七.上の噂話は、意外と下へ伝わらない
アルバ国の首都・テュレニアの中心街にそびえ立つ、特徴的な古式煉瓦造りの庁舎は、アルバ国中央政府官邸――別名を〝国家共同管理組合本部〟という。
建物の奥まった場所にある大会議室では、二日前に発生した〝魔獣の暴走〟に関する報告と情報交換のため、探索者組合の主立った役員の他に、救助や運搬、復旧作業に携わった各組合の担当責任者が集まっている。
彼らは現在、事件の概要に関する情報交換及び、今後の対応について調整を行うための会合を開いていた。
「いやはや、罠の解除を終えていない宝箱を持ち運ぶとは。最近はずいぶんと命知らずな探索者が増えてきたものですな。その危険性は充分に周知されてきたものと認識しておったのだが」
純白の外套を纏った壮年の男性――国立治療院の代表者ヘルマン氏は眉をしかめながら、胸の内に溜まった空気を憤慨と共に吐き出した。
「まったくだぜ。しかも連中、手で運んだんだと! 触れるどころか近付くだけで危険な罠だってあるってのによ……信じられねえ」
ヘルマン氏の意見に全面的に賛同すると言った体で、なめし革のベストに作業ズボンの中年男が肩をすくめた。腰のベルトに小さな金槌を吊り下げている。彼は木工業職人組合の長バートンだ。
そこへ、藍染めのローブを身に付けた亜麻色の髪の女性が、生真面目な表情で口を挟む。
「ええ。触れるだけではなく、その場から動かしただけで発動するものや、少し揺れただけで爆発する罠もあるというのに」
彼女が纏う服の袖口に銀糸で刺繍されているのは、探索者助成組合員の承認印。かの人物こそがアルバ国の探索者全ての頂点に立つ組合長、アニング女史だ。
女史は室内を見回しながら、己の考えを口にした。
「中層探索を始めてから一定の期間は、階層域指導員を同行させることを義務づけるという案について、本格的に検討すべきかと思いますが、いかがでしょう?」
集まっていた一同から「異議なし」という声が上がる。
「そうだな。このところ大きな事故もなかったし、俺たちも油断してた。低層や下層の探索者を対象とした研修会の開催を増やすことも検討したほうがいい」
「例の〝警報の罠〟に関する周知は〝伝言板〟で行いましたが、探索者組合や都庁舎の掲示板にも記載しておく等、より多くの民に知らせるよう努力しましょう」
「我が新聞社組合も周知のための協力を約束しよう」
「ありがたいお申し出に感謝しますわ、是非ともよろしくお願いします」
彼らには、無謀な行いをした者たちを嘲っている様子はなかった。真剣に、起きた事故と、その対策について論議している。
「ところで補佐役というと、今回は例の〝越境者〟氏が関わっているようで」
「きみの手元にある資料も、彼が提出してくれたモノだよ」
そう言って微笑んだのは、丸眼鏡をかけた黒髪翠瞳の中年男性だった。
彼の脇に置かれている節くれだった長柄杖は、この国では幼子ですら知っている〝知性ある杖〟レェス・アルカナム。国立上級魔法魔術学院長アンス・ファクトの愛用品である。
「言われなくてもわかるさ。これほど詳細な報告書をまとめられるような人材の心当たりなんざ、カトゥ以外にねぇよ。なあ、ダルトン?」
白髪交じりの赤毛に顎髭を蓄えた偉丈夫が、紙束を手に肩をすくめる。荷車と背負い袋の印が刺繍された腕章を身に付けている彼こそが、運送運輸組合の長マーベル氏だ。話題の人物カトゥに「親父」とまで呼ばれ、公私ともに信頼を寄せられている彼の発言には相応の重みがある。
「氏の仰る通り。事故発生の経緯から被害状況、掃討戦・門番の撃破における作戦の概要と詳細まで、全てがまさに簡にして要。実にわかりやすい」
ダルトンと呼ばれた恰幅の良い男は、片眼鏡の位置を直しつつ同意した。落下防止用の銀鎖と共に揺れる飾りは、半分が欠けた古代の貨幣。これは商業組合本部長の身分証である。
「下手な推測を交えず、かといって感情に訴える訳でもない。事実のみを淡々と述べるさまはいっそ小気味よい程だ」
同席していた者たちが、一斉に頷く。
「バーナード君。彼は本当に、他国で高等教育を受けた王侯貴族や大富豪、政府高官のご子息ではないんですよね?」
