第二十話 戦士
ジェラートが大量の豆パンに口の水分を奪われている間にも、時は過ぎる。白森からは、耳をすますと人や魔獣の命のやり取りが聞こえて来る。
魔獣狩りの季節だ。日の長い夏を利用して冒険者たちは白森の魔獣を狩ってまわり、王都の貴族たちへ魔法研究の素材を売る。治安維持の大義名分までついてくる、彼らにとっての稼ぎ時だ。
対してエスト村の人々は、魔獣の気が立っているこの時期、森に近づこうとはしない。農作業も最低限に済ませ、ここまでに集めた白森のブーロゥを加工して過ごす。
それこそ、職人の作る細工にかなうはずもないが。あくまで副業であるから、職人のものよりは確実に安く売れるし、素材はいいので庶民から一定の需要を得られていた。最悪、村の人々が自分で使えばよい。
白森の側に暮らしてきた村人たちとして、過ごし方を弁えているのだった。ただ、そうは言っても不足するものがある。肉だ。家畜は冬越しにこそ使いたい。だからといって鹿狩りが獲物になるのは避けねばならない。
そんな時こそ冒険者だ。ジェラートが散歩のついでに狩った魔獣を背負って帰ると、村人は色めきたった。
一日、二日、三日。日々は静かに過ぎていく。
そして、時が来た。クリオロに告げられた、決行日だ。
◇◆◇
ジェラートは常の如く、早朝に村を出た。いよいよと緑の葉を空へと開く畑の作物たち。日の光の入らないギルドハウスの中よりも、太陽に晒されたこの場所の方が涼しく感じることができるのが、ジェラートには不思議だった。
この、本来は白森縁辺の巡回をするべき時間に仕事をするのは、ジェラートにとって正直不安だ。魔獣たちの気のたっているこの時期、冒険者から逃げた魔獣が畑の世話をする村人を襲わないとも限らない。
ジェラートは、自分に言い聞かせる。
最近は魔獣も森の奥に篭りがちだし、村まで逃げられれば柵がある。少しでも持ち堪えて、物見塔の警鐘を鳴らしてくれれば、私が駆けつけてなんとかする。
「……切り替えなきゃ」
ジェラートの周りを、虹色の風が取り巻いた。畑の作物をさわさわと揺らして天へと吹き抜けると、そこにあったはずの彼女の姿が消える。
『あの方』が開発した魔法技術。風の元素を利用した迷彩魔法だ。
純血の元素魔法使いでないと扱えないほどに高度な魔法制御を要求されるから、他国に売り渡してこそいないものの、この迷彩魔法も、売ればエスト村一つ軽く買える値がつくだろう。
今から、そういう取引の場に向かうのだ。
動く金の大きさに見合った働きをするから、コンディトライという組織は価値を持てる。クーリがしくじるわけにはいかない。
姿を隠したクーリは畑を抜け、歩き慣れた白森縁辺に沿って歩く。指定された地点は、畑と未開拓地域の境界。畑を突き抜けたほうが早いが、作物の壁をかき分けながら歩いては迷彩魔法の意味がない。時間があるのだからと、彼女は大回りをして目的地に向かった。
未開拓地域とは、その名の通り開墾のされていない平野のことで、森からはぐれたまばらな茂みや、転がりっぱなしの岩石などがぽつぽつ。若者のあばた面のような地域。開放感たっぷりに飛蝗が跳ねる。
背の高い障害物は一切ないから、たどり着いたクーリはすぐに、護衛対象を見つけることができた。
西の人々の特徴である浅黒い肌をした、三人組の男たち。あえて布を余らせた、ゆったりとした服は国の伝統を示していて、頭にはきつく布を巻きつけている。クーリは見たことがないのだが、毛髪は神によって与えられた人の知性の証だといって伸ばし続けた長髪があの中に収まっているらしい。
