緑と水の森 アクアウッズ ③
・アクアウッズ/後半エリア
「ねぇエリぃー。いい加減機嫌直してよー私が悪かったからー」
ダンジョンの探索も既に終盤に差し掛かろうとしているが、依然としてサクラの前を歩き続けるエリー。彼女の足が止まる時はいずれも戦闘が起きた時のみであった。
そして此度もまた、エリーはモンスターの出現によりその歩みを止める。
「サクラさん、モンスターです」
何とも事務的な言い方である。
二人の眼前に現れたのは通常のスライムだ。大きさは50㎝程だろうか。ゼリー状の青い身体は表面に艶があり、体内は彼らの心臓である核が視認出来るほど透き通っていた。
以前の黒スライムと比べ異質さの欠片もなく、ただその場でプルプル揺れるだけの様を見ていると、むしろちょっとだけ愛らしいとすら思えるような生き物に見えてくる。
ただし中身はやはりモンスターであり、プレイヤーにとって危険な存在である事に変わりはない。
「よぉし! 任せて!」
エリーの前に威勢良く割って入ったサクラは、その勢いを殺さず青スライムに肉薄し、左腕を振り上げる。持っていたショートソードが頭部まで上ったのと同時に、右手が空いた柄へと添えられる。
肺に込められた空気が、唇から鋭く吐かれた。
袈裟斬りの型を成して振り下ろされたショートソードは、若干の弾力性を備えている青スライムの身体を核ごと切り裂いた。接地している地面から僅か数cmの高さを残して青スライムは真っ二つに割かれ、バランスの保てなくなった身体が左右に崩れていく。
開幕からモンスターらしい行動を取る事も叶わず、青スライムは宙に溶けていった。
(……やっぱり、何度見てもすごい)
およそ十秒に満たない合間に仕留めてみせたサクラの腕前を、羨望の眼差しで見ていたエリー。実のところ、彼女の怒りはとっくに静まっていた。
というのはサクラの戦闘を見る内に、もっと彼女の戦いを見てみたいという率直な感想がそれを上回ってしまっていたから。
それほどにサクラの戦闘は何度見てもシンプルなもので、人の目を惹き付ける何かがある。
モンスターとの距離感、また間合いの詰め方や剣を振るうスピードは明らかに初心者のそれではない。剣術に至っては一連の流れ全てがたった一つの動作として、既に洗練されている気さえする。
体術に関しては心得が無いのか、不格好な方法での攻撃しか出来ないらしい。だがそのギャップがまた剣術との対比となり、目を離せない要因の一つとして思えてしまう。
何より、心の底から楽しそうに動き回る彼女を見るのは、飽きなかった。
サクラにはあんな態度を取ってしまったが、自分でも訓練すればあの様に剣を振るう事が出来るのだろうか。縦横無尽に駆け回る事が出来るのだろうか。
彼女の姿に自分を照らし合わせ、想像を掻き立てる度に胸の高鳴りは大きくなっていく。
ただ、黒スライムの際に見せた動きには程遠い気がしてならないのは何故だろう。このダンジョンに入ってからそれなりの戦闘を重ねているのに、未だあのユニークスキルを使わない理由とは。
そう考えていた矢先だった。
「エリー! 後ろ!!」
緊迫感のある発声を耳にしたエリーが後ろを振り向くと、目の前に顎を大きく開いた狼が唸り声を上げて飛び掛かってきていた。
モンスター名はシルバーウルフ。灰色の毛並みをした見た目通りの狼型モンスターで、序盤エリアからしつこくサクラ達を狙ってきていた森のハンターだ。
エリーに迫っている個体は、今まで遭遇した彼らの中でもひと際大きかった。鼻先から尻尾で含めればその体長は2mにも届くだろう。恐らく他のシルバーウルフを囲っていたボスの類か。
狙いはエリーの首元。この距離感では避けることも不可能だと判断したエリーは、一直線に飛来するシルバーウルフから身を守るため、咄嗟に両腕を上げて防御態勢を取る。しかし彼女の装備は単なる絹の衣服。狼の鋭い牙や爪の前ではいとも容易く裂かれてしまうだろう。
それでも、もはや迷う余地はない。エリーはダメージを受ける覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑った。
同時に真横から何かが風を切っていく。背中側から前方へ、肌で感じれる程の風圧が彼女の襟足を吹き荒らす。
「このぉッ!」
「ギャイン!!」
来るべき衝撃は訪れず、代わりに二種類の声が聞こえた。恐る恐る瞼を開けたエリーは両腕の隙間から、シルバーウルフの顔面に前蹴りを直撃させているサクラの姿を見付けた。彼女の背中はシルバーウルフを引き連れて更に前へ吹っ飛んでいき、地面に落下したところでもみ合いの状態を迎える。
