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ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜  作者: 浜能来
修道服を着ているから修道士なのではない
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第二十七話 不安定

 朝食を取り終え、三人分の食器を重ねてまとめたショコラは、右手に手袋をはめ、頭巾を深くかぶった。

 スフレとビスキュイはきたる貴族式典に向けて、その計画を挟みつつの食休み。二人より遅く起き出してきた自分は、少し早く働き始めるくらいがちょうどいいだろうと、左腕をまくる。


 ビスキュイが彼女に居候を許すにあたって、代わりに与えた役割が『水係』だ。お菓子作りという、水を多く使う現場にあって、わざわざ公共の魔導河川――貴族たちが元素魔法で水源を作った人工河川――で水を汲まなくても済む彼女の元素魔法は貴重だった。

 その役割には当然、皿洗いも含まれている。


 ショコラはうんしょと、幼い彼女にとっては大きい桶を抱え上げて、見えない足元にそろりそろりと階段を下りる。

 厨房に降りると、朝の仕込みの残り香が漂っていて、ショコラはすぅっと息を吸いこんだ。


「はぁ。役得よね」


 うっとりとしてそう言いながら、顔が映るほどに磨き込んだ大理石の作業台の上に並ぶ調理器具を、抱えてきた桶に落としていく。泡だて器の合間に残るクリームを指ですくってみたくなるが、以前それをやった時、ほほを掠めたケーキナイフの冷たさを思い出すと、ショコラの背筋は自然と伸びるのだ。

 ビスキュイもスフレも、几帳面ではなくとも散らかすような人間ではないから、そうして真面目に動いていればすぐに汚れものの回収は終わる。あとは店の裏で元素魔法を使い、汚れを外に流してしまえばいい。

 厨房の裏口の前で桶を置いたショコラは、その扉に手をかける前に頭巾を右手で引っ張った。


 火傷の残る右手は、少し引きつる感触がして。


 裏口の扉を開ける。外に出て、裏路地の人気のなさを確認したショコラは、肩の力を抜いた。肩の力を抜いたことに気付いた。


「ほんと。いつからこんなに情けなくなったのかしら」


 ショコラは呟いて、自分のつま先に視線を落としていたが。やがてぶんぶんと首を振り、両手で自分の頬を張る。


「ああっ、もう! 仕事するのよ、ショコラ!」


 大声。ちょうど同じく汚水を捨てに顔を出したお隣さんに目を丸くされて、ショコラは小さくなりつつ会釈。いそいそと裏口の中から桶を引っ張り出して、手をかざした。


 すると、食器だけがごろごろとしていた木桶の中に水流が生まれる。ぐるぐると螺旋を描き、油分が浮かしとられ。汚れを乗せた水流だけが浮き上がって、裏路地の地面にばしゃりと落ちた。

 次いで、泥水が桶の中を満たす。その泥の粒に至るまで制御された濁流は調理器具を汚すことなく、むしろその粒子でこびりついた汚れをこすり落とす。同じように泥水が路上に飛び散るころには、桶の中でナイフやボウルがきらりと光っていた。


 最近の彼女がこうして魔法を行使するのは、こういった生活の一場面にしかない。

 毎朝行っていた、泥水の子犬も、とんと作られていない。


 ふう、と一息ついたショコラは桶を抱えななおして厨房内に戻りつつ、足で器用に裏口を閉めた。


「おねぇさまー! 洗い物終わったわー!」

「はいはい、わかったよ」


 二回に声を投げると、ぶっきらぼうが返ってきた。

 水気の残る調理器具を台に並べて、あとはビスキュイに乾かしてもらうだけ。ぱたぱたと動き出す気配を二階から感じつつ、ショコラが厨房備え付けの水甕に水を足していると、ぎっしぎっしとわざとらしい軋みを立ててビスキュイが降りてきた。


「あら、おねえさま。不機嫌そうよ?」

「いやね、なんだい」


 渋い顔をしたビスキュイが、片眉を上げながら言う。


「お前最近、『おねえさま』と呼ぶ声に皮肉が混じってないかい?」

「あら」


 ショコラはからかうように答えた。


「だめよ、おねえさま。余計な勘繰りは年寄りの証拠って聞いたことがあるもの」

「はん。どうせヌガーから聞いたんだろ? あてになるもんかい」

「いいえ、違うけれど」


 小首をかしげるショコラに、ビスキュイがなお顔を渋くする。


「ショコラさん」


 ビスキュイに続いて降りてきたスフレが横槍を入れる。


「なら、呼び方を変えたらいいんですよ。おねえさま以外でも、お義母さんはべつにいいんですよね?」

「……そうだね。アタシに失礼のない呼び方なら、別にいいんだ」

「別の呼び方」


 ショコラは瓶にふたをしながら、天井を見上げた。

 そうは言われても、彼女にはぱっと思い浮かばない。呼び捨てにするとしっくりこないのは当然として、今更ビスキュイさんと呼ぶのも他人行儀に感じる。ショコラは十二年の人生から様々な単語を引っ張り出して、一番違和感のない言葉を口にする。


