、本数が少なくなった事を不審に思った母親から問い詰められ、バレた挙句に叱られた事も。
吐き出そうかと口の中を蠢かしていると、目の前でこちらの飲みっぷりをニコニコとしながら見ていたエリーに気付いてしまう。
色々な意味でほろ苦い思い出が蘇るサクラだったが、彼女の笑顔を見ていると吐き出す事をどうにも躊躇ってしまい、少しの逡巡のあと一気に胃の中へ流し込んだ。
「エリー……青いのもう一本ちょうだーい……」
「ダメですよぅ、無駄遣いはいけませんっ」
「そんなぁー」
せめて飲む順番が逆ならと、またしてもサクラの記憶に苦い思い出が加わったのであった。
◇◇◇◇
・アクアウッズ/後半エリア
体力も回復したところで、二人は再び後半エリアへと足を踏み入れていた。
ダンジョン深部の方は森の様相が濃くなり、序盤中盤と葉脈のように見受けられていた小さな川は、元の形を取り戻すように大きくなっていく。
彼女達の身長を悠に超える木々の隙間から覗く山影も、序盤に比べて明らかに近くなっている。
ダンジョンの探索も、いよいよ終盤に差し掛かろうとしていた。
「うーん、口の中がまだ苦い気がする……」
「そのうちに慣れますよ」
未だ口をすぼめているサクラに対し、エリーは自分も最初に試飲していた時はそうだったからと、微妙に解決にならないアドバイスを送る。要は慣れろという事である。
「そんなことよりサクラさん」
「そんなこととな」
「そんなことよりです。そろそろボスのいる辺りに近づいてきましたけど、本当に戻らなくて大丈夫なんですか?」
サクラの装いを見つつ、エリーが不安そうに状況を確かめる。
HP等が回復したといっても服や防具は傷だらけ。錆び付いたショートソードに至ってはこの先のボス戦で耐えられる保証もない。
「んー、何とかなるよたぶんっ」
言われて自身の装備を見やったサクラは、エリーの心配を他所にどこまでも楽観的な様子。
「……はっ! ポーションを飲みながら戦えば良いんじゃない?」
「まぁ、それもアリだとは思いますが……相手はボスですよ? そんな暇はあるんでしょうか?」
「……待っててもらうとか?」
「えぇ」
「もー、大丈夫だって。心配性だなぁエリーは!」
「誰のせいで心配性になってると思ってるんですかぁっ!?」
一向に主張を崩そうともしないサクラにツッコミを入れたエリー。
「だぁいじょうぶだってばー。それに策ならあるし」
彼女は呑気な様子でもってコンソールからアイテム欄を開き、その中にある剣の形をしたアイコンをタッチする。
するとサクラの手元に一瞬モザイクのような空間表示がなされ、間もなく柄だけの武器が現れた。
重みからして何らかの金属で生成された物だと推測されるが、その柄の前後には柄頭も鍔も無い。装飾等も一切見当たらず、アイテム名さえ表記されなければただの鉄の棒切れだと勘違いするほどだ。
アイテム名【名剣/イスケンデルベイ】。
凄まじい可能性を秘めたユニーク装備であるが、その性能をまだ知らない彼女達にとっては剣身のない剣、あるいは欠陥品とも受け取れる代物だった。
「……まさか、それで?」
その柄を顔の前で弄っているサクラを見て、怪訝そうな顔でエリーが訪ねた。
「うん。私の予想が正しければどっかにボタンか何かがあるんじゃないかなって」
どうやら刃を出すためのスイッチでも探しているらしい。しかし散々こねくり回しても一向にそれらしき箇所は見当たらず、やがて肩を落としてしまったサクラ。
「なぁんも無いね……ほんとに剣なのこれー?」
「その様に表示されてますので、たぶん……」
ぶつぶつ文句を言いながらうな垂れるサクラの頭頂部を、エリーは優しく撫でて宥める。
「や、やっぱり戻りましょうか──」
と、サクラに促そうとしたその時。周囲の木々がざわめき出した。
風が吹いた訳でもなく脈動する不審な森の鼓動に、サクラはすぐさま警戒を強めてエリーの前に立つ。ながらにイスケンデルベイの柄を懐に投げ入れ、鞘からショートソードを引き抜く。
不意に前方に繋がる道の一部が、膝丈まで盛り上がった。
歪みを上げた地面は周囲の木々を傾かせ、それは地中に張っていた根を引き千切りながら芽吹かせる。
巨大な花の蕾だった。
人の身長まで伸びた野太い茎の上に、川辺で見た岩のような大きな蕾が乗っかっている。
サクラ達が呆気に取られているうちに、蕾の近くにあった木が見るからに色褪せ、草花も色褪せていく。乾いた音が響いたかと思えば、木の幹は次々とひび割れを起こしていった。