「いててっ! いたいってば!」
怒りも露わに抵抗を始めたシルバーウルフによってサクラの鎧に傷が付き、衣服が割かれていく。血は流れず痛みも無いはずなのだが、状況が状況、その都度受ける振動に対し思わず口をついて出てしまっているのだろう。
「こんにゃろ! 大人しく、しろぉ!」
暴れるシルバーウルフの首を右手で捕まえ、膝を胸部に当て全体重を乗せることで無理やり地面に押さえ込ませたサクラは、左手に持つショートソードを器用に持ち直す。逆手に構えた剣の柄を振り上げ、打ち付けるようにその口腔へと突き刺さした。
「グガッ!?」
喉元を貫かれ、後頭部から地面に縫い付けられたシルバーウルフはぐぐもった声を発する。数秒ほど四肢をばたつかせた後に抵抗を止め、やがて絶命した。
シルバーウルフが消えるのを確認したサクラは、直ぐに立ち上がって態勢を整える。
「はっ……はっ、……ふぅっ」
息を切らしながら周囲を注視するも、どうやらこれ以上モンスターが沸く気配もない。次の相手が居ないことに、サクラはようやく肩の力を抜いた。
「あー、びっくりしたぁ。エリー、大丈夫? 怪我はない?」
突然の出来事に声を出すこともままならなかったエリーに対し、サクラは自らを省みることもせず気遣う。
「──あっ、は、はい。私は大丈夫、です」
己を取り戻したエリーがようやく言葉を思い出すと、ぺたんと地面にへたり込む。それを見たサクラは慌てて駆け寄り、彼女と同じ視線まで腰を下げた。
「ただちょっと、腰が抜けちゃって……」
「もーっ、全然大丈夫じゃないじゃんか。ほら、立てる?」
心配そうに、こちらへと手を差し伸ばしたサクラの状態を見やる。
いくつもの爪痕が彼女を傷付けていたにも関わらず、それでもなお、サクラの瞳の輝きは生気に満ち溢れていた。
ただ真っ向からシルバーウルフともみ合った所為で、せっかくの鎧や服がボロボロになってしまっている。よく見ればショートソードは錆び付き始めていた。
それもそのはず、スライムの身体はただのゲル状のものでなく、弱酸性の体質を有しているのだ。
初心者達が手こずるのはスライムの弱さではなく、その酸性の身体によって武器や防具、あるいは自身の体を溶かされるのを嫌う所以にある。ただでさえ初心者用の武具は耐久性が薄いのに、せっかく買った新品を溶かされるのは誰しも気分の良いものではない。
パラムを出てから今まで、沢山のスライムを切り伏せた事に対する武勲の証と言えば聞こえはいいが、今回に限って言えばそれを半ば強制させたエリーの自己都合による失態でもある。
それを理解し始めたエリーの中で、徐々に強烈な罪悪感が生まれ出てくる。
「……す、すみません。私の都合で、サクラさんを危険な目に遭わせてしまいました」
彼女の手を取って立ち上がったエリーは、悲痛な面持ちでサクラに向かって頭を下げる。
「うん? さっきのアレ?」
いまいちピンと来ていない風貌のサクラは、どうやら狼から庇った時の事だと思っている様子。
「いえ、そうでなく。最初は確かに怒ってたんですが、サクラさんが戦っているのを見るのが段々と楽しくなってきてしまって、つい意地悪を……」
「んー……? あぁ、そういうことかぁ」
話の内容に小首を傾げていたサクラだったが、やがて合点がいったように手を叩く。
「てっきりエリーが腹いせにモンスターを押し付けてるのかと」
「うぅ、そう言われると返す言葉もありません……」
「うそうそ、冗談だよ。気にしてないし、良い運動になったし何の文句もないよっ」
どんどん縮こまっていくエリーに軽い調子で答えたサクラは、コンソールを呼び出して自身のステータス画面を開く。
「ほら見てエリー。経験値だって、貯まっ……?」
サクラ:Lv1
次のレベルまで:
それを見て言葉を詰まらせたサクラは、何度か瞼を擦った後に再度画面を覗く。
サクラ:Lv1
次のレベルまで:
「……ってない! っていうか数字がない! どーゆーこと!?」
まさかの事態に堪らず頭を抱えたサクラ。
あれだけモンスターを倒しておきながらレベルは1たりとも上がっておらず、それどころ経験値の数字すらどこぞに忘れ去られている始末。
それを聞いたエリーも訝しんだ様子で彼女の脇に寄り、同じ画面を確かめる。
「……本当に見当たりませんね……レベルすら上がってないなんて」
「エリーはどう?」
「私は──あ、8になってます」
「どういうことなの……」
言われて自身のステータス画面を確認したエリーは内心で安堵しながらも、サクラ同様に頭を悩ませた。
(不具合でしょうか……? でも私のレベルは上がっているのに何故?)
