表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

第一話 タミゼ

 ギイィと、軋む。

 鬱屈とした地下室の、カビの生えた空気が入れ替わり、どこか甘やかな匂いとともに、壁に取り付けられた燭台の火が揺れた。日に一度しか開かれぬ扉が、今日、三度開いたのである。

 地下室の奥、五元素の色を顕す魔石や、魔物から取れる希少素材を入れた試験管が並ぶ机に向かう青年は、モノクルをくいと上げた。その痩身にピタリとあった細身の服は、上質の証としてのきめ細やかさを持って。背にあしらわれた、蔦の絡む弓の紋章は、下級貴族であるカラント家のものだ。

 それを見て、扉から現れた人影が安堵を漏らす。


「……あぁ、良かった。カラント家の道楽息子、タミゼだろう。お前さん」


 言葉をコーティングする、人生の深みを背負った憂鬱。

 焦したキャラメル色の人影は、オールバックに整えた黒髪を撫で付ける。触った手がベタつきそうなほどにヘアオイルがぎらつく彼に、部屋の中の男、タミゼは憎々しげに漏らした。


「報告は聞いていたが、本当にここまで来るとは。そういう貴様は、裏ギルドの刺客だな?」

「あぁ、そうともいう……が、そうじゃない。いや、表向きはそうなんだが、お前には表を見せる必要がない」

「歯切れの悪い奴め……」

「よく言われるな。悪い癖であり、それが俺の味だと思っている」


 キャラメル色の男は、なんとも要領をえない語り口をしていた。

 がらら、と。タミゼは音を立てて椅子を引き、振り返る。ぬぅっと立ち上がった彼は、自分に差し向けられた敵を値踏みするように、モノクルの奥から見下ろし。

 いや、実際に値踏みしたのだ。


「それは……魔道具か。いや、俺は事象魔法が使えるくらいで、元素魔法には詳しくないからよくわからんが、その、ぼやぁっと光るのは元素魔法の魔力光に似ている」

「ほう、裏ギルドは自分の貴賎を勘違いした、元素魔法の冒涜者たちの巣窟だと思っていたが」

「若いなぁ、お前さん。そういうのは、心の中で考えるもんだ。自分の思考を無駄に見せびらかすなんて、女優アクトリスが突然ストリップを始めるくらい下品だろう」

「言わせておけば……!」


 怒りに歯噛みするタミゼ。

 それもそうだろう。彼はすでに、目の前の男が本当に元素魔法の才を持たない、口の回るだけの無能だと知っているのだ。

 タミゼのモノクルは、規則的に色を変える微光を放っていた。それは五大元素の赤、青、黄、橙、緑の五色を繰り返し、その色に対応した僅かな魔法を放ち続けるものだ。もし、相手が何かしらの元素魔法を扱えるのならば、その元素の魔法だけが共鳴し、反射してくることで、タミゼのモノクルのレンズが色付くはず。

 ただ、目の前の男を映すそのレンズは、一向に透明のまま。だから、悠然とタミゼは歩を進める。


「父上も、舐めたことをするものだ!」

「……しまった。適当に喋ってお前さんをおちょくっていたんだが、もしかして口を滑らせたか?」

「ふん。俺を殺そうなどと考えるのは、あの父上くらいのものだからな」


 言って、タミゼは足音を立てて立ち止まった。薄暗い部屋の中央、彼を囲うように描かれた魔法陣は床のほとんどを埋め尽くしてる。


 電撃、一閃。


 タミゼの足元から流れ出た黄色い蛇が、その白線の上をのたうち回る。魔法陣が起動したのだ!

