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ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜  作者: 浜能来
第1章 鍛冶屋というのは、鍛治をしながらなるものだ
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閑話 形見

 ショコラの右上半身に軟膏を塗り、包帯で蓋をして。服もすっかりと焼けてしまったショコラに地面に敷いていたスーツを羽織らせてやってから、ようやくヌガーはショコラを背負った。いつのまにか空にはちぎれた雨雲が漂っていて、気まぐれのように雨が降りかかる。

 ヌガーは息を切らして、村まで走り帰った。そして、人だかりに気づく。あれだけ大規模に魔法が使われたのだ。村の子供も一人、行方不明。ギルドハウスに多くの村人が押し寄せたのも当然だろう。

 彼らは雨にけぶる景色の中に人影を認めるなら走り寄ってきたが、ヌガーの肩に力なく乗せられたショコラの顔を見ると、気まずそうに黙り込んで道を開ける。

 ヌガーは息切れの合間に、ニヒルに笑った。


 その時点で、ヌガーには把握できていたことだが。広々としたギルドハウスの中にジェラートはいなかった。雨の湿った匂いを伴う、閑かな薄暗さ。万一にも転ばないよう、石組みの壁面に手をつけて、ヌガーは階段を登る。ぎぃぎぃと軋む木の床板。

 荷物を拾う時間はあげるから、早く出て行け。ジェラートがまだ戻っていないのはそんな心遣いだろうと、ヌガーはテキパキと荷物をまとめた。

 ついでに、ショコラの荷物から下着や替えの服を取り出す。一階に戻って暖炉に火をくべてから、彼女を着替えさせにかかった。ちろちろと揺れる光の中に照らされるのは、少女然としつつ、その中にしなやかな筋肉をつけた、細い体だ。包帯の巻かれてない素肌は冷たくて、どこか青白くも感じられる。

 ヌガーはなるべく、火傷を隠す包帯には触れないよう、質素な麻の服へショコラの体を滑り込ませるが、右腕だけは難しかった。なにしろ、右腕は指先から胸元に至るまで、くまなく焼けてしまっている。


 ヌガーはため息を一つ。整髪油にてかつくオールバックを撫でつけて、覚悟を決めた。

 騎士が仕えるべき姫の手を取るような繊細さで、ヌガーはショコラの右腕をとる。


「んんっ……あうっ……!」


 もうだいぶ覚醒が近いのか。ショコラがつられて眉根を寄せ、その表情の動きで顔の火傷が痛んだのか、さらに呻く。びくりとヌガーの動きが止まるが、ままよと彼は着替えを続けた。


「どうしたショコラ。傷に水が染みると泣きべそをかく、子供みたいじゃあないか」


 言ってしまって、ヌガーは天を仰いだ。あぁ、と意味を持たない声を漏らして、今度こそ黙ってショコラの身体に服を纏わせだす。ショコラはやはり数度痛みに反応を返したが、質素な麻の服に着替え終わっても目は覚さなかった。

 ヌガーはショコラを手近の椅子に座らせて、他にやるべきことに頭を巡らせた。暖かな食事もそうだが、痛み止めの飲み薬も煎じておくべきだろう。自分自身の濡れ鼠になった服だって乾かさなければ、どちらも体調不良などと洒落にならないことになる。

 思考と共に動いていたヌガーの視線が、一点で止まる。


「お前さんも、とんだ呪いを残したもんだな」


 そこにあるのは、ショコラのトレードマークたるエスプレッソ色のドレスだ。彼女の父親であるチョコレィトの形見であり、ショコラ自身が復讐者としてのトレードマークとした一着。もはや半分以上が燃えてしまっていて、着用に堪えるものではない。


「いつまでもこいつを脱ぐ日が来なければいいと、思ったこともあったがな」


 自嘲的なヌガーの横で、暖炉の木がぱちり、ぱちりと弾ける。


 ◇◆◇


「んっ、ううっ!」

「あぁ、起きたかショコラ。こんな夜遅くに目覚めるほど、お前さんを不良に育てたつもりはなかったんだが」


 遠くでミミズクが鳴く。雨はとっくに過ぎ去って、湿気だけがじめりと残っていた。

 突っ張るような痛みに目を覚ましたショコラが最初に見たのは、椅子に腰掛けて薪をくべるヌガーの横顔だ。彼女は自分がギルドハウスの一階にいて、布団の上に寝かされてている現状を、不思議そうに見渡した。