「おかあさん?」

「はぁ?!」


 奥のスフレがなぜか得意げに笑みを深め、ビスキュイは素っ頓狂な声を上げた。その反応があまりに大げさなものだから、ショコラもつられて肩をびくりとさせる。ビスキュイがはっとして、咳払い。


「何言ってんだい。スフレはまだしも、お前はあのチョコレイトの子供だろう?」

「でも、わたしにはお母さんがいないもの。ビスキュイおばさまが『おかあさん』だったら、きっと楽しいわ」

「ふざけるんじゃないよ。あんなバカタレと父母のくくりにされるくらいなら、ディアマンクッキーに頭ぶつけて死ぬよ!」

「落ち着いてください、お義母さん。ディアマンと言っても、見た目がキラキラしているだけのただのクッキーですよ」

「知ってるよバカにしてんのかい!?」


 理不尽に歯を剥くビスキュイを、スフレはにこやかに受け止めた。ショコラはそのやり取りに笑い声を漏らし、ビスキュイはいよいよ孤立無援で、舌打ちを一つ。しっしっと手を払って、スフレとショコラに「さっさと働きな」と伝えてくる。スフレはショコラに微笑みかけて、店の表に出てしまう、ちょっと顔がほてった。

 さて、それはさておき。ショコラはスフレのように接客には立てないし、厨房が動き出せばビスキュイの邪魔になるばかりだ。二階に上がり、いつものように掃除をして時間を潰そうと考える。

 厨房を後にしようと、つま先を階段の方へ向けた時だ。


「ちょっと待ちな」

「なぁに、おかあさん」

「……お前がそんなに嫌な子になった原因が、開店前に来るはずだよ。出迎えてやんな」

「まぁ、ヌガーが来るの?」

「この言い方でわかるのもどうなんだい」


 ビスキュイの胡乱な視線に「ヌガーなんだから仕方ないじゃない」と返しつつ、ショコラは表情をほころばせる。なんだかんだ、ショコラにとってヌガーと言う男は、父とも母とも違う、しかしそれと同等の何かだ。

 自分の脇をすり抜けていく後姿をビスキュイは見送って、口の中でつぶやく。


「ほんと、あんなかわいい子に、火傷なんて負わせるんじゃないよ」


 ◇◆◇


 ショコラが店の表に出ると、ショーケースの前にかがみこんでお菓子たちの見栄えを確認していたスフレは、反射的に店の外を確認した。誰も来ていないことに強張った表情を緩めるスフレに、心配されているなぁとショコラは思う。


「大丈夫よ。ヌガーが来るっていうから、それだけ見たら上に上がるわ」

「えっ、ああ、そういう」

「それに、ちょっと人にヤケドを見られるくらい、なんともないわよ」

「……」

「それよりこれ、秋の新作でしょ? スフレが作ったの?」

「ヨーグルトムースですか? そういえば、二階にはまだ持って行っていませんでしたっけ」


 ショコラが話題を逸らすと、スフレはすぐに察して気配を切り替えてくれる。優しかった。

 それでなくとも、朝は一人で起きられない自分を許してくれて、人前に出ることに抵抗があるからと裏方の仕事を回してくれる。ショコラのために、ショーケースからムースを一つ取り出してくれるスフレを見て、自分は恵まれているのだと思いなおす。


「どうぞ、食べてみてください」

「えぇ、ありがと」


 受け取ったココットをカウンターの上に置き、スプーンですくう。口の中に爽やかな酸味が広がり、なしのコンポートからしみ出した甘みが心地よい。思わず頬をおさえる自分の横顔を、スフレが嬉しそうに見ているのがわかる。

 こうしているだけで、十分に幸せなのに――


 その時、鉄色の小さなベルが、歓迎の音色をならす。


「あぁ、すまない。ここは洋菓子屋だと思っていて、まさか恋人が逢引の隠れ家にするような、いかがわしい場所だとは思わなかったんだ。見なかったことにするから、どうぞごゆっくりと言わせてほしい」

「やかましいわよ! 別に本当に帰る気もないなら、早く入ってきたらいいじゃない!」

「しまった。いかがわしい店でもなく、恐喝する手合いだったか」


 からかうようなセリフを、あくまでつまらなさそうに口にしながら店に入ってくる。焦がしたカラメル色のスーツに、ぎらつくほどの整髪油でオールバックにまとめた、それはヌガーだった。

