三.下積み時代、それは一つの黒歴史
油断せず整然と隊列を組み、危なげなく第三階層を進んでいく五人組を見ていて思った。さすがは士官学校の卒業生、その肩書きは伊達じゃない。
正直に白状するが、俺の時はそりゃあもうズタボロ、散々だった。
――俺が初めてこの階層に足を踏み入れたのは七年前、まだ魔法魔術学院に在学していた頃のことだ。
職業探索者こそ諦めざるを得なかったが、ある程度自由に塔の中を動き回れるようになる必要があった。塔には運搬系の仕事が山ほど転がってるからな。それは、初めての職場が第一階層の貨物集積所だったことでも明らかだろう?
〝越境体質〟を抱える俺は、残念ながら探索者にはなれない。だから、補佐職として塔に関わることで可能な限り上の階層を目指すことにしたんだ。
転移魔法が使えるんだから、そんな必要はないんじゃないかって? 俺も最初はそう思ってたんだがな……残念ながら、塔はそこまで甘くなかった。
この塔の外壁には、便宜上〝魔力障壁〟と呼ばれる何かが張り巡らされていて、外から直接内部に〝転移〟することができない。必ず、入り口――第一階層に立ち入る必要があるんだよ。床や天井、壁を破壊することもできない。例の障壁に護られているからだ。
外から〝転移〟で跳躍できるなら、極端な話、直接未踏破エリアに飛んじまえばいいって考えた魔術師は過去に大勢いた。だけど、誰一人として成功していない。魔法自体は発動するんだが、跳べたと思った瞬間に元の場所に戻されてる。
俺も何度か試してみたが、結果は同じ。これは、踏破済みだろうが未踏破だろうが関係なく〝転移〟というか、破壊を含む抜け道自体を受け付けない仕組みになっているんだろう。
逆に、塔の内側から外へは簡単に跳躍できる。ただし、こいつも〝魔力障壁〟とやらの影響なのか、ものすごく酔う。俺はさんざんやってきたせいか目眩程度で収まるが、怪我人抱えて転移、とかは状態の悪化を考えるとやりたくないかな。
んで、第一階層からの転移はどういう扱いになるのかというとだ。
……ああ。たぶん、あんたが予想した通りだ。転移魔法を使う張本人が踏破した階層じゃないと、外から跳躍したのと同じ結果になるんだよ。
とはいえ、踏破自体は別に一人でやる必要はない。強い探索者か冒険者に護衛してもらいながら上の階層へ到達してもいいんだ。
けど、当時の俺にはそこまでのカネがなかったし、ある程度は自分で自分の身を守れるようになりたかったから、補佐職をやりつつ上を目指すことにした訳だ。
……その考えがいかに甘っちょろいモノだったのか、嫌と言うほど思い知らされることになったけどな!
おっと、そういや補佐職についての説明がまだだった。
補佐職とは、探索者を間接的に手助けする者たちのことを指す。
低~中層での探索は日帰り、どんなに長くてもせいぜい二~三日以内での作業が基本だから、少数のパーティメンバーだけでも特に問題はない。
だが、上層以上となると話は別だ。上に行けば行くほど〝安全地帯〟なんて無いも同然だから、複数のパーティで同盟を組み、補給基地を構築して探索に挑む。その期間も、一ヶ月から半年と長い。
そんな彼らを、主に生活面で支えるのが補佐職だ。
具体的には、基地の構築・手入れをする大工、料理人や給仕、掃除・洗濯他家事全般を請け負う家政婦に、彼らを取りまとめる執事。さらには魔獣解体の専門家から運搬業者まで幅広い。探索者登録していない医者や薬師、基地を防衛する傭兵なんかもこの補佐職にカテゴライズされる。ようは戦場の後方支援だな。
ただしこの補佐職、探索者と同じように組合への登録と技能講習が必要となる。そりゃそうだ、なんの知識も無しに塔へ足を踏み入れるような真似をしたら、冗談でも誇張でもなく死ぬ。
基本的には雇い主である探索者が護ってくれるが、いざという時のために必要な知識――救援の求め方や、安全地帯の利用方法などを学ぶのは当然だろう。