それに反比例するかのように蕾は成長を続ける。茶色がかった茎は緑を増していき、蕾の花弁は赤や橙、ピンクと鮮やかに彩られていく。
その様はまるで、周囲から養分を根こそぎ奪い取っているかのようだった。
瞬く間に成長を遂げる蕾の全体像はおよそ3mにまで達していた。茎の直径は1m程だろうか。何にせよ花という枠にしては規格外なサイズである。
そして地面の根本から蔦が生え、自らの茎を巻き上げていった後、そこまでが成長期の終わりだと言わんばかりに蕾は一気に花弁を咲き開かせた。
驚くべき事は開いた花びらの中心──本来あるべき雌しべの部分が、妙齢の女性を彷彿とさせるような上半身姿だったということだ。
薄緑色の裸体を惜しげもなく晒し、深緑の瞳と長髪、頭部には何種類かの花がアクセサリーのように咲いていた。
目の前で急速に育ち上がった巨大な生物。
サクラの背後から顔を覗かせていたエリーは、直後にボップアップされたモンスター名を見た途端、我に返ったように叫び出す。
『ドリアード:Lv15』
「──あぁっ!? あれはドリアードですぅ!?」
「……なんですとー!?」
背後からの台詞にサクラはその植物を見上げてから一拍置いた後、同じように吃驚した。
「だっだだ、だって女の人が生えてるよ!? ていうか生えてるであってるよね!?」
「合ってますよぅ! あれはそういうモンスターなんですー!」
その見た目に混乱を催すサクラだったが、エリーにすぐさま窘められて臨戦態勢を取った。
「……くそぉ! モンスターのくせに何だその胸は! チクショウ!!」
「怒るとこそこですか!?」
モンスターながら豊満にそびえ立つ二つの山にサクラが堪らず怒号を上げると、その背中に激しいツッコミが入る。
うっかり加減を間違えたのか、相当の強さで叩かれたサクラは前へよろけるように傾いたが、むしろそれが開戦の狼煙となった。
「よーし気合入った! いくぞぉ!」
理不尽な怒りやら興奮やらでボルテージの高まったサクラは、そのまま足を踏み込んで力を溜め直ぐ地を蹴った。
「サクラさんっ! 狙うのはドリアードの本体──あの女性です!」
「了解!」
樹木のような太い茎を狙ったところで、幾重にも巻かれた蔦に阻まれるだろう。
だが何も身に付けていない素肌になら確実に攻撃は通る。無論、そこまで攻撃が届けばの話だが。
こちらを見下ろしたまま微動だにしない本体を目掛け、サクラが間合いを詰めようとする。
大地を駆けるサクラの足音に、ドリアードはそれを自分への敵性反応と見なして反応を起こした。
『スキル:緑槍』
サクラの目下から突如、大地を突き破った木の根が襲い掛かる。しかし微かな地面の膨らみにいち早く反応していたサクラは跳ねるように横っ飛びしてこれを回避。
「あっぶな!?」
自身の腕ほどはあろうかという太さの根だった。その先は槍の穂先のように鋭く、サクラはそれに貫かれた自分を一瞬でも想像してしまい、思わず息を呑む。
こんなものが真下から直撃すれば痛みや振動云々の騒ぎでは済まないだろう。いくらゲーム内で痛覚が無いとはいえ、モズのはやにえにはなりたくない。
まるで本体に近付けさせんとしているかのように、凶器と化した根が休む暇も与えず足元から突き出される。
「ちょっ、近付けないんですけど!?」
開始早々ドリアードから送られる激しい洗礼に、サクラは地面から来る僅かな振動、盛り上がり方を素早く見定めながら避けていく。
恐らく一発でも当たれば死亡は確実──その刹那的な状況が、サクラに驚異的な集中力をもたらしていた。
「サクラさんっ一旦戻って!」
一方、ドリアードの攻撃に違和感を覚えていたエリーは後方から撤退の指示を出す。
(また話と違う……! あんな攻撃は聞いた事がないのにっ)
アクアウッズに存在する二種類のボスモンスターの内の一つはドリアードである。これは直面している状況を見れば明らかなものだ。
ただ現状の攻撃方法においてはエリーをもってしても聞いた事がない。先日の黒スライムの時に感じた違和感が既視感となって浮かび上がる。
ドリアードが先ほどから繰り広げている串刺し攻撃。あれは下手をすれば即死攻撃にもなりかねない。はたしてそれを序盤のダンジョンで実装してしまっていいのだろうか。ましてやそんなものを連発するほどに。
「ひーっ! あんなの近付けないって! ほんとにこれ序盤のダンジョンなの!?」
