9-7話 岬の丘のてっぺんで愛を叫ぶ
お手洗いから戻ってみると、へろへろの木村恵子さんはどこかに消えてて、恵子さんが残していったたこ焼きを食べている立花備は、恵子さんは酔っぱらいすぎなければいい人だし、どう見てもこの物語の作者ではないから、あまり深く考えなくてもいいだろう、と言う。
食後、わたしたちは合宿所に帰ることにする。
潮が満ちて、電動車椅子の帰り道には使えなくなっている岬の東側の砂浜だけど、海水浴場ぞいの西側にはずっと歩道つきの自動車道が続いていて、それを使えば、歩いてだいたい10分ぐらいで宿に着ける。男子たち(地元の高校生を含む)はとても重い電動車椅子を、バリアフリー化はまだされていない浜から道路への階段を使って苦労して上にあげる。
走行テストも兼ねるので最大スピード出しますよ、と言う鳴海和可子さんに、付き添いはまかせとけ、と、とてもまかせられるかどうかわからない備は言う。まあ新学期になったら同じクラスになるし、いろいろふたりきりで話したいこともあるんだろう。
岬の丘のへりをぐるっと回って通っている小道を使えば5分ぐらいで宿に着けるはずだったが、そこから枝道が、丘のてっぺんまで続いているので、ちょっと寄り道しよう、とわたしの姉である樋浦遊久は提案し、別行動の和可子さんと備を除いたみんなは賛成する。
小道は夏草が周囲に、人の背丈ほどに生い茂っているが、誰かが草刈りを定期的にしているようで、ビーチサンダルで歩くのも特に問題はなく、ただ枝道のほうは枝道というにはにはけっこう長くて高低差もあり、思ったよりも難儀をする。
のぼり終えたときの時間には陸地のほうから海へ気持ちよい風が吹き、頂上には昔灯台があったと思われる正方形の数メートルほどの台座と、短い草しか生えていない、数十メートルほどの空き地があるが、別に城みたいな図書館のようなものはない。
流れる雲と、その上を飛ぶ飛行機(旅客機ではなくて自衛隊の訓練機かな)、それから水平線に近くてわたしとは遠いところを行くコンテナ船などを、手をついて足を伸ばしてぼんやり見ていると、藤堂明音さんの右手がわたしの左手にふれる。
「なっ、何すんだよいきなり、藤堂さん」
「いや、なんかこう、清が消えたりしないかと思ってさ。ここにこういる、このリアル、ちゃんと確認しておきたいわけ。私と清が知り合いになれたのも、いくつもの「なかったかもしれない世界」があったからだよ? たとえば、私が古代エジプトの女王で、清がパリ郊外で育っている1970年代の少年だったとしたら会えないよね。そんな極端なことじゃなくても、私と清の年が5歳違ってたら、もうすれ違いだし」
「まあ、高校生が小学生の女子の手を握ってたら犯罪になる可能性もあるよね。それが同性で、高校生がお嬢さまだったとしても。それから、わたしと藤堂さんは友だちでいいよ。いつでも藤堂さんの家のプリン、勝手に食べにいくから」
考えてみたら、藤堂さんが学校以外でどんな生活をしているのか、わたしのほうはほとんど知らない。藤堂さんは両手でわたしの左手を握りしめる。
「どうもありがとう」
わたしは困ってしまって、右手で鼻の横をこすりながら言う。
「え、えっと、それに、あの空を飛んでる飛行機がいきなり失速して、この丘に落ちたら、わたしたちみんな死んでおしまいだよね、ははは。そんなことより、醍醐くんたち何かしている」
市川醍醐くんと関谷久志くんは、丘の傾斜を競争してのぼって、石の台座にまず関谷くん、5歩ほど遅れて醍醐くんが手をつける。ふたりは相談して、もう一度やることになったらしい。今度は同じような場所から、関谷くんが醍醐くんの5歩ぐらいうしろのスタートラインだ。関谷くんは首を横に振って、さらに3歩うしろにさがる。
走りはじめるとみるみる差が縮まるけど、1歩ぐらいの差で醍醐くんが勝ち、関谷くんはやれやれという感じで、高さ60センチほどの台座にのぼって、腰に手をあてて海に向かって叫ぶ。
「おれは、いちかわだいごが、すきだーっ!」
元剣道部で現役の演劇部員である関谷くんの声は大きい。男同士の友情にはスケールの違いを感じて感心するわたしである。
あとで聞いてみると、負けたほうが海に向かって好きな子の名前を呼ぶ、という恥ずかしくも青春っぽい約束をしたらしいんだけど、なんでそこでわたしや藤堂さんや、現役声優でクラスメートの松川志展ちゃんの名前が出てこないのか。
わたしの姉で物語部員3年生の樋浦遊久は、それは面白い、ということでさっそく話がまとまる。はじめは「わたしたち」、で、呼ぶ相手は呼び捨て、なんだな。
丘にのぼった9人は、さらに丘の上の台座にのぼって、海ではなくわたしたちの合宿先に向かって叫ぶ。
「わたしたちは、たちばなそなえが、すきだーっ!」
この「だーっ!」の部分を一番伸ばしたのは志展ちゃんで、おまけに「だーっぁぉぁぉぁぉ」と、向かい風にさからうような演出まで入れる。さすがプロだなあ。
*
丘をくだって合宿所に向かう途中の小道では、片目アイパッチをしたぬいぐるみのクマである謎の人工知性体のワカクマ(仮)が黙々と草刈りをしているところにでくわす。部室に置いてあるのを見ただけの、紺野陽ちゃん以外の物語部員サポートメンバーは、動くぬいぐみに驚くが、これはそういう話なんで、と納得してもらう。
一般人であるワゴン車の運転手さんは買い物の用事が済んだら帰ったので(2泊3日もおつきあいするわけじゃないのは当然だ)、ワカクマが自主的にやってくれてた、という話である。
おねーちゃんはそんなワカクマを抱えるとこう言う。
「ああもう、残りは俺たちがやるからさ。電池換えてやるよ。その前に一緒にお風呂入ろう」
その日の夕方、食事当番以外の人間はカレーができるまで草刈りの続きをすることになるのだが、そのメンバーに食事当番のおねーちゃんはいない。
合宿所の食堂兼ミーティングルームに行くと、もうとっくに風呂に入って出た備が、相変わらず変なロゴが入っているTシャツに着替えてて、トリュフォー&ヒッチコックの『映画術』を読んでいる。だいたい備が読むのは、ラノベか漫画か映画関係の本なんだけど、なんでそんな重たい、人を殺せるような本をわざわざ合宿に持ってくるのか。これは誰かを殺す伏線なのか。
集中してる備は、わたしたちにようやく気づく。
「あ、ああ、みんな戻ってきたのね? え、なんか言ってたの、丘の上で? 全然知らなかったよ! 鳴海和可子さんと一緒にどういう話したかって? もう、和可子さんのほうが全然早くて、ついてくのに精一杯で、そんなに大したこと話せなかったよ!」
鳴海和可子さんが移動に使った電動車椅子は、最大時速6キロ。
立花備、やはりいろいろ使えない男である。




