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禁酒したい海賊

作者:

「俺さ、禁酒したいんだよね」


 地平線の果てまで、どこを見渡しても何もない、凪いだ夜の海。敵船も見当たらない中、悠々と航海をしている船──といっても海賊船だが、その食堂にて。カーキ色のジャケットを好んで着る一人の男が、切実な顔でそう切り出した。

 彼とよくつるみ、同じテーブルを囲んでいた他の三人は、ちゃんと聞いたように見えたが、内容が内容だったため、何も聞いていなかったかのように談笑へと戻ってしまう。


「な、ちょ、ちょっと、聞いて。頼む」

「できるわけねぇだろ飲んだくれのくせに」


 完全に無視を決め込まれてしまい、焦ったカーキジャケットは姿勢を正すように浅く座り直すと、意識を向けさせるためにテーブルを叩く。一応、耳には残しておいたらしい真っ青なバンダナが目立つ男は、樽デザインのジョッキをテーブルに叩きつけながら真っ向に否定した。


「ちょっと切実なんだよ、聞けって!」

「へぇへぇ、どうぞ」

「飲み過ぎた次の日身体が痛くて仕事にならねぇ……!」


 今度は拳を叩きつけながら迫るカーキジャケットに、構わずジョッキを傾けるブルーバンダナは仕方なしに先を促した。真面目に聞かなくてもいいや、そんな感じで。そうして絞り出すように出てきた理由は、まあ、それなりに切実なもので。

 しかし、ブルーバンダナはジョッキを置き鼻で笑った。


「っは、ジジイ」

「お前よりは年下だッ!」


 どちらにしても彼らは二十代の青年なのだが。

 禁酒したいと打ち明けたカーキジャケットの目の前、喉を鳴らしながらビールを飲み干すブルーバンダナは本当に遠慮という言葉を知らない。我が道を行く奴。恨みがましくつっかかりにいくカーキは結局、グラスに用意していた炭酸水を一気飲みすることで気を紛らわせるしかなかった。


「飲み過ぎないくらいで管理すればいいだけの話じゃないか」

「できないから言ってんじゃん……」


 前方から飛んできた至極真っ当な回答に、それこそ酔っ払ったように項垂れるカーキジャケット。その目は、琥珀色が薄められた液体の入るグラスを持つしなやかな赤い指先、そこから持ち主の顔へと上がっていく。

 お世辞にも手入れが行き届いているとは思えないばさばさの茶髪。それに絡ませるように巻かれた赤いスカーフが彼女の色香を立たせるも、同時に気が強いのだとも思わせる。


「情けない奴……」

「ぐぅ……」


 まるで哀れむような目を向け、グラスを煽り飲み干したレッドスカーフは、そのグラスを遠目の左隣に置く。これまで何度か試みてはいるが、仲間が暴飲している側では悉く失敗に終わっているカーキ。今度は流石に反論できずに呻くしかない。


「でも何で態々言ったんです?」

「いや、ほら、あるじゃん。宣言したら何とかなるやつ」

「あぁ~」


 グラスに氷が当たる、カラカラといういい音を立てながら中身をかき混ぜるのは、編んだ髪に半透明の黄色いビーズが目立つ、少女にも見える女。海賊と呼ぶにはどこかふわふわとした笑顔を振りまいており、酒屋の娘とも見間違えそうだ。

 彼女はたった今割った酒をレッドスカーフの手元に置くと、空になっていたカーキのグラスへ炭酸水を注ぐ。


「だからな──」

「一緒にやろうぜとか言ったら殺す」

「いやいや! 俺が飲もうとしたら止めてくれるだけでいいからさ!」


 へーえ、とブルーは楽しみを見つけたかのような、けれど寒気がするような笑顔を浮かべた。


「何して止めようが関係ねぇってことだな?」

「……もしかして俺殺される?」


 ブルーの耳に入れたことは命取りだったか。酒に手をつけたのなら斬るなり撃つなりされそうだと、カーキはいつもより青い顔を女性陣に向ける。それに対し、レッドスカーフは新しい酒を含みながら肩で判断しかねる動きを見せ、イエロービーズに至っては、どうなんでしょうねぇ、と和やかな笑みを浮かべていた。


「とりあえず三日な!」


 宣言すれば達成できそうだと、勝手に打ち立ててしまった目標を前に怖じ気づいてもいられない。カーキは気を取り直して指を三本立て、一先ずの目標を決定した。

 目の前に突き出された手、立てられた指の数を見た三人の顔には、よっしゃ任せろ、といった気合いの入った笑みが見られる。ただ、凶悪的な気合いの笑顔だが。


「まあどうせ俺様は、お前が禁酒しようが目の前で飲み続けるけどな」

「アタシも、こいつの作ってくれる美味い酒は飲むね!」

「お任せあれ~」


 カーキを含め、飲んだくれであり酒豪でもある彼らは、酒を手にしないのでは過ごせない。ブルーは構わずビールで喉を潤し、レッドは片手にグラスを。イエローは肩を組まれながら手をひらひらと振る。