辛くもこちらまで撤退してきたサクラは、エリーと全く同じ所感を述べながら息を弾ませている。
「そのはずなんです。でも、あんな攻撃は聞いてませんっ」
サクラにスタミナ回復用のポーションを手渡しながら、エリーは険しい表情でそれに答えた。
「……ぷぇっ、だよねっ? あんなの刺さったらお嫁にいけなくなっちゃうよー!」
躊躇う前に黄色い液体をさっさと空にしたサクラは、苦みに顔をしかめつつ少々ズレた反応をする。
「仮に死亡しても身体は元に戻りますので大丈夫……ってそういう事ではなくっ」
律儀にもそれに答えかけたエリーは頭を振り、眼前のドリアードを注視しながら思考を凝らす。
ドリアードはサクラが離れた事で、あっさりとその動きを止めていた。そのおかげで奇しくもサクラが言っていたポーションを飲みながら、などという戦法を取れている。
周囲の地面はサクラの動向をなぞるように幾多の穴が穿たれており、もはや悪路とも言える道筋と化している。
闇雲に突っ込んでも足元から放たれる根っ子に阻まれるのが関の山だ。ましてあれほど道が悪くなってしまえば足を取られてしまう可能性も増える。
ならば遠距離からの攻撃、と言いたい所だが生憎サクラもエリーも現状その手段を備えていない。もっともそれを行ったところで、適性反応を見なしたドリアードが何も仕掛けない訳ではないだろう。
そもそも緑槍というイレギュラーな攻撃をしてきたのだ。他にもエリーが知らぬ攻撃をする可能性だってある。
(困りました……近づく方法がまったく思い浮かびません)
「あぁっ! 私の武器っ!」
困りあぐねているエリーの隣で、前方に転がっていた柄を見付けたサクラが慌てた様子で懐をまさぐった。激しい運動の最中、シルバーウルフとのもみ合いで破れてしまった衣服の隙間からこぼれ落ちたのだろう。
「あぁぁあっ、落ちる、落ちちゃう!」
「ちょ!? サクラさん!?」
穴の中に吸い込まれるように転がって行く柄を見るや、衝動的に地を蹴っていたサクラ。
エリーの制止も聞かず、再び行動を開始したドリアードから放たれる緑槍を避けながら、時には足を取られながらも猛烈な勢いでその地点へと駆け抜けていく。
「セーフ!」
滑落しかけていた柄を拾い上げる。その視線の先──穴の中から、するりと蠢く根を見付けてしまったサクラは心臓を跳ね上がらせながらも咄嗟に首を上げた。その直後、真下から突き上がるように飛び出してきた槍の根がサクラの鼻頭を掠めていく。
無意識に頭部への損傷がない事を確かめていたサクラは、図らずもドリアードが居る位置まで目前だった状況に気付く。
距離にしておよそ5m。何歩か走り込めば届く距離だ。このタイミングを逃したらまた攻めあぐねてしまう。それならば。
知らずの内にショートソードを握る左手の強さが強くなり、右手に柄を持ったまま行動を再開した。
一歩踏み出すごとに盛り上がる地面を持ち前の瞬発力をもって斜め前方に進んで回避。二歩目で既に勢い付いた身体は突き上がった根を後方へ置き去りにする。三歩目の着地でサクラは前傾姿勢のまま身体を屈め、脚に力を籠めた。
つま先に溜まった力を爆発させて膝を伸ばしたサクラは、跳ね上がるようにドリアードの本体へと飛び掛かる。
しかしここに来てエリーの不安要素が的中した。
ドリアードは眼下から突っ込んでくるサクラへ両腕を向けており、その形を変化させていた。ぐるりと絡み合う両腕は花の蕾のような形を作り上げ、急速に膨らむ。
『スキル:種子飛ばし』
直後に蕾の先から放たれた種は、サクラの頭ほどもある巨大な弾丸だった。
「なんの!!」
しかしサクラは一瞬だけ目を見開いてはいたものの、直ぐにそれに対応してみせた。
種子の発射と同タイミングで横向きに回転したサクラは、その勢いのままショートソードの腹を種に叩き込む。強制的に力点を加えられた種の弾丸はその方角を変化させ、サクラの真横を掠めるように飛び去っていった。
それに何ら感慨を浮かべる訳でもなく、ドリアードは次の装填をすべく両腕の蕾を膨らませる。
「よぉやく捕まえたぞこんにゃろーめ!」
だが既に、サクラはドリアードの土台とも言える、人ひとりが楽々と乗れそうなサイズのがく片へと登り詰めていた。
ショートソードの切っ先を本体へ向け、彼女はニヤリと笑う。
その剣身がひび割れを起こしているのに気付くのは、間もなくの事であった。