 とりあえず、ヌガーの嫌味に言い返そう。


「わたしだって、あなたに育てられた覚えは――っ!」


 そのために右腕をついて、電撃のように駆け抜ける痛みに絶句した。

 それがトリガーとなり、彼女の脳裏に記憶が走る。クーリとの対決、自分の全力、踏み潰す炎獅子。

 そこまで来れば、彼女が自分の外傷を自覚するのに時間はかからない。それは痛みの認識に等しい。

 全身の皮膚を剥がされたかのような――実際、焦げ落ちた部分が多いのだが――掻き毟るような激痛に背を逸らす。あるべきではない何かが皮膚の下に貼り付いていた。ならば剥がそうと手で触れて、それが包帯だと気付けるくらいには理性もある。


「ゔぅ〜……」


 身を捩り、涙を噛んで彼女は堪えた。ヌガーはそれをやらせなく見下ろす。


「痛み止めを煎じてある。持ってくるまで、少し我慢するんだ」


 ヌガーは抱えていた薪をそこらに放って立ち上がる。いつも返事を要求するショコラが、返事を返さない。ヌガーは大股に厨房へ歩いて行って、濃緑色の液体の入った木の碗を持ってきた。


「ほら、口を開けろ」


 ヌガーはショコラの頭を抱きかかえてやるのだが、彼女はあまり大きく口を開けられないようだった。ほおの火傷が引きつるのだろう。

 ヌガーはその小さな隙間に、少しずつ薬液を流し込む。甘いもの好きのショコラに合わせて、薄めた上で砂糖を入れたものだったから、ショコラはこくこくと飲んでいく。

 やがて碗が空になる頃には、強張っていたショコラの体が幾分弛緩した。ヌガーはそれを抱える腕で感じ取り、「寝かせるぞ」と腕を抜いた。額に浮かんだ冷や汗を拭ってやる。


「わたし、負けたのね」

「ショコラ、お前さん、可愛げというものを覚えたらどうだ? 女の駄々は神の託宣と言うし――」

「負けたのよね。わたし、あの女に」

「…………あぁ、そうだ」


 ヌガーに寝かされたまま、ショコラは無表情に天井を見つめて言った。首を回すと、皮膚と炭の中間体みたいなものが、ひりつく首筋からぱりぱりと落ちていく音がするのだ。ヌガーに肯定されなくても、その音が事実を囁いてくる。


「なんなのよ、あの女……!」


 ショコラがぐっと両手を握りしめた。気遣わしげにヌガーがショコラの右手を見やるが、関係ない。


「あれは、ピエスモンテは! お父さんの魔法でしょ?!」


 ショコラの目尻からすぅと涙が流れた。ヌガーにはそれが、ジェラートの前で見せた涙とは違うとわかる。あれはチョコレィトに向けたもので、これはジェラートに向けた何か。


「許せない。わたしの使えないお父さんの魔法に、お父さんの魔法で負けたっ!」


 共通しているのは、どちらも根っこではショコラ自身に向けた怒りを持っていることだ。


「仕方ないだろう、ショコラ。お前さんの優位は、二つの元素を扱えるというただ一点だったんだ」

「知ってるわよ! でも、それだけで負けてちゃ……」

「チョコレィトのやつの復讐は、果たせないな」

「…………えぇ、まぁ、そういうことよ」


 ヌガーの言う通り、ショコラの優位はただの一点、二属性を扱えることだった。純血でないショコラの魔力は普通、純血の半分に落ちるのだが。その半分が二つあれば、きちんと一人前だ。

 ジェラートのような純血の二属性持ちは一人分と一人分とで二人分の魔力を持つ。ショコラのクーベルチュールがジェラートのピエスモンテに焼き尽くされるのは、そういう意味で当然の帰結だった。


