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魔王ことオルシェによって転送魔法で送られたリシールとアズベル。
帰りたいと強く念じる場所と言われ、思いついたのはヨルとお爺様だった。次いで屋敷の自分の部屋へ帰りたいと思ったのだが、どうやら転送魔法というのは最初に思いついたところを選ぶようで――。
飛ばされたのは小さくかえらずの森が見える場所で、屋敷から大分離れたところだった。墜落するような衝撃から身を固くしていたリシールだったが、アズベルが本性に戻りリシールお気に入りのモフモフの尾でくるんでくれていたようでほとんど衝撃もなく地面に降り立つことが出来た。
一瞬だったなあと感じてたリシールはわずかな魔力の揺らぎを感じて目を向けた。見ればアズベルが少年の上に前足を乗せて威嚇しているではないか。しかも本性のまま。これは拙い。
「アズベル。見知らぬ人を潰しちゃダメ。とにかくその前足どけて。ネコ科みたいに爪を出し入れ出来ないんだから注意してよ」
飼い主としてペットの躾はちゃんとしておかなければならない。これから外で出歩く際、アズベルには「シャルルット伯爵令嬢の飼い犬」という肩書が付くのだ。彼が粗相をすれば私に、ひいてはシャルルット伯爵家に泥を塗ることになる。それは困る。
『なんだ、リシール。構ってもらえないから嫉妬か?』
だというのにこの駄犬は――……っ。誰がアズベルの肉球を堪能できて羨ましいと思っているって!?
「二度ときけない口にしてもいいよ?」
『すまん』
キラキラしい笑顔でアズベルに問いかければ即答で謝るアズベル。即答で謝罪するならやらなければいいものを……。
アズベルの行動に頭を抑えたくなったリシールだったが未だ抑えつけたままでいるアズベルに少年を放すよう声をかけようとした。しかしほかでもない少年にかけられた言葉によって中断するはめになる。
「リシール、さま?」
アズベルが潰していた少年。それは間違いなくリシールの後の従者である、今はまだ従者見習いのヨルであった――。
「ヨル……?」
「リシール様、なぜ、このような獣と……。それに、その御髪は……」
呆然としながら力の弱められた圧迫から這い出すとリシールに駆け寄るヨル。短くなったリシールの髪に愕然としながらリシールにそれ以外の怪我がないか確かめる。
「えーっと、この子はアズベル。髪は……対価で切ったの。ヨルは、大丈夫?アズベルに潰されてたけど……」
「僕のことよりリシール様です!かえらずの森へ攫われて僕たちがどれ程心配したかおわかりですか!?旦那様は部屋に引きこもったままですし、侍女頭のアルカさんも料理長のコウシンさんも、みんな使い物にならない状況ですよっ!?」
リシールの両肩に手を置いて屋敷の現状を語るヨルの声は焦りと安堵と怒りが混ざったような形容しがたいものだ。それが段々震え、目が潤み、そしてついにはリシールを抱きしめて嗚咽を漏らし始めた。
「よ、かった――。リシール様が、ご無事で、本当に……っ」
リシールは精一杯背伸びして自分より頭一つ分大きなヨルの頭を撫でる。2年前と変わらない人より色素の薄い髪は艶やかになり、持て余していた魔力も使えるようになった。背も伸びて、2年前まで同じだった目線は気づけばこちらが見上げるようになっていた。何も知らなかったはずの子どもではなくなったのに、嗚咽を漏らすヨルはどこか迷子のような目をしていた。
「ヨル、私はここにいるよ。いなくならないよ。だから、泣き止んで」
ヨルの頭を撫でながら「大丈夫、大丈夫」とやさしく、まるであやすように繰り返すリシール。気分はさながら母親だ。ヨルはなんというか、母性本能というものをくすぐるのだ。
「……ぐすっ。失礼いたしました」
「いいえ、どういたしまして」
鼻の頭を赤くしながらも泣き止んだヨルは、リシールに寄り添うように立つ大きな獣を見上げた。
「リシール様の、契約獣ですか?」
『小童が、我にたやすく話しかけるな』
アズベルが凍えるような声と目つきで吠える。足を引きそうになる己を叱咤して、ヨルはアズベルを睨み付けた。
二人(一人と一匹)の間に火花が散る。
「僕はリシール様に2年前から仕えてるヨルだ。僕の方が先輩だから、敬え駄犬」
『我はリシールと魔力契約を行った一蓮托生の、言わば運命共同体。たかが従者の分際でそちらこそ身の程を弁えろ』
一触即発という雰囲気になるが、リシールの手を打った音によってそれは霧散する。
「ヨルもアズベルも喧嘩しない。ヨル、取りあえず今は保留にして。アズベルも年上なんだから譲歩する。私、とにかく帰って寝たいから」
オルシェも屋敷に送り届けてくれればいいのになんでヨルがいるところに送るかな。ヨルなら高確率で屋敷にいるとは思ってたけどなんか森が見える場所まで来てるし……。
たんたんと疑問を口に出すリシール。彼女がこのようにマシンガントークをかますときは大抵無意識に苛立ちを募らせている。こういうときは何も口を挟まずにいることがベストなのだが、やはり仕え始めて年期の違うアズベルが知るはずもない。
『どうしたリシール』
「ヨル、この駄犬置いて帰ろうか」
「はいっ!」
最悪のタイミングで声をかけた駄犬を切り捨て、リシールはヨルに声をかける。ヨルはリシールの言葉に即答すると失礼します、と言ってリシールを抱き上げた。
ほとんどの女性が憧れる、所詮「お姫様抱っこ」で。
リシールは記憶で覚えていたから動揺はしなかったが驚愕はした。なぜなら思ったよりも相手との距離が近い。それに相手のどこかにしがみつかないと不安定なのだ。
(よく描写で女の子が相手の首とかに手を回してるのはこのためか……っ)
リシール、表に出さないよう必死になりながらヨルの首へ腕を回す。かなり密着するため緊張するが振り落されるのは困る。これからする移動手段はたとえ不安定でなくてもヨルにしがみつかなければ振り落される。
「では、しっかり捕まってくださいね」
ヨルはそう言うと風の魔力を集めると、それを足場に思いきり駆け出した。