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ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜  作者: 浜能来
修道服を着ているから修道士なのではない
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第二十九話 順応

 言質を取られてしまったショコラに、もはや逃げ道はなかった。

 厨房裏口、開かれた戸口の目の前で足踏みするショコラは、面白いと思ってやったイタズラを問い詰められる子供に似ている。


「ねぇ、本当に行くの……?」


 彼女は食器洗いを終えたところ。いつもと同じチュニックを着て、頭巾を被り、右手にだけ手袋をはめた立ち姿。ここまで来て外に背を向けてしまった彼女だが、中に戻ることもまたできない。

 障害となるのは当然、(ショコラからすれば)姑息な演技で言質を取り上げた、スフレその人だ。こちらは母親のような有無を言わせない微笑みで立っている。


「えぇ、行きますよ。練習でできないことは、本番でだってできません」

「そうだけど……ほら、今日は天気も悪いじゃない」

「だからチャンスなんですよ。曇っているから、太陽の光もありません」

「雨が降るかもしれないわよ。それで風邪ひいたら、元も子も――」

「ショコラさん?」

「ひんっ!」


 言葉をごろごろと転がし続けるショコラの目の前で、スフレがぱんと手を叩く。猫騙しだ。

 ものの見事に怯んだ彼女はたたらを踏んで、曇天に蓋をされた裏路地に出る。そのままスフレがずいと歩み出ると、ショコラもつい身体を引いてしまって、その隙にスフレは裏口を閉めてしまう。


「……いぢわる」

「えぇ。ごめんなさい」

「……」


 ショコラは被っていた頭巾の裾をきゅっと寄せた。路地裏にはやはり人気がなかったのだが、それでも醜く爛れてしまった顔の右半分を隠すのは、条件反射というものだ。

 まぶたの裏の暗闇を見て思う。いつまで、こうしているつもりだろう。

 ショコラは手に込めていた力をふっと抜く。掌には嫌な汗の感触が残っていたけれど、それをチュニックの布地でごしごしと拭き取り、スフレに向かって差し出した。


「悪いと思うなら。手、引いてくれるわよね」

「も、もちろんです」


 ショコラが差し出したのは左手だ。

 スフレは突然のことにうろたえて見えたが、その手をすぐに取ろうとして。けれどぴたりと止まった。

 ショコラが不思議そうに見つめ返す。


「右手じゃ、ダメですか?」

「でも、そっちは」

「いやその! 痛むとかならいいんですけど……」


 そっちは、きたない手だから。

 慌てて取り繕うスフレ。ショコラは無意識に右手を背中に隠していた。手袋をはめているので、別に直接目に触れなければ肌に触れるものでもない。だけれども、彼女は右手を差し出す気にはならなかった。


「けど?」


 それでも、彼が右手を握ろうとする理由は気になる。


「右手を握って、僕がショコラさんの右に立てば」


 ショコラの促しを受けてスフレは答える。


「僕がショコラさんを」


 スフレがついと目を逸らす。


 不思議と、ショコラも息を詰め。


「まもっ」「こぉらお前たち! いつまでそこでぺちゃくちゃ話してんだい!」


 割り込んできた怒声に、二人して跳ね上がった。

 この練習は、パティスリーの備品の買い出しという名目で行われていたのだった。ビスキュイは当然、厨房で仕込みを行なっており、扉一枚挟んだ向こうの彼女の苛立ちが透けて見えるよう。