 そんな理屈を飲み込めるショコラなら、彼女は人殺しの道に足を踏み入れなかったろう。


「教えなさい」

「何をだ?」


 ショコラの口から鋭角的な言葉が飛び出る。


「あなた、知ってるでしょう。クーリ・グラスの正体」

「あぁ、ジェラートだな」

「そういうことじゃないわよ」

「なら、どういうことだ?」


 ヌガーはのらりくらりと受け流す。


「クーリ、いえ、ジェラート。どっちでもいいわ。あの女は、お父さんの何?」

「まるで、浮気の追及みたいな言い回しだな」

「いいから」


 ショコラのルビーの瞳がチョコレィトを捉える。静脈を流れる、黒ずんだ血液を思わせる昏さだった。


「お父さんと、あいつとの関わりは、何?」

「あぁ、わかった。降参だショコラ。話すとしよう」


 ただまぁ、とヌガーは前置きする。


「ショコラと違って、俺はチョコレィトの仕事にはあまりついていかなかったから、伝聞だがな」


 ◇◆◇


 あいつはもともと、血も涙もないやつだった。


 お前さん、知ってるか?

 チョコレートというのは本来、苦いものだった。甘くなったのなんてつい最近、そもそも飲み物だったんだからな。

 未開の地で見つかった貴重な豆を嗜好品として嗜める身分なんだぞ。そういう、ステータスを示すためのものだ。飲みにくすぎて手を加えるやつもいたが、それでも加えるのは香辛料だった。


 貴族の捨て子として違法貴族の用心棒をしていたあいつをビスキュイが拾い上げて、名前をつけたのもその時期だ。

 チョコレィトのやつは、仕事のためなら全てを殺す。ビターでスパイシーなやつだったのさ。

 まぁ、そんなあいつも脳みそだけは甘々だったから、俺が引き合わされたわけだが。


 俺とあいつのコンビは上手く行っていた。最初こそ、やつは俺の気の利いた冗談も理解しないで、お前さんのように怒ってばかりいたが。

 そういうつまらない冗談はいらない? そうか。かわいそうに、父親に似たな。

 とにかく、チョコレィトはビスキュイに負けて、渋々その下についた男だ。俺の背後にあの老いぼれを見て、強く出れなかったらしい。


 そのうち、あいつも俺に慣れたんだろう。

 報酬の配分で揉めることは減り、飯を二人で食べることが増え、その分代金をどちらが払うかで揉めることが増えた。まぁ、あのバカに俺が口で負けることはないから、俺は得をさせてもらったがな。