 分かってはいたが、配慮のはの字もない仲間の態度に、カーキはさらにテーブルへと項垂れるしかない。


「揃いも揃って鬼か、お前らぁ……」

「飲んで酔って話の通じねぇ、不気味に荒らしまわってナンボの海賊様が何言ってんだかな」


 だが宣言してしまった以上、これしきのことで下りてもいられない。カーキの物騒な禁酒の日々が幕を開けた。




 風を切るような音が聞こえ、何かとカーキが振り向いた右耳のすぐ側、ナイフがすり抜け、壁に突き刺さった。噴き出る冷や汗に、苦しくなる心拍。鈍い音と振動が続くそれから、彼は飛んできた方向にゆっくりと顔を向ける。


「抜き打ち検査してやるよ」

「普通に止めろよ!」


 二本目のナイフを揺らしながら悠々と歩いてきたのはブルーで。ただ廊下を歩いるだけで死に目に遭うとも思っていなかったカーキは、未だに治まらない心臓をそのままに声を荒げる。

 しかし、ブルーはそんな彼の心境など知ったことかとでもいうように、手の中で回したナイフの切っ先を、カーキのジャケットを叩くように押し当てていく。ブルーだけが至極楽しい身体検査だ。


「お前、あの日から飲んでなかったみたいだしな。今日で三日目、どうせスキットルの一本や二本……」


 カーキから見て左側の内ポケット。ナイフの切っ先が服越しに硬質な物体を捉えた。ははぁ、とブルーの笑顔が歪む。一方でカーキといえば、今すぐにでもここから走り去りたいと、顔ごと思いっきり目を逸らしていた。

 ナイフが仕舞われ、遠慮なく引っ張り出されたのは銀色に輝く目当てのスキットル。中身は申し分なく入っているらしく、適度な重みが伝わってくる。ブルーは蓋をつまみ、カーキの目の前で左右に揺らした。


「おーい、中身は何だぁ? こりゃ」

「……水」

「嘘だな」


 そんな見え透いた嘘が通じるとでも。そもそも、酒のためのスキットルに態々水を入れるなんざ、スキットルに失礼というものだ。

 ブルーは早速蓋を開けて中身の確認に入るが、もう漂ってきた匂いで酒が入っていることは分かってしまっていた。そして酒だと分かるや否や、彼は湯上りの一杯とばかりのポーズを取る。最高に歪んだ笑顔で。


「同室のよしみだ、俺様が片付けてやる」

「そりゃどうも……」


 どうにでもなっちまえ、カーキは諦めげっそりと脱力する。禁酒宣言をした以上、やはり悪いのはカーキ自身だが、目を盗み持ってきた酒が目の前で飲み干されていく様を見ているのは何とも苦しく、また罪悪感を煽るものなのか。

 ブルーは背中を反らしながら一気に飲み干すと、豪快に喉を鳴らした。


「よーし、今なら串刺しで許してやるぜ?」

「死ぬだろ!」


 仕舞っていたナイフを抜いたブルーは、それを手の中でくるくると回し、カーキの鼻先に突き付ける。浅はかだったが、悪巧みが失敗に終わったカーキは反射で食ってかかるも、すぐに溜め息と共に項垂れる。


「約束の三日目は明日だぜ? ま、せいぜい気張れよ」


 空になったスキットルを返されても虚しいだけだ。上機嫌に去って行ったブルーの背を見ながら、カーキは今まで以上に肩を落とした。




 不意に銃声が響いた。食事時、大勢の仲間たちが集まる食堂が一瞬にして静まり返り、何があったんだと、全ての視線がそこへ向く。


「飲むなっつってんだろ」


 銃口から僅かに立ち上る煙を吹き消すのは紅が引かれた唇。一方でその的となった側。カーキが手にしていた瓶は、注ぎ口より下が撃ち砕かれ消失していた。

 床に飛び散ったガラス片、虚しくぶちまけられることになった中身。割られた断面から滴り落ちる水滴は、その範囲を広げるための一滴となる。状況を理解できずにカーキが動きを止めること数秒。


「何も割ることねぇだろ!?」


 手に残った注ぎ口部分を武器のように振り回したカーキは、銃を手に持ったままのレッドへと身を乗り出す。怒り心頭、というよりは振り切ってしまった怒りに涙しそうなカーキを前にしたレッドは、知らん顔もいいところ、銃を仕舞った。


「ナチュラルに酒瓶なんか出すからだろ馬鹿」

「入ってたの水なんだけど!?」


 未だ離すつもりはないらしい注ぎ口の蓋をテーブルに叩きつけながら、酒瓶の正体を述べてみるカーキだが、手放しで信じていい話ではない。そのためレッドは嘘吐くな、と冷たく一刀両断する。その隣で席を立ったイエローは悲惨なカーキの足元にしゃがみ、手に取れる大きさの破片を、指を切らないようにと拾い上げ回収していった。