クーリは草地に座り込んで談笑をする彼らに近づきつつも、油断なく観察を続けた。彼らの頭の布には、臙脂色の飾り羽根が挿さっている。戦士階級である証だ。頭を装ったかわりにとばかり、はだけた胸元は、それらしく筋肉質。やけに大振りの剣を傍に寝かせている。
彼女の興味は、その左手に移った。
アガペル聖火教国において、元素魔法は神の与えた才能だ。元素魔法の血が薄まり過ぎているから、生まれる歳にどのように血が混ざったかで、親より強く魔法を発現することも、弱く魔法を発現することも、様々で安定しない。隔世遺伝も珍しくなかった。
そのため、十二歳で成人を迎えた彼らの左手には、個々人の元祖魔法適性を示す刻印が押される。
迷彩魔法で透明化したクーリには、遠出で気の大きくなっているらしく身振り手振りの大きい彼らの左手を確認することなど、造作もない。
どうやら三人とも、風の元素魔法を扱うらしい。
外見から得られる情報をおおよそ得て、クーリはついに声をかける。少女だと舐められないように魔法で声を変え、喋り方もクリオロのような無愛想を装う。
「おい」
「おう嬢ちゃん。やぁっと、俺たちを観察するのに飽きたのかい?」
途端、革袋から酒をかっくらっていた髭面がニヤニヤと返事を返した。クーリは、言葉を失う。
「足音、隠してたつもりみたいだけどよ」
よっこらせと立ち上がりながら男は続ける。振る舞いの端々から、粗野な印象を受ける男だ。
「俺、歴戦の戦士ってやつだからよ。聞こえちまうんだわ。あぁ、もちろん。歴戦ってのは夜もだぜ? だから、足音が聞こえりゃあ男か女かなんてわかっちまう」
残りの二人は、突然べらべらと喋り出した男に戸惑っている様子だった。それはそうだろう。クーリの姿が見えない以上、彼らからすれば、粗野な男は虚空に向かって喋っていることになる。
クーリはそんな二人の様子をちらりと見た。もはや彼女は、目の前の男が適当を言っているとは思わない。何故なら、今も彼はクーリを正面から見据えているからだ。
どうするべきか。いや、決まっている。残り二人にはわかっていないとするならば。
「何を、言っている。私はクーリ・グラス。お前たちの護衛だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ほぉう。まぁ、レディがそう言うなら、そういうことにしといてやってもいいけどよ」
まったく『そういうこと』にしてないじゃないかと思うクーリだったが、口には出さず飲み込んだ。要らないことを言うとずぶずぶと引き込まれそうな、泥沼の気配を感じた。
最初の「おい」は幻聴だと思っていたのか、クーリの自己紹介でようやく正体不明の何かが存在すると気づいた二人がざわめくが、粗野な男が軽薄になだめすかす。クーリは信じられない心地で、彼らが男を「隊長」と呼ぶのを聞いた。
「さて、俺も自己紹介しなきゃいけねぇよな」
男は地面に置いていた剣を取り上げて、芝居がかった仕草で肩に担ぐ。
「俺の名は、フォラステロ。女どもは愛を込めて、ステロと俺を呼ぶ。嬢ちゃんも、そう呼んでくれて構わない」
「五人と聞いていたが」
「おっと、無視は傷付くぜ」
フォラステロはガッカリと肩を落として見せる。クーリはそれも無視した。
しばらく二人の間には風だけが吹いていたのだが、観念したとばかり、フォラステロがおどけた調子で首を横に振った。
「あぁ、わかった。俺が悪かったよ。それで、なんだ、五人じゃないのかって話か?」
「そうだ」
「あいつらガキだからよ。ママのそばを離れたくないって泣くもんで、置いてきたんだ」
