第十七話 クリオロ
ジェラートも、自分の矛盾に気付かないほど馬鹿なわけではない。彼女は彼女なりの目的をもって、人殺しをするクーリの仮面を被っているのだ。
そして、その目的のために所属する組織が、コンディトライ。違法貴族、またその技術を求める諸外国。そのどちらとも接触を持ち、パイプとなるのがコンディトライである。
いかに強力な元素魔法を使えるとはいえ、二十歳にも満たないジェラートが違法取引の仲介などを出来ているのは、明らかに組織の力あってこそだった。
「聞いたぞ。失敗だったな」
「さすが、耳が早いんですね」
クリオロは、そんな組織の顔役のような存在だった。クーリに対して仕事が下りる時は、だいたい彼が話を持ってやってくる。
まるで単語しか知らないように話す彼が、正直クーリは苦手だ。
「どうぞ。こんな場所ですから、たいしたものもないですけど」
松明に照らされる室内。クーリが食堂の机の上にカップを二つ置く。
白森で取れる花で茶葉に香り付けをした、ジェラートが趣味で作っている香茶だ。琥珀色のそれは、一杯分の下拵えに何時間もかかる代物なのだが。
クリオロは進められるまま席につき、口を覆っていた布を下げるとぐいっと飲み干した。香りを楽しむなんて様子が微塵もない彼を見て、クーリは次は泥水でも出してみようかと、心の中で舌打ちする。
そんな気持ちを、自分の分の香茶に口をつけて落ち着かせる。ジャスミンに似たすっきりとした香りが心地良い。
「なぜ、使った」
「使わざるを得なかったんです。裏ギルドの元素魔法使いでした」
「知っている」
全てが全て叩きつけられるように言われるものだから、クーリは会話のたびにカップに口をつけた。
荒削りの木像みたいな顔で、クリオロは真っ直ぐにクーリへ向け続ける。
「迷彩魔法を『あの方』から与えられた意味。分かっているな」
「分かってます。バーナン家が独占する、炎と風の二重適性は貴重だから、慎重に動けと。そう言いたいんですよね」
「そうだ」
この短い間に三回も「そうだ」と言えることに、クーリは感心すら覚える。
ただ、彼の言う通り、慎重に動くべきだったのもその通りではあった。だからこそクーリは風の魔法を応用した迷彩魔法の技術を『あの方』から与えられ、使ってきたのだし、冒険者を殺すのも、情報の遮断のためだ。
実際、ピエスモンテを使う必要はなかったのである。あれはショコラの心を挫きたくて、パフォーマンスとして使った魔法なのだから。
「……すみません。もう少し、やりようはありました」
「分かったならいい。それより」
それより? クーリは疑問を抱く。
今までも貴族の手先として遣わされた衛兵などを焼き殺してきた。今回の戦闘も、外から見れば問題点は派手にやってしまったことくらいだと、クーリは考えていた。
クリオロの表情に答えを探そうにも、相変わらずの無表情なので、クーリは大人しく言葉を待った。
「確実に、殺したな?」
「――えぇ、それはまぁ、もちろんです。今までもそうだったじゃないですか」
「そうか。そうか」
まるでそれが一番の大事であるかのように、二度もうなずくクリオロに、クーリは冷や汗をかいた。
もしか、ショコラはすでにコンディトライの恨みでも買っていたのだろうか。目立つ服装の少女だ、周辺情報からクーリに挑んだのは彼女だと特定されていてもおかしくはない。
本当に、自分より小さなあの子は、チョコレィトさんのために頑張ってきたのだと。クーリは思う。
これからは、それもクーリが背負うのだ。
「もう、この話はいいでしょう。それより、仕事の話をしませんか?」
「……いや、待て」
あわよくば仕事の報酬として、組織の力を借りてチョコレィトの仇を探そうとしていたクーリだったが、その思考を止めるようにクリオロが手を上げて待ったをかけた。生気を感じない、節くれだった手。
「あの少年は、なんだ」
舌が急速に乾くような心地がした。
「少、年……?」
「お前があの日、助けた少年のことだ」
「かれっ、は」
「どうした。まさか」
「大丈夫ですっ! 正体は、知られてません」
「そうか」
思わず椅子をガタリと言わせてしまって、クーリは激しく後悔した。口では「そうか」と言っていても、彼が心の中で何を考えているのかはわからない。
彼はどうも、クーリの身辺調査を終えた上で、この場にいるらしかった。クーリは全く気付いていなかった。
得体の知れない相手は信用できないと漏らした農夫の気持ちが、今の彼女にはよくわかる。
彼女の知らないところで少年に危害が及ぶのではと思うと、胸がざわめく。少年を殺すべきではないのかと問いかけてきたヌガーと目の前のクリオロが、不思議と重なる。
「手は出さないでくださいよ。彼を助けたから、この村での私の信頼が強くなっているんです」
「知っている」
「わかりますよね? 活動拠点の周辺の人々に信頼されていた方が、動きやすい部分も多いって」
「そうだ」
「本当に、お願いしますからね」
「いいだろう」
詰め寄る勢いで捲し立ててから、そも、このクリオロに口でいくら念を押しても意味はないのだろうと思い直した。カップを煽って、急にやってきたむせるほどの香気に眉を潜める。
そのおかげで、クーリは平静を取り戻した。
「なら、仕事の話だ」
「……えぇ、わかりました」
そこまで見通していたかのように話を切り出すクリオロに、クーリは辟易しきっていた。
◇◆◇
「仕事は、仲介だ」
「それはそうでしょう。そのための白森じゃないですか」