パーティを組んでる場合、モンスターを倒した際の経験値は均等に割り振られるのが本来の仕様である。サクラのケースはエリーの思った通り、不具合だとしか言いようが無いものだった。
「あ、でもスキルのレベルはちゃんと上がってる。良かったー」
見ればサクラの剣術スキルレベルは12にまで達していた。
このダンジョンの攻略指数として、レベルが10もあればボス攻略は可能とされている。ただしそれはプレイヤーレベルの話であり、武器や職業スキル群のものではない。
もちろんスキルレベルが高ければ高いほど武器や魔法を用いた火力は上がっていくが、それは基礎ステータスを反映したうえでの増加、あるいは乗算がされるというもの。
序盤こそ気にはならないかも知れないが、このままプレイヤーレベルが上がらなければ第二ステージに行けたとしても、基礎ステータスの差だけで大敗を喫する羽目になるだろう。
だからエリーは疑念を確かめるべく、サクラに勝負を持ちかける事にした。
◇◇◇◇
「腕相撲?」
「はい。腕相撲です」
エリーに連れられ一度中盤エリアの休憩スポットまで戻ったサクラは、唐突に申し込まれた決闘にきょとんとした表情を浮かべた。
「なんで?」
「今なら私でもサクラさんに勝てるかなって」
「えぇ……」
当然の疑問をはぐらかすように答えたエリーは、腰丈の高さまである切り株を台に選んで右肘を着いた。
(これで私が勝ててしまうなら、サクラさんには悪いですが説得をしてでも……)
腕相撲という勝負を持ち掛けたのは理由がある。
このゲームの中では力の強さがATKとして数値化されており、当然ながら数字が高い方が強い。
そしてレベルが8を迎えたエリーのATKは10。これは決して高い方ではなく、むしろサクラの職業であるナイトの初期値と同程度の値である。
つまりエリーの腕力は、現在のレベルをもってしてもサクラと精々良い勝負が出来る程度の強さでしかないのだ。
ただ、それはあくまでもサクラのレベルが本当に1のままなら、という仮定の話である。
彼女の思惑通りの結果に終われば良し。そうでなければ──
エリーは一抹の不安を介しながら、渋々対面へ移動して肘を着いたサクラの手を握る。
「……手、硬いんですね」
「恥ずかしいなぁもう。女の子っぽくないよね」
寧としての姿を反映させた彼女の手の硬さは、日々竹刀を振って研鑽を積んでいた証拠でもある。
「そんなことないです。サクラさんはちゃんとした女の子ですよ。可愛いです」
「ひぃーっ、そーいうの恥ずかし過ぎて力が抜けるから勘弁してっ」
「ふふっ。サクラさんの弱点、発見しました」
少しだけ顔が赤らんだサクラの様子に思わず頬が緩む。ようやく、いつもの調子を取り戻した気がするエリーだった。
「ちなみに言っとくけど、私は腕相撲で同年代の子に一回も負けたことないかんね!」
「それは楽しみです」
「むぅ、なんだよー余裕ぶっちゃって。本気でやっちゃうからねっ」
「もちろんです。……手加減したら絶交ですよ?」
「おおっと言うねぇ。よしきた」
よもやエリーからそんな言葉が出て来るとは思ってもみなかったサクラは手を組んだまま体のあちこちを蠢かし、臨戦態勢を整えた。一方エリーは同じ態勢で始まりを待つ。
ダンジョンの一角で腕相撲を始めた美少女二人組。傍からすれば、それはとんでもなく奇妙な光景だったかもしれない。
「いつでもいいよ」
「では……スリー」
「ツー」
「「ワン」」
「「ゼロ!!」」
開始の合図が重なる。
同時に組まれていた手に力が込められた──瞬間、エリーの手の甲が切り株の面に叩きつけられていた。
余りにも一瞬の出来事であったがその威力は計り知れなく、彼女の手から肩に至るまで凄まじい振動が襲い掛かる。
「……よわ!? えっ? エリーめっちゃよわっ!?」
「ひぃん、想像以上の衝撃ですぅ……手加減してくださいよぅサクラさぁん……」
涙目になりながら、離された手を抱えるエリー。しかしその表情はどことなく安堵したようにも見える。
エリーにとって初めての腕相撲は、絶妙に複雑な思い出となり記憶に植え付けられたのだった。
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