 手狭な地下室は、そこだけ雷雨に見舞われたかのように、放電の音に支配され。明滅に白く彩られる。

 キャラメル色の男が慌てて一歩下がるのを、タミゼは鼻で笑い。


「さぁ、かかってこい! ここまで、雇った警備を倒して来たんだろう? その力を見せてみろ!」

「力、力ねぇ……」


 見えすいた挑発に、男は途方に暮れたように空を見上げた。とは言っても、あるのは茶色の岩肌だけれども。

 ぱちっ、と弾けた稲光が、彼の頬をかすめる。

 ため息混じりに、彼は自分の着ているスーツの内側へ、手を伸ばした。我が意を得たりと凄絶に笑うタミゼ。


「なぁ、言ったろう?」

「何をだ?」


 タミゼの声音は、勝利を確信している。


「そうじゃないと。俺は刺客じゃあないんだと」

「あぁ、よくわからないことを言っていたな」

「いや、俺は事実を言ったんだ。わからなかったとしたら、それはお前さんの頭の問題で」


 たっぷりと持たせた含みでもって、男が取り出したのは――葉巻だった。

 続けて取り出したシガーカッターで吸い口を切り、しゃがみ込む。足元に描かれた魔法陣に押しつけて火をつけた。

 そして、タミゼなど目に入らないとばかりに優雅な一服を始めた男は、ぷかりと煙を浮かべ。

 彼は、()()に声を送る。


「なぁ、ショコラ。もういいだろう。こいつはダメだ。聞く耳がない」

「違うでしょヌガー! 貴方が最初から無駄に焚きつけてるだけって、何度言わせるのよ!」

「じゃあ、最初からショコラが話せばいい」

「えぇ、えぇ! そうさせてもらうわ!」


 ポカンと口を開けるタミゼ。

 その目の前で、ヌガーと呼ばれた男は一つ背伸びをして。手をひらひらと振りつつ、来た道を引き返してしまった。


「なんだったんだ……」


 自然、彼は意気消沈し、せっかく起動させた魔法陣もおとなしくなる。

 しかし、彼は見落としていただけである。その刺客の身長があまりにも小さいものだから。


「ちょっと、ねぇ、あなた!」


 甲高い声が、反響した。タミゼが視線を下げると、そこには果たして、幼い少女が一人。

 背丈はタミゼの腰ほどまでしかなく、切り揃えられた銀髪を、ツーサイドアップ。エスプレッソのような可憐なドレスは、裾をホイップクリームのようなフリルが飾っていた。


「ヌガーが、失礼な物言いをしたわね。パートナーとして謝罪させていただくわ」

「あ、あぁ。貴方が謝ることではない、お嬢さん(マドモアゼル)……?」


 ちょこんとスカートを摘んで非礼を詫びる少女は、その実、貴族の娘と言われても納得のいく整った顔立ちであったから。タミゼが困惑するのも無理はない。

 結果、お嬢さん扱いを受けたからか、上機嫌に顔を上げたその少女。明らかに場違いな、その華やかさ。揺れる蝋燭の橙色に照らされながら、神が気まぐれに下界へと与えたもうた可憐でもって、告げた。


「それで、あなたはバターケーキを作るとき、小麦粉と砂糖、どっちを先に入れるかしら?」


 タミゼには、事態が理解できなかった。


「えっ、いや……。そんなもの、どちらでもいいだろう」

「あら、そう?」


 彼は、才能に恵まれた男だ。少なくとも、彼自身がそう思っている。

 カラント家に流れる雷の元素適性を高く発揮し、貴族の特権たる魔法学においても優秀な成績を収め。しかし、彼は三男坊だった。

 ただその一事で、彼は平凡な長男に勝てなかったのだ。この国における貴族とは、魔法研究者としての側面が強いというのに、父親は長男をこそ、当主に指名すると言う。

 ならば、自尊心の高いタミゼにはもう、家にこだわる理由がなかった。


 もはや散歩に出かけるような心地で出奔したタミゼ。王都外では禁じられた魔法の研究をしていたわけだが、こうして刺客が送られてきたのは、()()が露見し一家の恥となる前に、処理するためなのだろうと。

 そう考えたタミゼは、むしろヌガーの出現に喜んだものだった。


「あなた、人のことを考えられないのね」


 これで、あの大馬鹿者に初めて吠え面をかかせられるに違いないと。


「そんな、どちらでもいいのなら、聞くわけないじゃないの」


 俺の復讐はここから始まるのだという、静かな興奮。


「あなた、悲しい人だわ」


 だというのに、急にそれは取り上げられてしまって。あまつさえ、目の前の少女如きが馬鹿にする。腹立たしい、ルビーの瞳。


 タミゼには、理解できなかった。


星を墜とせ子らの手よ(ミル・ルミエール)!」


 バチリ……ッ!

 やり場のなくなった苛立ちのように。魔法陣の至る所から稲妻が走る。支柱に絡みつくつるのように、少女に迫る。

 少女は何一つ、動かなかった。


「死んでしまぇっ!」


 タミゼが唾を飛ばす。しかし、それすらも少女には届かなかったのだ。

 少女の足元に伸びた影から、ぬるりと立ち上がり。変幻自在の漆黒が彼女を覆った。電撃はその表面を伝い、地面へ拡散してしまう。


「くそっ!」


 悪態とともに、彼は次の魔法の構築を始めた。

 魔法陣の中央に立つ彼のもとへ、吸い上げられるように電流が集まる。それは彼の体をつたい、掲げた手から放電して絡み合い。やがて槍を形作った。


万象穿つ神の槍(ランス・デ・フードル)!」


 手を振り下ろすに合わせ、眼を焼き尽くすほどの光量が殺到する!