「パンデピス卿が魔導兵装を売りに出し、西のアガペル聖火教国が買う」
よくある構図だった。
そも、魔導王国エウロパの西に位置するこの村で、西隣のアガペル以外と取引をすることは滅多になかった。
白森という圧倒的危険地帯で、クーリを一種の魔獣避けとして利用することで、エウロパの魔力を持たないものたち、つまりはおおよその一般国民全ての目から逃れて取引が可能になる。
「時期も同じだ」
「数日後、冒険者が白森に入り始める時期と合わせるんですよね」
「そうだ。一週間後を予定している」
さらに、冒険者の出入りが多くなる時期に合わせることで、白森への出入りすら不審に見られることがない。
本来は危険地帯であるこの場所が、違法取引の仲介の場となっているのは、これらのメリットがあるからに他ならない。
問題はパンデピス卿とアガペルの人間と、白森に入る段階では二人分の護衛が求められることだが、クリオロがパンデピス卿の護衛を務めるらしい。クーリはアガペルの人間を担当することになった。
クーリが食堂の隅に丸めて置いてあった地形図を持ってきて、机の上に広げる。ホコリがぶわりと舞い起こって、クリオロは下ろしていた布を口元まで上げ直した。
目を擦るクリオロが、地図上の一点を指し示す。村の周囲に広く位置する畑の、未開拓の土地との境目。そこが、待ち合わせの場所らしい。
「向こうは、何人で来るんでしょう」
「五人と聞いている」
「……随分と、多いんですね」
「気にするな」
そして次に、白森に入ってからの取引地点が指し示される。森の中央深くだった。
「そういえば」
「なんだ」
ふと、クーリが口を開く。
「私たちが白森の中で取引をしている間、その辺りを縄張りにしていた魔獣はどうしているんですかね」
「知らん」
「もし万が一、村に行ったら」
「クーリ」
つらつらと思うままに言葉を発していたクーリが、はっと背筋を伸ばし直した。どうも、一日の疲れが溜まって気が緩んでいたと自己診断する。
表情のないクリオロの黄色い瞳が、剣呑な光を宿しているようにクーリには見えた。
「お前は、何のために仕事をする」
「貴族を、倒すためです」
「そうだ。それが『あの方』の望み。それを、履き違えるな」
「はいっ」
いくらクリオロが気に食わないからと言って、その後ろに『あの方』がいるのなら、話は違う。
何しろ、『あの方』が拾い上げてくれたから今のクーリの立場があって、貴族への復讐も、チョコレィトへの復讐も、彼女は考えることができる。
クリオロは急に余裕の消えたクーリの顔をまじまじと見て、どうやら許したらしい。
「いいだろう。あとは、時を待て」
話は終わったとばかり、クリオロはゆらりと立ち上がって、踵を返してしまう。
慌てたクーリが呼び止めた。
「クリオロ、さん」
「なんだ」
「今回の報酬についてお願いがあります」
「言ってみろ」
「人を探してほしいんです。お金はもらえなくても構いませんから、コンディトライの力で、探してほしい人がいるんです」
「……考えておこう」
クリオロは振り返りもせずに行って、歩き出してしまう。木戸を開け、外に出る。そこで一度、何かを探すように辺りを見回してから、今度こそ去って行った。
クーリはそれを見送ってから、開けっ放しの木戸を閉めた。終わったという実感が遅れてやってきて、窮屈さを振り払うように腕をぐるぐると回した。
「…………もう寝よ」
いつもと同じ仲介の仕事を受けただけなのに、色々と気疲れした。だからか、仕事を与えられた高揚感というのも感じられない。
ジェラートは机の上に開きっぱなしの地図をたたみ、カップを片して、松明を消して回った。夜闇に包まれるやいなや、ジェラートはあくびを一つ。
まぁ、一晩寝れば、気持ちも切り替りますよ。
誰にともなく言い聞かせて、ジェラートは二階への階段を登る。
◇◆◇
少年は、ギルドハウスの中から聞こえる、階段を上る軋みを聞いていた。
石造りの壁に背を預け、草地の中に座り込む。羽虫が飛んできては少年の体に止まるのだが、彼は気にする素振りもない。
聞いてしまった。
別に、盗み聞きをしようと思っていたのではない。
この時間になると、ジェラートは剣の素振りなどをしているから、それに混ぜてもらおうと思ってやってきただけだ。しかし、来てみれば外にジェラートの姿はなく、ギルドハウスの中から何やら話し声が聞こえるではないか。
彼は幼いいたずら心を働かせて、盗み聞きをしていただけ。
そうしたら、聞いてしまったのだ。
ジェラートはジェラートと呼ばれず、クーリと呼ばれていた。彼には正直、話の内容などよくわからなかったのだが、ジェラートがクーリ・グラスだから、クーリと呼ばれているのだとは理解できてしまった。
彼自身、なぜそんな突拍子もない話を信じられるのか不思議でしょうがないが、何かもやのかかった記憶の底から、確信が這い上がってくるのだから仕方ない。
ギルドハウスの中からは、もう物音がしない。無音だからこそ、恐ろしい想像が止まらなかった。誰かが自分を見ている錯覚が彼に付き纏っていた。
クーリの噂は知っている。自分を狙いにきた冒険者は皆殺しにして、この前ちらりと見た可愛い女の子も、ひどい火傷をしたのだという。
夜の寒さが染み込むように、身体の奥がガタガタと震え出して、少年はたまらず駆け出した。
なにより、彼のよく知るジェラートが、途端に得体の知れない何かに変わったようで、気持ちが悪かったのだ。