質問を受けた銀縁眼鏡の青年が頷いた。彼が首から下げているペンダントには、テュレニア都庁のエンブレムが刻まれている。彫色は銀、中心には炎の紋。これは水晶球管理局の職員であることの証だ。
「彼の故郷たる〝世界〟において、平均よりも若干上の教育機関で学んだ程度で、出身自体はごくごく平凡な一市民だそうです」
マーベル氏がハッと笑う。
「そうでなきゃ、最初の仕事に荷物運びなんて選ばねぇさ」
「確かに」
「それに、何度かあいつから話を聞いてみたけどよ。カトゥのいる〝ニホン〟って国はな、俺らの国とはちぃとばかし違う方法だが、民が選んだ代表が定期的に議会を開いて政をしてるんだとさ」
「それは私も聞いたことがあるね。とはいえ、例の世界の国々もこちらと同じで、全部が全部合議制って訳じゃないようだから、そこを勘違いしてはいけないよ」
学院長の同意と補足に、そこかしこから感嘆のため息が漏れた。
「ほお」
「それはそれは」
「なるほどな、道理で……」
アルバ国はミュステリウム大陸において唯一、共和制を採用している国家だ。
商人たちの寄り合いから生まれた各業務体系――商業系、工業系、産業系の他、教育・研究機関に銀行、新聞社、軍など多岐に及ぶ組合の長と、彼らに指名された国家運営担当者……他国においては官僚と呼ばれる者たちが国政を担っている。
そのため、対外的な呼称こそ〝アルバ国政府議会〟だが、その実態は国の業務全体を取りまとめる国家共同管理組合。
それこそが、この集まりの真の姿なのである。
彼らの頂点に立つとされる国家元首〝最高評議長〟は、なんと毎年各組合の長が一年おきに持ち回りで担当するという、他の国の価値観からすると信じられないほどゆるい立場なのだ……もっとも、実際の責任は相応に重いのだが。
これが、王政・帝政が当たり前の異国からすると、
「品位がない」
「これだから下賤な商人どもは……」
などと、国そのものが見下される原因のひとつとなっている。ところが、実際にそんな価値観を元に、豊かなアルバの国土を己がモノとせんと動いた周辺国家は、軒並み手酷い逆襲を受けていた。
おもに、経済的な方向で。
アルバ国が「どこそこの国との取引を停止する」と宣言しただけで、大陸中が揺れに揺れる。下手をすると、海の向こうのヴァルハイト大陸まで影響が出る。
何故なら、アルバ国はミュステリウム大陸の玄関口であり、流通における心臓でもあるのだ。世界を巡る貿易行路という名の血管が断たれれば、血の巡りが悪くなった臓物――すなわち国は、最悪腐れ落ちることとなる。
もちろん、アルバ側としてもそんな強権を振るうのは出来うる限り避けてきた。やり過ぎて取引相手がいなくなっては、自滅に繋がるからだ。
かつては、そんなアルバの対応を「王権に対する侮辱である」とし、軍を起こした国がいくつもあった。周辺諸国が同盟を組んで攻め込んできたこともある。
アルバ国の立地と豊かさに目がくらみ、無理難題を押しつけた挙げ句、一方的に宣戦布告してきた国まであった。
しかし、先に述べた通りアルバは大陸最大の商業国家であるのみならず、内部に〝塔〟を抱えている。これらを勘案すれば、軍事面でも弱いはずがない。
国内に網目の如く張り巡らされた交易路は全て舗装され、一定距離ごとに警邏兵の駐屯地がある。国の上層部が、安定した利益を得るためには荷馬車が通る道の安全を保つことが大切であり、必要経費なのだと理解しているからだ。
海路にしても同様で、商船団を海に棲む魔物や海賊といった脅威から守るため、軍艦を多数揃えている。
いざ事が起きれば彼ら国軍だけでなく、探索者や魔法魔術組合が一致団結して困難に立ち向かう。さらに、カネの匂いを嗅ぎ付けた傭兵たちが集まってくる。当然アルバの国民は彼らを歓迎し、報酬も奮発するので、腕に自信があり、かつ他国で不遇をかこつ武芸者などが大喜びで参戦する有様だ。
そのままアルバが気に入ってしまい、定住する者まで出てくる始末。そのため、戦争が起きるたびに国力が(戦力的な意味で)上がるという、仕掛けた側の国からすると、悪夢のような状況に陥ってしまうこともままあることで。
