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リシールは不機嫌だった。それはもう、幼子がここまで剣呑な表情をするのかと驚くほどに。
『リシール、その、悪かった。まさかそこまで嫌がるとは……』
「……」
必死に弁解するアズベルだがリシールはそれを無視する。
幼子の力では前世と同じような威力を発揮できず、本来なら頬が腫れ上がるものが少し赤くなる程度の平手打ちしかできなかった。
そのことにも彼女はいらついていた。しかし彼女がここまで不機嫌になったのは契約方法についてだ。
「このロリコン」
『その“ろりこん”が何かは知らないが、リシールが怒っていることはよくわかった。本当に悪かった』
「ならその不愉快な姿をさっさと子犬にしてください」
『……はい』
彼女がここまで怒った契約方法は唇を媒介にした魔力契約だ。
魔力契約は通常血を交わらせることによって契約する。しかし今回は血をながすことが御法度だったためにそれはできない。そのためアズベルは唇を媒介にした契約を行ったのだ。――リシールの快諾なしに。
唇を媒介にする――つまりはお互いの唇をくっつける、平たく言えばキスをしての契約である。いくら契約するためとはいえいきなりファーストキスを奪われたリシールは怒り心頭だ。
子犬形態になったアズベルを抱き上げると、リシールはとても悔しそうな顔をした。
「アズベルがモフモフじゃなかったら、いますぐにでも契約破棄してやるのに」
『我の人型はそんなに気に入らなかったか?美形だったろう?』
腕の中からつぶらな目を潤ませて見上げてくるアズベルにリシールは一瞬息を止めるが下唇を噛みしめて睨む。
「契約でキスするなら子犬形態でもできたと思うんだけど?」
『……すまない』
リシールの恨みがましい声音に小さくなった体を更に小さくするアズベル。どう見ても小動物にしか見えない。
『その、責任は取る』
ぼそぼそとアズベルは小さな声で言うがリシールは聞いてない。それよりもあたりをきょろきょろと見回している。
「ねえ、アズベル」
『どうした?』
アズベルは自分を抱きしめる力が段々強くなっていくので腕の中から肩の上へと移動する。そのことにリシールは不満そうな顔をしたが何も言わず好きなようにさせていた。
「時空のひずみからはとっくに抜けていたよね」
リシールの問いかけにアズベルは一つ頷く。森の主でもあったアズベルの契約主になったことからリシールは異界と人間界を自由に行き来することができる。
「いつまで経っても森の入り口にたどり着かないんだけど。どうして?」
『何を言っているんだ?』
「え?」
アズベルは前の契約主が死んだあとからこの森を住処にしている。それ以来森は精霊の住処としても知られるようになっていたが、その前から森は魔界樹の森という名があった。アズベルが住み着く前から森に入った人間が出てこないことが多々あったからだ。
森に元々住んでいたものたちと境界をお互いに侵さない不可侵条約をそれぞれの王が交わすことによって共存していたのだ。
『我と契約したお前は今、精霊王を従えたものという肩書が存在する。それはわかるな?』
アズベルの言葉に頷く。精霊王と言う言葉に違和感はあるがこのモフモフの飼い主は自分だという自覚はちゃんとある。
『お前が向かっている方向は森の最奥。我と条約を結んだ目に見える魔王が住む場所だぞ?』
その言葉と同時にリシールの視界は黒く染まった――。