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――盛夏。
いわゆる本末転倒とはこういう時の言葉であろう。夏休みに入ったは良いものの、僕のスケジュールは、まさにバイト三昧であった。幸いにして辞めることも遅刻することもなく、ようやくバイトに慣れてきていた。
照りつける強い日差しが肌を刺すような、とある真夏日のこと、毎度の如く目的地に着いた二トントラックから僕と田辺は飛び降りる。慣れない高さからの下車は、受験で鈍った身体を筋肉痛で軋ませる。
「おらぁ、野郎ども。遅せぇぞ。とっとと積んじまえ」
二トントラックの運転席で、僕と田辺に指示を飛ばす猫橋さん。僕は一つ大きな勘違いをしていた。それはリサイクルショップの業務内容である。僕はエアコンの効いたあの店舗内で、中古品の取り引きをするのが仕事だとばかり思っていた。しかしだ。蓋を開けてみれば、激しく肉体労働であった。我らが山田リサイクルは、出張買取サービスなるお宅に訪問して中古品を買い取るサービスを行なっていた。行く先々には、客が店舗に自力では持ち運べないような巨大な家具家電。僕はこの夏、冷蔵庫の正しい運び方を覚えたのであった。
「なっ? 男手が足りないって言ったろ?」
「やばい。しんどい。むり」
「おい。辞めるなよ。また男、俺一人になるじゃん」
ようやく僕は社会の厳しさを知る。時給が市の最低賃金を下回る山田リサイクル。それ自体に不満はない。ただ働かなくては金が無く、働けば金を使う時間が無いという負のサイクル。おまけに給料日は夏休みが明けてからときた。
「金の次は、遊ぶ時間が無くなった。運命とは残酷だ。僕から何もかもを奪っていくのだから」
「お前一応、元野球部員だろ。その頃の方が時間無かったっしょ」
田辺に言われてみれば、確かにとんでもなく窮屈な中学生活であった。強豪に名を連ねる僕の中学の野球部。朝は薄暗いうちから練習が始まり、授業を終え、日が暮れるまで白球を追いかけた。野球部に土日祝日なんてものは無く、寧ろ授業が無い分練習がきつかった。
「俺は野球部じゃないけどさ、夜遅くまで塾行ってたからさ。考えてみれば、俺たちの拘束時間って中学の時から大人と対して変わらなかったんじゃないかな。そう考えると金貰えるだけ、ここでバイトしてた方がマシ。俺たちは遥か以前より、ずっと縛られてきたんだよ」
きっと大人になれば、そんなことも忘れて、夏休みのある学生時代に戻りたいとか言うんだろうな。僕たち。兎にも角にも、口を動かすより、手を動かすべし。僕と田辺のチームワークは意外なほど悪くなく、午前中に本日の買い取り予約を全てこなせてしまう。
「ああ。いい汗かいたなぁ。涼しーい。しあわせだ」
店に戻ったのは昼前。戦利品を下ろし、やっと一息。きんきんに冷えた店内、化粧をしていない猫橋さんは、首に巻いたタオルで顔の汗を拭き、冷蔵庫を開ける。
「おいおい、これ神田川だろ。生意気!」
何を言っているのかわからなかったが、猫橋さんは冷蔵庫にしまってあった、僕の飲みかけのいろはすのペットボトルを指差している。正確にはそのキャップをである。そこにはだれのものか解るよう、神田川の『神』とマーキングしていたのだが、どうやら彼女はそれが気に入らないらしい。
「何が生意気なんですか」
「油性ペンで神とか。お前は自分が唯一神とでも言いたいのかよ」
「そんなむちゃくちゃな!」
「あたしが飲んでやる」
猫橋さんは蓋を開け、止めるまもなく次の瞬間、コマーシャルに出れそうなくらい良い音をたてて喉を鳴らす。僕の飲みかけをさぞ美味しそうに飲み干したのだ。
「ああ、僕のファースト間接キッスが!」
と、きしょいことを口走る僕の言葉も華麗にスルーして、「かぁー、一仕事終えたあとの水分は格別だわー」と満足そうに口元をタオルで拭う。このくそ女。あとで絶対そのペットボトル、れろれろしてやるからな!
「あ、お帰りぃお帰りぃ。帰ってきたんだねぇ。神田川くんに田辺くん。はい、ご苦労様~。雪見だいふくです。どうぞ」
更衣室から顔を出す出勤したばかりの仕事仲間マリちゃん。僕と田辺に渡してくれる。年増のきったねぇ間接キッスなんかより、天使がくれる雪見だいふくのほうが尊い。なぜにリサイクルショップにアイスが常備されているのか。もしかしてこれはマリちゃんの私物なのか。ちらりと横目でマリちゃんの雪見だいふくみたいにもちもちの胸元と白い肌を見やる。
「なぁなぁ、田辺ぇ。マリちゃんってどこの高校?」
「はぁ? やめとけやめとけ。マリちゃんだけはやめとけって」
「なんでだよ。あの娘、ぜってー僕のこと好きだって。いつもアイス渡されるとき、手ぇ握ってくるもん」
「この勘違いやろう。いるんだよなぁ。コンビニでお釣りを渡されるとき手が触れただけで、勘違いする中学生。あのなぁ、マリちゃんはなぁ……」
ちりんちりん。田辺が言いかけたその時、入り口の鈴が爽やかな音を鳴らす。来客である。
「買い取ってもらいたいものが、あるのですが」
やや挙動不審で辛気臭い初老のお客。もってきたのは古ぼけたオーディオアンプとスピーカーだ。お客の辛気臭い雰囲気のせいか、そのレトロなアンプとスピーカーは、まるで曰くあり気に禍々しく見える。年代ものなのが難点ではあるが、恐らく高価なものであろう。ゲームの世界でさえ、買値の半額で買い取るのが相場であるが、世の中というやつはどうにも魔王が支配しようとしているゲームの中より世知辛いもので、何を売っても大概二足三文。マリちゃんがネットでメーカーと中古相場を調べ、ケーブルを接続し出音を確かめる。なんか軽快な方面のジャズ。うん。僕は大して良い耳は、していないが、柔らかくて良い音だと思った。しばらくしてマリちゃんの手により事務的にはじき出される値段は、やはり残酷なほど安くて、でもお客はちっとも残念そうではなく、「その金額で結構です」と用紙に走り書きで署名し住所なども記載する。
「結婚して出て行った娘がね、学生の時買ってやったものなんですよ。もう使わないから邪魔で邪魔で」
ここは古ぼけた思いが集うリサイクルショップ。それぞれの歴史が、記憶が、愛着が、二足三文で取り引きされる。そしてまるで輪廻のように別の誰かの手に渡り、思いが巡り、また繰り返される。
辛気臭い雰囲気はどこへやら、清々しいような表情のお客は、まるで憑き物が落ちたかの如く、軽い足取りで店を出て行く。僕らは無言でその背中を見送った。