ゆえに、いつしかアルバに攻め入る国はほとんどなくなった。全く無いと言い切れないのが悲しいところで、ごく稀に無謀な挑戦を仕掛けてくる国が出てくる。
ただし、それも四十年ほど前に〝塔〟で起きた〝魔獣の暴走〟騒ぎのどさくさにつけ込んで領地の拡大を狙った新興国(現亡国)ジュベンテの暴走を最後に、今のところ収まっている。
……とまあ、こんな事情があるために。
「ニホンという国と交易してみたいものですなあ」
「ええ。優れたからくりを造り上げるのみならず、我が国と似た政体。いやはや、実に興味深い!」
「あちらには魔法がないようだからね。お互いに得るものがあるだろう」
「是非とも我が子を留学させたい……」
「その前に一度行ってみたいし、この目で見てみたいものです」
「民の全てがカトゥ氏のような義理堅い人物であるはずがない。しかし、似たような気質の持ち主が多いのであれば、我らアルバの民とはうまくやっていけるのではないかと思っている」
「あいつ、軽そうな態度してる割に真面目だからなあ」
「普段の仕事も手堅くこなしてくれるから、安心して依頼できる」
「今回の〝暴走〟にしても、なんだかんだと文句を言いつつ最後まで手を貸してくれたからね」
「請求書はしっかり回ってきたがな!」
「それは、商売人として当たり前では?」
会議室に笑い声が響き渡る。
こんな感じで、彼らアルバ国家共同管理組合の面々は、別世界の国家「ニホン」への期待感がすこぶる高い。カトゥと直接交流がある面々は特に、だ。
そもそも〝来訪者〟や〝越境者〟が持ち込む数々の品物は、場違いな工芸品とも呼ばれ、世界各国の権力者たちが目の色を変えて探し求めている。
カトゥが腕に巻いている時計が良い例だが、あれほどのものを作る技術がアルバ国には、いや、この世界のどこにも存在しないのだから無理もない。
〝越境者〟が現れた国は、文明が百年単位で進むとも言われているが、それもこれも、彼らが所持している知識や技術、そして場違いな工芸品があってのこと。
もしも、そんな超越した文明の利器や英知を定期的に手に入れることができるようになったとしたら、その利益は計り知れない。
「ところで、カトゥ氏はまだ〝壁〟を破れずにいるのかね?」
神秘研究舎の長に問われたテュレニア都庁の職員が、ふぅと息を吐いた。
「今回の〝階層の門番〟撃破で、かなりの経験を積んだようですが……それでも、意識を保った状態での〝越境〟には至らないようです」
返答を耳にしたアニング女史が肩を落とす。
「そうですか。本人は、かなり努力しているようなんですけれどね。報告書にある〝離脱〟にしても〝脱出〟を改良して使いやすくしたものなのだとか。まだ未発表の魔法ですよね? これは」
「それ、何日か前に作るって彼が宣言してた新作なんですよ……」
騒然となる会議室。そんな中、原因となる爆弾発言をした魔法魔術組合の組合長は机に両肘をつき、手のひらで顔を覆っている。
「え、冗談でしょう?」
「冗談だったらどれだけ良かったか」
「魔法って、そんな簡単に作れるモンなのか?」
「それこそまさかですよ!」
かの組合長としても〝離脱〟なる魔法については初耳であった。管轄である『神秘の庭』から開発を始めるかもしれない、という報告を受けてはいたが、まさか既に完成していた上に、実用化されているとは思いもよらなかったのだ。
「さすがは〝越境者〟と言えばいいのか……」
「自分だけで利益を独占せず、組合に公開してくれる人物で本当に良かった!」
「それな」
そこへファクト学院長が一つの提案をした。まるで、とびきりの悪戯を思いついた子供のような輝きを瞳に宿しながら。
「なら、最近魔法魔術協会と合同で開発に成功した〝魔力向上薬〟を差し入れてみましょうかね? より効果的に実験が進められるようになると思いますが」
それを聞いたマーベル氏は眉根を寄せた。
「そんなモンがあるなら売ってくれって言われるぞ、あいつの性格的に。あとな、前々から口が酸っぱくなるほど言ってるからわかっていると思うが、絶対に裏から手を回したりするような真似はするなよ?」
