掌編小説/鬼撃ちの兼好 『Caboose(車掌車)』 ノート20140519
掌編小説/鬼撃ちの兼好 『Caboose(車掌車)』 1/2
数日、しとしと降っていた。五月雨というには少し早い季節だ。その日も夕方になったのに、どんよりとした曇天は変わりばえしない。
白い石造りの鳥居をくぐり、苔むした五十五段の階段を登ってゆき、尾根の戴きとなったとこが常盤神社の境内だ。手前が社務所、奥の一段高くなったところが社殿となっている。禿げ頭の氏子総代が、ふーふー、いいながら石段を登ってきた。
外見が閑静な社務所に入ると、天井にはシャンデリア、内装はカーペットにリビングセットが置かれている。客に振る舞われたのは、珈琲とスコーン。器はドイツ・マイセン窯産ときていた。若い宮司の趣味で、少しずつ洋風化しつつあったのだ。 深々とクッションの効いた氏子総代が、ソファに腰を降ろし、きょろきょろ部屋を見渡した。
――だんだん、派手になってきたわい。
なんだかヴィクトリア朝仕様のシャーロック・ホームズ部屋を思わせる内装だった。
「宮司さんはすでにおききのことでしょう、五十年以上も昔に閉山になった弥勒沢炭鉱跡地で、鬼がでたって噂を……」
「鬼なんか、どこだっていますよ、総代。『そっち』に目が効く人なら、けっこうみているはずです」
「いや、問題は、群れをなしてゆくのです。出入り口は昔あった、三坑口のあたり……」
「三坑口。……あそこ、コンクリートで封鎖してあったでしょ?」
「それが、高熱で焼いたように、ドロリと飴状に溶けておりましてな……」
「開口しているのですね」
なるほど、コンクリートで封鎖した廃坑を、わざわざ、こじあけるような奴はそうそういない。鬼の仕業というわけだ。いまのところ実害はないのだが、白水谷の長老である総代にとっては、気になるところなのだろう。
総代がひとしきり話をしてから、
「ところで話しは変りますが、宮司さん、そろそろ身を固めたらどうですか? いい娘を紹介しますよ」
ともちだした。
「修行中の身ゆえ、まだしばらくは……」
「そうですか、その気になったらご相談ください」
シャンデリアの応接室を見渡してから、
――どこが修行中の身だ。少し落ち着いたらどうだ!
といわんばかりに、社務所を出て、また境内の階段を下りていった。
若い宮司が、総代を鳥居まで見送ってから社務所に戻ろうとすると、社殿の方から黒猫が飛び出してきて、兼好に寄り沿うように歩きだした。宙で尻尾をのの字に動かしている。
「よお、夜叉姫」
夜叉姫と呼ばれた猫は、いつの間にか少女姿になっていた。
実際の年齢は何歳くらいなのだろう。安楽椅子にもたれて物思いをしているときは十八歳以上にみえるし、上目づかいにして、こちらを見上げるときは、十歳くらいにもみえる。ショートヘアで、黒いリボンが腰についたゴスロリ・ドレス。スカートの下からカルソンの裾がみえている。そしてなんなのだ、黒猫をイメージした耳と尻尾は。……もろに好みではないか!
