第三十一話 銀行と死神
「ということですね、ええ」
電話をしながら、A銀行の安藤は、椅子にもたれてペンを回した。
「そうですね、いい形での受注も継続的にあればいいんですけど、トータルでは期首からは減りますよと言って来てはいて、先方も」
メモ紙にぐるぐると落書きをしながら、物柔らかなトーンを終始崩さない。
「だいたい実行と同じぐらい、収入からの返済で減っていくのかなと思っていたんですけど、思いのほか、負債が増えて行ってるんですよね。そこがどうかなぁと。まあ、黒沼さんには今のところ、ほぼほぼですからとは、お答えしたんですが、そうですか、早めの措置をね。やっぱりね。御船さんもそうお考えなら、こちらとしても話は早いです。他行との話もまとめて下さったならなによりです。そりゃあ経営者としては、感情が追いつきませんよね」
生殺与奪を担う重さの欠片もなく、けろりとした顔で受話器を置いた。
受付からY株の方がお見えです、と連絡が入り、安藤は上着のボタンを留めると笑顔で出迎えた。慣れた仲なので、こっそり下の名前で呼び掛ける。
「キリエさん」
債権回収が若い女の担当者だと、銀行もなんとなく緊張が走る。女の手に鈍く光る銃器があるような、アンバランスで不吉な気配が漂った。
別室に座り、スチール机で二人、資料を広げる。キリエは手の甲に唇をあてて、考え込んだ。
「要注意から破綻懸念、ですか。この内容からいけば、来期は実質破綻はまず間違いないでしょうね」
「そうでしょ、厳しいですよねえ」
そんな呑気らしい安藤のせりふに、キリエはにっこりと笑顔を付け足してみせた。
「資産査定をお願いするのに、こうして内密にあらかじめ、情報開示するわけですが、くれぐれも守秘義務は守って頂きたいんです」
「そこは、秘密保持契約にもある通り、もちろんです。こちらも信用問題ですから」
資料から目も上げない。
「けっこう抵当ついてますね。でもこれらの資産以外にも、まだあるはずよね」
「調査、お願いできますか」
「もちろんです。それがうちの仕事ですから」
「全体でお引き受けして頂いた場合…」遠慮がちに言葉をさしはさんだ。
「どれほどのオフバランスになるのか、そこがお知りになりたいんですよね」
こっちがこの死に体、いくらで買うのかを知りたいのよね。一方では法案に則った金融支援を言いながら、片方では外部機関の第三者的な意見をと、会社を潰した絵を描く。それに乗っかる私たちの商売よ。
「破産になれば、会社資産は破産財団に属して処分するという形になります。この山林などは、すぐに買い手が現れるかどうかは微妙ね。ケースによっては、五、六年かかることもありますが、それでもないよりはましよ」
すらりと伸びた脚に、担当者の目がじわりと這った。こういう仕事の時にはいつも、パンツスーツを好むキリエが、今日はわざとのようにスカートでハイヒールだった。
「売却された場合の配当額は?」
「債権額に応じた配分になりますね。この山林についてなら、売れても二億が一億三百万……事務負担分を引いても……、でも、問題は自宅及び抵当物件で、いい位置にありますから、かなりの値がつくと思いますよ。もちろん、これは部分だけの話なので、トータルではもっとお出しできると思いますけど、残債二十六億からすると、この程度と思われても仕方がないわ」
「痛みを受け持っても、今はオフバランスが、主流の考え方です」
中企業でそれほど大きな先でもありませんし、とあっさりしたもので、さすが数字をいじくる商売の銀行さんは太っ腹ねとキリエを感心させる。何といっても、いい位置にある自宅売却、これが最もやっかいで、泥臭い汚い仕事だから、銀行はなるべくなら避けたいのだ。
「延命措置をいくら施しても、長引くだけで利息が膨らむんですよね。ご心中お察しします」
「うちとしても、債権カットは論外なので応じられないとの意見が上からも出ていまして」
「ええ、当然のことですね」
キリエは書類をバッグにしまいこみながら、何も知らぬげに、世間話程度に言った。
「こういった先は、バブル後にだいぶ処理されたはずですけど、まだ残っていたんですね」
「ここの社長がうちの顧問と親しくて、円滑化法案のこともありましたしね。ですが、先日」まだ若い担当者は、声をひそめた。「先日、亡くなったんですよ」
あら、とキリエの目が光る。
「私が関わった案件だからかしら。よく言われるの」
「怖いなぁ」
担当者は、体を引いてそれでもあくまで、のどかに笑った。社外まで見送られながら、キリエは聞いた。
「この件で関わってたという、御船パートナーはどうしました」
「裏ボスですか」また笑う。「裏ボスは出てはこないですねぇ」
「もう戻ってこない、そう」
手を引いたということね。逃げ足の速いこと。