「でも確かにお酒の匂いじゃないですねぇ」

「ほら見ろ!」


 あらかた回収したイエローが立ち上がりそんなことを呟けば、レッドを指差してあてつけてみるカーキ。レッドはふん、と何もしていないとでもいうように顔を逸らす。

 まあまあ、とカーキの手から意味を成さなくなった瓶であったものを回収したイエローは、厨房へと繋がるカウンターへ向かい、それに合わせるようにして集まっていた視線は外れ始め、談笑の声も戻ってくる。


「紛らわしい。大体何で酒瓶なんかに水入れてるんだっつの」

「酒が入ってたなら分かるだろ? 水入れて飲むとさ、風味がするからよ……」

「あんたそれ逆に禁断症状出るんじゃないのかい?」


 ああ俺の命の水。体調を悪くしてしまった酒浸りの毎日から抜け出してみせるのはなかなか困難だと、本当に繋ぎとしていた命が絶たれてしまった。両腕を投げ出してテーブルに突っ伏したカーキ。そんな彼へと、レッドの不可解に歪んだ顔からかけられる追い打ちは止まらない。


「何にしたって、酒瓶なら止められて当然だと思わなかったってわけかい」

「俺だって問答無用で破壊されるとは思わねぇよ……」


 呆れと脱力の言い合いはゆるりと続くも、そこへイエローが戻ってくることにより、空気はやや明るく和らいだ。


「はいはい、紛らわしいのが悪いんですよ~」


 和やかな笑顔でカーキの前に置かれたグラス。鮮やかなオレンジ色の中にある透明な氷が綺麗に映る。分かっているつもりだが、カーキは思わずなにこれ、と気の抜けた様子で起き上がった。するとイエローは笑顔で人差し指を振る。


「オレンジ生絞り、炭酸水割りでーす」

「餓鬼かよ俺は……」


 からかうわけでもなく、純粋に楽しい気配りとして行うからこそ、彼女の場合は質が悪い。だがカーキは素直に口をつけ、その横を通り過ぎたイエローの腕に雑巾がかけられていたのを目にすると、慌ててグラスを置いた。


「ああいいよ、俺がやる」


 決して忘れていたわけではなかったが、瓶へのショックの方が大きすぎて、そこまで気が回っていなかった。カーキが雑巾を掻っ攫えば、イエローはじゃあ頼みますね、とまたカウンターへ向かう。


「なあおい、銃声聞こえたけど何か──あぁ……」

「何だよその目は」


 遅れてやってきたブルーが顔を覗かせ、染みの広がる床を拭くカーキを認めるや否や、遠く残念そうな目をした。その胸の内が分からないほど、カーキも馬鹿ではない。自棄になり乱雑に拭き終わらせた彼はテーブルに戻り、雑巾を端に置いてオレンジの炭酸割りに口をつける。


「もう二日延ばそうかと思ったのに、お前らのせいで俺の命が足りねぇよ……」

「自業自得のくせに」

「なあ?」


 つくづくいいタイミングで戻ってくるイエローは、間延びした声でお待たせしました、とレッドとブルーの前にジョッキを置くと、やっと席に落ち着く。


「未遂もありましたけど三日、四日? 続いたんだからすごいですよねぇ」

「何だったらやめるか? いい酒飲めるぜぇ?」

「いいや決めたから延ばす!」


 濃い琥珀色をグラスの中で回しながら朗らかに笑うイエローはまだいい。だがブルーだ。これ見よがしにカーキの目の前でジョッキを揺らし、誘惑をしてから飲み干すように煽るのだから。


「にしたってなかなか美味そうなの飲んでるじゃねぇか」

「黙ってろ」


 そうしてからかうように、鮮やかなオレンジ色に対して余計な一言を。カーキは鼻を鳴らすように一蹴し、中身を半分ほど減らしたグラスをテーブルに叩きつけた。




 結局あれから、延長した二日間を命からがら切り抜けたカーキの手には現在、ジョッキが握られていた。口元には拭いもしない泡を付着させたまま。


「美味ぇ……」


 一週間と数えるには人によって違うだろう約六日間。乗り切ったカーキはもうそろそろ大丈夫だろう、と勝手な見切りをつけ、褒美とばかりに、苦みのあるその味を噛みしめた。

 そんな彼の隣と正面、好みの酒を手元に揺らす友たちは釈然としない表情のままだ。


「七日はもたなかったみたいですねぇ」

「何かもう平気そうだしさあ!」


 仕方なさを前面に出しながらグラスと中身を回し続けるイエローを前に、上機嫌でジョッキを掲げるカーキ。この調子では数日としない内に、また不調を訴えることだろう。酒を流し込むスピードは止まることを知らない。


「調子に乗ってるとぶり返すよ?」

「きっとあの時はちょっと体調でも悪かったんだって、なあ?」


 ブルーでさえ、女性陣と共に溜め息を吐いたため相当だ。聞く耳を持たないカーキはまた、豪快にジョッキを傾ける。

 これでは禁酒をしてみたところでどうしようもないと、ジョッキを片手に高らかに笑う彼を見て、誰もがそう思うのだった。

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