第八話 ジェラート
クーリ・グラスとおぼしき何かを追い払った後。二台あった馬車の片方は穴だらけ、片方は焼け落ちてしまったものだから。目を覚ました痩せぎすの男、スティンも合わせた四人はひたすら白森を歩き、同じ背丈の緑が並んだ畑を通ってきた。
今彼らの目の前には、魔獣避けと思われる木組みの柵がずらりと並び、その中に、粘土と材木で作られた家屋の群れがある。沈みかけの太陽が暗い赤色の空を作って、その中に幾筋かの炊事の煙。子供の声や生活音が、人の気配として漂っていた。
村の入り口であっても、暖かな香りが鼻元をくすぐって、ショコラのお腹をくぅと鳴らす。彼女がヌガーに立ててもらった計画では、この後適当な民家にお金を払い、厄介になる予定だったのだが。
「すいませんね、お客さんがた。うちの村であんたがたの力になることは、できないと思います」
「ど、どういうことよ」
ここまで共に歩いてきた農夫の突然の言葉に、ショコラは思わず食ってかかった。ただ、疲労もあって、その言葉に覇気などない。
農夫はそれでも申し訳なさげに目をそらし、スティンに助けを求める。額の汗を拭う彼も、ゆるゆると首を振った。
「助けてもらった恩は、もちろんあるんですけどね……」
まるで喉に突っかかっている言葉を掻き出そうとする手の動きに反して、農夫の口は油が切れたように動かない。腕を突っ張り頬を膨らますショコラの肩に手を置いて、彼女の後ろで旅の荷物を担いでいたヌガーが口を開いた。
「言いたくないのなら、言わなくてもいい。分かっているからな。それをお前さんの口から説明すると、面倒くさいことも分かっている。分かっていないのはうちのお嬢様くらいだ」
「ちょっと! わたしだってちゃんと我慢してるじゃない!」
「あー、そうだな。お前さんはよく我慢しているよ。お前さんにしてはな」
「もうっ……うぅ」
いつも通り地団太を踏もうとして、一際大きくショコラの腹の虫が鳴いた。ショコラだって年頃の女の子だ。顔を赤くして黙り込んでしまう。
農夫はどうしたものかとオロオロとして、やがて思い出したように一つの建物を指し示した。
「私らはお客さんがたの手助けをしませんが、ギルドハウスならこの村にもあります。そこまでは、案内しますよ」
それは、物見塔のついた質素な建物だ。唯一石積みのその建物は灰色の存在感を放ち。身を寄せ合うような農家の群れから一歩外、柵にこそ寄り添うように建っていた。
ギルドハウス。魔獣狩りの冒険者のために用意された、国営の宿泊施設だ。
ショコラとヌガーは、あくまで偽造身分としての冒険者である以上、表のギルドで名を通してメリットはない。むしろ、自分たちの所在が人々の口を通して露見しやすいだけだ。
だからこそ農家を宿泊のあてにしていたのだが、人の集中しない農村で、そこまで気を使う必要もないといえばなかった。
ヌガーはそんな思考を済ませて、農夫に向き直る。
「あぁ、そうだな。俺たちも冒険者を名乗る以上、それが筋だろう」
「じゃあ、付いてきてください。管理している冒険者の方がいるので、紹介します」
「それは助かる」
ほっと肩をおろす彼に、ヌガーはここまでの運賃を握らせる。数えて、その金額が事前に打ち合わせたそれより多いことに慌てる農夫を、背を叩いて先へと歩かせた。スティンもそれに続く。
「むぅぅ……!」
そうすると、その場にはショコラだけが残されるわけで。
彼女は自分の中に溜まった言いたいことを丸ごと飲み込んで、ぷんぷんと後を追う。きっとそうしなければ、ヌガーにまた揶揄されてしまう。
もう直ぐ横に並ぶというところで、ショコラは振り向いたヌガーと目があった。相変わらずつまらなそうな、面倒くさそうな顔つきだったが、付き合いの長い彼女にはわかる程度には、その目は笑っていた。
彼女は彼の前に回り込んで、思いっきり脛を蹴り上げてやった。
◇◆◇
「それでは改めまして! 私、このエスト村ギルドハウスの管理を行なっている、ジェラートと申します! いやぁ、ここには滅多冒険者がきませんからね。歓迎しますよ!」
「えぇ、その声の大きさで歓迎されてるのはわかるわ……」
さて、農夫に案内されてギルドハウスへとやってきた二人は、本当に手短な紹介だけ受けて、ギルドハウスに置いていかれたのだが。
というか、紹介されるなり、ギルドハウスへ二人が引っ張り込まれてしまったのだが。