「…………ふざけているのか?」
「いーや、大マジさ。それより、来てくれたんなら早く行こうぜ。夜にはどこかの街へ行って、エウロパの女ってものを抱いてみてぇ」
どうも、クーリの人生経験にない種別の人間らしかった。見えてないのをいいことに、クーリは露骨に嫌な顔をしてみせる。見えていないから意味がなかった。
フォラステロは自分の部下を急き立てて、勝手に出発する気でいる。二人はそれぞれ一つずつ、袋を背負っていた。中身が角ばって存在を主張しているそれは、おそらく金品の類だろう。向こうとこちらでは通貨が違うから、インゴットか何か。
「あぁ、そうだ」
まるで昨日の夕飯を思い出しただけのような気楽さでフォラステロが言う。
「嬢ちゃんが今夜の相手をしてくれるってんなら、俺は一向に構わねぇよ?」
「早く行くぞ」
家に帰れば、ストレスの分いくらでも豆パンを食べれる気がしたクーリだった。
◇◆◇
森を歩く。先頭はクーリが歩くつもりだったのだが、フォラステロが大股にずんずんと進んでいくものだから、クーリが足早にそれに続き、部下がその後ろにつくという並びになった。後ろの二人は、姿の見えないクーリにぶつからないか、おっかなびっくり。
フォラステロは最初こそ目の前の枝葉を切り払って進んでいたが、奥に進むにつれ、背の高いものばかりになって手持ち無沙汰になってしまう。今は、あの少年が木の枝を振り回すように、大振りの剣を振り回している。それと口笛。
何度も目の前を通り過ぎるものだから、クーリは嫌でもその剣の特徴に気がついた。
「よぉ、この剣、おもしれぇだろ?」
「……」
後ろ歩きに振り返ったフォラステロの軽口は、意識して無視をする。
その剣には刃がないようだった。そのくせ、ちゃんと枝葉を払うことができている。叩き切っていたのではなくちゃんと切断していて、フォラステロの雑な切り払いでむしろ鋭利になった枝先で、後ろに続く二人が頬を引っ掻いたくらいだ。
「嬢ちゃんがたみたいな純血には必要ないから知らないんだろうが、これもこの国から買った武器なんだぜ?」
彼は刀身を横に構えて、その刃の無い腹を指先でなぞった。そこには、髪の毛一筋ほどの溝。よっ、とフォラステロが足元の葉を拾い、その中ほどを溝にあてがう。
何をする気か、クーリが興味を持って距離を詰めると。
「わっ!」
「っ!」
大きな声とともに、葉が両断された。
「はっは! 驚いたな? 驚いた足音がしたもんな。ただ、それで正解だぜ」
「……下がれと言いたいなら、そう言え」
「はっはっは! これが、ユーモアってやつなんだな」
フォラステロは満足そうに大笑いして、がしゃんと大振りの剣を鞘に叩き込んだ。クーリは彼に驚かされ、びくりと身体を引いていなければ、その剣で顔を斬られていたのだ。
あれは、風圧の剣だ。
間近でその魔力を感じたクーリにも、今はその機構がわかる。やけに大振りなあの剣は、中空の造りをしているからこそ。狭い柄の中で使用者が発生させた風の元素魔法は、行き場をなくして刀身へ押し寄せ、鋼鉄の壁に押しつぶされながら外へと吹き出る。
毛髪ほどの薄さに押し込められた風はかまいたちとなり、刃こぼれしない不可視の刃となるのだ。
「この国の貴族はすげぇよな。こーんなとんでも兵器を、ぽんぽんと売りつけやがる。嬢ちゃんの国で言うとこの、宝剣を持つものは名剣を持たないってやつかい?」
「知らん。我々コンディトライは、国家が不当に独占する魔法を、解放するだけだ」
「………………はぁ。嬢ちゃんはなんでそう、おかたいかなぁ」
まさか俺、嫌われちまったのか?