夜叉姫と呼んでいる娘がサッシになった玄関の扉を開けた。そこで、猫招きの真似をして片手をあげ、小首を傾げつつ、両足をKの字にして、「にゃん」といった。……反則だろ、それは。キュートだ。キュート過ぎる。
女の子の、「にゃん」に合わせて、「うにゃにゃん」と答えたのは、ソファに腰を降ろした烏帽子に狩衣姿の宮司だった。
元自衛隊曹長、二十六歳独身。先祖の随筆家から名前を頂いた吉田兼好は、常盤神社宮司である。境内社務所で灰色の修行生活を送っているというご近所の触れ込みになっているのだが、実際のところはバラ色の青春を謳歌していたのだ。
社務所にソファやら安楽椅子を置き、萌え系少女にうつつをぬかしている。氏子総代ではないが、軟派な奴が神職というのはいかがなものか。……兼好青年、狩衣を着たら、ふつう、板の間に座布団だろ、自重しろ。
ゴスロリファッションの夜叉姫は、リビングテーブルの上に載せた紙に鉛筆で描かれた円をみつめていた。
「なにこれ?」
「ここ白水谷の概略図。右上にあるのが、昭和四十年代に市の土木課が、史跡・白水阿弥陀堂の境内を突っ切る市道建設でできた鬼門。その先にある鬼が沢とつながった。文化庁がストップをかけて工事はストップしたが鬼門自体は塞がっていない。……今回の問題はその対極に位置している裏鬼門だ」
「弥勒沢トンネルね」
……白水郷は阿武隈山地の裾野を流れる新川の谷筋にある。常盤神社がある白水谷に人口の大半が集中し、そこから川沿いの細道を奥に進んでゆくと、かつて炭鉱があった弥勒沢にたどり着く。これが旧道だ。
それとは別に、さらにもう一つ、白水谷から弥勒沢に貫ける入り口が弥勒沢トンネルだ。同トンネルはかつて、石炭の町でもあったこの郷に走っていた弥勒沢鉄道の名残だ。弥勒沢炭鉱からでてきた石炭は、貨物車両に積み込み、本線である常磐線内郷駅に合流。首都圏へ出荷されていた。
清浄の地を意味する白水谷の北東に、鬼門が開削されていたという事実を、郷の人々は認識していない。そして鬼門の開削から半世紀以上も昔・戦前に、南東・裏鬼門が開削されていたのだ。
裏鬼門は、弥勒沢炭鉱が石炭積み出し用に敷設した弥勒沢鉄道の軌道上にある弥勒沢トンネルだ。白水谷南東の尾根をくり抜いて向こう側に通したところがそれだ。
弥勒沢トンネルを抜けた出口が、新川に沿いの断崖に沿った旧道との十字路になっていた。三坑口はそこにある。
さて、氏子総代が帰ってからほどなく日が落ち、それから白水谷は闇が支配するところとなり、さらに時間が経過。深夜未明となった。午前二時過ぎ・丑三つ時は、古来より逢魔が刻と呼ばれている。魔界の門が開かれる時間帯だ。
白水阿弥陀堂の裏山にあるV字に開削された鬼門から、鉄道路線がシュルシュルと延びてきた。その時間帯だけ、この世には存在しない、魔界からの鉄道路線・鬼ガ沢鉄道の姿を現す。軌道は、阿弥陀堂の浄土池の上に鉄橋となってゆるやかに下り、御堂から南に直進する参道の上を走り、例の裏鬼門にむかう。
白水阿弥陀堂は、三方を池に取り囲まれていて、中島を経由して、二つの橋を渡るようになっている。南岸には、江戸時代の初めまで、池の南縁には、大門が存在した。丑三つ時になると、この門が摩訶不思議と復活。そこが、鬼が沢鉄道の停車場の一つになっているのだ。
市の重要文化財である鉄仏を少しばかり削って弾丸の先っちょに埋め込んだ聖弾。それを日本の警察が制式拳銃にしているS&Wの弾倉に装填した、若い宮司が、停車場に立って、魔界からやってくる路面電車がくるのを待った。
路面電車といっても風変わりなもので、かつて、貨物列車の最後尾に連結していた添乗員控室として使われていた車掌車だったのだ。牽引するはずの貨物車はおろか機関車がない。
――きっと、魔界から押し寄せる波動を動力として動いているんだな。
元陸上自衛隊曹長の宮司はそうつぶやくと、車掌車のステップを上って扉を開け、中に入った。入り口のむこう壁際に事務机と椅子、奥に達磨ストーブを囲む感じで丸椅子二つと長椅子がある。無人だ。
あとから続いてきたゴスロリ服の夜叉姫は、呼子笛を吹いて、
「出発進行」
といった。
――あの、あの、その呼子笛、いつ準備したのだね? 頭に載せている鉄道員制帽はなんの真似だ。まるでピクニックにでもゆくように、はしゃいじゃったりして。おい、夜叉姫、不謹慎だぞ。めッめッ。……でも、キュートだから許す。
そんなふうに心でつぶやく若い宮司であった。
彼の名は吉田兼好。元陸上自衛隊曹長にして常盤神社宮司。独身。
. I followed next time.