そう。目の前の女冒険者、ジェラートの歓迎っぷりと言ったらなかった。
ショコラはげんなりとしながら、石造りのギルドハウスを見渡す。暖炉と幾らかの長机。掃除の行き届いたその食堂は、むしろ生活感に欠ける。
滅多に冒険者が来ないというのは、なるほど、本当らしい。
ジェラートは熟練というわけでもない。むしろ二十歳に満たないくらいの、ぎりぎり少女だ。寂しかったのだろうとは、ショコラにも理解できる。
「それじゃ、適当にご飯用意しますね!」
ただ、そう言って栗色のショートカットを揺らし、カウンターに走り去る彼女の元気についていけるほど、歩き詰めのショコラには元気がないのだ。
「すごい、元気な人ね……」
「あぁ、あんなにぴょんぴょんと走って、将来乳が垂れないといいんだがな」
「ちょっとっ!」
疲れからか、ヌガーもとんでもない下世話を言い出す。ショコラにげしりと足の小指を踏みつけられて、ヌガーも素直に「いや、疲れていたな。すまない」と謝る。
だが実際、おそらくは特注の板金鎧越し、彼女の胸が豊満であることは確実だ。ショコラは口を尖らせて、自分の胸と見比べる。
「……お前さんもお前さんで、おんなじじゃあないのか?」
「そうよね、きっと同じになるわよね……」
「あぁ。あぁ、そうだなぁ」
そんな益体のないことを話しつつ、彼らは揃って席に立つ。
すぐに、村についた時にも香っていた温かさが漂う。火の付く速さから、もしかしたら彼女も元素魔法を使えるか、あるいは事象魔法の熟練か。ショコラは内心、彼女を評価する。
「昨日のスープが鍋に残ってたので、あったまったらすぐに出せますからね! 少々お待ちを」
「えぇ、その。ゆっくりでもいいのよ?」
「あぁ、なんというか。ショコラがあの手のじゃじゃ馬ではなかったのは、チョコレィトに感謝しないとな……」
普段はヌガーの揶揄に敏感なショコラも、じっとりとした目で見やるのみだ。
実際、彼女が黒パンを切り分ける音は、いくらパンが硬いからとはいえ、まな板まで切ろうとしているかのような大音量。二人からは見えていないが、その断面は平行というには程遠い。
彼女はそれを善意純粋に皿に盛り、盆の上でカタカタと揺らしながら運んできた。彼女が無事に食器を置くのをみて、二人は安堵の息をつく。
「それではどうぞ! こんなとこにいたがるのが私だけだから管理しているだけであって、料理が得意でないのはお恥ずかしいですが」
あははと照れて見せつつ出した料理は、たしかに上等とはいえない。
硬く焼きしめた黒パンはスープに浸して食べることが前提だし、湯気を立てるスープはジャガイモやキャロットなど、野菜こそ色とりどりに入っているが、味付けは塩のみだ。
水で薄めた葡萄酒も、嗜好品としてよりは保存食としての意味合いが強い。
だがこれは、農村を基準にすれば充分な夕食と言えるだろう。
ヌガーとショコラもそれを承知しているから、危なっかしさはさて置いてジェラートに礼を言い、文句は言わずにもそもそと食べる。
二人が食べ始めるのを待って、ジェラートもガツガツと食べ進める。そして口の中のものを飲み込むまで待てず、問いかけた。
「ふぉれでお二人は、ふぁにをしに?」
「……ん? あぁ、何をしに、と言ったのか。そうだな、悪党を懲らしめにきた、とでも言おうか」
ヌガーがやはり、めんどくさそうにそれに答えた。ショコラは硬い黒パンを咀嚼するうち、眠そうに目尻が落ちてきている。
「あふほうっへいうと、んぐっ、もしかして、クーリ・グラスとかですか?」
「あぁ、その通りだが。お前さん、すごいな。悪党というだけで一人に絞られるほど、この辺りの治安はいいのか?」
「まぁ、白森が広く位置するこの辺りで、人が悪事を働くことのが少ないのもそうですけどねー」
喋りながらも、ジェラートは次の黒パンを口に入れている。
「ふぁいひん、衛兵さんのクーリ・グラス探しが終わりましたからね。一般ギルドに依頼として回したのかなー、なんて」
「……なるほど。お前さん、お行儀はさておいて、教養がないってわけじゃないらしい」
「ひつれいですね、んぐっ。私だって、見せる相手がいればお行儀を良くしますよ?」
「そういう表面的なのは、お行儀がいいと褒める対象にならないんだな」
「えぇー。もしかして、ヌガーさんって面倒くさい人ですね?」
「そうだな、よく言われる」
