4 されど悲しみは増し
村の教会から司祭様が駆けつけてきて、葬儀の準備がどんどんすすんでいくかたわら、私は、兄さんの従者だったレヴィン、小間使いのホーク、馬丁のエルンを呼んだ。
「明日、葬儀が済んだら、私はガルトルード侯爵の招集に応じるため、出発します。
盗賊狩りの件は、侯爵に私が使える騎士だとわかってもらうのにいい機会だと思うの。侯爵に、私をベアハルト家の当主として認めていただかないと。
他の誰かに、ベアハルトの名を渡すわけにはいかないわ。生まれてくる兄さんの子に、どうしても受け継がせたいから。
どうかお願い、兄に仕えたように私にも仕えて、私を助けてちょうだい」
「そりゃあ、俺たちはグレッグ様に忠誠を誓った身です、グレッグ様のご家族のためなら喜んで協力いたします。……なあ」
レヴィンはホークやエルンを振り返って同意を求めた。ホークもエルンも、もちろんです、と答えてくれる。
「ですけど、お嬢様、お言葉ですが、戦場は女の人の出るところじゃねえです。
吟遊詩人が歌う騎士物語は嘘じゃあねえですが、あんなお綺麗なものじゃありません。……どんな騎士も、死ぬときは一緒です。血反吐吐いて、脳ミソや内臓まき散らして、のたうちまわって死んでいく。
お嬢様の見るもんじゃねえし、お嬢様があんなになるのも見たくねえです。
それくらいだったら、婿取って、その婿に行ってもらったらいいです。エルバート様が嫌だって言うなら、他の男を見繕えばいいんです。お嬢様にだったら、いくらだって婿のあてはあるはずです」
「心配してくれてありがとう、レヴィン。でも、婿を取ったら子を生さないわけにはいかないし、そうしたら、兄さんの子に継がせられなくなってしまうでしょう?
私は、生涯結婚する気はないの。ただ、これから生まれてくる子が大きくなって、ベアハルトの名を継げるようになるまで、兄さんの代わりにこの家を守っていければいい。
それには、私一人では無理だってわかってるの。だからお願い、私を支えてちょうだい」
レヴィンは詰めて聞いていた息を、はあっ、と吐いた。ホークとエルンに視線をやり、彼らが頷き返すのを見て、もっと深く、はあー、と溜息を吐く。
「承知しました。俺らのできる限りでお仕えいたします」
「ありがとう。ありがとう、レヴィン、ホーク、エルン」
私は感謝の気持ちでいっぱいになり、椅子から立って彼らの手を一人一人取って握った。
「じゃあ、さっそくだけど、明日の準備をしたいの。手伝ってくれる?」
「承知です。まずは楔帷子に綻びがないか確認しませんと。お嬢様のメイスの棘を尖らせないとだし……、ああ、そうだ、矢も切りそろえないと。忙しくなるぞ!」
ホークは鍛冶屋へ走れ、俺とエルンは弓矢を調えるぞ、と話しながら部屋を出ていったばかりのレヴィンが駆け戻ってきて、あ、お嬢様はサーコートの確認を! と扉から顔だけ突っ込んで言い置いて、またバタバタと走っていった。
私は自分の部屋に戻って、サーコートや鎧用の下着をベッドの上に広げて、擦り切れや穴がないか隅々まで確認した。……これを新調した時、兄さんが苦笑して、こんなものより花嫁衣裳を作ってやりたいんだがな、と言っていたのを思い出しながら。
『男なんてこりごり。それより義姉さんを手伝って、甥や姪の面倒をみるから、一生置いてちょうだいよ』
私は、そう答えた。
兄さんはしばらく黙った後に、おまえの気のすむようにするといい、どうせおまえは人の言うことなど聞きやしないのだから、と肩をすくめたのだった。
兄嫁のフィアンは素敵な人で、彼女が来てから家の中が華やいで、柔らかくなって、子供もできて、これからこの家はますます栄えていくんだって、幸せな未来を疑いもしてなかったのに。
「兄さんの、ばか、……ばかばかばか! 何で死んじゃったのよう!」
急に悲しみが押し寄せてきて、私はベッドの上に突っ伏した。そうして、嵐のようなそれが通り過ぎるまで、うずくまってサーコートに涙を吸わせながら、一人泣きはらしたのだった。