「大丈夫ですよ、そんな信義にもとる行為はしません」
「ほんとかぁ? 〝生命の妙酒〟の時みたいな騒動起こしたら……カトゥのヤツ、この国を出て行っちまうかもしれねぇぞ」
「だから、アレは事故だったんですよ! 僕が最高評議長からいただいたものを、助手が回復薬と間違えて彼に渡してしまっただけで!」
「さっさと飲まずに、薬入れなんぞに放り込んでおくお前が悪い」
「くっ、それを言われると反論できませんけども!」
二人のやりとりを、参加者たちは苦笑しながら見守っている。
――生命の妙酒とは。
塔の高層でごく稀に採取できる、希少な素材から作られた若返り薬のことだ。
一般には流通しておらず、国及び国民に対して大きな利益をもたらした者にのみアルバ国最高評議長から与えられる、栄誉の証でもある。
調合のためのレシピは秘中の秘とされており、閲覧するためには調剤薬師組合と魔法魔術組合、錬金術組合の長が立ち会うのが義務付けられている。
いにしえの伝承に語られる〝不死の神薬〟のように、不老不死を与える効果こそ持たないものの、あらゆる病を癒し、肉体を数年分若返らせる等、その効果は他に類を見ない強力さだ。
ファクト氏は、アルバ国はおろかミュステリウム大陸の魔法技術に大きな貢献をしたとして、幾度かこの〝生命の妙酒〟を賜っている。そのため、実年齢は百を超えているにも関わらず、中年男性のような見た目なのである。
今から四年ほど前に、そんなとんでもない秘薬が偶然カトゥの口に入ってしまったものだから、さあ大変。
当時三十を超えたばかりの彼は、生命の妙酒の効果で若返り、二十代前半の肉体を得るに至ってしまったのである。カトゥが同世代よりも若く見えるのは、童顔だからでも、若作りしているからでもない。文字通り若返っていたからなのだ!
当然のことながら、上を下への大騒ぎになったのだが、しかし被害を受けた二人――ファクト氏とカトゥが、
「僕はそこそこの数を頂いているし、カトゥ君ならそのうち自力で貰えるだろうからね。それが早まったと思えばいいんじゃないかな」
「他に副作用無いんですよね? 弁償もしなくて大丈夫!? なら、俺としては得しかないんですが……本当に良いのかなコレ」
などと軽く流してしまったので、今では定期的に出る笑い話と化していた。
と、話が脱線しかけたところへ、魔法魔術協会の職員が割って入る。
「彼に魔法薬への抵抗がないのであれば、今度売り込んでみますが?」
学院長は了承の意を込めて頷いた。
「そうだね。転移魔法の使い手で、しかも〝越境者〟とくれば、我々よりも〝壁〟越えられる可能性が高い。僕たち魔術師にとって長年の悲願である〝越境〟を成せるとしたら、彼をおいて他にはいないだろう」
その言葉に、会議室がシンと静まった。
「そもそも、僕は〝壁〟を認識することすらできていないんだ。なのに、カトゥ君は〝行けそうなのに、壁に跳ね返される〟なんて平然と言うんだから、凄いよね。少なくとも〝向こう側〟を知覚していなければ出てこないセリフだよ」
他でもない、数百年に一度の大天才と称される〝偉大なる魔術師〟アンス・ファクトの言葉だけに、その意味は山と積まれた黄金よりも重い。彼は、暗に「自分には出来ない」と認めているのだから。
「という訳で、カトゥには是非とも完全な〝越境〟に成功してもらいたい。余計な勧誘や囲い込みなんぞやらかして邪魔する者は……わかってるな? 特に、そこで資料に顔を隠してる某研究舎職員!」
「マーベル氏、それ伏せてません! 完全に名指しじゃないですか!」
再び会議室内のそこかしこで笑い声が巻き起こる。そう、カトゥが称する〝激レアな魔法の使い手〟が、各組合からしつこい勧誘を受けないで済んでいるのは――長たちが統制をとって防いでいたからなのだ。
彼らは、赤子が立ち上がるのを見守る親のように、わくわくしながらカトゥの成長に期待している。
いつの日か、見知らぬ世界への扉が開かれることを夢見て。
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