ヌガーの素っ気ない返事にも、ジェラートは楽しげに返していた。結果として、ヌガーの対応が余計に雑になるのだが、特に気にした様子もない。ショコラは、船を漕ぎ始めてはびくりと起きるのを繰り返し始めている。
「それにしても、クーリ・グラスですか」
「どうかしたのか」
「いえ、かの『魔法義賊』様ですから、大変だなーと思いまして」
「魔法義賊、クーリ・グラス、か」
彼らの言う通り。クーリ・グラスは、魔法義賊だ。
魔法義賊という言葉は勘違いを受けやすいのだが、別にクーリが魔法を使うから、魔法義賊というのではない。
魔法技術を他国に売って得た利益をばらまく義賊。それが魔法義賊という言葉の指す意味で、それが偶然、魔法を使えただけということ。
しかし、白森周辺を活動拠点とする彼女が、王都にしかない魔法技術をどう盗み出すのか。
それに関しては、クーリは仲介役に過ぎないという言説が有力である。
彼だか彼女だかわからないその存在は、実は『義賊』であるのかすらもはっきりしない。
もっとも、白森周辺の農民にとっては、自分たちの暮らしを助けてくれる存在であることこそ重要で。魔法義賊という名前は、半分は耳障りの良さで定着してしまった。
「ここの人も彼女の支援を受けてますからねー。村の周りを一周囲む木の柵なんて、あのお金がなかったら作る余裕ないですよ」
「……そうなのか」
「そっちのショコラさん、まだ私よりも小さいですけど、大丈夫なんですか?」
「あぁ、これでも一応、腕だけはたしかな知り合いの、自慢の娘らしい。俺としてはそうあってもらわないと困るな」
「親バカですねー」
ニマニマと見つめられて、ヌガーは居心地悪げに黒パンを口に押し込んだ。流石に口の中の水分を持ってかれたのか、葡萄酒を煽る。
それが余計にジェラートの笑みを深くして、ヌガーは隣のショコラを小突いた。
「んぁ……何するのよ、ヌガー」
「早く食え。明日に備えて寝るぞ」
「わかってるわよ」
そう言ってから、ショコラは自分が黒パンを取り落としていたことに気づく。拾い直して、もそもそとやり出した。
その様子にヌガーは呆れて見せて、ジェラートとの話に戻る。
「ジェラート、話は変わるんだが。お前さん、明日白森に出る用事はあるのか?」
「そうですねー。毎日の定期巡回で、浅いところまでは行きますけど?」
「それで充分だ。俺たちもはじめての場所をあてもなく彷徨いたくはないからな。浅いところまでだとしても、案内を頼みたい」
「いいですよ? 私もペーペーなので、自分の身は自分で守っていただくことになりますけど」
「あぁ、構わない」
ヌガーは彼女の腰にはいていた長剣を思い返す。その武器の示す通り、剣士であるのなら。たしかに二人を守るのは重荷だろう。
ヌガーの言葉にむしろジェラートが鼻息を荒くする。
「それじゃ、朝早くに出るので、起こしに行きますね?」
「あぁ、頼んだ。聞いたな、ショコラ」
「えぇ、当然よ」
「わかったなら、もう寝るぞ」
「部屋は二階に上がればいっぱいあるので、一番手前以外なら好きに使っていいっすよー?」
ジェラートはそう言って、カウンターへと向かってしまった。お椀を持って行ったから、おそらくスープをもう一杯食べる気なのだろう。
ヌガーはすっかり寝ぼけ眼のショコラを背におぶい、階段に向かった。
「ショコラ。ショコラ」
「なぁに、聞こえてるわよ」
ヌガーは声を低めて問いかける。
「お前さん、あのクーリ・グラスに、勝てるのか」
「……何言ってるのよ」
彼は伝え聞きではあっても、クーリ・グラスの戦いをショコラから知らされていた。
その火力もさることながら、ヌガーが懸念を示すのは、クーリが魔法名を唱えずに魔法を唱えていた点。
魔法名は、魔法発動を容易にするためのもの。
それが不要ということは、魔法技術の熟練の証。
この事実は、よっぽどショコラの方が身に染みていた。それでも。
「勝つわよ。勝たなきゃ、いけない」
「……そうか」
睡魔に呑まれる直前のショコラの言葉だったのだが、その力強さ。
ヌガーは、短かな言葉を返事とした。
ギルドハウスの管理は特に資格も要求されず、希望者がやる形です。
あくまで任されるのは清掃などの現状維持であって、食料などは定期的に来る監査官が配給量を決めるので。特に今回のような地方のギルドハウスは、その辺雑です。