掌編小説/鬼撃ちの兼好 『Caboose(車掌車)』 2/2 ノート20140519
ガタンゴトンと、車掌車は、魔界から現れる路面電車の軌道をゆく。新川にかかる欄干の付いた阿弥陀橋を越え、緩やかな坂道を登ってゆく。すると、右手である西の山裾には切妻屋根の重厚な平屋民家が建ち並び、道路を挟んだ左手には、高度経済成長期に造られ、現在取り壊しをしている、平長屋ないし二階長屋となった老朽化したコンクリート造りの市営住宅各棟が整然と並び、夜光燈がそれらの建造物群を照らしていた。
常盤神社の若い宮司が座る長椅子の横に、猫耳・ゴスロリ姿の少女・夜叉姫が、ちょこんと座り、甘えるように肩に寄りかかっていた。いつもなら、ふやけるはずの彼だが、シリアスな表情だ。……硬派なご先祖・吉田兼好の名前を拝領した軟派なこの男でも、真面目な顔をすることはあるらしい。
「ケーンコー、なにか考え事でも?」
「うん……」
実をいうと吉田兼好は養子だった。もともとは、岩城家という土豪の子息であったのだが、両親が事件に巻き込まれて亡くなったため、母方の伯父である吉田家に引き取られた。母親は、一人息子の兼好を、実家である神職の家・吉田家に預けたのだ。
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思いつめたような顔をしていた母親が、幼い息子の手をひいて、常盤神社ではないところの神社境内で鳥居をくぐった石畳の上だった。
「母さん、なんでゆくの?」
「父さんがお仕事でゆくから。子供はお留守番」
幼児は押し黙った。そういうふうに躾けられていたのだ。
兼好の実父は神職ではなく政府の官僚だった。夫妻は飛行機で任地である海外に渡って到着してほどなく、武装グループに襲撃され銃弾に倒れた。……母親は夫と自分の運命を察していたのだ。
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白水谷南面の尾根裾野には、かつて、緩やかな弥勒沢鉄道が東西に走向していた。逢魔が刻では、この鉄道路線も復活する。鉄道員が軌道変更用のレバーを引く。夜叉姫と同じ制帽を被っているのだが、キュートな猫耳のかわりに、いかつい牛のような二本の角が生えていた。
車掌車が右にむきを変えた。分岐点からさほど離れていない高野山不動尊前という停車場で車両が停まった。
白水谷の裏鬼門を守る不動尊は安産祈願の祠堂があるところで、出産を控えた妊婦はここを詣でる。内部にはおびただしい数の犬の縫いぐるみがおかれ、母親になる女性たちは、一体のそれを借り受け、無事出産を終えると、犬を二体にして返すという習わしがあった。
そこにだ、ブレザー・スカート制服姿の女子高生が一人で立っていて、乗り込んできた。扉が開いた際、冷気が漂った。というより、初夏だというのに雪が舞い込んできたのだ。時間も時間だし、魔界の市電に乗り込むなどという時点で、幽鬼であることは明白だった。切れ長の双眸で長いまつげだった。
――はじめてみる。これが雪女? 綺麗なものだな。季節的にもそうだが、ブレザー姿は反則だろ。
いまどきの雪女は女子高生姿が流行のようだ。彼女は、若い宮司とゴスロリ少女を無視して、通路を進み、奥にある達磨ストーブ前に配置された長椅子に腰掛けた。抱きしめたら折れそうなか細い身体つきで、髪は腰あたりまで伸ばしている。鞄を膝の上に載せ、終始うつむきかげんでこちらをみていない。
いつも兼好に対して微笑んでいる夜叉姫が極めて不機嫌そうにしている。
メラメラメラ……。
兼好青年は、夜叉姫の双眼が怒気をはらんでいたのを察して、慌てて目を伏せた。
その手が肉球のついた獣脚となり、カッターナイフと化した爪をだしている。
――その悪魔のような爪で俺を引っ掻く? 勘弁してくれ!