そうぼやくフォラステロなのだが、まさかも何もその通りである。
クーリはこれ以上、フォラステロに返事をしないことに決めた。どうせ一人でも、勝手に楽しく話していそうな輩だ。仕事が終わった後、時間があれば香茶作りの続きをしよう。
頭の中には、茶葉と花とを何層にも重ねていく工程の、作る人だけが知る生の香りが蘇る。
「いやはや、それにしたってよ」
案の定フォラステロが喋り出したので、クーリは心の耳を覆う。
「この森には面白いのがいっぱいいるよな。退屈しなさそうで、後は女さえいればまさに、リゾート地って感じだ」
フォラステロがにやにやと見つめる先、骨のように白く不気味な木々の奥に姿をのぞかせているのは、蜘蛛熊だ。
人の胸を一突きに出来そうな節足を八本並べた蜘蛛の胴体から、熊の上半身が生えている。あらゆる地形を踏み越えて、毛むくじゃらの前足で丸太の一本など簡単にへしおってしまう、白森でも上位の魔物。
「さっきから、いろんな魔獣が俺らを遠巻きにしてたよな。樹木蛇、魔猿なんて可愛いもんで、槍蜂、青牛、そして蜘蛛熊ときたもんだ! なぁクーリ・グラスよ。お前、退屈しないだろ!」
大声で捲し立てているフォラステロは、演技ではなく確実に興奮していた。腕を広げて同意を求めてくる彼に、クーリは頬を引きつらせた。
魔獣の存在を、厄介とは思えど愉快と思うことが、クーリには無い。それは、苛立ちを晴らす相手として魔獣を使ったことはあるが、その根底には魔獣狩りがエスト村を守ることになるという大義名分が必ずあった。
殺す相手がいて愉快だという感覚が、クーリとは確実に乖離している。
「――あ? まさかお前、戦うのが楽しくないのか?」
期待通りの反応が返ってこなかったからか、フォラステロは初めて、肝の冷えるような低い声を出した。
クーリは逆にムッとして、ついつい言い返す。
「楽しいのが、当たり前のように言うな」
「おい、おいおいおいおい。嘘だろおい。お前はこっち側のはずだろ?」
「こっち側?」
「そうだよ。こっち側だ! たくさんたくさんたくさん殺して、殺せるから生きている側だ」
「別に、人を殺すのが仕事では」
「うるせぇ、殺してるだろうが」
ついにフォラステロの口調から、最後の軽薄さすら消え去った。
「冒険者を殺したろう。冒険者なんつー曖昧な身分には、よその工作員もいっぱいいてな。つまりは、お前に殺された工作員だっていっぱいいる」
ひりつく感覚がクーリを襲った。罪悪感。眠っていた背後霊が目を覚まし、彼女の肩にしなだれかかる。フォラステロが柄頭を指で叩く音が、まるで神官のつく聖杖の足音のようだ。
「お前が俺らの間でなんて呼ばれてるか知ってるか? 『天罰』だよ。姿もなく、音もなく、ただ突然に焼き殺す。クソ面白くもねぇ処刑者って意味だ。そこで、考えてみろよ。殺された奴は一瞬で死ぬから当然面白くねぇし、報告を聞いた俺らも面白くねぇ。そこで、殺したお前すら面白くねぇって言ったらよぉ」
フォラステロの指が止まる。
「一体、そいつは何のために殺されたんだ?」
クーリには、答えがなかった。
今まで、自分で思い当たらなかった問題ではない。『人を救ける』ために『貴族を倒す』自分が、保身のために人を殺しているという矛盾。ヌガーに指摘され、あの農夫の心配を見て実感したもの。
それらを、こんな粗野で軽薄な男にすら指摘されてしまった。
クーリは唇を噛む。この場だけでもと必死に頭を回しても、くだらない屁理屈の類しか出てこない。あるいは、胡散臭い宣教師のように、理想を語るか。
フォラステロの頭の布に挿さった臙脂の羽飾りが揺れる。戦士の証。人を殺すものの証。
その形はどうあれ、フォラステロという男は彼なりの矜持を持って殺人をしているということだろう。そしてそれはきっと、あの子にもあって。
だから最後のその瞬間まで、私に立ち向かってきたのだろう。
クーリは涙を溢しそうになって、乱雑に目元を拭った。
「あー、柄にもねぇ話しちまった」
フォラステロは両目を覆って空を仰ぐ。やめだやめだと首を振って叫び、さっさと歩き出してしまった。
クーリはせめてバレないように、大股で後を追った。
「あ、そうだ」
フォラステロが言う。
「やっぱ俺、嬢ちゃんだけは抱きたくねぇなぁ」