お気に入りだった普段着を着せて、兄さんを棺に納めた。棺は館の祈祷室に安置され、司祭様と家の者で、順番に夜通し灯りと祈りを捧げた。
朝になると村の人々が次々訪れて、棺の中に花を手向けてくれた。慕われていた兄さんの死に、村の誰もが沈鬱な面持ちで首を振り、言葉もないと悔やみの言葉をかけてくれた。
兄さんを墓穴に下ろす時、それまでハンカチを顔に押し当てつつも毅然としていたフィアンが、突然駆け出し、棺にすがった。
「やめて! やめて! いやっ、いやよ、グレッグ!!」
「フィアン」
「彼を土の下に埋めるなんてできない! こんな暗くて冷たいところに彼を閉じ込めるなんて」
私は彼女を後ろから抱きしめた。私にも彼女の気持ちが痛いほどわかった。埋めてしまったら、兄さんは二度と帰ってこれなくなってしまう。本当に兄さんを失ってしまう。だけど。
「フィアン、ここにいる兄さんは、もう抜け殻なの。魂は神に召されたのよ」
「いやよ! いや! いや!」
「兄さんは、神の国にいるの。神の御手に抱かれて、永遠の安らぎを得たのよ」
フィアンは緩やかに横に首を振って喘ぐと、甲高い声をあげて泣き崩れた。私はたまらずに、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。
「兄さんは、神と共に、あなたを見守っている。生まれてくる子供にも、神と共に愛を注いでくれている。永遠の存在となって、いつでもあなたの傍に居る。兄さんの愛は、あなたと共にあるから」
フィアンの細い指が、私のドレスを強く握りしめた。そうして私たちは身を寄せ合って、兄さんを見送ったのだった。
館に戻ると、あわただしく私は鎧を身に着けた。
その姿でフィアンの部屋へ行く。
「アイリーン」
彼女はハッとした顔で椅子から立ち上がった。
「どうか座って」
彼女の手を取って、座らせた。彼女の足元に膝をつき、両手で彼女の手を包む。
「フィアン、本当は、あなたをご実家に帰してあげればいいのかもしれない。そうすれば、ご家族に守ってもらえるし、いずれ悲しみが癒えた時、新しい幸せを掴むことができる」
フィアンはまさかという表情で、小刻みに横に首を振った。
「うん。今はとてもそうは思えるわけがないもの。そんな選択をしないってわかっていて、こんなことを言う私を、いつか恨んでくれてかまわない。
……でも、今だけは、あなたの手にすがることを許して。……私、私も一人じゃ、生きていけない。兄さんの上に、あなたまでいなくなるなんて、耐えられない。私、力の限りこの家を守ると誓う。だからお願い、傍にいて。私を助けて」
「ああ、アイリーン、もちろんよ、一人で生きていけないのは、私の方よ」
彼女は椅子から滑り下りて、私の首に腕をまわして抱き着いた。
「私こそ、あなたを連れて、実家に帰ればいいってわかってるの。実家なら、あなたの身の振り方も考えてくれる。でも、この家を離れたくないの。……グレッグの傍を離れたくないのよ。あなたに犠牲を強いているのは、私の方なのよ」
私たちは少し身を離して、お互いの顔を覗きこんだ。己の罪を告白し終えた顔を。
彼女の表情を見て、ふっと心が軽くなった。彼女も安心した笑みを浮かべて、ふふっと笑った。
「アイリーン、気を付けて行ってきて。無理だけは絶対しないで。私もあなたまで失いたくないの。
お願い、覚えておいて。私はただ、あなたと子供と一緒に、グレッグの傍にいられれば、それでいいの」
「フィアンも、体に気を付けて。無理だけは絶対しないで。この子が私たちの希望なんだから」
「ええ。グレッグが残してくれた子供だもの」
彼女は大事そうに自分の腹をそっと撫でた。
「では、行ってきます、お義姉様」
「どうかアイリーンに神のご加護を。……グレッグもついていてくれるわ」
彼女は十字を切って祈りを捧げてくれたのだった。