まあ、探索者が全滅するような状況で補佐職が生き延びることのできる確率はものすごく低い訳だが、それでも何もしない、知らないよりかは遙かにマシだ。
そんなこんなで組合の実地研修を受けたんだが……初日からもう散々だった。
こうして改めて振り返ると、実際に塔で戦うまで……俺はどこか、この世界での出来事を夢やゲームのように眺めていたんだと思う。無意識の傍観者として。
だが、俺が放った〝魔法の矢〟に打ち抜かれて血を流した魔獣が……びくんと身体を震わせた後、静かに息絶えるのを見た瞬間。真の意味で、
――これは現実なんだ、ゲームなんかじゃない。
そう認識した俺の脳が、情報を整理しきれずに強制シャットダウン。そのまま地球へ帰還するハメになった。もしも補佐職に実地研修がなかったら、組合に〝越境体質〟について伝えていなかったら――初めての探索で、命を落としていたかもしれない。ありがとう探索者助成組合。
もっとも、このハプニングのせいで、
「そうじゃないかとは思っていたけど、カトゥ君はいいところの出なんだね」
なんて、同行してくれていた教官に誤解されちまったんだが。アルバでは魔獣との戦いなんて日常の風景だ。それなのに、魔獣を倒した程度で失神するとか。俺が相当な箱入りのお坊ちゃまだと思われたのも無理はない。
その後も酷いもんだったぜ。
運良く気絶こそしなかったものの、大型犬よりもデカい兎に腰を抜かし、頭の上に落ちてきたヘビに悲鳴を上げ、魔獣の解体練習中に大量の血を見て吐いた。教官や同行していた他の実習生たちに迷惑かけまくりでほんと申し訳なかったわ。
日本の都会で暮らしてたら野生のヘビなんてまず見かけないし、そもそも獣を狩ったり解体するような機会が無い。せいぜい自分で釣った魚をさばく程度か?
ジビエとか今流行ってるけどさ。あれ、日本では調理された状態で出てくるから平然と口にできるし、
「おいしいけど、少しクセが強いかな」
なんつー感想で終わるけど、実際に狩りをして、吊した獲物の首を掻き切って血抜きして、臓物を腑分けして……ってとこまで体験すれば、そういうのに縁が無い限り、しばらく肉食えなくなると思う。絶対、とまでは言い切れないが。
「上手に焼けました!」
的なアレは、ゲームだからやれてたんだって嫌というほど実感できた。こんな有様で職業探索者に憧れてたとか、我ながら頭沸いてたとしか思えない。
転移魔法? あの頃は、今みたいに無詠唱での短距離跳躍なんてできなかったんだよ。魔獣を前にして、ちんたら呪文唱えてたら確実に死ぬ! さらにパニクってるから失敗する可能性が高い。下手したら暴発して、
*おおっと*
*いしのなかにいる*
を、身をもって体験するハメになっていたかもしれない。今ですら、その危険がゼロとは言い難いからな……。
探索だけでもこんな調子なんだから、実戦のほうもダメダメだったのは言うまでもない。茂みの奥から聞こえてきた物音にビビって詠唱失敗するわ、小鬼の棍棒でぶっ叩かれて痛みで転げ回るわで、そりゃあもう酷い有様だった。
よく考えなくても、ケンカすらほとんどしたことのない人間が、ろくな訓練もしないまま、いきなり戦いの中に放り込まれて動けるはずがないんだよな……。
レベル一の勇者だって、武器や防具の扱い方くらい心得ているのに、俺はそんな基礎中の基礎すらできなかったんだから。まあ、そのへんは講習の中で教わっていくことになるんだけどさ。
それでも、やっぱり俺の認識は甘過ぎたんだ。
◇
そんな経緯で現実を思い知った俺は、とかく用心深くなった。具体的には、教官や学院の同級生たちがびっくりするほど索敵用の魔法が上達した。転移と同じ空間術系に属する魔法だから、他よりも修得しやすかったってのもあるが。
まずは〝生命探知〟。
効果範囲内にいる生命体を探知するこの魔法は、俺の索敵能力を大幅に向上させてくれた。少なくとも、こいつを発動させている間は魔獣からの不意打ちを受けることはなくなった。
