5 思わぬ再会
ガルトルード侯爵の城へは、馬で北に半日と少し。急いだ甲斐あって、夕暮れ前には辿り着いた。
「何者だ!」
跳ね橋を渡ろうとしたところで、城門に設けられた見張り台から声を掛けられ、かまえた弓を向けられた。
「ベアハルト家がグレッグの妹、アイリーンでございます」
「グレッグ卿の妹御が何用か」
「兄が急死しました。兄の代わりに騎士家の義務を果たすべく、招集に応じて馳せ参じました」
「しばし待たれよ」
レヴィンが肩をすくめてウィンクする。侯爵の城はいつもこんなもんですよ、緊張しないでとください、と言われてるのがわかった。気遣いに、笑みを浮かべて応える。
私は馬に乗ってきたが、レヴィンたちは歩きだ。日暮れ前には辿り着きたいと急がせたから、早く休ませてやりたい。
しかし、待てど暮らせど音沙汰はなく、どんどん日だけが傾いていく。だんだん心配になってきた。
もしも入れてもらえなかったら、戻って近隣の知り合いに助けを求めようか、いや、それでは時間がかかりすぎる、村娘に変装して城に潜り込み侯爵を探そうか、どうしようかと考えを巡らせはじめたところだった。
ギイッと内側から通用門が開かれ、中から人影が滑り出てきた。金色の巻き毛でサーコートを着ている。どことなく見覚えのあるシルエットに、まさかと思いつつも、私は口をへの字に引き締めた。
その人物が走り寄ってくる。それにつれ、容姿がはっきり見えるようになった。……なぜ彼が、ここにいるのだろう。それも、騎士として。
「……アイリーン、なぜそんな姿で。グレッグが死んだというのは本当なのか!?」
「本当です。侯爵への目通りを願います」
「まさか。そんな」
私を見上げたエルバートの表情は、驚きと、痛みに彩られたものだった。彼はしばらく呆然としていたが、やがて溜息とともに目を瞑ると、十字を切った。
「彼女はたしかにベアハルト家のアイリーンだ。我、エルバート・ランドが保証する。本物だった場合、侯爵に彼女をすぐに連れて来るよう言いつけられている。彼女たちのために門を開けてくれ」
門が重たい音を立てて開かれ、私たちはそこをくぐり抜けた。中は馬と人でいっぱいで、雑然としていた。
「ライオニー、彼らを厩に案内してやってくれ。それから、城内の案内も。面倒をみてやるんだ」
エルバートは、浅黒い肌の酷薄そうな男に、レヴィンたちを任せようとした。
「私の従者をどこに連れていこうっていうの」
「彼は俺の従者だ。よくこの顔で疑われるが、信頼の置ける男だ」
「べつに、顔で疑うなんて失礼なことはしてないわ」
「そうか。じゃあ、俺が信用ならないってわけか。
だったら心配いらない。俺は今、侯爵に仕えている。あの方に背くようなことはしない。それとも侯爵の目が、いつ裏切るとも知れない者を傍に置くような節穴だとでも?」
「馬鹿言わないでちょうだい。ただ、あなたは狡猾に人を欺くのが上手いようだから。……いいえ、私たちの目が節穴だったんでしょう」
「いいや、俺は誰も欺いていない」
彼は強い調子で、挑むように顔を近付けて言った。火花が散りそうな勢いで睨みあう。そのうち彼から目をそらし、ふん、と鼻を鳴らした。
「いや、いい。君は良くも悪くも人の話に耳を貸すような人ではないからな」
ムカアッとした。彼の顔を見てからムカムカが止まらなかったが、脳天を突きあげるような怒りが湧きあがり、思わず声を荒げて反論しようと口を開いた。
『アイリーン、怒りに我を失ってはいけない。そら、脇ががら空きだ』
ふいに、耳元で兄さんに囁かれた気がして、私はあたりに目を向けた。多くの騎士や従者が歩きまわっている。……ああ、そうだ。ここで失態を犯すわけにはいかない。
女だというだけで侮られるだろうに、感情的になれば、だから女はと見下げ果てられるに違いない。
もしかしたら、彼は私を怒らせて、失態を狙っているのかもしれなかった。そうすれば、一番近い血筋として、彼が兄さんの後継として据えられるだろう。それが本来なら順当なのだ。まして、彼が今、侯爵の騎士だというなら、よけいに。
兄さんから、彼が領地を賜ったなんて話は聞いていない。侯爵がたくさん城に置いている、有象無象の騎士の一人なのだろう。だったら、喉から手が出るほど領地が欲しいはずだ。
「俺の言うことなど、怒るにも値しないか……」
小声が横から聞こえてきたが、話しかけてきたというより、呟きに近かったので、私は遠慮なく無視した。