「タブレット」


 漆黒の中から、くぐもった声。大気をも焦がす稲妻の槍に対し、ドーム状だった漆黒が長方形の壁となって聳え立つ。


 激突。


 じゅう、という音ともに、黒い壁から白煙が噴出する。それは確かに、一撃を受け止めたのだが。タミゼの槍は着実に前進し、壁から黒焦げのカケラがこぼれ落ちて行く。


「さぁ、もう後がないぞ! 命乞いでもするか、マドモアゼル?」


 ここまで来れば、タミゼにだってわかっていた。

 あの少女こそ、自分を殺すための刺客だったのだ。

 故に、油断などしない。悠然と問いかける彼であったが、その掲げた掌の上には第二射が形成され始めていた。


 ただ、その形成が、第一射と比して確実に遅い。


 この白煙に巻かれているからだろうか。まさに彼が、そう思い至った時。


「パレ」


 彼の横顔を、石の(つぶて)が強かに打ちつけた。

 たたらを踏み、頬を抑えるタミゼ。もちろん、集中力を欠いたことで準備していた魔法は消えてしまっている。ハッとした顔で、彼が視線を送った先。


 漆黒の壁は大穴を開け、崩れ始めていた。けれどその向こうに、少女の人影はなく。


 白煙に紛れて、回り込まれていたのだ。顔に血を昇らせたタミゼが少女に手を向けるが、もう遅い。


「ランス……」

「オランジェット!」


 狼狽たその声を、少女の声が掻き消す。

 同時、タミゼの足元から漆黒が這い上がり、その身体を覆ってゆく。


「うわぁあっ!? なんだこれは!」

「知らない? オランジェット、オレンジピールをチョコレートで包んであって、美味しいのよ?」

「ふざけるなっ! くそっ、動かない……!」


 タミゼは足を抜こうともがくが、漆黒の拘束はびくともしなかった。そうするうちに、どんどんと彼の身体は囚われてゆく。

 少女はもう、タミゼには目もくれなかった。スカートを摘み、翻してみては、パンパンと汚れを払う。


「これから殺すのに、私だけが一方的にあなたを知っているのはフェアじゃないから、最後に名前だけ教えて差し上げるわね」

「うるさいっ、早く魔法を解け!」

「私はショコラ。あとそう、今から私を殺そうとしても無駄よ。むしろ、解除する人がいなくなるわ」

「ぐうっ……!」


 さらりと放たれた言葉に、タミゼは背後に構築していた雷球を消す。ショコラはやっぱりね、と指を鳴らす。天井から落ちてきた氷柱状の漆黒が、人間大の大きさでタミゼの目と鼻の先に突き立った。

 生唾を飲む音が、静かな室内に残る。


「頼む……、命だけは、見逃してくれないか」

「いいわよ」

「……えっ?」

「いいわよって言ったの。私、お金のために仕事してるんじゃないもの」


 氷柱が新たに沸き起こった漆黒にぬめぬめと飲み込まれ、びちゃりと液化して消える。視界の開けたタミゼの目の前には、ショコラ。

 たじろごうにも、彼の身体はすっかりとコーティングされてしまって、もう首から上しか動かなかった。


「ねぇ、あなた」


 タミゼは少女の言葉に身構える。なにせ、金に興味はないと言い放ったのだから。何を要求されるのか、わかったものじゃない。

 彼の視線は、ショコラの桜色の唇から離せなくなっていた。その唇が、いよいよ開く。


「チョコレィトって殺し屋を、知っているかしら」

「…………知らない」


 タミゼはたっぷりと考えて、はっきりと口にした。そして、一度開いた口は、賭場のルーレットのように回りだす。


「俺は、本当に知らない。俺は全く関係ない。もしその、チョコレィトとかいうふざけた名前の輩に親でも殺されたなら……」

「ねぇ」


 それは、破滅への回転に他ならず。


「今あなた、わたしのお父さんをバカにしたかしら」

「ひっ……!」


 ルビーの瞳に炎が踊ったかと思えば、タミゼは悲鳴を叫びきる間も無く、漆黒の彫像と化していた。

 ショコラはそれからはっとして、自分の顔を覆った。うずくまって、「ん゛ん゛〜」と唸り声を上げながら首をぶんぶんと振る。ツーサイドアップのくすんだ銀髪も揺れる。

 開きっぱなしの扉に寄りかかって、それを見下ろす男が一人。


「あれだけ大見得を切っておいて。本当にお前さんは、交渉とか尋問とか向かないな、ショコラ。一流のパティシエは、バットを洗ってから菓子を作るもんだ」

「うるっさい! 元はと言えば、仲介役のあなたがちゃんとしてれば良かったんじゃない!」

「俺はちゃんとしていた。俺はお前のような人間が対象を殺しやすくするよう、下準備をする人間だろう。ちゃんと逆上させた。殺しやすくした」


 ぽんぽんと怒りだすショコラに、ヌガーは吸っていた葉巻を片手で遊ばせながら返す。それがまた気に入らないらしく、ショコラは踵を打ち付けて歩いた。


「おかしいのはお前さんだぜショコラ。お前さんのような子供が、父親の復讐をしようってのがおかしいんだ。そういうのは、大人の俺に任せて――」

「そういうのは、自分で魔法が使えるようになってから言ってほしいわ!」

「はぁ、そう言われると何も言えないのが悲しいところだ」


 ショコラはそのままヌガーの隣を通り過ぎ、彼は肩を竦めてそれを追う。その不釣り合いな二つの背中を、かつてタミゼだったものが見送る。


 ダーカー・ザン・チョコレィト。

 やがてそう呼ばれる二人の仕事の、ありふれた一幕だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ニヒルな感じの文章。だが、スゥィーツの表現を織り混ぜた文章を書きあげるはまさんはまさにパテシェール。まだ序章だが続きが気になる
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