6-6話 増殖する千鳥紋と撮影技術について
別に年野夜見は死んだり殺されたりしておらず、うたたねしてコップに入れたトマトジュースをこぼしただけだった。「ついうとうとして…」と年野は言い、誰が鍵をかけたかは覚えていないという話である(部室の鍵は内側からも外側からもかけられる)。
この物語は別に謎解きのミステリーではないし、充分に発達した科学を背景にしたSFでもないので、けっこう大ざっぱだ。
「でも考えると変ですよね。「これは密室殺人!」って言って、密室みたいなところに入るじゃないですか。でも、部屋のドアのところで、死体を見てびっくりしている人たちを撮ってるカメラマンとスタッフがいるわけなんで、別に密室じゃないのでは、と普通に思いませんか」と、立花備は炭酸水を飲みながら、ソファの俺の隣に座って言った。
年野は机をきれいにしたあと髪を洗いに行き、ほかの一年生ふたり人は冷蔵庫から適当に出したものや、机の上にいつも何か置いてある駄菓子のようなものを飲んだり食べたりしていた。千鳥紋は部室にある電熱器で沸かしたお湯で入れたコーヒーを飲み、図書館で借りた古典のテキストを参考にしながら、教科書に赤線を引いたり赤丸をつけたりしていた。ノートを見ると確かにこれは日本語というよりシュメール人の楔形文字のようだ。
「うん、実はな、この俺たちの物語にもカメラマンはいるんだ。だけどちょっとややこしいことになるけど、いいか」
「もうだいぶ慣れてきたので大丈夫です。ひょっとしたらカメラマンが作者かもしれない」
「だからそれはない、って。じゃ、ちょっと、カメラの人、すみませんがこっちに来てください」
そう言ったので、カメラマンの千鳥がカメラを持って俺たちの物語に入ってきた。
「ああ、これはアリのアレクサっていうデジタルカメラですね。デジタル撮影は、背景が弱い光でも撮れるのですが、ダイナミックレンジが広くなるので、逆光にしたい場合はレンズや照明の工夫をするか、データをエフェクト加工するか、なんですが、最近は役者の都合もあって後者にすることも多いのです」と、醍醐は説明した。
「使い勝手からいうともっと軽くて持ちやすいのもあるんだけど、フィルム時代からの安定したブランドよ」
案の定立花はびっくりした。
「ええっ!? 千鳥さんってふたりいたんですか?」
「正確には(n+1)人よ。カメラマンを含めた私たちを撮ってるカメラマンさんも、ちょっとこちらへ」
カメラを持ってる千鳥がふたりと、勉強をしている千鳥がひとりの、あわせて3人になった。
「要するに、カメラマンが入っている物語は、カメラマンが無限に増殖するんだ。物語の作者を探すのと同じだが、ヴィジュアル的にはさらにわかりやすい。ああもう、ひとりだけ残して他のカメラマンの人はカメラの裏側に戻って。気がついたらもう15人もいるじゃないか」
「…ということで、あなたたちが部室に入ってきて驚くところを撮ったのは私よ。まず、セットの部室を春休みに撮るのね。それから廊下を歩いているところを撮る。これは連休のうちに実在する校舎を借りてロケ撮影だから、セットの照明はその時期ぐらいにざっくり合わせておく。映画の場合は物語があるから、見ている人は細かな違いなんか気にしないのよ。ドアを開けてびっくりするところと、廊下を歩いているところとは、撮影した日は実際にはひと月以上違っているのよね」
「まあ、これが実写だったら、という話だけどな」と、俺は補足した。
「ドアを開けると死体がある、それを見てびっくりする人たちの顔が映像として写る、というのは、エイゼンシュタインのモンタージュ技法の過剰解釈よね。密室殺人を扱った映画やアニメでは確かに無理があるわ」と、カメラマンの千鳥は言った。
「ちなみに、エイゼンシュタインに日本語を教えたのは私よ」と、勉強しているほうの千鳥は言った。
「これでこの回終わりかよ。どうせこんなとこだろうと思ってたよ!」と、俺は言った。