大きな広場を抜け、開け放たれた扉から、城の中に入った。たくさんのタペストリーのかかった立派な広間を通り抜け、人通りの少ない奥へと入って行く。
扉の前に護衛が立つ部屋で、彼は声を張り上げた。
「エルバートです。ベアハルト家のアイリーンを連れてきました」
入れ、と中から聞こえ、彼が自分で扉を開けた。
小ぶりの部屋だが、ここも綺麗なタペストリーが掛かっていた。奥に一段高くなった場所があり、そこに立派な椅子が置いてあって、いかめしい顔の初老の男性が腰かけていた。
ガルトルード侯爵だ。幼い頃に、家にいらしたことがある。あの頃より白髪と皴が増えたが、さらに威厳が増していた。
「アイリーン、久しいな」
「侯爵におかれてましては、ますますのご清栄お喜び申し上げます」
「うむ。して、グレッグが急死したと聞いたが」
「昨日、戸外で毒蛇に咬まれまして。そのまま」
蜂では通りが悪かろうと、家令のベンや従者のレヴィンと相談して、人には蛇に咬まれたと語ることにした。
「なんと。……葬儀はどうした」
「今朝早くに済ませてまいりました」
「そうか。辛かったであろう。悔やみを述べる。まこと、惜しい男を亡くした」
「ありがとうございます。侯爵に忠誠を誓っていた兄も、そのお言葉だけで報われることでしょう」
部屋に沈黙が落ちた。兄さんを亡くしてからまだたったの一日しかたっていない。侯爵に話すほどに、生々しく痛みと悲しみが心に満ちあふれていった。……いや、感傷に浸っている暇はない。ここからが難所だ。
「ところで、その恰好は、アイリーン?」
「ベアハルト家の責を果たすべく、招集に馳せ参じましたしだいです」
「私はそこまで人情のない男であるつもりはないが」
「お気に障ったなら謝罪いたします。ただ、私がベアハルト家を継ぐことをお許しいただきたく、この度の盗賊狩りで、侯爵にお仕えするにふさわしい技量を披露いたしたいと気が逸ったしだいです」
「グレッグには妻と、まだ生まれていないが子ができていたはずだが」
「いずれ生まれてくる甥に家を継がせたいと思っております」
「それまでおまえが騎士として仕えると?」
「はい。父には子が兄と私しかありませんでしたので、私も幼い頃から兄と共に、騎士に足る技量を教え込まれてまいりました。兄が亡くなるまで、手合わせの相手も務めてまいりました。必ずや侯爵のお役に立てるものと自負しております」
「うむ。おまえの父アイザックにも、兄グレッグにも、聞いておる。男勝りで嫁にいくつもりがないと自慢しておった」
「……自慢、でございますか?」
「可愛い娘、可愛い妹を、なかなか手放したくなかったようでな。たびたび諫めておったのだが、そのような話は聞いてないか?」
「はい、まったく」
「そうか。それはまた難儀なことだ」
「は?」
「まあ、よい。ベアハルト家が盗賊狩りに参加することを歓迎しよう」
「ありがとうございます!」
「うむ。アイリーンは、この城は不案内であろう。エルバートに世話係を申し付けるから、頼りにするといい。彼とは知らぬ仲でもなかろう? 従兄弟でもあることだしな。部屋も隣に用意させよう」
「いえ、申し訳ございませんが、他の方にしてはいただけないでしょうか。彼は父に追放された者にございます。面通しの必要あってのことと思い、彼の案内に従いましたが、慣れあうことはできません」
「ふむ」
侯爵は足を組み替え、ひじ掛けに寄り掛かるように姿勢を崩した。それでかなりくだけた様子になった。
「それは、躾のなってない小娘に無実の罪をなすりつけられて責任を取らされそうになったエルバートを、アイザックが私の許に寄こしたことを指しておるのかな。正確には、グレッグと間違えてエルバートを誑かそうとしてしそこねた小娘、だが」
私は、まさか、と思わず横に立つ彼を見た。彼はこちらを見もしなかった。まっすぐに立って、侯爵に視線を向けていた。
「エルバートは、さすがアイザックが仕込んだだけあって、忠実で腕の立つ良い騎士に育った。領地を与えると再三言っておるのだが、誓いを立てているとかで、頑として受け入れぬ。まったくもって傲岸甚だしいが、私はこやつの利に敏くない愚直なところも気に入っている故、しかたない」
侯爵は親しみのこもった笑みを浮かべ、彼を見やった。
「アイリーンは疲れたであろう。今日はもう、ゆっくり休むがいい。明日また話す時間をもうけよう」
もう行けとばかりに、軽く手を振られる。
私は言葉もなく頭を下げ、じろりとこちらを見たエルバートの視線に小さくなって、部屋を出ていく彼の後に続いた。