なお〝生命探知〟はただの植物には反応しない。これが反応を返してくる場合は食人植物の類いが待ち構えているか、魔獣が擬態している。
近くの木から中途半端な反応があってさ、なんだろうと視線を向けたら、俺の足より太くて長いナナフシが枝に化けてて絶叫した。魔法薬の材料になるらしいが、アレを捕獲するのは正直御免被りたい。
続いて〝領域探知〟。
こっちは効果範囲内の地形が脳裏に浮かぶタイプの魔法だ。地図の作成する時にめちゃくちゃ役立つんだよ、これ。
魔力の消費はそれなりにデカいが、こいつと〝生命探知〟を同時に発動させておくことで、不意打ちを防ぐだけでなく、逆に奇襲をかけるのに役立つ。
あ、ちなみに地図は機種変更で使わなくなったスマートフォンに、自分で作ったメモ機能つきマッピングアプリを入れて対応している。俺はオートマッピングよりも方眼紙に鉛筆で手描きする派なんでな。
他にも〝罠探知〟やら〝魔法探知〟に〝隠し扉探知〟〝毒物探知〟なんてものにまで手を出した。お前はどこの斥候だって言われるくらいに頑張って覚えたよ。最終的に、ダンボール箱かぶって移動する某潜入工作員の如く、敵を完璧に避けながらの階層探索ができるまでになった。
臆病だと思われても構わない。体質的に、気絶からの転移コンボだけは絶対に避けなきゃいけないんだから、慎重過ぎるくらいで丁度良い。
……そんでまあ、一ヶ月くらいかけてようやく塔内探索に慣れてきた俺は、少しずつやれることを増やしていった。
その一つが、転移魔法を応用した解体の下処理だ。
魔獣を本格的に解体する前に血抜きをしたり、毛皮を剥いだりするんだが、手作業だと結構な手間になる。これを魔法でなんとかできないかと考えたんだよ。
毛皮の剥ぎ取りのほうは、数をこなすことで割と簡単にできるようになったんだが……問題は血抜きだ。
血液は、液体である。
液体とは物質の状態の一種であって、既に〝物体転移〟を修得している俺に転移させられないはずがない……はずだった。
ところが、生物(倒した後だから死体だが)から、特定の液体のみ抜き出すというのは〝物体転移〟ではどうにも厳しかった。毛皮のように数をこなしても、全然うまくいかない。
そこで〝物体転移〟の魔術式をベースに試行錯誤しつつ、新たに作成したのが〝流体転移〟だ。
こいつは指定した液体を任意の場所へ転移させる魔法でな、入れ物を用意しておいて、その中へ飛ばしてやれば、返り血を浴びて服を汚さずに血抜きができるというスグレモノだ。
まずは風呂場で実験と練習を重ね、ある程度自在に操れるようになってから実地で試した。最初は酷いもんだったよ、魔獣の血液だけじゃなくて体液全部まとめて〝転移〟させた結果、からっからのミイラを量産するハメになった。
……そう、この魔法。使い方次第で〝即死魔法〟に早変わりするんだ。魔獣に試すまで気付かなかった俺も迂闊だったんだが、下手に広めて暗殺なんぞに使われたらシャレにならん。
新魔法のヤバさに気付いた俺は、一般には公開せず封印した。今では若干の改良を施した上で、戦闘用の魔法としてひっそりと利用している。万が一外に広まると厄介なんで、無詠唱でな。
実のところ〝物体転移〟で思うように液体の転移ができなかった理由がこれだ。魔術式をより詳しく分析していくと、転送する対象物、特に生命体を傷つけないようにするための安全弁がガッツリ組み込まれてたんだよ。
魔獣を構成する全部ひっくるめて〝転移対象の物質〟なんだから、血液だけ抜き出すなんていう「対象を殺傷する」ようなマネができるはずもない。
当時の俺は、魔術の研究者としては「プログラムを勉強中の学生」程度の技量しかなかった。それこそ、術式を完全に理解せず、使いたい機能の一部を抜き出してコピペと改変してるだけだったから、この安全弁に気付けなかったという訳だ。