 ショコラはご挨拶とばかりの嫌味な口調に、思わずカウンターを叩きそうになるが、隣に立つスフレの笑顔に踏みとどまる。彼は笑顔の圧がある。

 ヌガーに言いたいあれやこれをぐっと飲みこむころには、彼がカウンターの前まで来ていた。スフレがすっと身を引いて、カウンターを挟んで二人きり。


「……新しい相棒は、見つかったのかしら?」

「あぁ、今も外にいるだろう」

「まるで獲物を見るみたいな怖い目で見てたから言ってるのだけど」


 店の扉が閉まる前、ちらりと見えた男は、これでもかとヌガーを睨んでいたのだ。


「ほんと、あなたもここで下働きをしたらいいんだわ」

「ほう。俺のような男には、きっと向かない仕事だと思うんだがな」

「きっと得意よ? だってあなた、角を立てるのが上手じゃない」

「ホイップクリームみたいな繊細な奴は、勝手に泣き出してしまうから苦手なんだ」

「ほんと、あなたって……」


 飄々と答えるヌガーに、ショコラは腰に手を当てる。


 ショコラは、裏ギルドの仕事から足を洗っていた。

 強い光に怯んでいるようでは魔法戦に挑むことなどできないし、なにより、本人の自信が崩れてしまった。それは実力への自信でもあるし、なにより。


「それより、最近はどうなんだ、ショコラ」

「どうって?」

「チョコレィトのことだ」

「あぁ、そのこと」


 ショコラは指先で自分の銀髪を絡めようとして、空ぶる。思い出したように、短くなった自分の髪を梳いた。


「変わらないわ。結局、わからなくなったままよ」

「そうか。それならいい」

「ねぇ、本当にいいの? だってあなたは、まだお父さんの仇を取ってくれるつもりなんでしょ? もしあなたがお父さんみたいに……だったらわたしっ!」

「ショコラ」


 俯いて、ヒステリックにまくしたて始めたショコラの頭に、ヌガーの手が置かれる。頭巾を深くかぶせるように、大きく頭を撫でた。名前を呼ばれたきり動きを止めたショコラに、ヌガーが言葉を落とす。


「夢を見ると、言っていったろう。お前さんが今まで傷つけてきたやつらが、お前さんに呪詛を吐く夢を」

「うん」

「それは、お前さんが今まで持っていた、決意と言うやつをなくしたからだ。父親の仇を殺したいという、お前さんの根源をなくしたからだ」

「……うん」

「それなのに人殺しを続けていたら、まだ子供のお前さんは壊れちまう。そういうのは大人に任せて、子供は家で絵本を読んでいるくらいがちょうどいい」

「…………」

「わかったな?」


 ヌガーの言葉はすとんとショコラの心にはまる。

 それは彼の言葉の正しさだとかそういうものからくる納得感ではなくて、その声からにじみ出る、ヌガーの申し訳なさが感じられたからだ。

 何度も、自分を復讐から遠ざけようとしていた彼は、あくまでそれを聞き分けなかったわたしを、次善の策でサポートしていてくれただけなのに、なぜ申し訳なさなど感じているのか。


 それは、自分が子供だからだ。


 そう悟ってしまうと、ショコラには反論と言うものが思いつかなくなる。


「俺はマスターとして話をして帰る。お前さんも、そろそろ上に上がるといい」


 ヌガーはショコラの手に何かを握らせて、厨房の奥へと消えていく。

 ショコラが手を開くと、それは包み紙に入ったパート・ド・フリュイ。目尻から涙がこぼれて、フリュイを濡らす。

 ショコラはしばらく、その小さなお菓子を抱きすくめるようにうずくまって、嗚咽を漏らしていた。

 僕はショコラさんを知らない。


 僕が知っているのは、彼女がどこかであまりにひどい火傷をしてしまったとか、その結果として強い光を嫌うようになったとか、そのくらい。彼女がなぜそうなったのかは、お義母さんも、ヌガーさんも、そして誰より、ショコラさんも教えてはくれない。


 きっと僕は、あえて遠ざけられているのだろう。


 だってそうだ。

 あんな、上半身の半分だけをひどく火傷するなんて聞いたことがないし、そんなひどい火事の話も、この王都の中で聞いた覚えがない。そして彼女といつも一緒にいたヌガーさんは、お義母さんと会おう個の奥の隠し部屋で密談をする。

 一人だけ除け者にされているのは悲しくて、そして何より情けない。僕は、本当の意味でショコラさんを助けることはできない。


 きっと、今ここで聞き耳を立てれば、変わるのだろう。

 まさに今、店の表で行われているショコラさんとヌガーさんの話を聞いてしまえば、何かがわかるはずだった。でも、それは決して許されないことだから。


 お義母さんにヌガーさんが来たことを伝え、隠し部屋への扉を開けて、ショーケースから引き抜いてくるお茶菓子に、頭の中で見当をつけておく。

 そうしているうち、ヌガーさんが厨房に入ってきた。彼は僕をじっと見据えた後、「頼む」とだけ言って隠し部屋に入っていった。店の表から、ショコラさんのすすり泣きが聞こえた。


 逡巡。かける言葉など知らない。


 それでも僕は、彼女のそばにいるべきだと思った。

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