 流石に顔を強張らせていたスフレが、苦笑いとともに言う。


「行きましょうか」

「……えぇ、仕方ないわね」


 スフレの左手を取る。すると当然右手で彼の手を握ることになって、火傷痕に触れられるくすぐったさに、ふるりと身体を揺らす。


「うん? どうかしましたか?」

「べっ、別にどうもしないけど?」


 どうやら、それはスフレにも伝わってしまったらしくて、ショコラの顔が熱くなる。きゅうと縮こまっていた心が、浮き足立つのを感じていた。

 なんで現金なと思いつつ、ショコラは今なら、一歩踏み出せる気がしていた。


「ねぇ、ところでなんだけど」

「なんですか?」

「さっき、なんて言おうとしたの?」

「それは……」


 スフレの左手がショコラの右手を掴む力を弱めるのを、彼女は感じ取る。あえて強く握り返すと、スフレは身体を硬くする。そして、ぶっきらぼうな言葉を口にした。


「内緒です」

「えぇ……」


 ショコラがわかりやすく失望すると、スフレがショコラの手を引いて、一歩前に進んだ。


「式典にちゃんと出れたら、教えてあげますよ」


 恐る恐る、一歩ついていくショコラには、返事をする余裕はない。ただ、優しいスフレだ、パニックになるようなペースで引っ張られはしなかった。

 今までも食器洗いで裏路地には出ていたが、この先からは表通りの雑踏が聞こえてくる。ショコラの身体が強張っていく。

 落ちていく歩調に、隣の少年は合わせてくれた。


 なんてダメなんだろうとショコラは思った。自己否定感は湿っぽい感情を刺激して、水分を含んで重くなった頭では、足元ばかり見そうになる。

 もはや頼るものは彼しかなく、ショコラはその横顔を見つめた。気づいて、微笑みを返してくれた。

 その時、自分と同じ彼の銀髪が揺れて、気付く。彼の耳が赤くなっている。

 ちょっとだけ意味を考えてしまって。


「ふふっ」

「あっ、笑いましたね」

「えぇ、笑ったわよ」


 自分が笑われてるとも知らずに喜ぶスフレが、ショコラには愛おしかった。


 ◇◆◇


 結局、ショコラが外嫌いというのは、高い木に登った子供が、そこから飛び降りれるのかどうかという、つまりは踏ん切りの問題だった。

 最初の一回こそ、彼女は極端に人を避け、窓ガラスに近寄っていってはそこに反射した陽光に悲鳴を上げ、それで集めた視線にパニックになるという騒がしさだったが。

 パティスリーに帰り着いて、「ざまぁみなさい。やってやったわよ」と言ったのが全て。


「ほらスフレ、早くいくわよ」

「えぇ! 今行きますよ!」


 パティスリーの一階から、二階のスフレに呼びかけるショコラ。

 今となっては、ショコラが先頭に立ち、スフレを急かすほどだ。


「なぁ、マスター。男子三日あわざれば、ということわざが遠くの島国にはあるらしいが。俺はもしかして、ショコラを男に育ててしまったのか?」

「ヌガーは黙ってて」

「お前、アタシが今日あの子の機嫌をとってなかったら、今頃百回蹴られてたよ」


 週の中頃、昼下がり。定休日のパティスリーには、ヌガーの姿もあった。客用の椅子にふんぞりかえって、ビスキュイと一緒にショコラの様子を眺めている。


「まぁ、もともと活発な子だったじゃないか。今までの引きこもり生活の反動で、外に出たくてたまらないんじゃないのかい」

「だがそれにしたって、だろう。俺の心配を返せというものだ」

「あら、あなたに心配されたことなんてあったかしら」

「あるさ。お菓子を食べ過ぎて虫歯にならないかとかな」

「もう、馬鹿にして」


 ぷんぷんと怒るショコラだが、今日は叩いたり蹴ったりの類がない。どこかそわそわと、楽しげに落ち着かないショコラを、ヌガーは気色が悪そうに見つつ。


「一体どうなってるんだマスター。気色が悪くてしょうがない。明日には空を回る元素魔球が落ちてくると言われたって、俺は今のショコラの方をこそ信じない」

「お前ね。たとえ本当に思ったとしたって、口に出す奴がいるかい」

「今更でしょ、()()()()()

「……なん、だと?」


 ヌガーは一層、気味が悪そうに眉を潜める。

 彼に視線を向けられた、ビスキュイは「アタシは何も知らないよ」と手を振って席を立ってしまう。手持ち無沙汰になってか、彼は机に置かれていたラスクに手を伸ばし、ボリボリとやりだした。


「それにしてもだ」


 ヌガーが前置く。


「お前さんが装身具なんぞに興味があったとは知らなかった」

「何よ。本当に男の子だと思ってたとでも言いたいわけ?」

「いや、そうではなくてな。宝剣を持つものは、名剣を持たないと言うだろう」


 宝剣と呼ばれるほどの剣を持つ人間にとって、名剣ですら等しく価値がない。そういう意味のことわざだ。

 つまりは、装身具など価値がないほど可愛いと。そう言われたのかと思ったショコラは、その言葉がヌガーから出たものだということを差し引いても、少し頬が緩む。


「お前さんは宝剣を持っていると錯覚していそうだったからな。興味がないだろうと思っていた」

「さっかく?」

「あぁ、なんなら魔剣だろう」


 指についた砂糖を擦り落として、スーツに溢れたくずも払い落とすヌガー。ちなみに、この後ここはショコラが掃除することになっている。


「言わせておけばっ!」


 いくら上機嫌なショコラとはいえ、足が出るのも仕方ないだろう。


「なんだ。結局蹴るのか」


 だのに、むしろヌガーは呆れた様子を見せたりするから、なおひどい。ショコラはげしげしとヌガーの向こう脛を苛め続け、それはやっと降りてきたスフレが彼女を止めるまで続いた。


「ちなみに」


 スフレに右手を抑えられているだけで、まだ鼻息の荒いショコラに、ヌガーは何か言いかけて。


「いや、藪蛇だ。やめておこう」

「それ言った時点でもう藪つついてんのよ!」

「ほらほら、ショコラさん」


 スフレに握られた右手だけそのままにジタバタと暴れるショコラを、スフレがなだめる。


「落ち着いて。あんな人に何言っても仕方ないですよ」

「言うじゃないかスフレ。もっと言ってやんな」


 しかしヌガーの味方ではなかった。厨房の奥からもビスキュイの援護が届き、当然の報いとしてヌガーは孤立無援になった。


「どうやら、俺はもうお呼びでないらしい」


 何故か上から目線の言葉は明確に負け惜しみなのだが、ショコラはそれごと追い払うようにしっしっとする。ヌガーは肩をすくめて立ち上がった。いつもにこやかなスフレも苦笑いでの見送りだ。


「あぁ、そうだ」


 木戸に手をかけたところで、ヌガーが足を止めた。わずかな振動を受けて、小さな金属製のベルがこちんと鳴る。静寂を呼ぶ音色。


「ショコラ、最近外を歩いていて、視線を感じたりはしないな?」

「……急にどうしたの? 意味がわからないんだけど」

「いや、わからないならいいんだ。ただ――」

「ただ?」


 言葉を切るヌガー。丸めた背中しか見せない彼の意図が、ショコラにはわからない。

 一呼吸あって、ヌガーは懐から何かを取り出して振って見せた。


「お前さんがいないと、自由に葉巻が吸えて助かる」

「あっそ」

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