10-1話 風呂と食事となんか黒い大きなものが来る
ケイコ・キムラは侍女たちの手伝いを得ながら王女の礼服に着替えた。純白のドレスに小麦色の肌は似合わないので、彼女は鏡を見ながら色彩調整をした。白手袋を脱いでメイクの仕上げをしているところに、正装した兄のイサクとお付の者がやってきた。
「変身前のレディを見に来るなんて、ずいぶん遠慮がないね」
「どうも申し訳ありません。若様がたってのお願いで…それはともかく、昼はずいぶん御酒を召されたようですな、姫様」
「え、えっと、何のことかな。さっぱり覚えてないよ」
酔っぱらいはしらふにかえると、飲んだときにしでかしたことを全部覚えていてもだいたいこう言うことになっている。
「ああ、ケイコ、相変わらずぼくとそっくりな顔だね。まだ国に帰る気はないの?」と、イサクは座っているケイコの両肩に手を当て、ふたりが写っている鏡を見た。
「でももう、服を取り替えて遊んだ幼いときのようにはいかないね、お兄さま。勉強のほうはあと4~5年、それから実務を50年ぐらい、あ、これは嘘だな、5年ぐらいやりたいんだ。あと、当分結婚する気はないから」
「そうか。お互い大変だな」
「わたしが病院を設計して、そこで医者のお兄さまが、王様になるなんてことなければ、働くことになってる」
「それは、物語って奴?」
ケイコは肩をすくめた。
「わたしには物語は作れない。「という設定」で物語が作れるヒトたちがちょっとうらやましいな」
「霊獣は普通に嘘がつけるけど、まあそれはまがい物の嘘だからなあ。首飾りを持ってきたんだ。今日の式、というかイベントのときにつけておくように」
「面倒くさい」
そう言いながらケイコは、お付の者から首飾りを受け取った。
*
合宿所の風呂のほうは、物語部の顧問であり神でもあり、宿の留守番役の山田洋司が用意してくれていたため、海水浴場から戻った男女と人工知性体のクマのぬいぐるみ(ワカクマ)は、すぐに入ることができた。ヤマダは自分が一番先に風呂に入りたかったので、その神の力ですべてをおこない、すでに入浴を済ませて、自分の部屋で寝ていた。
浴槽はけっこう広くて、女子8人が一緒に入っても余裕があり、問題は日に焼けたところがどうにも痛くて、湯が食い込むところだった。
「き、気持ちいいよね、おねーちゃん」
「き、気持ちいいから、なんか話すな、清」
と、落語のようなやりとりをして、合宿メンバーで唯一の三年生である樋浦遊久は、湯から出るといつも以上に髪と体を雑に洗い、ワカクマを熱心に洗っていた。ワカクマはアイパッチを外して、取り外し可能なボタンみたいな片目を入れていたので、両目がそろっていた。その片目は、いつもは遊久の妹である樋浦清の服の一部にピンバッジみたいな感じでつけられているもので、いくら防水とは言え海水浴場では心配だったので、清が上に着ていたパーカーの胸のあたりにあって、だいたいのことはワカクマも知っていた。
「考えたら、物語部におまえが来てから、洗ってやったことなかったよな。ああ、手のところがちょっと夏草の匂いがする」
「別に水と石鹸洗いしなくても、ほこりをはたいて掃除機でガーガーやればいいだけなんだ。夏草の匂い以外は、しょっちゅう抱いて歩いてくれてた、きみの匂いだよ。ああっ、シャンプーはやめて」
「そうだな、考えてみたらどこから髪の毛で、どこから体の毛なのかわからないもんな、おまえ。…はい、それじゃ目をつぶって、って目もつぶれないのか」
その隣では、藤堂明音が清に背中を流してもらっている。あまり日に焼けていない背中は藤堂だけだった。
いきなり絹を引き裂くような、と言いたいところだが木綿を切れ味の悪いハサミで切るような、ざっくりとした悲鳴があがり、アニメならその悲鳴とともに夏の空にショットが変わるところだが、これは別に立花備が男湯と女湯を間違えて入ったからではなく、頭を洗っていた市川醍醐がいきなり関谷久志に桶で冷水をかけられたからだった。
反撃しようと思った市川だが、関谷に向かってすぐにかけられるものは浴槽の温水しかなく、関谷はそんなものは鼻で笑い、こっそり桶の6個分にすでに用意してあった冷水を続けざまにかけるが、そんなことをしていると関谷自身が体を洗えないことに気がつき、休戦と詫びの印として桶3個分の冷水を自分にかけた。
入浴が終わると全員は各人の部屋に戻ってよろよろと仮眠を取り、日没の少し前にはヤマダに起こされて、炊事当番はカレーを作り、残りのメンバーは広いほうの海水浴場に行ける岬の小道の草刈りをした。頂上まで続く枝道のほうは、引き続き誰がきれいにしていたのかはわからなかった。
炊事のメンバーは女子4人と市川で、藤堂は副食のレタスと海藻のサラダを作り、年野夜見は材料を少し小さめに刻み、遊久は雑に刻み、市川は器用に左手でジャガイモの皮を剥いて、松川志展が中辛と辛口の鍋ふたつ分の味つけをした。
食後、各人は自分の食器を洗ったあと、ヤマダにとりあえず寝ておけと言われてまた寝るが、真夜中の少し前に起こされた。
月もない夜の海は真っ暗で、星の光がきれいだったが、その闇のかなたから、さらに黒くて巨大なものがこちらに向かって来るのが見えた。
「さあ、これからが本番だ」と、ヤマダは言った。




