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翌週。
「買取あるからメガネついて来いよ」
「あ、猫橋さん。僕が行きますよ」
「おっ、神田川。珍しいじゃん。いつも『僕は肉体労働とかしたくないんです』とかすかしているくせに」
「うるさいです。せっかく手伝おうとしてるのに」
猫橋さんは外した軍手を後ポケットに雑に突っ込んで軽トラの鍵をレジ横から取り出し、人差し指でくるくる回す。二トンと違い軽トラはツーシーターなので田辺は留守番。当の田辺は猫橋さんが苦手なようで、少し嬉しそうである。店外に出れば辟易するような蝉時雨。引き戸を開けた刹那、燦々と輝く太陽に熱された外気が、吸い込んだ僕の肺を満たし咽せそうになる。この日、商店街の気温は三十七度を超えていた。
ポンコツ軽トラの壊れかけたエアコンが効いてくる前に目的地に着く。庭付きの豪邸である。そこは市内にいくつかあるタイヤショップのオーナーの自宅であった。この度離婚するらしく、奥さんの私物をいくつか処分したいらしい。クローゼットとドレッサー、それにこの度うちが買い取る最後の品。それを見た僕は絶句した。
「えっと柱?」
オブジェとでも言えばよいのであろうか。言葉にするのは難しいが、ギリシャの神話に出てきそうな神々が彫刻されている背の低い柱を想像してもらえればそれに近い。
「うち、美術品とか取り扱ってましたっけ」
「ばっか。これは美術品なんかじゃなくてただの粗大ゴミ。金になりそうな粗大ゴミを漁るのがうちらのお仕事」
午前中に来た僕らを対応してくれたのは、出て行くはずの奥さんであった。年齢が不詳なほど綺麗な人で、にこにこと上機嫌に応対してくれる。どんなドラマを経て彼女はこの豪邸から出て行くのであろうか。結婚とはお互いが生涯愛し合うことを誓う儀式じゃなかっただろうか。例えばマリちゃんは……。
「ぼさっとせずに梱包済ませろって。クローゼットからいくぞー」
「あいあいさーボス」
「あー、なんかムカつく。神田川のくせに」
手早く梱包を済ませた僕らは、それらを慎重に軽トラに運ぶ。鏡付きの化粧台であるドレッサーが厄介で、割れてしまっては大損である。
「さて。じゃ、これ運ぶぞ。そっちもて」
僕と猫橋さんは、せーので呼吸を合わせ、巨大な柱みたいなオブジェを持ち上げる。いったい何キロあるのであろうか。腰が粉々になるより先に、指がちぎれそうであった。一階にあるのが不幸中の幸いである。
「おもっ!」
「早速弱音吐くなよ。たかが人間ふたりの力でもてるんだから、大したことねぇーって」
僕はともかく、仮にも生物学的にy染色体を有していないはずの猫橋さん。やはり猫橋というよりゴリ橋の方がしっくりくるのではないだろうか。
「一気にいくぞ」
「了解」
「おらおらおらおらぉ」
「おおっ! たくましい!」
「バスターーーーぁぁぁ」
「まてまて! バスターはだめですって」
積み込みが終わり帰りの車内。ロープで括られたオブジェの体積が道路交通法に違反していそうで、スマホを使って法律を調べる僕の頬に、冷たい缶ジュースがぴたり当てられる。そんなお茶目で粋な計らいをするのは猫橋さんで、どうやら珍しく缶ジュースを奢ってくれたようだ。プルタブに指を掛け弾ける炭酸。そしてお疲れ様の乾杯。
ぐいぐい喉を鳴らしジュースを飲みながら猫橋さんは、暑いのであろう、服をまくり腹から未だ冷え切らないエアコンの風を入れる。広義でノースリーブと呼ばれる猫橋さんの着るそれは、是非とも狭義であるタンクトップという名称で呼びたい。ひと息ついたところで、サイドブレーキを下ろしアクセルを踏む。
「びっちょびちょだな。お互い」
「絶対汗臭いですよね。僕ら」
「頑張って働いた汗だ。臭くなんてないさ」
取り敢えず僕も猫橋さんも重たい物をせっせと運んでくたくたであった。愛し合って結婚したふたりの重たい思いは、こうして粗大ゴミとなって軽トラの荷台に積まれる。願わくは、奥さんが軽やかな気持ちであの家を出ていけますように。傲慢で身勝手な僕はそんな願いを助手席の窓から投げ捨てた。
黄昏時、タイムカードを切る僕と猫橋さん。着替えたとは言え、早くシャワーを浴びたいところではあるが、ここからが本番である。僕はレジにいるマリちゃんにそっと目配せする。こくり頷くマリちゃんは、「うんうん。残業していきたいんだね」という謎のゼスチャーで返してくる。ちげーよ。あんたが猫橋さんのこと頼んできたんでしょうに。
「猫橋さん。おつかれさまです」と爽やかに挨拶を交わし、別れたふりをして電信柱に隠れ、彼女の動向を伺う。捜査の基本は忍耐とフットワークにある。張り込みに尾行。あんぱんと牛乳。それにアイスでもあれば言うことなし。
わりとせっかちな猫橋さんは歩くのが速い。立ち寄るコンビニ、僕は彼女が店を出た後、店員に彼女が何を買ったのか尋ねる。店員は大層不審そうな顔でそれに答えてくれる。彼女が購入したのは、おにぎりとからあげクンレッドといろはすとピノ。この猛暑、ピノが溶けるのも時間の問題である。つまりいい大人のくせに歩き食いをする気であろうか? そのあと立ち寄る公園。おいおい。うら若きハタチのオンナがひとりでブランコにでも座って、おにぎりをもぐもぐしようってんじゃないだろうな。仮にも女子。色っぽい予定のひとつでもないのか! けしからんなぁ。とイライラしながら猫橋さんの尾行を続けていると、不意に僕以外に、もうひとり彼女の跡をつけていることに気づく。いかにも暗くて鮮明には見えないが、怪しいサングラスの男。夜なのにサングラスである。彼が怪しいのは間違いない。僕は彼に気づかれないように十分距離を取りながら、マリちゃんにラインで彼のことを報告する。いったい何者であろうか。殺人犯が逃走中の物騒な街である。
結局、猫橋さんは結構長い時間ひとりでいて、星が瞬くぐらいの時間になると、自宅に帰っていく。(夜なのに)サングラスの男は知らぬ間に、姿を消していたし、収穫らしい収穫はなにも無かったが、猫橋さんの意外な一面を垣間見たような気がする。