〝他言語解読〟で読めないのかって? 俺も同じことを考えたんだが、だめなんだ。やるなら、同系列の〝魔法解読〟を使う必要がある。
ところが、その〝魔法解読〟でも書かれている呪文の効果がわかるだけで、魔術式本体の解読はできないんだよ。どうも〝物質転移〟の安全弁と同じで、術式自体に鍵がかけられているみたいでな。
〝流体転移〟の件でなんとなく理解してもらえたと思うが、新しい魔法の作成ってのは危険が伴う。必要になる知識も膨大だ。単に明かりを灯すだけの術式を編むにも、まず光が発生するメカニズムを理解してなきゃ話にならない。
さらにその光が可視光か、温度は、人体や周囲への影響は……などなど。
極端な例えだが、万が一にも地上で太陽を生み出すようなことになったらシャレにならんだろ? そこまではいかなくとも、うっかり人前でチェレンコフ光とか発生させちまったら、自分を含め確実に死者が出る。
たぶん、だが……魔法という技術を生み出した何者かが、無知ゆえに起こすであろう危険に気付いて、安易に読み取れないよう魔法語に安全弁をつけたんだろう。古代から存在している術式は、特にその傾向が高い。
〝魔法解読〟も、そのたぐいで術式自体の解析・分解を許してくれない。たぶんだが、自力で解読できない、程度の低い魔術師に扱わせたくないんだろう。
――その慎重さゆえに世界は滅亡せず、今も在り続けているのかもしれない。
結局、血抜きのほうは〝流体転移〟の失敗を踏まえつつ、切り口を起点に液体を指定した場所――瓶なんかへ移動させる〝流体移動〟を作成することで対応した。最初からこうしておけばと思うかもしれないが、あの頃はできる限り血を見たくない、触りたくないって意識がとにかく強かったんだ。
そんな俺が、今では〝魔光刃〟で平然と骨やら内臓ザクザク切り分けられるようになったんだから、慣れってほんとこわい。
こうして、補佐職として半年ほど探索者たちの手伝いをしながら塔での立ち回りを学んだ俺は、日本で転職を繰り返すことで腕を磨いていたのと同じように、さらなる上を目指すことにした。
ここで言う〝上〟とは何か。
具体的には、探索者としての上層通行許可証を手に入れた。なんでかというと、補佐職での許可証だと中層までは一人で入れても、上層以降は探索者の付き添いが必須なんだよ。これじゃあ、仕事に制限がかかっちまうだろ。
そうそう。今更かもしれないが、塔の第一から第九階層までを下層、第十から第十九までが低層、第二十から第二十九までが中層、第三十から三十九までが上層と呼ばれていて、基本的に上へ行くほど攻略難易度が高い。
補佐職としては既に上層まで到達していたから、必要な知識は持ち合わせてた。筆記試験は余裕でパスできたが、残る問題は上層で探索者としての活動ができるか否か。ようは、魔術師として戦えるだけの技能があるかどうかだ。
上級魔術師でも戦いはからっきし、なんて例は結構あるから探索者組合の審査はそれなりに厳しい。研究一筋で塔を探索したことがない連中、結構いるしな。
とはいうものの、例の探索魔法と転移魔法の組み合わせは偉大だった。不要な戦いを避けられるし、いざ戦闘となれば簡単に不意打ちできた。工夫次第で、自分よりも何倍もデカい魔獣を単独でさくっと狩れる。
魔力にも限界があるから長時間の戦闘となると厳しいが、それでも充分に上層でも通じるとして許可証を発行してもらえた。
今、こうして士官候補生たちを引率できるのも、過去の経験あってこそ。あちこちで依頼を受けるうちに中層域指導員免状なんてもんを獲得しちまったのもそう。剣と魔法が現役の世界でも、資格持ちは強いのだ。
……む? 〝生命探知〟に反応アリ。ほほう、こいつは……この階層内では最大級の障害だな。さあて、彼らのお手並み拝見といきますかね。
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