若い宮司は、とっさに彼女の肩に手をやってぐいっ、と引き寄せる。
「ジュディームぅ……とか」
「にゃん♡」
羅刹のごとき表情を浮かべていた少女はコロリと態度を変え、寝返りをうつように狩衣を着た青年の胸に甘えるように頬ずりをはじめた。機嫌が治ったみたいだ。
その間に発車した車掌車は弥勒沢トンネルをくぐり、むこう側に抜けた。
――百メートルそこらの裏鬼門を抜けたところは異界であった、みたいな。
天井がアーチになったトンネルのむこう側は深い霧に包まれていた。
窓からみえる光景は暴風と濁流だ。列車の軌道のところだけが、モーセの出エジプトみたいに、水面が割れた底をいままでと同じ速度で走っている。幻覚というか幻視というか、異界ならではの光景だった。
心臓に毛が生えたような男・吉田兼好といえども顔を引きつらせることもある。
――なんだ、この渦巻く強い想念は。
細身の女子高生が顔を上げる。
ゴスロリ少女がビックリして括目した。
なんと、長い髪をしたブレザー娘は、兼好そっくりの顔をしていたからだった。娘は立ち上がって振りむいた。
「大正時代に台風直撃による洪洪水があったの。多くの炭坑夫とその家族が死んだわ。新川はこのトンネルあたりで九十度近く折れ曲がる。ゆえに濁流は、勒沢トンネルの入口を尾根瓦礫で塞ぎ、炭坑夫たちが住む長屋をここにぶつけてこなごなに砕いた。屋根に上がった人々もろともにね。……災害は人災で、炭鉱長屋や高山施設を造ったり、坑道内からでる砕石を数十メートルの高さに積み上げたズリ山が森林面積を小さくしたため吸収力がなくなって、洪水を引き起こす羽目になったってわけ」
若い宮司が、聖弾と呼ばれる対幽鬼用の弾丸を装填したS&W拳銃を、女子高生姿の雪女にむけた。
「詳しいね。雪女系上級幽鬼とお見受けする」
「無駄よ」
兼好が引き金に指をかけた。
――畜生。指がかじかんで動かない!
ブレザー姿の雪女がまさに氷の微笑という奴をした。
夜叉姫が獣脚化した手から飛び出したカッターのような爪で一撃をくらわそうとするのだが、これまた、時間を止めてしまったかのように、ピタリと動かなくなってしまった。
ヒュルルル……。
車内に吹雪が舞った。
「君は何者?」
「私はアンジュ。貴男がここにくるのを知っていた。だから私は貴男に警告する。白水郷から、いえ、東北から一刻も早く立ち去りなさい。それが身のためというものよ」
「幽鬼なのに、なんで俺を殺さないで警告にとどめる?」
「愛しているから」
――?
ブレザーの少女は、動けない青年の頬を愛おしそうに撫で、それから彼の唇に自らの唇を重ねた。
嫉妬深い猫系ゴスロリ娘は、失神させられたか、あるいは、催眠術にかかったようで瞬き一つしない。
二つ割れていた水面が、ふたたび一つになり、元の濁流に戻った。車両は水底に沈んだ。窓の外にはライト付ヘルメットをつけた上半身裸の炭坑夫やら、モンペ姿の女性が鮫みたいに、しなやかに、悠然と、泳いでいる。
――河童か?
あるいは半漁人のようにもみえる。ラヴクラフトの『クトゥルー神話』シリーズに登場する合衆国東海岸にある架空の町・インスマス住民みたいな感じだ。魚のような頭。水掻きがついた手足。
連中はもの珍しそうに、ていうか、水族館で水槽をのぞきこむ見学者みたいに、若い宮司たちを車掌車の窓外から、自分たちを観察しているのだ。
それから、兼好に眠気が襲い掛かり、瞼が閉じてしまった。朝までの記憶がない。鶏が盛んに鳴いていた。弥勒沢トンネルから、新川にかかるかつての鉄道橋脚を県道・自動車道路用に造りかえたコンクリート橋だ。兼好と夜叉姫は、欄干にもたれかかる格好で、開放されていた。
なんという通力。兼好と夜叉姫がタックを組んでも歯が立たない。すごすごと逃げ帰るのが得策みたいな感じだった。しかし物語主人公はそれをよしとしない。どう戦うというのだ、青年!
吉田兼好、常盤神社宮司にして元陸上自衛隊曹長。独身。
. エピソード03・END
【登場人物】
●吉田兼好……常盤神社宮司。元陸上自衛隊曹長。神職の名門・吉田家の末端にいる青年。鎌倉時代にいた同名の随筆家・吉田兼好は先祖である。
●夜叉姫……猫または少女の姿へ自在に変身する。神か妖怪かは不明。兼好の要望で、猫耳・ゴスロリ衣装を身にまとい登場する。常盤神社に居ついている存在のようだ。
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