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長くなったので分けました。
モフモフを心行くまで堪能したリシールはいまさらながら大きな狼に抱き着いたことに焦り出した。表面上動揺を見せまいとするが、交感能力によってそっくりそのままばれていることを彼女は知らない。
リシールは狼の背から滑り降りると自分が出来る精一杯のお辞儀をした。
「ありがとう、精霊王さん。もう十分」
『お前、我を精霊王と知って飛びついたのか』
前足に頤を乗せて精霊王――アズベルは呆れたように笑った。
時空のひずみがある魔界樹の森――。それは迷信でもなんでもなく、事実であった。
一個師団が神隠しに遭うのも、すべては森に入った異物を不快に感じた精霊が時空のひずみに引きずり込むのだ。当然、精霊が成すことにただの人間が太刀打ちできるわけがない。
そうして、魔界樹の森は天然の要塞と化していたのだ。
「あれ?じゃあなんで私は時空のひずみに引きずり込まれなかったの?私も人間だよ?」
アズベルによって魔界樹の森の講釈を聞いていたリシールは至極真面目に質問した。領主の娘として知っていなければならないことだが、考えてみればリシールはまだ五歳。見た目だけだが幼い彼女にはまだ教えられていなかった。
その質問に驚いたのは精霊王の方だった。成熟した精神と未熟な体を併せ持つこの不思議な幼子は知っていてこの場にいるのだと思っていたからだ。
『気づいていないのか?』
「何を?」
心底わからないといったように聞き返すリシールにアズベルは最初少なからず警戒していた己が余程退屈していたのかと感じる。意図して来れるはずのない幼子に対して威嚇するなど精霊王などと聞いて呆れる。
「ねえねえ、王様?何が気づいてないの?」
前足の毛を引っ張るのではなくモフモフと愛でながら問うリシール。緊張感がないというかぶれない子どもである。
『ここは精霊王の住処。すでに時空のひずみの最奥だ』
「嘘だぁ」
厳かに告げた言葉を静かに聞いたリシールにようやく真面目になったかと思ったアズベル。しかし真顔で返された言葉に二の句が告げなかった。
「だって私、ヴィントくんに近道だって教えてもらったよ?」
『ヴィント……?』
「えっとね、リュムちゃんといつも一緒に漂ってる……。あ、ほらあの子たち!」
そう言ってリシールが指差した先にいたのは――。
『小娘、貴様あ奴らが視えるのか!?』
「え?うん」
アズベルの初めて聞く焦るような声に即答するリシール。王様でも何か焦ることがあるんだと変なところで驚く彼女であった。
アズベルが驚くのも無理はない。彼女が指差したものたち。それは風の精霊たちだった。しかし、空気中に漂う彼らに実体化する力はない。精霊魔法を使う際は彼らがいなければ力は数段劣るが必ずしも彼らの力が強いわけではないのだ。
確かに幼子には稀に精霊を視ることのできる者が存在する。それでも視えるのはアズベルや高位精霊など力の強い者だけだ。それを何の修練も積んでいないような幼子が最弱に部類される彼らを視ることができるとは――。
『貴様、面白いな』
アズベルは思わずと言ったように呟いた。ほとんど無意識のうちに口からこぼれた言葉にリシールだけでなく言った本人さえも驚きから固まった。
「え……」
『あ、いや、他意はないぞ他意は。ただ本当にそう思っただけで……!』
幼子といえど女の子に対し面白いは不躾だったかと焦るアズベル。今更かもしれないが精霊王が形無しである。
「精霊王さんは、きれいだね」
『待て、なぜそんな話になる』
脈絡のない話に思わず突っ込むアズベル。初めの緊迫感もシリアスムードも気づけばどこにもない。
「だってその青がかった銀毛は見たことないくらいきれいだし触り心地も神がかってたよ。いつまで触ってても飽きないくらい。その目は夜空を切り取ったようにきれいだし一見黒かと思ったけどよく見れば瑠璃色だし。本当……きれい」
まるで口説くようなセリフにアズベルはうろたえる。彼はその見た目から使役しようとする人間に散々同じようなことを言われたりしているが彼らの明け透けな目的に気にも留めなかった。
だから下心なしに言われるとさすがの精霊王も照れるし嬉しいらしい。見た目はなんの変化も見られないが尻尾が残像が見えるくらい振られている。
『ふん、そんなこと言われなれておるわ』
「そっかー、確かに精霊王さんは長生きだもんね」
はにかむリシールにアズベルはこの子どもが愛しく思えてきた。眠りを妨げたことに関してはまた煩わしい者が来たのかと思ったが違うようだし、ここまで精霊がはっきり見える瞳を持つ人間は長年生きていた中でも出会うのは二人目だ。一人目も、出会ったのはもう五百年も前のことになる。
『なあ、小娘』
「なあに?精霊王さん」
『お前、我を使役するつもりはないか?』