 転がる石は苔を蓄えないと言うが。俺たちは少しずつ苔むしていった。

 うん? 言葉が難しいか? 根無草のくせに、金に余裕が出始めたということだ。

 ……おい、バカにしてないから殴るな。傷が悪くなるだろう。

 とにかく、バカなチョコレィトでも真っ当な生活をしていると見せかけられるくらいの生活の余裕を得て、それで見事女を騙した。そしてお前が生まれた。

 お前さんの母親がいないのは、チョコレィトが騙していたことに気付いて傷付いて、出ていってしまったからだ。


 ……あぁ、すまない。話が長くなった。俺の悪い癖だな。

 だが、安心しろ。お前さんとこの話は、ちゃんと関係している。


 女に逃げられて茫然自失としていたチョコレィトも、ようやく仕事に復帰した。お前さんを育てるにも金がいることくらいは、あのバカにもわかったらしい。

 チョコレィトはお前さんを生かすために、お前さん以外を殺すようになった。


 そんな時だ、あの依頼が舞い込んだのは。

 人狩りの討伐だった。本来なら表のギルドに回る程度のものなんだが、その人狩りが抱えている『ブツ』がまずかった。


 バーナン家。お前さんも知っているだろう。この国唯一の火と風の元素を持つ血統で、軍事権力を握り続ける最強の貴族。

 やつらが最強の名をを独占できているのは、ひとえに政略陰謀でもって同じ魔法適性を持とうとする血統を排除してきたからだ。


 もうわかるだろう、ショコラ。

 バーナン家の外に生まれた火と風の混血で。自分の家に抱えるにはリスクが高いと、秘密裏に人狩りに売られた幼女。

 それが、クーリ・グラスだ。あぁ、当然、当時はそんな名前ではなかったが。


 チョコレィトに与えられた任務は、その人狩りが違法貴族や、ひいては諸外国へクーリを売り払う前に、討伐せしめること。ついでとばかりに、クーリを殺すことだ。

 秘密裏に売ってくれたおかげで、戸籍に載ってすらいなかったからな。法的に存在しない人間を殺しても、バーナン家が非難を浴びる可能性は万に一つもない。


 幼女とはいえ、バーナン家とおなじ適性を持つ。お前さんみたいに、というかお前さん以上に早熟だった場合をチラリと考えたが、俺はその依頼を受けた。

 でかい家の依頼は報酬もでかい。子供を殺すだけで報酬のもらえるその依頼は、割がいい。都合の良いことに、向こうさんも俺たちを指名していたからな。


 チョコレィトの悪名響かせるやつらなら、幼子も確実に殺してくれるだろう。


 そういう意図を読み取って、俺もそれに同意した。だから、チョコレィトに行かせた。


 結果、あいつは失敗した。


 帰ってきたあいつは、幼子を胸に抱き抱えていた。安心しきった顔ですぅすぅと寝息を立てていた。俺の方が弱りきっているのに、あいつは俺より困りきった声で言ったんだ。


「どうしちまったんだ、俺は。ショコラのために、金を稼がなきゃいけないのに、ショコラの顔が浮かぶから、この子を殺せない」


 お前が生まれてから、あいつは甘くなった。

 この言葉の意味はそういうことだ。


 チョコレィトのやつはバカだから、それから自己暗示をかけるようになってな。

 ダーカー・ザン・チョコレィト。

 そう呟いて仕事に出ていくあいつを、俺は止めておくべきだったんだろうな。


 人は自分のベッドを整えた通りに寝るもんだ。


 ◇◆◇


 再びショコラを抱き起こして、今度はどろどろに芋や溶かしこんだスープを飲ませていたヌガーの手が止まる。話とともに、スープも全てなくなった。


「相変わらず、無駄の多い語り口ね」

「知らないのか? 商人の間では、肥満こそ裕福の象徴だ」

「あぁ、そう」


 ショコラの「そう」は吐息と混じり合って、その身に蓄積された疲労を感じさせる。それでも、彼女は空っぽの碗の底をを睨み殺さんばかりだった。


「その程度の子に、わたしが負けるわけにはいかないわね」

「なお、出来の悪い愛憎劇みたいな言い回しだな」

「いいのよ、ドレスをよこしなさい、ヌガー」


 ショコラがヌガーにもたれていた身体を起こす。痛みに反射的に怯みながらの動きは、どうしようもなくぎこちない。


「無理だ」

「無理じゃないわよ。大丈夫、次は負けないから……」

「違う。そういう、難しい話じゃない」


 ひくつく笑顔で強がるショコラに、ヌガーは冷淡に言った。スープをすくっていた匙で、暖炉の方を指し示す。

 ショコラは怪訝そうにそちらを見やるが、特に何も見つけられなかった。燃え尽きた薪が炭と積もっているだけだ。


「何よ。はっきり、言ったら?」

「焼いた」

「……は?」

「焼いた。もう着れる状態じゃなかったからな。焼いた」

「なんでっ?!」


 ショコラはヌガーに掴みかかるが、右手をはたき落とされそうになり、咄嗟に身を引いた。その隙にヌガーはショコラの右肩を押す。


「あつっ!」


 いとも簡単にショコラは布団の上に倒れる。よっこらせと立ち上がったヌガーが、ショコラを見下ろした。


「別にいいだろう。あんなのはただの布だ。お前さんは何も変わらない」

「あれはっ! あれは……お父さんの……」

「チョコレィトは別に、お前の殺人装束として、あれを与えたんじゃない」

「っ!」


 ショコラの顔が泣きそうに歪む。


「チョコレィトは死んだんだ。死んだ人間は、ショコラを助けない」

「……」

「お前は弱い。だから、終わりだ」


 ヌガーにしては珍しく。端的で、断言的な物言い。ショコラは「何が終わりなの?」と聞き返すこともなかった。

 夜の闇の中、ミミズクが鳴く。子が親に、餌をねだる鳴き声だ。

ショコラがクーリの正体を聞かされる前から「あの女」とか言ってるのは、女の勘です。怖いですね

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