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試験期間、本日より開始です。
なのに投稿……。
しかたない、だって書けたんだから。
アズベルとオルシェが異空間に移ったのを見たリシールは魔物たちに埋もれながら思考を巡らせていた。
ストーリーに齟齬が生まれている。
森に捨てられ、アズベルと契約し、魔王に攫われ――。モフモフに癒されようやく落ち着いたリシールはそのことに気が付いた。
リシールは学園に入学した時点では、まだアズベルを使役していなかった。それどころか、魔王は百年前に勇者に倒され消滅している設定だった。それにリシールが悪役令嬢になった土台はでろでろに甘やかされた幼少時代だ。
けれど、この世界は違う。
ゲームとのズレが生じている。
(私という存在がズレを生んだのかな……)
リシールは自分の中にある前世の記憶を引っ張り出す。しかしどうしてか名前などの前世の自分の存在だけがすっぽりと抜けている。けれど、私がこの世界でリシールとして生を享け、五年間「私」という自我がなかったとしても生きてきた事実は変わらない。
(この世界は、ゲームそのものというよりも、それを題材とした平行世界と考えた方がいいのかな)
リシールである場合、どうしても死亡フラグに追放フラグ、没落フラグはついて回る。お爺様は清濁併せ持つ人間だと理解しているけれど、父親がゲームと同様なら責任を問われる可能性が高い。
「あの溺愛ぐあいはただ孫に甘いだけのやさしいおじいちゃんなのになぁ」
リシールは鎌みたいに鋭い刃を持つカマキリ姿の魔物へと近づいた。
「カマキリさん、私の言葉、わかる?」
黒いカマキリは首肯することで言葉を返した。
アズベルと会話することができたのは彼が聖魔獣という最高位にいる魔獣であったからであって、魔獣が必ずしも人間と同じ言葉が話せるというわけではないらしい。
ちなみにこれは、さっきまで一緒にいた黒髪の美人なお兄さんが教えてくれた。アズベルとは違ったタイプのイケメンで、距離を保った紳士的な対応をしてくれたので、個人的にはアズベルより非常に好ましい。
「私の髪を、肩の位置くらいで切ってほしいんだけど、できる?」
その言葉にカマキリはうなずくと手招きしてきた。早速切ってくれるようだ。
風圧が一瞬首筋を通り過ぎると、頭が一気に軽くなった。触ってみれば腰まであった髪は肩の位置で切り揃えられていた。
「ありがと、カマキリさん」
リシールは髪の毛束を手に持つと、カマキリに一束、ハーレムと化していた魔獣たちに一筋ずつ渡し始めた。
貴族は髪に魔力を貯める。そのため、髪の長い者ほど魔力の保有量が多いとされるのが一般常識だ。
リシールはそれを魔物たちに渡す。これは対価になるからだ。
本来、人間と魔物は相容れない存在である。それは太古から変わらぬ事実であり理だ。
けれど今、リシールは魔物たちの居城に踏み込んでいる。これは土足で他人の家に入り込んでいるのに等しい行為である。
だから対価を払う。
この場所に立ち入ったことを許してもらうために――。
このまま無事に帰してもらえるように――。
「そろそろ、潮時かな……」
リシールがそう呟くのと同時に空間が歪み、アズベルとオルシェが異空間から戻ってきた。
「おかえりなさい」
『ああ、ただい、ま……!?』
アズベルはリシールの言葉に返事をしながら固まった。そして呆然としたように硬直する。
オルシェも同様に硬直したが事態を理解したのか、リシールの傍で跪き、目線を合わせる。
『この髪は、いかがしたのですか?』
オルシェは短くなった髪を視界に収め笑顔で尋ねてくるが威圧感が怖い。その証拠に先ほどまで群がるように居た魔物たちの姿が消えている。魔王の怒りに恐れたのだ。
リシールは負けないようにその紅い目を真っ直ぐに見つめ返した。そして、切った髪を差し出す。
「対価です。魔王様、この髪を差し上げます。だから、私たちをお家に帰してください」
『気づいていたのですか……』
オルシェはリシールの真っ直ぐとした目に気圧された。今まで、魔王と知ってここまで向き合ってきた人間は誰一人としていなかった。それゆえに戸惑い、躊躇する。
この幼子に触れていいのか、迷うほどに――。
『今回限りだ。もう一度、触れてやれ』
硬直から解放されたアズベルが至極不機嫌そうにオルシェに言い放つ。その目の先には短くなったリシールの髪に向けられている。
オルシェは恐る恐るといったようにリシールの頭に触れる。そして髪を梳くように撫でた。それにリシールははにかむ。最初と同じように――。
『小さな姫君。貴女が大人になって、私の力が必要になったらお呼びなさい。呼び方は、あなたの中にある』
跪いたままリシールに触れたオルシェはそう言うとリシールの手に口づけた。それはまるで、姫君に忠誠を誓う騎士の如く神聖なものに見えた。
『家の近くまで送りましょう。対価は十分いただきました』
オルシェがトンッと足元の大理石を蹴とばすと魔法陣が広がった。闇の魔力で描かれた魔法陣はまるで夜のように静かな気配を放っている。
『転送陣です。姫君、帰りたいと思う場所を強く思い浮かべなさい。そうすれば、必ず辿り着けます』
「魔王様は、これからどうするの?」
陣の中からリシールは魔王の麗しい顔を見上げた。紅い目は血のようにおどろおどろしい色ではなく、炎のように赤く、温かい色に変わっていた。
『私はしばらく身を隠します。姫君を見たら怒り狂う方がいらっしゃいそうなので』
「また、会える?」
『姫君がそう望むなら』
徐々にリシールとアズベルの身体がブレていく。オルシェは魔法陣に力を込めた。空間を超える術式を展開し続けるのはやはり結構難しい。
『魔王よ。約束は違えないと我が名に誓おう』
アズベルが魔王にそう告げる。その言葉を最後に二人(一人と一匹)の姿は掻き消えた。